お知らせ

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東京教区ニュース第93号

1992年06月01日

教会委員は召し出しかボランティアか?

3月28日 (土) から29日 (日) にかけて、 「教会委員の意識改革を求めて」 というテーマのもと、 第2回教会委員研修会が東京教区生涯養成委員会の主催で行われた。 (1部を前号に掲載)

第1日目、 信徒の立場から、 自身が長い間喜びをもって、 教会委員を務めた体験を踏まえ、 教会委員を神からの召し出しだと受け止め、
積極的に受けて立つ姿勢が必要であるとの主旨の福川正三氏 (麻布教会) の発題に対して、 それぞれの立場から活発的な意見交換が行われた。

その1部をここに掲載し、 皆様のご意見を伺いたいと思う。

☆ ☆

福川正三氏の発題要旨

現在は引退をしたが、 長い間教会委員を務めたので、 その経験からお話をしたい。

教会委員の選出方法は、 各教会で異なるが、 どんな方法でも委員に任命された以上心得るべきことがあると思う。

教会委員は、 例えば私たちが世俗のなかで、 町会長を引き受けるのとはちょっと違い、 はっきり神からの召し出しだと受け止めるべきだと思う。

司祭は神からの召し出しであるのは当然だが、 信徒も教会の委員になったということは、 神から召し出されたものである。 ひらたくいえば、 神から 「君、 今度あなたの教会の運営その他についてよろしく頼むよ」 と一言をいただいたという受けとめかたをしたいと思う。 そうしないと、 教会委員になったことが、 負担になったり、 逃げ出したくなったり、 仕事を消極的にすることになりがちである。

神から召し出されたものであるとの意識をもって、 事にあたっていきたい。 神は必ず恵みと助けを与えてくださる。 但し、 それには条件がある。 召し出された役割に対して、 積極的にする、 受けて立つという意識があったときはじめて、 恵みと助けを与えてくださる。 積極的にやりながら分に応じた働きをしていきたいと思う。

「なぜ私が委員に」 という疑念を消し去る力

小林孚(まこと)

「教会委員の選出には司祭による任命・選挙などありますが、 委員に任命されたら、 これは神からの召し出しです。 神は忙しさ、 苦しさを承知の上で召し出したのですから、 役割を積極的に受け入れなければなりません。 そうすれば神は助けと恵みを与えて下さいます。 」

教会委員研修会でパネラーの一人として立たれた福川氏の言葉です。

氏は10数年にわたって教会委員長を務められ、 司祭、 信徒の信望も厚く、 いま余生をすべて東京教区のために捧げて下さっています。 いつも笑顔で使徒職を実行しておられる福川氏の言葉には千金の重さがあります。

教会委員の任務は、 責任を感じて一生懸命に行なえば行なう程、 どんどん仕事が増えてゆきます、 生業なりわいを後に回す事が度々です。 仕事を妻にまかせたまま通夜・葬儀にとんで行くこともあります。

人間関係にも悩まされます。 ほんの些細な事をお願いしても断られて力が抜けてしまう時があり、 私が至らぬためかと思いわずらいます。

若い頃戦場にかり出されて、 多くの人々の中からなぜ僕だけがと思ったように、 どうして私が教会委員にと考えたことさえありました。

「召命」 とは本来、 司祭・修道者に使われる言葉です。 でも福川氏が言われるように、 教会委員は 「神からの召し出し」 と考えるならば、 それは 「なぜ私が委員に」 という疑念を消し去る力を持ちうるでしょう。 そして、 キリストの捕らわれの身となったパウロのように、 私も我等の罪のために十字架にかけられた主の呼びかけに答えて、 主の道具として、 喜びのうちに教会委員の任務を全うすることができるでしょう。

(麻布教会)

二面性の中に生きる苦しさ

国富佳夫

ナイス1以降、 開かれた教会の中では司祭が全てを統括できないほど多くの活動が広がっている。 また、 教会に対する多方面から見た意見を教会の中に取り入れていかなければ社会と教会の遊離を縮めることができない状況にあることも周知のことである。

司祭が任命した教会委員がステイタスであり、 その委員によって運営されていたそれまでの教会委員会が、 ナイスによって大きく変換を求められている今日、 教会委員会も広い視野と角度から意見を求められるように、 信徒の中から信徒の自由意志によって、 教会委員を求めなければならない状況が生まれている。

従って、 教会委員はその人が社会の中で人と関わり、 社会生活をとおして神と関わってきた体験の中から、 教会の運営、 宣教、 養成、 典礼などについて意見を述べ行動していくことが望ましい姿になっていると考えられる。

いま、 信徒に求められているものは、 社会との関わりの中でキリスト者として福音に沿って生きるためにはどうしたらよいかを考え、 神が望まれたその信徒独自の具体的役割を探し求め実践していくことである。

多くの場合、 神が望まれている役割は、 現在の社会での仕事とはかけはなれているに違いない。 現実の社会での仕事を優先しなければならないと考えているならば、 教会委員の仕事はボランティアになってしまうかもしれない。

しかし、 信徒として福音に生きることを考えるならば、 多くの信徒によって教会委員に選ばれた事は多くの信徒の心を通して神が望まれた役割を与えられたと言えないであろうか。 神から与えられた役割と現実の社会の仕事の2面性の中に生きる苦しさを神に捧げて生きてこそ信徒であり、 教会委員として役割を実践していくことは信徒の召命ではないであろうか。

(関口教会)

教会委員は召し出しか

松村輝男

先日の、 第2回教会委員研修会で福川正三氏の 「教会委員は神からの召し出しと考えるべきである」 との発言に対し、 賛否両論が多数出ていた。 反対論の主なものは、 「自分の職業こそ神からの召し出しと考えるべきである」 という意見であった。

