教区の歴史
聖ペトロ聖パウロ・聖職者の集いミサ説教
2013年06月24日
2013年6月24日 東京カテドラルにて
説教
昨年の10月11日に始まった「信仰年」は8ヶ月が過ぎ、本年の11月24日、「王であるキリスト」の祭日に終了します。信仰年にあたり、わたしたちは自分の信仰を振り返り、確かめ、深め、そして信仰のあかしを行い、信仰を多くの人に伝えるように努めております。
わたしたちは、「信仰年」にあたり、あらためて、主イエスの福音を現代の日本で生きる人々の心に響くような表現、方法、熱意をもって伝えたいと、切に願い、そのために努力しております。
現代の荒れ野において、主イエスにおいて示された神の愛を、どのようなことば、態度で表し伝えたらよいのかという、この課題をわたくしたちは、真摯に追求したいと考えております。悩み迷い苦しんでいる人々に、やさしく心に響くように、慰めと励まし、勇気となるようにと、神の慈しみを現し伝えることが出来ますよう、聖霊の導きを祈りましょう。
使徒ペトロはイエスに対して「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16・16)と立派に信仰告白しました。彼は、イエスの受難の際、三度もイエスを「知らない」という過ちをおかしましたが、殉教の最期を遂げて、立派に信仰をあかししたのでした。神の恵みは人間の弱さの中に働きます。使徒ペトロの生涯の物語は、弱いわたしたちとって大きな慰めであり励ましであります。
本日祝う、もう一人の使徒パウロは、異邦人に派遣された使徒でありました。パウロは多くの困難のなかで使徒の務めを果たし、殉教しました。
パウロはさまざまな試練を体験しました。パウロには、彼が「とげ」とよぶ、何かの問題があり、彼はそれを取り去ってくださるよう主に願いました。
このパウロに対しても主は言われました。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」(2コリント12・7-9参照)
パウロはコリントの信徒への手紙二のなかで自分の苦労を列挙しています。「(わたしは)苦労したことはずっと多く、・・・しばしば旅をし、・・・苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり・・・その上、日々わたしに迫るやっかいな事、あらゆる教会についての心配事があります。」(2コリント11・23-28)
「やっかいな事」と「教会についての心配事」とは何でしょうか?非常に真に迫った表現です。その後パウロは言っています。「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。」(2コリント11・30)
実にわたしたち司祭は、「土の器」(2コリント4・7)というもろい人間性に司祭の尊い使命を受けました。この弱い人間を通して神の恵み、神の光、神の力があらわれ伝えられますよう、ただ祈り、お願いするのみであります。
最後に一言この機会を借りて皆さんにお伝えすることがあります。
6月19日付け書簡で、教皇庁典礼秘跡省は、ミサ奉献文の二、三、四の中に、聖ヨセフの名前を追加するようにと布告しました。教皇フランシスコが前任者ベネディクト十六世の意向を受け継いでの決定であるとのことです。
ミサのカノンのなかに「神の母聖マリア」の次に、聖ヨセフの名前を唱えることになります。
後日、日本の司教協議会を通して正式の知らせがありますが、今日あらかじめお伝えいたします。
よろしくお願いします。