お知らせ

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東京教区ニュース第151号

1998年04月01日

目次

  • 動き始めた地域協力体
    ブロック会議から地域協力体に生まれ変わって
    司祭の目で見た地域協力体の現状報告 
  • 地域協力体のこれからの歩みのために
  • プリッツ枢機卿 (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
    カテドラルを訪問
  • 訃報 ラウレンチオ 長江 恵(さとる)司教(元浦和教区長) 
  • ◇ 麹町教会で32年
    このたび広島へ赴任するカンガス神父を訪ねて
    マタタ神父のインタビュー
  • 東京国際センター通信
  • 「家族のための祈り文」 から
  • 「社会福祉セミナー」 
    手と手を携えて
    カトリック福祉に向けて
  • 濱尾司教による講演
    「21世紀に向かってカトリック教会は」
    ~ 2月28日 真生会館 ~
  • 教区生涯養成委員会主催
    第4回小教区を支える信徒のための研修会
    『より豊かな小教区共同体となるために』 
  • 活発 自主的 ? 学生たち
  • 教会・修道院巡り (57)  『市川教会 』
  • 東京大司教区
  • ジュリア祭 ピンチ!?
  • 教区福祉委員募集のお知らせ
  • 1998年 広報の日特別企画
  • 投稿募集
  • 編集部から

動き始めた地域協力体
ブロック会議から地域協力体に生まれ変わって
司祭の目で見た地域協力体の現状報告 

1月26日にカテドラルで開催された司祭の月例集会の研修テーマは、 「動き始めた地域協力体」 であった。 

昨年5月に、 教区長・白柳枢機卿は 『ブロック会議から地域協力体へ』 というタイトルの教書を発表し、 ブロック会議の終結と地域協力体の出発を宣言すると共に、 新生宣教司牧評議会の誕生を宣言した。 (本紙144号2~3面掲載) 

教書の骨子は、 地域協力体があくまでも各小教区と地域のニーズにこたえるものでなくてはならないこと、 構成メンバーが主任司祭と現職の教会委員で構成されなければならないことが基本事項として出され、 教区本部の指示をブロック単位で協議実行することが主要目的だったブロック会議とはまったく別の組織であることが強調された。 

1月の司祭月例集会は、 出発してまもない地域協力体がどのように動き始めたかを報告しながらその方向性を探るものであった。

全9協力体から、 千葉、 多摩、 城北地域協力体の報告の発表を委託された3師にまとめてもらった。 

千葉地域協力体

千葉地域協力体について説明します。 

旧千葉ブロックのときも同じでしたが、 千葉の場合、 地域協力体の会議は小教区を巡回します。 これは、 千葉地域協力体の特徴で、1つの大事なポイントです。 

千葉地域は広いですが、 その中に割合大きな教会もあるし、 小さな教会もあります。 

信徒の人数は少ないので、 信徒はブロック会議を大事にし、 地域協力体のミーティングも大事にしています。 

なぜなら、 それに与かったら何か力を受けて自分の共同体にもって帰られるという感じです。 そして地域協力体の会議は、 地域の11の小教区を巡回するので、 自分の番になると、 信徒も司祭も無理をしないで与かることができます。 

けれども、 たいてい毎回すべての小教区から代表者が参加しますので、 それを見て私は感心しました。 

昨年9月21日に佐原教会で千葉地域協力体会議が行われました。 それはブロック会議から地域協力体会議に変わった第1回目のミーティングでした。 

その時、 今後何をすべきか、 そしてその優先課題は何かがブレーン・ストーミングの形式で討議されました。 

その内容は、 大きく分けて次の3つの点でした。 

その第1点は、 ブロック会議の継続、 維持の問題でした。 皆さん、 ご存じだと思いますが、 千葉では、 毎年9月第1日曜日は、1の小教区の信徒が1つのテーマのもとに集まり、 午前中は講演会や音楽会、 午後にはレクリエーション、 最後にミサという企画で、 過去22回継続されてきたものです。 この催しは、 信徒の共同体意識を強めるのに大きく貢献しました。 

大聖年がブロック (地域協力体) 大会のちょうど25回目に当たるので、 このまま毎年続けていくか、 あるいは2、3年に1回開催するか、 開催する時期はこのままでよいか、 他の地域協力体へ働きかけてさらに規模を大きくするかなどが討議されました。 (千葉司祭会議の時、 開催時期については、9月23日・秋分の日が日曜日よりもいいのではないかという提案がありました) 

第2点としては、 滞日外国人への関わりについてでした。 現在、 千葉県にはオーバーステイの外国人を含めると、 数万人の外国人が住んでいるといわれていますが、 最近の調査では、 外国人登録をしている人だけで、 フィリピン人が8763人で最も多く、 次にブラジル人が7225人となっています。 

現在、 千葉県にはフィリピン人女性のレイミッショナリーが1人派遣されております。 

・信徒がレイミッショナリーの活動といかに関わるか。 

・特にオーバーステイの人の医療保険問題、 里親制度。 

・日本人との間に生まれた子どもの霊的指導など。 

・レイミッショナリー委員会の組織化。 これは司祭、 修道女、 信徒で構成し定期的に会合を開き、 ボランティア活動を側面からサポートするものです。 

第3点、 青少年の教会離れについては、 長い間討議されてきた問題です。 

・次の世代に福音を伝えるためにどうするか。 (通信教育?) 

・学校や社会からはじき出された人たち、 特に青少年にどのように関わっていくか、 などの問題です。 

現在、 千葉地域協力体では、 今までの規約を改正し、 組織の活性化に向けてその第1歩を踏み出したところです。 

皆さんにここで説明した優先課題は、 一つひとつ実行、 継続していくことは大変困難ですが、 このような問題意識が信徒の中にあることは、 将来、 地域協力体が健全に発展する可能性をもっていることを表すものだと思っています。

(マーフィー神父)

多摩地域協力体

中高生を対象とした春夏の錬成会や、 青年・一般を対象としたフィリピン体験学習ならびに福祉活動連絡協議会の主導によるボランティアにかかわる講座や講演を軸に、 「多摩ブロック会議」 はかなり精力的に活動を続けてきたのは事実であり、 評価に値する。 

会議も隔月に着実に開かれ、 司祭たちは別にして、 信徒、 修道女の出席率は高いものであった。 

当初からの力強い遺産と信徒たちの熱心な責任感と使命感に支えられていたことも事実である。 

「97年8月31日をもってブロック会議制度を解散し、 新たに地域協力体へ移行する」 旨、 教区長発表が97年5月18日付けであったが、 多摩ブロック会議にとっては、 先行する勢いと使命感に急ブレーキは効くはずもなかった。 

