菊地大司教

    瀬田・三軒茶屋教会堅信式ミサ: 復活節第六主日

    2022年06月10日

    こうやって野外ミサをする機会は、なかなかありません。外でのミサですから、換気の必要はないですし、一緒に歌を歌うこともできます。人数も沢山でできるということ。今日、こうやって外でミサができるようになったことを、本当に感謝したいと思います。

    こうしてミサを野外で祝いながら、昔のことを思い出していました。わたしは神父になってすぐに、アフリカのガーナという国に8年間派遣されて、小教区の主任司祭をしていました。そこでは3年に1回、司教さんを迎えて堅信式をしていました。

    司教さんは一週間小教区に泊って、四回の堅信式をしてくださったのですが、一度のミサで200人くらいの人が堅信を受けました。つまり、800人の方が3年ごとに堅信を受けるくらい、沢山の信徒がおられる教会でした。その堅信式を、やはり野外ミサでしていました。それを思い出していました。ちょうど今日の蒸し暑さも、アフリカのガーナの蒸し暑さと一緒くらいです。大概が雨季の時期に行うことが多くて、午前中は晴れているのですが、午後2時くらいになると雨が降り出すので、それまでに野外ミサは終わらないといけない。それにも拘らず200人もいて、一人一人に司教さんは一人で堅信を授けているので、ものすごく時間がかかります。

    今日はこの祭壇の後ろには何もないので後ろまで見えますけれども、ガーナではステージを作って、その後ろについたてのように布でカバーをするのです。

    堅信の塗油に時間がかかるので、皆さん、だんだんと手持ちぶさたになるのか、その中でも教会の長老たちが、そのカバーの後ろで、皆から見えないだろうと、ちょっと一杯を始めるのです。

    ある年の堅信式で、やにわに風が吹いて来て、その後ろの衝立にしていた布が見事に飛ばされたのです。そしたら当然、後ろに隠れていた方々は見えますよね。後ろで長老たちが酒盛りをしているのが全部見えて、あぁ、さすが聖霊は素晴らしいと。隠されたものであらわにならないものはないと。真実を明らかにする聖霊の力だと言って、ミサ後に皆で大笑いしたことを思い出していました。

    それくらい、野外のミサでは、いろいろと想像しないことが起こりえます。今日もこうやって風が吹いているので、何が倒れるかわからないですし、急に強い風が吹いたとしたら、テントも吹き飛ぶかもしれません。まさしくそれが、聖霊が働いているということを、象徴していると思います。

    風はいったいどこからやって来てどこへ行くのか、分からない。今は気象予報が発達したので、この方向の風がこれくらいの強さで吹きますということがわかりますけれども、それでも、明確にここから吹き始めて、ここまで行くんですよということは、はっきりとは分からない。風はいったいどこからやって来て、どれくらい強くてどこに向かって行くのだろうと、私たちはいつも不思議に思ってきたのです。そしてそれこそが、聖霊の働きを象徴しているというふうに、信仰の先達は考えた。それは今でもそうだと思います。

    わたしたちが想像しないようなことを、風は成し遂げて吹き去って行ってしまう。

    どこからともなくやって来て、いろんなものを吹き飛ばしたり、ひどいときにはその場をめちゃくちゃにしたり、そしてどこかに消え去ってしまう。それが、聖霊の働きだと思います。

    いま教皇様は、教会を改革しようと、新しい教会になっていこうと呼びかけて、共に歩んでいきましょうと、シノドスへの参加を呼びかけられています。一緒に歩んで行きましょう。それはまさしく、教会に聖霊が働いて、その聖霊の風のような力で、教会が変えられていくことを願っているんです。けれども、さっきも言ったように風は何をしでかすかわからない。だから吹き荒れる聖霊も、何をしでかすかわからないのです。

    間もなく聖霊降臨の祝日が来ます。聖霊降臨の祝日に必ず朗読されるのは、使徒言行録の五旬祭の出来事です。弟子たちが集まって祈っていると、聖霊が降り、弟子たちがいろんな言葉で喋り始め、周囲の人たちみんながやって来て、これは驚いた、凄いと言ったという話であります。

    その話を著わすのに使徒言行録を書いた人は、わざわざ「音がした」「激しい音がした」って書いたのです。みんな物音にびっくりしたって書いたのです。

    つまり、聖霊が降って働くと、みんなびっくりするようなことになるのです。風が吹いて、予想もしないいろんなことが起こるので、みんなびっくりする。なので、びっくりしないところには聖霊は働いていません。びっくりすることが起こっているところにこそ、聖霊は働いているんです。

    その聖霊降臨の日から教会は始まり、わたしたちは同じ聖霊によって今も導かれ、だからこそ教会は生きています。ですから、今私たちの教会が、何も起こっていない、静かで誰も喧嘩をしていない、にこやかで何も起こっていない、平穏無事な教会なのだとしたら、それはもしかしたら、聖霊が何も働いていない状態なのかもしれません。聖霊が働いているからこそ予期しないことが発生し、あそこで問題が起こり、こちらで問題が起こり、そちらで喧嘩が起こり、ゴタゴタゴタゴタして、みんなワイワイガヤガヤやって、そしてはじめて教会は聖霊によって導かれて前に進んでゆくんです。だから聖霊が働いている教会は、騒々しいです。聖霊が働いている教会は落ち着かないんです。

    教会に聖霊が働いているから、みんなが心優しくにこやかに、諍いも何もない共同体になるかといったら、そんなことではありません。聖霊が働くとみんな騒々しくって落ち着かないんです。それが聖霊の働きです。

    ですから、教皇様の導きのもとで教会が大きく動こうとしているいま、まさしく聖霊が働いて、騒々しく、ある人にとっては非常に居心地が悪い、またある人にとっては騒々しい、そういう状況になっている。でもそれこそが、聖霊の働きの証左なんだということを、教皇様がはっきりと打ち出して下さっているのだと思います。

    今日この堅信の秘跡を通じて、お一人お一人も聖霊をいただきます。聖霊を受けることによって、洗礼と、ご聖体と、堅信という3つの秘跡を通じて、これで皆さんの入信の秘跡が完成するんです。つまり、完成するってことは、今日は皆さんは完成品なんです。キリスト者としての完成品なんです。

    その完成品になった瞬間からどんどん古びてゆくんですけれども、でも、今日は完成品なんですよ。完成品なので、昔は「キリストの兵士」といって、これからキリストの福音のために戦うぞという意気込みを表したんですけれども、今の社会の中では、与えられている役割をしっかりと果たしてゆく、役割は何ですか、聖霊に導かれてこの社会の中でイエス・キリストの言葉を証しし生きるようにと、求められています。

    さっき福音に何て書いてありましたか。「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る」と、イエス様の言葉が書いてありました。言葉って何ですか?

    ヨハネの福音書の最初に、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と記されています。イエス様は神の言葉そのものなのだということが、あのヨハネの福音の最初に書いてあるじゃないですか。イエスは、神の言葉です。つまりイエスを信じ、イエスがなさったことにしっかりと従って、そしてその語られたことをしっかりと守って行くならば、それはわたしたちがイエスを愛していることの証しなのです。

    今日、堅信を受けるお一人お一人は、これからイエスの言葉を守るぞ、イエスご自身が語ったこと行ったことをしっかりと心に刻んで生きて行くぞと、その決意を明らかにして、わたしたちは主を愛している、神を愛していることを、この社会の中で証して頂きたいと思います。

    福音を告げるもの、福音をあかしするもの、福音を多くの人たちに伝えるものとなってください。