教区の歴史

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麹町・聖イグナチオ教会堅信式説教

2016年07月03日

2016年7月3日、年間第14主日

[聖書朗読箇所]

 説教

 きょうの福音によると、主イエスは72人を遣わすに際して、
「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」
と言われました。言うまでもないことですが、山上の説教でイエスは
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)
とイエスは宣言しています。
今日の第一朗読イザヤ書は言います。
「主は言われる。
見よ、わたしは彼女に向けよう
平和を大河のように、国々の栄えを洪水の流れのように。」(イザヤ66・12)
また第二朗読では使徒パウロが
「大切なのは、新しく創造されることです。・・・神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように」(ガラテヤ6・13-16)
 と祈っています。
「平和」は大切な神の賜物、霊の実りです。(ガラテヤ5・20参照)
「ゆるしの秘跡」で司祭が罪のゆるしを与えるとき、司祭は
「神が教会の奉仕の務めを通してあなたに赦しと平和をあたえてくださいますように」
と言います。
「平和」は神から受ける、罪のゆるしの実りです。
教皇フランシスコの「いつくしみ特別聖年のための祈り」を思い出してください。
「主イエス・キリスト、
あなたは、目に見えない御父の、目に見えるみ顔です。
何よりもゆるしといつくしみによって、自らの力を示される神のみ顔です。
教会がこの世において、復活し栄光に満ちておられる神のみ顔となりますように。
あなたは、ご自分に仕える者が弱さを身にまとい、
無知と過ちの闇の中を歩む人々を、
心から思いやることができるようにお望みになりました。
これら仕える者に出会うすべての人が、
神から必要とされ、愛され、ゆるされていると
感じることができますように。」

昔から「祈りの法は信仰の法」と言います。わたしたちは「信じていることを祈るのであり、信じるべきことを祈る」のです。
教皇フランシスコの「いつくしみ特別聖年のための祈り」は、わたしたちが何を信じ、どのような意向をもって何を祈り、またどのような使命を生きるのか、ということが示されています。
この祈りでいう「仕える者」とは、わたしたち教会、神の民のことです。
わたしたちはそれぞれ弱い者、過ちに陥るものです。ですから無知と過ちの中に在る人々を心から同情することができるはずです。
わたしたちに出会う人が、わたしたちを通して神のゆるしを知ることができるようでありたい、という願いを祈っているのです。
またわたしたちに出会う人が、わたしたちを通して、自分は神から必要とされている、ということを悟るようでありたいものです。
人は、自分には、使命が与えられている、ということを知らなければならないのです。そのためにこそ神はわたしたちをお遣わしになりました。
今から堅信の秘跡を受ける皆さんはそのための聖霊の力、恵み、実りを受けるのです。
堅信式において司教は、知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心」という7つの聖霊の賜物が与えられるよう、祈ります。
(今日の祭壇に置かれている7本のろうそくはこの7つの聖霊の賜物を表し、それぞれのろうそくに、「上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛, 敬畏」という文字が書かれています。)

以上述べたように、堅信を受ける者はまず罪のゆるしを受けたものが与る神の平和を告げ知らせるという使命を受けます。
ところで神の平和は、地上の平和となってこの世界のなかで実を結ばなければなりません。そのために特に日本のカトリック教会は「平和旬間(8月6日より15日までの十日間)を定めています。ことしの東京教区に平和旬間の課題は
「平和を実現する人々は幸い—―フクシマ・オキナワ――」
となっており、そのために祈りの例文も用意されています。皆さんのお祈りとご協力をお願いいたします。(堅信を受けた者およそ150名。)