97年9月のブロック定例会議を最終会議と位置づけ、 基本的な整理、 決着をつけたものの、 新形態における 「運営委員会」 が気になる余力は充分残っている。 

今後の分担金を各母体で予算化し、 信徒総会で承認を得るためには、 新体制の活動細目の明確化は不可避であるなどの説得力の強い風が吹き、 「多摩地域協力体運営委員会準備会」 が編成されることになる。 新体制の構想や舵とりの責任を担う運営委員会の重要性を考えれば、 同委員会の規約等を明確化すべきとの動きは無理からぬことともいえる。 

一方、 地域協力体における 「司祭」 の重要性を認識している司祭たちは、 この 「準備会」 の熱烈さに尻を叩かれる形で、 本年2月1日に全員 (都合で、1名出席不可) が会し、 確認と合意を行った。 

結果は、 次のとおりである。 

1.地域協力体はブロック会議の延長線上にはないので、 改めて各小教区で、 新たな姿を模索すること。 

2.残金は各母体に配分返却し、 当面一切の予算化はしないこと。 

3.運営委員会の構成人員は、 改めて小教区討議を通して選任すること。 

その他、 多摩ブロックの継続してきた活動に関する取り扱いなどについても司祭たちが合意した事項を付記し、

2月14日の 「準備会」 で発表と説明を実施した。

この期に及んで唐突に司祭たちは何なんだ、との嫌悪感と無常感の渦巻く中、 白熱討議と相互理解の努力の結果、 同日をもって 「準備会」 は解散し、 名実ともに 「多摩ブロック会議」 は制度として終息した。 

しかし、 多摩地域の各母体には協力、 努力、 愛などの賜物が息づいており、 今後新しい装いでその力を発揮し、 地域への福音宣教活動に寄与することを確信し、 期待している。

(岩橋 淳一神父)

城北地域協力体

まず司祭の一致をそして必要に応じた組織作りを。

従来のブロック制度の欠陥は、 次の2点にあると考える。 1つは、 いつの間にかブロック会議が小教区と遊離してしまい、 小教区のニーズや課題にこたえることができなくなってしまったこと。 もう1つは、 小教区の主任司祭が出席できず、 教会委員会のフォローも得られなくなってしまったことである。 

出席しない司祭に責任があるとか、 きちんと小教区および教会委員会とリンクさせなかった委員に責任があるとかの議論がなされてきたが、 議論の結果はともかくとして、 さまざまな反省から地域協力体が生まれたことは確かである。 

当然のことながら、 新しく生まれた地域協力体は、 あくまで小教区という基盤に根ざした活動体であることを目指しているし、 組織のための組織ではなく、 協力の必要性 (ニーズ) に即応して作られていく組織体でなければならない。 

そこで、 そのような条件を満たしていこうとするならば、 地域で協力していく課題がどこにあるか、 それは具体的にどのようなことであるかをじっくりと見極めていかなければならなくなる。 つまり、 組織作りを急ぐより課題の検討が優先されなければならないのである。 

1つの小教区ではとうていできないことが、 いくつかの小教区の協力によって可能になってくるという地域協力体の本来の目的を達成するために、 絶えず原点にかえって見直していかなければならない。 それこそが小教区の活性化をもたらし、 ひいては時代の課題に取り組む教区作りにも通じてくるであろう。 

以上のような観点から、 ここしばらくの間、 城北地域協力体の司祭は次のような認識でこれからの地域協力体の方向性を目指すことにした。 

まず、 司祭間のコミュニケーションを密にし、 小教区で協力を必要としている課題の大小にこだわらず、 必要に応じて、 その必要を満たしていくという範囲内で協力体を作り、 その課題にこたえていく。 

実行プロジェクトを作って課題をこなし、 課題を達成した段階でその組織を解体し、 さらに、 次の課題を見つけてそれにこたえる協力体を作り、 課題をこなしては解体するという、 いわば、 実のある組織作りの課題を積み重ねる過程が必要であろうと考える。 

長い 「ブロック制度」 の歴史を思うとき、 それに代わる組織を早急に作ることに大きな困難を感じる。 

むしろ、 かなりの冷却期間が必要であり、 その冷却期間を有効に過ごすには、 「生きた組織」 作りの訓練期間として、 小さな実績を積み重ね、 その中で地域のニーズにこたえるということはどんなことかを実感し自信をつけていく必要がある。 

ちなみに、 現在私たちの中で検討されているものの1つは、 教会学校錬成会の共同開催である。 

1つの小教区で錬成会をするにはあまりにも参加者が少なく、 子どももリーダーも寂しい思いをしているところが増えている。 そこでいくつかの小教区間で協力できないだろうかということである。 

もちろん、 簡単なことではない。 自分たちだけでまとまろうとする小教区の壁は厚い。 この壁をどう乗り越えていくかが、 これからの城北地域協力体の命運の鍵を握っているといっても過言ではないだろう。 

ともかく、 新しい城北地域協力体作りが小さな1歩を踏み出した。 「ブロック制度」 の反省を踏まえながら、 恐る恐る小さな1歩を踏み出した。 この1歩を重ねていきたい。 

(城北地域協力体主任司祭一同 文責 西川哲彌神父)

地域協力体のこれからの歩みのために

 1、 これまでの歩みから見て

第2バチカン公会議の影響を受けて、 教会の組織、 機能そして宣教に対する根本的見直しを目的として開かれたのが東京教区大会であった。 

それまでの数名の顧問たちによる教区統治を、 教区民全体の共同責任の形態に転換するために布教司牧協議会 (以下、布司協) が設けられた。 

広く教区民の意見を集めるために、 布司協の下部組織としてブロック会議がつくられ、 小教区等を母体として委員が送り出された。 

ブロック会議から選出された代議員は、 代議員会を開催して、 教区長とともに教区の重要事項を決議決定する機能をも有していた。 

もし、 布司協及び代議員会が、 小教区ときちんとタイアップしていたら理想的なものになっていたにちがいない。 しかしながら、 結果的にそうはゆかず、 小教区と布司協・代議員会の間に遊離・摩擦は否定しがたいものになった。 

つまり、 代議員会等の上部組織で決議されたものが必ずしも小教区等の母体で十分議論されなかったし、 決定事項についても各母体が対応しきれなかったという訳である。 

1980年代に入って、 教会法が改正され、 その指針として 「教区長以外のすべての機関は諮問機関である」 と規定された。 そこで、 その指針にそって教区の諸制度も刷新され、 布司協は教区長の諮問機関として再出発し、 名称も宣教司牧評議会 (以下、宣司評) と改められた。 

