菊地大司教

    聖母の被昇天2021@関口教会

    2021年08月16日

    8月15日。聖母の被昇天の祭日であるとともに、終戦の日でもあり、教会はこの日で8月6日から始まった平和旬間を締めくくります。

    関口教会では、強い雨が降りしきる中でしたが、11名の子どもたちが初聖体を受けられました。おめでとうございます。初聖体を受けた子どもたちは、説教の後に前に出て、復活のロウソクからそれぞれのロウソクに火をいただいて祝福を受け、また聖体拝領も内陣に上がっていただきました。またミサの最後には、関口教会からお祝いのメダイやカードをいただきました。

    また本日はわたしの霊名であるタルチシオの記念日です。現在の典礼暦では8月15日に移動しているかと思いますが、3世紀頃のローマでの殉教者で、8月15日に殉教したと言われます。捕らわれている人たちに密かに聖体を届けようとして捕まり、殉教した少年と言われますが、実際にはもう少し青年の助祭であったともいわれます。ヨーロッパでは昔から侍者の保護の聖人です。関口教会を始め、多くの方からお祝いの言葉とお祈りをいただきました。ありがとうございます。聖タルチシオのように、最後まで主に忠実に従うものであることが出来るよう、お祈り下さい。

    以下、15日の関口教会でのミサの説教原稿です。

    聖母の被昇天祭日
    2021年8月15日
    東京カテドラル聖マリア大聖堂

    8月15日は、聖母被昇天を祝う祝日であり、同時に日本においては、1945年のこの日に終わりが宣言された戦争の記憶を思い起こす日でもあります。教皇フランシスコは、2019年11月24日に広島を訪れ、次のように呼びかけられました。

    「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です。・・・この三つには、平和となる道を切り開く力があります。ですから、現在と将来の世代に、ここで起きた出来事の記憶を失わせてはなりません」 

    その上で教皇は、「原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています」と述べ、核兵器廃絶への決意を世界に向けて宣言されました。

    教皇フランシスコが呼びかけるように、「平和となる道を」切り開き続けるために、わたしたちは過去を振り返り、「思い出し、ともに歩み、守る」事を通じて、神の平和の実現のために祈り続け、また行動し続けていきたいと思います。わたしたち人類が、「和解と平和の道具となり」、世界的な連帯のうちに互いを大切にしようと誓うとき、そこに希望が生まれると教皇フランシスコは説いておられます。

    教皇は、今般のコロナ禍にあっても、連帯して支え合うことの重要さを強調されてきました。

    しかし、このいのちの危機に直面するなかにあってさえも、世界的な連帯と支え合いは実現していません。コロナ禍は疑心暗鬼の暗闇の中で、分断と対立を助長してしまいました。今年の復活祭メッセージで、教皇は次のように失望を露わにされました。

     「社会的、経済的な危機はいまだに深刻な状態にあり、とくに貧しい人に大きな影響を及ぼしています。それにもかかわらず武力紛争と軍備拡張はとどまることを知りません。今、こんなことがあっていいはずがありません。」

    わたしたちには、神の平和を確立するため、するべき事が山積みであることは明らかです。教皇の連帯への呼びかけを胸に刻みながら、平和へのさらなる祈りと行動をあらためて誓い、今年の平和旬間を締めくくりたいと思います。

    本日のルカ福音は、聖母讃歌「マグニフィカト」を記しています。

    「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださった」と歌うことで、聖母は、神が人を計る量りについて語ります。それは人間の常識が定める価値に基づく量りではなく、神ご自身の価値観に基づいた量り、すなわちすべてのいのちはご自身がその似姿として創造されたものとして大切なのだ、愛する存在なのだ、という量りであります。人間の常識の量りが価値を認めない存在にも、神は十分な価値を見いだされると聖母は歌います。

    神は、自らが創造されたすべてのいのちが、一つの例外もなく大切なのだと言うことをあかしするため、具体的に行動された。そこに神の偉大さがあるのだと聖母は宣言します。自らの神の母としての選び、それ自体が、人間の常識をはるかに越えた神の価値観と、すべてのいのちを愛する神の行動の具体的な現れであると、聖母は強調します。

    「主はその腕で力を振るい、思い上がるものを打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし」と歌うことで、聖母は、あたかもこの世を支配しているという幻想におぼれて神を忘れ、傲慢に生きるわたしたち人類に対する警告を発しておられます。誰ひとり排除せず、徹底的に愛を注がれる神は、わたしたちが連帯の絆を深め、互いに支え合うことで、神からの賜物であるいのちを守り、生かすようにと求められます。

    エリザベトは「主がおっしゃたことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と聖母に語りかけます。わたしたちにとって、神のことばが実現することこそが、神の望まれる世界の実現であり、平和の実現であります。平和の実現のために働く者は、神から喜ばれる幸いな存在であります。平和の実現を求めて、神の母、教会の母、平和の女王である聖母に倣って、神の導きに信頼しながら、信仰生活を歩んで参りましょう。

    本日このミサの中で、初聖体を受けられる方々がおられます。イエス様は、弟子たちに、「いつも共にいる」と約束されました。わたしたちは、どこに進んでいけば良いのか分からない暗闇の中に捨て置かれているのではなく、いつもイエス様が共にいてくださることを信じています。とはいっても、わたしたちは直接この目でイエス様を見ることは出来ません。でもイエス様は最後の晩餐の時に、弟子たちにパンとぶどう酒を分け与えて、これこそがご自分の体、ご自分の血であると宣言されました。わたしたちは、御聖体のうちに、イエス様が共にいてくださることを信じています。御聖体を拝領する度ごとに、イエス様が自分のところへ来てくださったことを感謝いたしましょう。イエス様は御聖体を通じて、いつもわたしたちと一緒にいてくださいます。

    最後の晩餐の時、イエス様は、「これをわたしの記念として行いなさい」と言われました。この意味は、「わたしの行ったこと、教えたことを、忘れるな」という命令です。そしてこの命令は、単に忘れないだけではなくて、御聖体をいただくわたしたち一人ひとりが、イエス様の教えたように、語ったように、行ったように、行動することを求めています。いつも一緒にいてくださるイエス様は、わたしたちが、イエス様のように生きるようにと求めています。

    御聖体をいただくとき、わたしたちはこのイエス様の命令を思い出して、イエス様が教えたことを思い出し、イエス様が語ったことを思い出し、イエス様がなさったことを思い出し、自分も同じように生きる決意を持ちましょう。わたしたちはその挑戦を独りでするのではなく、御聖体をいただく人は皆、互いに助け合う仲間です。

    今日のミサで御聖体を一緒にいただく仲間と励まし合いながら、イエス様の模範に倣って生きていきましょう。