その時点で、 ブロック会議も性格に大きな転換がせまられ、 上意下達、 下意上達の機能から、 小教区等の宣教司牧活動の協力機関へと方向づけられた。 

その時の反省点として考えられるのは、 司祭が会議に参加しにくい状態を充分考慮しなかったことと、 方向の一大転換の結果、 ほとんど別の組織になっていたにもかかわらず、 ブロック会議という名称を変えなかったので、 委員たちの中の意識の転換が不徹底だったことがあげられる。 

2、 地域協力体の誕生

その時代のニーズや地域からの期待にこたえていくためには、1小教区では対応できない。 必然的にいくつかの小教区が協力していかなければならないことを計らずも教えたのは、 ブロック制度であった。 

その上、 小教区の協力には小教区がきちんと課題に取り組んでいくことが不可欠であることもブロック制度は示した。 

そのような反省にたって、 地域協力体 (以下、協力体) が生まれた。 

協力体はあくまで地域の小教区を中心にしたものであり、 地域の宣教司牧活動の課題に最も精通している主任司祭と教会委員をメンバーにしたものでなくてはならない。 

主任司祭は、 小教区に任命されるという基本に立ちながら、 地域の小教区同士が必要に応じて協力し合う協力体に派遣されるという性格を合わせもつものである。 

ちなみに、 宣司評もさらにその性格づけを明確にし、 教区長の諮問機関として、 教区全体の視野に立てるメンバーで構成されることとなった。 新宣司評に諸事業、 男女修道会の責任者が入ったのはそのためである。 

3、 地域協力体の課題

協力体が真の協力体となっていくためには、 地域の主任司祭の密なコミュニケーションが不可欠である。 

現代のさまざまなニーズに応えていくために、 1人の主任司祭では能力の上でも、 発想の上でも、 また、 教会の多様な豊かさを伝えていく上でも無理といわなければならない。 

司祭の召命の減少と高齢化によって、 いずれ取り組んでいかねばならない小教区の統廃合を考えていく上でも、 求められるのは司祭間のコミュニケーションと相互の信頼の育成である。 

もちろん、 信徒との協力、 協同も不可欠である。 しかし、 その前提として司祭同士の協力、 協同はさらに重要である。 

協力体は、 今、 誕生し出発したばかりである。 長いブロック制度の歴史の重圧を背負いながら、 組織のための組織ではない、 活きた組織作りに着手しようとしている。 新しく加わった総武協力体を入れて九協力体が、 今まさに小さくて大切な第1歩を踏み出した。 この歩みを育てていくことに、 これからの教区の命運の一端がかかっているといっても過言ではない。

(森一弘司教) 

プリッツ枢機卿 (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
カテドラルを訪問

WCRP (世界宗教者平和会議・同日本委員会理事長 白柳誠一枢機卿) は99年11月ヨルダンのアンマンで第7回世界大会を開催する。 その準備委員会が3月4日から8日まで東京で開催され、 やっと戦火がやみ、 復興の待たれるボスニア・ヘルツェゴビナからプリッツ枢機卿はじめ四大宗教 (イスラム、 セルビア正教、 カトリック、 ユダヤ教) の最高指導者が、 特別来賓として同席した。 

プリッツ枢機卿 (白柳枢機卿とともに94年枢機卿に親任) は、 ラキチ教区総代理とともに、3月8日東京カテドラル聖マリア大聖堂を訪れ、 白柳枢機卿、 関口教会司祭団、 寺西神学院長、 深水神父とともに関口教会の主日のミサ (四旬節第2主日、 ミサ中共同回心式) を共同司式した。 

同枢機卿は、 説教で 「ご変容という神秘的な出来事は祈りとともに起こりました。 私たちキリスト者の祈りは、 私たちも変えます。 

1.キリストに祈るとき、 神が共にいることを体験し、 神の愛に成長します。 

2.謙遜に祈るとき、 内面が強められ、 隣人愛に強められます。 

3.謙遜に祈るとき、 イエスとともに十字架を歩む力を得ます。 

この祈りのうちに、 四旬節を迎え、 回心の呼びかけに招かれます。 

今日、 神の和解の秘跡を体験し、 個人的な復活、 よみがえりを体験することを祈ります。 

世界の信者と共に平和のうちに復活が迎えられますように」 と述べた。 

なお、 当日のミサ献金は、 サラエボの教会に贈られた。

訃報 ラウレンチオ 長江 恵(さとる)司教(元浦和教区長) 

 2月11日、 肺炎のため帰天。 

84歳。 

1913年8月11日、 東京市下谷区に生まれる。 同17日受洗。 38年3月ローマ・ウルバノ大学聖堂で司祭叙階。

41年ラテラン大学法学部卒 (法学博士)。 46年ローマより帰国、 東京公教大神学校 (教父学、 教会法)。 

48~54年関口教会主任司祭 (第9代)、 上智大学教授 (東京カトリック神学院教授)、58年4月初代浦和司教 (教区長) 就任。 79年12月同引退。 この間、 司教協議会で典礼司教委員会委員長を務めた。 

麹町教会で32年
このたび広島へ赴任するカンガス神父を訪ねて
マタタ神父のインタビュー

 春はまだ暦の上ばかり、 冷たい雨の降り続く2月25日の灰の水曜日に 四谷の聖イグナチオ教会の主任司祭であるカンガス神父を訪ねました。 

スペイン生まれの同師は、 イエズス会士として、 1951年に来日するとすぐに横須賀・田浦で日本語を学んだ後、 神学の勉強に入って1951年に司祭に叙階され、 その後しばらくは修練者や神学生の教育に携わりましたが、32年前からはずっと今日まで、 聖イグナチオ教会の司祭として日本の宣教のために働いて来ました。 

非常に謙遜で、 温厚な人柄は、 常に「仕えられるためではなく、 仕えるために」という姿そのものが全身を通して、 言葉の一つひとつの選び方に表われています。 

同師がとりわけ数年前から実現している取り組みは、 『転換』 というキーワードで表現されます。 それはまさに第2バチカン公会議で示された〈信徒使徒職〉という考え方の反映であり、 小人数が重い仕事に関わるというあり方から、 たくさんの人たちが少しずつ関わることで、 同じ教会の中で責任を担い合うということなのです。 

具体的には、 「転換委員会」 という、 管理・典礼・結婚・清掃・養成・広報の六つ (さらに家庭・福祉の2つを現在準備中) のプロジェクト・チーム (以下P.T.と略す) を組んでさまざまなニーズにこたえていくというものです。 各P.T.は4人~6人からなり、 そのニーズの世話は、 さらに5~6人からなるサブ・プロジェクト・チーム (以下S.P.T.と略す) が担当します。 

たとえば、 典礼P.T.の場合、 コーラス、 聖歌、 ミサ典礼などについて、 各々のS.P.T.で研究した成果をP.T.に発表し、 運営協議会という決定機関に提案することになります。 

また、 清掃P.T.では、 新しく完成した大きな教会の建物の維持経費の削減のために、 その精神は効果的に生かされることになるでしょう。 

さらに、 結婚P.T.においては、 聖イグナチオ教会の特殊事情として、 信者ではない人同士のカップルが多いという現実に合わせて話し合いが行われた結果、 司祭と50~60歳台の信者カップルのヘルパーにつき4~10組のカップルという割合の、3者からなるセミナーが、 5ケ月間の毎週、 各回1時間、 開かれています。 

その際、 毎回1つのテーマが与えられて、 2人で考えてきたものを発表した後、 皆で意見を出して話し合うのです。 

50~60歳台のカップルのヘルパーは、 その深い信仰と長い結婚生活の経験を生かして、 「腹をわった」 話し合いになると同時に、 ちょうど自分の子供たちの年齢にあたる若い人たちの考え方を知ることで、 双方が学び合うことは多く、 親しみが生まれ、 また司祭から聖書に基づいた話しを聞いて、 教会は生き生きとしたものとなっていきます。 

良い家庭が生まれることは重要です。 なぜなら家庭はすべての土台だからです。 信者とそうでない人のカップルでは、 結果的に毎年2~30人が洗礼を受けています。 それはすばらしい実りといえるでしょう。 

さて、 同師が日本の宣教の大事なこととして、 目下、 日本の教会の必要性のナンバーワンと感じているのは、 今の日本の教会の半分を占めるようになった外国人のことです。 実際、 ことばの壁という非常に難しい課題があり、 さまざまな試みを重ねていますが、 まだ答えを見い出していません。 

4月からは、 月に1度、 ミサの中で、 1つの共同祈願と1つの歌を日本語で、もう1つは外国語で、 という試みに挑戦しています。 人々は、 典礼のためにやってくる。 しかし、 もう1歩進んでいくために、 やはり典礼を少しずつどうすればよいのかを考えてやっていくことが大切なのではないかと思うのです。 また、 外国人は日本人と結婚することも多いから、 子どもの教育などをどうするかといった問題に直面することになる。 このようにして、 日本の信仰は外国人のおかげでひろがってくると考えています。 たとえば、 フィリピンや南米の人たちの深い信仰は、 本当に今の日本の教会にとって大きな恵みだと思います。 それだからこそ、 人材に力を入れなければいけないのです。 

最後に32年間にわたった聖イグナチオ教会の生活をふりかえり 「日本人はすばらしい、 本当に恵みばかりでした」 とおっしゃる同師は、 今年72歳を迎えられ、 まもなく広島の小教区へと赴任なさいます。 長い間、 誠に有難うございました。 そして、 新しい土地で、 今後ますますのご活躍を祈ります。 

東京国際センター通信

帰国の支援

「2度あることは3度ある」 の諺どおりのことを、 この欄で、 これまでに2回紹介した。 そして今回、 まさに3度目である。 共通するテーマは 『帰国の支援』 である。 

その1は1月末のこと。 ボリビア人の母と4歳の娘。 

「成田から出国しようとした際、 パスポートの期限が切れていた。 パスポートの作り直しだ。 その間に、航空券のアレンジが必要となり、 出国の予定が延びた。 その1週間の宿が欲しい」 寒風が吹き抜ける佐倉駅前からの電話。 

ともあれCTIC事務所に来てもらい、 事情を聞いた。 持ち金少なく、 大阪のアパートを引き払って出て来たため、 友人もない。 やむなく、 マザー・テレサの家に連絡、2人の世話を頼み込む。 

1週間後、 言葉の不自由さをものともせず、 親切にされたシスターたちに見送られて成田へ。 空港に預けてあった大きな荷物3個を持って、 無事ラパスへ発った。

CTICスタッフの手許には 荷物預り料、 金15000円也の領収書が残った。 

その2。 50歳代のフィリピン人女性。 

脳溢血で倒れ、 2か月余のリハビリの後、 帰国することになった。 娘達がいるが、 自分達だけではどうしようもない。 結果、 CTICが動き出す。 

半身付随の状態なので、 東京入管での帰国手続きにも難しさを伴ったが、 聖心会修道院から提供して頂いた車椅子が大活躍。 永代働く人の家に1泊しての、 西多摩の羽村市から成田への移送は、大原神父のワゴン車で。

2月の末の朝早く、 娘が付き添って、 成田からマニラへ発った。 この件は後日、 もう少し詳しく紹介しよう。 

その3。 正月明け早々、 同胞たちの世話役となってるコロンビア人女性が、 母と娘を連れてきた。 母親は17歳、

娘は生後4か月の赤ちゃん。 「赤ちゃんの父親であるペルー人の迫害がひどく、 逃げ出したい。 頑張って働きたいので、 赤ちゃんを預かってくれる所はないか」 と言う。 

逃げ出すだけでは解決しないので 「ペルーに行ってるその男が帰ってきたら、 CTICが間に入って話し合おう」 ということになった。 そして1月の末、 「彼はまだ帰ってこない。 電気、 ガスが止まった。 赤ちゃんのミルク代もない」 との電話。 すぐに話を聞く。 

その中で 「大和教会のアルヘン山内神父が、 母子の窮状に手を差し伸べ、 いろいろと話し合った結果、 彼女が帰国する決意を固めた」 とのこと。 

そこで、 帰国の準備をすることになった。 CTICのお手伝いが始まる。 何やかやで3週間はかかる。 まず、2人の住まいを準備しなければならない。 

数日間は友人の家に、 その後は、 シェルターのHELPにかくまって頂くこととなった。 次に赤ちゃんのパスポートを作らなければならない。 HELPを住所としての外国人登録、 コロンビア大使館でのパスポート作成、 入管への出頭、 航空券の予約……やることがいっぱいだ。 アパートの片付けや、 荷物の搬送もしなければならない。 

HELPへ移ったその日、 赤ちゃんが病気になり、 夜の10時に救急車で病院へ。

40000円を超える治療費を請求された。 

母親は素直な良い人 (子?) だが、 いかにも17歳、 時にわがままを言って、 HELPの皆さんを手こずらせたようだ。 その皆さんに、 たいへんかわいがられた3週間が過ぎた2月の末、 赤ちゃんの着物などを目一杯、 ギュウギュウに詰め込んだ2個のスーツケースを持って、 手を振りながら搭乗口へと向かった。 

15歳の若さで、 というより幼さで、 騙されて日本に連れて来られ、 売春を強要された。 出会いがあり、 愛し合った男にも、 結局騙され、 食い物にされ、 迫害された。 そして、

17歳の若さで出産。 

たくさんのバラ色の夢を描いて、 日本への飛行機に乗った。 憧れの日本での2年間、 彼女にとって、 何か良いことがあったのだろうか。 可愛い赤ちゃんを授かった。 これは何よりだろう。 そして、 つらかった日本での、 最後に出会った人々の優しさに包まれた。 『その最後だけでも良かった』 と思って帰ってくれたら幸いだ。 大和教会の皆さんやHELPの皆さんに、 心から感謝の拍手を送りたい。 

今頃は、 成田への道中で話してくれた 『空が青く、 澄んだ空気の、 緑あふれる故郷』 で自分を取り戻して、 17歳の伸びやかで、 屈託のない笑顔を見せていることだろう。 

(渡辺哲郎)

「家族のための祈り文」 から

 「神様 今 お父さんは」

神様 今お父さんは かぜです

でも いつも私たちのために会社に行っています

私たちは それをあたりまえに思っています

でも まずしい国の人は 家族全員までもそろっていません

そういう人たちが1日もはやくそろって

私のお父さんも かぜが なおりますように

神様 どうぞみまもっていてください

  (9歳 小学3年 女) 

「社会福祉セミナー」 
手と手を携えて
カトリック福祉に向けて

カトリック社会福祉活動の共通理解を求めて

「社会福祉セミナー」 は、 従来は開催地域の福祉の活性化に貢献していましたが、 過去10年の継続的な勉強会のひと区切りとして、 今回は新しい形式で開催されました。 

2月25日~27日、 船橋のクロス・ウエーブに130名の福祉に携わる人々が集まり、 カトリック教会は人々の切実な叫びにどのように応えていかれるかを、 丸2日間疲れも知らずに話し、 分かち合いながら祈り考えました。 

会場では初日の4人の発題が終わった時から、 早くも参加して本当に良かったとの感想が語られ、 「日本の教会の燃える魂の中で、 信仰を生きることは福祉活動といえるようなビジョンの提案を」 と挨拶した森司教の思いが広がり、 灰の水曜日からの四旬節の回心への呼びかけが参加者の中で始まっているようで、 日本の教会が変わっていくエネルギーが熱気となって会場を包んでいました。 

参加者は事前に、 1.カトリック福祉活動の原点はどこにあるのか2.日本社会の現状を、 社会福祉という視点からどう見ているのか3.今後の福祉活動の展開についての具体的な意見についてアンケート形式で提出しており、 会議は発題に触発されての分かち合いという形式でした。 

カリタス・ジャパンの昨年に続いての四旬節キャンペーン 「叫び2」 に呼応して、 発題者は身近で具体的な体験を語り、 その都度近くの参加者とフィードバックを話し、 共感体験を繰り返し広げました。 

2人の子供に4カ月の赤ちゃんがお腹にいる時、 夫が倒産し、 「神さま、 どうしたらよいのでしょうか」 と道を歩きながら思わず大声を出していた時、 通りすがりの老婦人が手を取って、 「あなた、 ピンクの服が似合ってますよ」 と声をかけられ、 心の中に神さまの訪れを感じました。 

死にたいほどの苦しみにあった時、 教会で司祭に 「死にたい」 と言うと、 司祭は彼女の肩に手をおいて泣いておられたなど。 何気ないことばや動作によって、 どんなに心が解放されるか、 共感や共有が静かに話されました。 

「日本社会の問題、経済、 家庭崩壊、 学歴や競争、 社会の偏見などの原因は構造的悪が大であるけれど、 キリストの時代にも社会構造に押しつぶされた人々が多くいました。 その人々の中でキリストに触れ、 出会うことを通して新しい共同体が(憐れみ合い、 ゆるし合い、 祈り合う共同体)生まれています。 福祉の営みは教会共同体の本質であり、 福祉の心はキリストの心です」 と森司教が最後のまとめをしました。 

教会に集うキリスト者が、 「キリストのように考え、 キリストのように話し、 キリストのように行い、 キリストのように愛そう」 と歌う中身を生きる力をミサを通して養われる日々でありたいと感じたセミナーでした。 

(クリスト・ロア宣教修道女会 石丸脩子)

濱尾司教による講演
「21世紀に向かってカトリック教会は」
~ 2月28日 真生会館 ~

 「今カトリック教会は、 社会に必要とされているか?という大きな問いかけが、 濱尾文郎司教 (横浜教区長) の口から聞こえた。 講演要約は、 以下の通り。 

教会は、 「しるし」 であり 「道具」 である。 神との交わりの場であり一致の場である。 そしてこれからは社会を変えていく人を養成しなければならない。 どのように変えていくべきか、

21世紀に向けて。 

その対象となる社会の現状は? 「信仰と生活の遊離、 教会と社会の遊離」 が問題提起されて久しいが、 社会で生活する人は月曜から金曜までの顔と、 土、 日曜の顔は違う。 一方、 司教、 司祭は社会 (月~金) をよく知らないと信徒に指摘される。 まずこの社会の実状を見て、 そこに福音の光をあてたい。 

わたしたちの社会では、 例えばいま身体に障害のある人と健常者を一緒に学ばせてくれる学校がほとんどない。 まず教育の場で差別が存在している。 障害のある人が存在しない学校こそ社会勉強ができていないことになるし、 むしろノーマルではない。 障害者の意外な気持ちをわれわれは理解している。 ある障害者のまわりの人が初めは親切だったが、 そのうちに小突き始め、 文句を口に出すようになり、 やっと本音が出てきてくれたと、 障害者本人はむしろ喜び始めた。 いま養護施設や老人ホームは住民エゴで建設が困難、 ある悪いイメージを抱き近隣土地の評価へのマイナス要因になる。 

「体の中ではほかよりも弱く見える部分がかえって必要なのです」

(1コリント12章22節)、 「これらの小さな者が、 1人でも滅びることは、 あなたがたの天の父の御心ではない」

(マタイ18章14節)。 

困っている人、 弱い人を助ける時、 無条件であるべきで、 原因や将来のことは、 その人と神様の問題であり、 助ける人が裁いたり、 心配する必要はない。 いま目の前に困っている人、 飢えている人がいたら手を貸し食べさせること。 これでは助け過ぎか、 甘やかし過ぎかなどと考える必要はない。 これがイエスの教えである。 

さて、 過去も現在も聖職者中心であるが、 21世紀の教会はこのような社会に生きる信徒の活躍が期待される。 そして日本から外国へ宣教に出すという気概も欲しい。 また、 日本は 「平和」 をさらに訴えるべき、 核被爆国であるからばかりではなく、 その原因のひとつは加害国でもあったことを忘れてはならない。 

最後に、 活躍すべき信徒の本領は 「家庭と職場」 であるから、 ここを中心に福音宣教をすることができるよう、

21世紀に向けて養成されなければならない。 (今井康雄)

教区生涯養成委員会主催
第4回小教区を支える信徒のための研修会
『より豊かな小教区共同体となるために』 

対象 現在、 小教区共同体で奉仕している方、 及び関心のある方

当講座はすべて、 小教区共同体に責任をもって奉仕しようとする方々がぜひ知っておいていただきたいと願う、 基礎的でかつ実践的なものです。 現在あるいは将来、 教会運営に責任をもってたずさわる方々を広く対象としておりますので、 主任司祭の方々には、 できるだけ多くの方々に積極的な参加を呼びかけて下さるようお願いいたします。 

期日  98年5月9日(土)~6月27日(土) 各土曜日 全8回

時間割り 第1講座 13時30分~15時

第2講座 15時10分~16時10分

茶話会 16時15分~17時 (毎回) 

会場  東京大司教区 「ケルンホール」 

(カテドラル構内、 関口会館地下1階) 

〒112-0014 文京区関口3-16-15

東京大司教館事務局 生涯養成研修会係

FAX 03-3944-6677

受講料  4000円 (チケット制) 

支払方法 次の郵便振込口座に振り込んで下さい。 入金確認次第

チケットをお送りします。 

『郵便振込口座 00140-6-769130

口座名義 (宗) 東京教区生涯養成委員会』 

問合わせ先  03-3943-2277

(10時~12時、 14時~16時、 除土日祭)、 時間外はFAXで。 

*なお、 全8回を1人の方が通して受講することを原則とします。 

1998年度 第4回研修会スケジュール

東京教区 生涯養成委員会

講義内容 (13:30~15:00) (15:10~16:10) 

5月9日

教区の組織と小教区の関係  森一弘司教

教区の組織・機構を理解し、 広い視野の下で教区と小教区、 あるいは小教区間の開かれた協力関係を育てる。 

教区/修道会/宣教会運営による小教区  森一弘司教

その司牧と運営が修道会・宣教会に委託されている小教区の現状と問題点を考える。 

5月16日

教会法における神の民  稲川保明師

教会のメンバーである信徒・修道者・司祭の相互理解を求めて。 

教会法における信徒の役割  稲川保明師

1) 信徒の義務・権利

2) 信徒の教会に対する共同責任

3) 今、 東京の教会では

5月23日

第2V以降の現実  岩島忠彦師

第2バチカン公会議において教会観は抜本的に刷新された。 現代の日本の教会において、 どのような結果を生んでいるか考えてみたい。 

日本の教会の土着化  シェガレ師

ヨーロッパで育ったキリスト教と、 日本独自の文化の中に生きる日本の教会のあり方を考える。 

5月30日

信徒の共同責任観念をどのように育てるか  門馬邦男師

小教区運営における信徒の共同責任が叫ばれて久しい現在、 その育て方を考える。 

小教区運営における信徒の参加と共同責任  全体討論

信徒自身の参加意識と責任観念は十分か?

信徒自身による自省と話し合い。 

6月6日

第2V以降の日本の典礼  南雲正晴師

典礼に奉仕する信徒が司祭の役割を単に分担するという補助にとどまらず、 参加する信徒自身に典礼を完成させる役割があることの認識と、 その意味と責任を考察する。 

信徒の典礼奉仕  幸田和生師

典礼の本質的な意味は何か。 またそのための信徒の役割は何か。 典礼奉仕における司祭と信徒のより良き協力関係の育成のために。 

6月13日

外国人と共に生きる  大原猛師

国籍、 言語、 文化等の異なる多様な人々に、 教会はどのように対応し、 関わるべきか。 現状と実体験から、 ともに考える。 

小教区共同体と地域福祉   Sr. 木村純子

小教区共同体は、 社会に開かれ、 地域社会への奉仕が求められる。 実体験と事例をもとに、 そのあり様を考える。 

6月20日

青年と教会共同体  佐々木裕子氏

青年が教会から離れているのか、 教会が青年から離れているのか。 また、 今の教会は青年が入りにくいとの声もある。 具体的な青年の声から、 教会の課題を考える。 

次世代へ如何に引き継ぐか  余語久則師

教会の遺産は青年達に如何にして引き継がれることができるか。 教会の現実を踏まえて共に考えてみたい。 

6月27日

司祭から見た現代の信徒  後藤文男師

小教区共同体において、 信徒に課せられる責任とは何か。 司祭との協力、 信徒同士の協力、 そして信徒の責任のあり方を考える。 

明日への決意  全体討論

この研修会を通して、 感じたこと、 学んだこと、 気がついたことを分かち合い、 これからの小教区共同体での奉仕における各自の決意などについて話し合う。 

* 講師の都合により、 講座の入れ替え、 講師の変更もあります。 あらかじめご了承願います。 研修会係

活発 自主的 ? 学生たち

2月に学生関連の集いが2つ続いた。 少しずつ築かれていた学生グループ間の連帯が、 昨年のワールドユースデー (WYD) をきっかけに花開いた集いだと言える。 どちらも学生が責任を持って準備・運営した素晴らしい企画であった。 

カトリック学生・青年の集いは、 2月8日 (日) の午後、 カテドラル・ケルンホールで行われ、120名近くの参加者を得た。 

韓国人学生24名を迎えての第2回日韓学生交流会は、 2月21日から24日まで東京と神奈川でホームステイ、 その後、 横浜のカトリックセンターで40名の日本人学生と2泊3日の合宿を行った。 

ここに学生の感想を1つずつ紹介する。 なお次回の日韓学生交流会は8月か来年2月に韓国で行う予定。 学生・青年の集いも第2回を開催したいと考えていて、 どちらも今後のスタッフ・参加者を募集している。 (余語久則神父)

カトリック学生・青年の集い

昨年パリで行われたWYDの集い。 100万人近い世界中の学生とキリストのもとに経験した一体感。 教皇ミサの感動。 今まで深く考えたことがなかったミサについて考えるきっかけになった。 

2月8日の集いは、 「生きた教会の体験」 をテーマにWYDの参加者の1人武田治比古 (上智大学) の呼びかけで実現した。 フランスの感動をそれだけに終わらせたくない。 スタッフの中でWYDに参加した人もしなかった人もどうしたらお互いが理解し、 一体感を得られる場を作り出せるか頭をひねった。 「教会における共同体とは?」 「ミサとは何だろうか?」 

当日、 我々の不安をよそに100人以上の学生青年が集まった。 ゲームで始まったプログラムは終始なごやかな雰囲気の中で行われた。 「ミサに行くか行かないか」 というテーマでの寸劇、 続くグループディスカッションではそれぞれの教会、 ミサに対する考えを聞くことができた。 世の中が多種多様な価値観で動いていることを認め、 その中でどう信仰を成長させていけばよいのだろうか?ミサに行くことが心の洗濯であったり、 皆で祈るためだったり。 「自分が正しい方向に生きていきる」 という目的は同じものの、 その考え方に相違があるとわかり、 お互いに認めあうことができた。 最後に森司教と共に円まるく向かい合った形でミサが始まった。 説教の前に朗読、 福音を通して感じたことを皆それぞれ自由に描き、 それを分かち合い、 皆で1つのパンを分け合うことをより意識するために手作りパンの聖体をいただいた。 厳選した聖歌も好評だった。 一方森司教は 「ミサでキリストの十字架の苦しみを共に感じることも忘れてはいけない」 と提言した。 

今回の集いは準備の時間も限られており、 不十分な点もあった。 しかし、 参加者が、 そしてスタッフの私も含めてミサを楽しいと感じた。 自分達の身近な部分から教会、 ミサを深く考えるきっかけにはなったと思う。 その感覚を次につなげていきたい。 教会は留まるだけでなく、 また私達はそこで得た恵みをそれぞれの生活の場で伝える使命を持っている。 この集いが、 私達が正しい方向に歩き出せるような派遣の場であったことを願う。 (麻布教会 辰野めぐみ)

*次回のカトリック学生の集いのスタッフに興味のある学生は、 武田治比古

(0423-83-1406) まで。 

第2回 日韓学生交流会

第1回目の日韓学生交流会が、 昨年のパリでのWYDに先だって、 ルルドで行われました。 その交流会がとてもすばらしいものだったので、 これからも継続させていこうということになり、 今回2回目は日本で行われました。 日本の生活を実際に体験してもらい、 個人と個人との交流をより深めるために、

3日間をホームステイ、 3日間を合宿という組み合わせでやりました。 

集団の中では他人に頼ってしまいがちですが、 ホームステイということで私に積極的な交流の場を与えてくれました。 不安だった言葉の壁は、 日常生活においては困りませんでしたが、 お互いの意見を話し合うまでにはいたらなかったので、 もどかしさを感じました。 また東京観光は、 見たい所、 見せたい所がたくさんあって、 ハードなスケジュールで、 夜遅いために、 朝は時間通りに起きてもらえず、 やきもきしたり、 電車の中では、 みんなで寝てしまったり、 また話しに夢中になって乗り越してしまったりと、 いろいろありましたが喜んでもらえたようで、 ほっとしています。 

合宿では、 前回よりも分かち合いの時間が充実していました。 外から見た日本を知ることができたり、 お互いに日韓の問題をぶつけ合うことができて、 気持ちを理解し合える時間が持てて、 分かち合いの後は、 みんなの顔が変わっていたように思えました。

3日間同じ目的を持って一緒に生活できたことで、 友情が深まり、 お互いが身近に感じられるようになったと思います。 前回よりも内容が濃いものになり、 次回への期待がさらにふくらみました。 

将来へ目を向け、 今まで持っていたイメージと、 この交流会で得たものを、 皆それぞれが周りの人に伝えていくことが私たちの役目であり、 こうした地道な交流が、 新たなお互いの関係を作り上げていく大きな力になるのではないかと思います。 次回は、 もっと成熟したかたちで再会できることでしょう。 

 (小岩教会 田中晶子)

教会・修道院巡り (57)  『市川教会 』

首都の東、 利根川の支流の江戸川を渡った千葉県市川市は、 里見の里としてそこそこに古刹のある桜並木が水に映えている美しい町、 文化人の多く住むところで、 JR総武線本八幡駅下車、 都営地下鉄新宿線が開通してさらに便利になった終点・本八幡駅から5分のところに 「ロザリオの聖母」 に捧げられた市川教会があります。 

1945年、 多くの教会が戦災で破壊され、 迷える信徒の宣教のため土井大司教による教区と近隣在住の本所教会や九州平戸出身の信徒が私財を投じて市川教会が誕生しました。 

初代主任司祭、 故平田忠雄師は十四年間司牧し、 その間に、 現在地を購入。 聖堂建設など平田師は神学者でありながら開拓者として、 教会の草創期を築かれました。 

2代目主任司祭、 故柴田真師が1960年~76年まで16年間在住。 教会の安定期を迎えて若宮の地に教会墓地を取得、 信徒会館の建築、 年1回のバス巡礼旅行や運動会を行い、 親睦と共同体の一致を図られました。 また師は清貧の人でありながら、 聖堂等建設資金のため 「愛徳の献金」 を創設し、 教会の将来に備えてくださいました。 

3代目主任司祭、 故塚本金明師は1976年~91年まで16年間司牧されました。 この時期は市川教会の発展期でもあり、 年1回の運動会やバス旅行を続けながら 「ロザリオ献金」 が始まり、 夏期学校、 年末バザー、 特にそごうデパートを会場にして開かれた 「大バチカン展」 (計2回) を全信徒がお支えしました。 また塚本師は深い祈りの人で名説教家でもあり、 他教会、 とくにプロテスタントの人々や外国人が説教をよく聴きに来ていました。 

1991年、 4代目主任司祭、 吉田善吾師が着任し、 司祭館の新築、 聖堂の修復を50周年事業として行い、

2年前の1995年に教会創立50周年の記念式典を行いました。 吉田師は教会の復活と司牧の刷新を図り、 第2バチカン公会議による組織の見直し、 典礼の実践などに新時代の到来を取り入れました。 

吉田師の言葉によれば、 市川教会は全信徒約1100人 (世帯数600) の非常によい信徒の集団に育っており、 教会内だけではなく他の教会と協力しながら教区全体の中で1つの活動ができたらいいなあ、 と指導されています。 

市川教会の私たちは、 教区の皆様が春の折々の日に市川に足を伸ばされ、 ミサにあずかり、 交流を深め、 聖堂内のロザリオの聖母像に祈り、 思い出の大バチカン展の大理石の 「ピエタ像」 をご覧になることをお勧めします。 うららかな春の桜が咲く真間川の散策、 手児奈や里見公園、 矢切りの渡し、 柴又帝釈天など皆様のお出でをお待ちしております。 

お見えになった方には、 記念の教会絵ハガキと記念誌を差し上げます。 (安原 包夫) 

〒272-0021

市川市八幡3-13-15

TEL.047-322-5488

主日のミサ時間

午前8時 10時30分

・学生の勉強会 水曜日 (原則隔週) 夜7時から

(4月15日、 4月22日, 5月6日…) 

・8月にマカオで学生大会

・9月にキューバ、 中国へのスタディツアー

★真生会館カトリック学生センター (余語神父) 

TEL. 03-3357-6227 FAX. 03-3358-9700

東京大司教区

大聖年記念行事へ向けての公募案内

教皇ヨハネ・パウロ2世は、 来たるべき西暦2000年を、キリスト降誕2000年を記念する特別大聖年とすることを宣言し、 同時に次の新しい千年期を迎えるにあたり、 過去の教会の姿勢を振り返り、 反省、 回心、 祈りと学びを通して、 喜びと希望に満ちた新たな千年期を迎える準備をするよう全世界の信徒に向けて呼びかけました。 

日本の司教団もこれを全面的に受け止め、 日本の教会がそのためのよりよい準備を積極的に取り組むよう信徒に求めています。 

これを受けて東京教区では、 教区長白柳枢機卿の呼びかけで 「東京大司教区大聖年特別準備委員会」 が96年9月に設置され、 既報の通り、 東京教区では大聖年を 「キリストの誕生2000年」 と位置づけ、 教区独自の企画準備を進めています。 

すでに 「徹夜の祈り」 「シンポジューム」 など行われていますが、 これからも具体化されていくすべての計画・行事等には、 教区の皆さま一人ひとりの参加が期待され、 求められています。 その一環として、 大聖年に関する祈りと詩を募集することになりました。 下記要領にて公募しますので、 教区の皆さまには奮って応募してください。 

「大聖年」 に関する祈りと 詩の募集

1、 大テーマ

『キリストが誕生して2000年を迎えて』 

2、 「祈り」 または 「詩」 

形式は自由です。 内容は、 キリスト誕生2000年を迎えて、 イエスご自身やイエスの教え、 自分の信仰や今の社会、 人間について思うことを聖書の言葉や神学用語を使わないで、 自分の言葉で表現したもの。 

3、 応募先

〒112-0014 文京区関口3丁目16番15号

東京大司教館事務局、 

「大聖年祈りと詩」 募集係

4、 各作品はオリジナル未発表のものに限り、 いずれも応募作品は返却しません。 

なお、 採用作品の著作権は主催者に属することをあらかじめご承知願います。 

応募者には、 記念品等の贈呈を予定しています。 

東京大司教区

大聖年特別準備委員会

5、 締切日は1999年3月末日とします。

ジュリア祭 ピンチ!?

韓国の経済状況深刻

 毎年、 5月の第3日曜日を中心に伊豆七島の1つ、 神津島で 「ジュリア祭」 が開かれている。 回を重ねて、 何と今年は第29回である。 

29年も続くということは、 いろいろな方々が支えてきたということでもある。 長年巡礼団長を務められた故下山正義神父や実務担当者として 「ジュリア祭」 の企画、 準備全般を引き受けてこられた田中英一氏 (本年3月8日付けカトリック新聞にて紹介) や神津島の関係者など、 数え上げれば切りがない。 

その中でも忘れてならないのは、 韓国からの巡礼団である。 豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に連れて来られ、 小西行長の養女となりキリスト者として、 与えられた生涯を生き抜いたジュリアを、 韓国の信徒たちは誇りに思い、 大切にしている。 韓国の多くの信徒たちが 「ジュリア祭」 に参加するのは、 そのことを如実に物語っている。 

しかし、 今年はちょっと事情が違っている。 韓国は深刻な経済状況に陥っているのだ。 巡礼とはいえ、 海外旅行に行くことは困難な状況だそうだ。 きっと今年は韓国からの参加者は、 いないかもしれない。 韓国の信徒たちのジュリアへの思いを考えると、 心が痛む。 しかし信徒によって結ばれている者として、 彼らの代わりに今年は参加してみるのもひとつの手ではある。 

     (浦野雄二神父)

教区福祉委員募集のお知らせ

教区福祉委員会では、昨年の教区ニュースの12月号で、 福祉委員のメンバーの紹介をしましたが、 この度、 さらに広く福祉委員を募り、 活性化を図りたいと思います。 新たな活動を皆で考えていこうと思っていますので、 ご協力をお願い致します。 

受付は随時いたしますが、 5月に集いを開く予定です。 

受付先 〒112-0014 文京区関口3-16-15

東京大司教館 福祉担当司祭 五十嵐秀和

TEL 03-3943-2301 FAX 03-3944-8511

1998年 広報の日特別企画

映画と講演の夕べ

上映映画 『愛の黙示録』 

(第27回日本カトリック映画賞受賞作品)

日時 6月5日 (金) 6時45分 (開場6時15分) 

会場 中野区もみじ山文化センター (なかのZERO小ホール)

入場料金  当日 1500円  前売り 1300円 (中学生以下 1000円) 

前売券取扱所 サンパウロ イグナチオ案内所 スペースセントポール

カトリック中央協議会広報部

主催:カトリック映画視聴覚協議会 (OCIC・JAPAN) 

共催:カトリック東京教区広報委員会

問い合わせ先 カトリック中央協議会広報部

TEL 03-5632-4431 FAX 03-5632-4457

投稿募集

中学生による教師殺傷事件の後、 中高生がナイフを持ち、 強盗、 恐喝等を働く事件が続出しています。 編集部ではこのような事件について皆さま方のご意見を、 次の要領で募集します。 

   記

・内容、 形式自由

・字数13字詰め50行以内

(600字程度)

・締め切り 5月末日

・送り先 住所・氏名・年令・ 所属教会を明記し、 

〒112-0014

文京区関口3-16-15

東京大司教館 「東京教区ニュー ス」 編集部宛

※なお、 掲載の際、 匿名を希 望される場合は、 その旨お 書き添えください。

編集部から

今年の1、 2月号から教区ニュースの刷り色が変わったことにお気づきでしょうか。 

現在のような編集体制のなって、 9年目に入ります。 その間、 刷り色は藍、 緑、 茶、 今回の藍紫と変わりました。 

昨年までのあの茶色に落ち着くまでが大変でした。 皆さまから 「目がちかちかする」 「不祝儀の包み紙のようだ」 などご意見をいただき何回か手直しをして半年位してあの色になりました。 今回は概ね好評のようでほっとしています。 ご意見があればお聞かせください。 (A)