私は基本的には福川氏の意見に賛成であって、 あの時賛成側の意見を述べた。 今、 時をおいて考えると、
この問題はあれかこれかの二律背反的な答えを要求しているのではないと思われてきた。 それぞれの人のおかれている立場、 経てきた人生の経験によって違った答えがあってよいのではなかろうか。 しかし、 そうはいっても、 職業か教会委員のどちらを神の召し出しと考えるかといわれれば、 やはり私は職業あるいは仕事ではないと考える。

日本の高度成長期に、 仕事を生き甲斐として働いてきた私達の年代の者で、 今仕事から離れて自分のやってきた事を振り返って、 ある空しさを感じない幸せな人は少ないであろう。 例えば発見当時は、 人類の救世主のように考えられた新薬が、 半世紀たってこれに対する抵抗菌ができて効力を失っている。 このほかの、 1次、 2次、 あるいは3次産業のいずれをとっても、 時流の中に栄枯盛衰をくり返している。

神は、 人間から遠く離れた所から、 暖かい眼差しでじっと私達を見ていて下さる。 時にはアウシュヴィツのような悲劇が起きるけれど、 丁度毒麦のたとえのように神は直接に手をお下しにはならない。 しかし、 人間の推しはかれない長い時の流れの中で、 神の意志は働いている。 とくに、 教会の中において。

このような教会のために教会委員として働くことができることこそ、 神の召し出しではなかろうか。

(喜多見教会)

女性の立場で

南部征枝(まさえ)

激論の中で、 私はどうとらえているのか自問自答していました。

確かに教会の運営にたずさわれるのは、 召し出しがなければ自分の望みだけでは参与できません。 委員として働ける時を与え、 知恵を照らし、 働ける環境の中において、 数々の条件を満たしてくださるのは、 神様の恵みの中ではじめて可能です。

けれども、 それだけでよいのでしょうか。 同時にボランタリズムを持っていないと、 教会の多面にわたる問題や、 多様な人々の集りの中において、 自分を見失うことと思います。

神様の呼びかけに敏感に反応し、 自己の自発的な参加と協力していく奉仕の精神があって可能なことと思われます。

そして、 自発的行為には責任をも課せられていることを忘れてはいけないのではないでしょうか。

私にとって信仰を実践する場所は、 家庭、 地域社会そして教会であって、 それらを無視して召し出しのみに酔いしれてはいられません。 よろこびのメッセージを伝えるために、 自己にとらわれずに広い柔軟な心で、 多くの人々と共感し、 教会の発展のために、 バランス感覚を持って与えられた時を、 それぞれの立場で精一杯生きることの大切さを再確認いたしました。

(関口教会)

自覚と意識を持たなくては

中村智子(さとこ)

第2回教会委員研修会で発題者の方から 「教会委員は召し出しである」 というお話を伺い、 改めて教会委員としての自分自身を振り返って見ました。

子供も少し大きくなり、 主人の理解と協力で少しづつ教会の活動に参加出来るようになった時、 “教会委員に”とのお話があり未熟な自分を思いつつも、 私はただ教会の為に何か奉仕出来たらという気持と、 教会の中で皆様と交わる機会がいただけたらという気持からお引き受けし一生懸命やってみようと思ったことを思い出します。 まさに私にとってその使命を自覚した時と場であったように思えます。

教会委員として、 教会委員会への出席を通して小教区全体のことを理解し、 自分の担当部署での活動によって養われ、 ごミサの折には多くの方々との交流を努めてするように心掛けることによって、 その使命が、 司祭と共に小教区共同体全体のことを考え、 そのパイプ役として小教区の方々の為に奉仕することであるということを実感させられています。

教会法によれば、 すべての信者は、 洗礼の恵みにより一人一人に与えられた使命をそれぞれの立場に応じてこの世で実践するよう召されており、 キリストの体の建設に協働し、 聖なる生活、 教会の発展と聖化の促進に尽力し、 神の救いのメッセージをすべての人々に広く伝えていくよう努めていかねばならないと示されています。

小教区において、 その一つの役割である教会委員の使命も又大であり、 その自覚と意識を強く持たねばならないと思います。

終りに、 現代の教会にとって、 聖職者と信徒は、 それぞれ互いの使命を認識し、 理解し合い協力していく事が大切であると思います。

(小平教会)

森司教からコメント

福川氏の 「教会委員は召命である」 という発言に対するそれぞれの立場から熱気溢れる意見を興味深く拝聴いたしました。

福川氏のようにいつのまにか教会の仕事にひきこまれ、 それに精一杯応えようとしてこられた方からすれば、 恐らく教会委員になることは、 「神がお望みになることである」 とご自分に言い聞かせていくことが必要だったのではないかと推測いたします。

恐らく福川氏も、 最初の内は、 ご自分の会社のお仕事やご家族との調和等で悩み、 葛藤されたことと思うのです。 その中で 「神が今ご自分に望まれることが何か」 し問い続けていかれた、 その結果として 「教会委員であることは、 召命である」 という確信にたどりつかれたと思うのです。

信徒の方々には、 非常に複雑な人間関係や手を抜くことが簡単にゆるされない重い責任を与えられております。

「結婚する」 「親となる」 「仕事につく」 等には、 それにともなう重い責任がつきます。 召命と言う言葉を使うならば、 そにに信徒の根本的な召命があるといえます。 たとえ教会の仕事やお手伝いだからといって、 手を抜いてしまうことを、 神が望んでおられるとは考えられません。 福川氏もそれを否定されてはおりません。

しかし、 人生の人と人との関わりや出来事はダイナミックなものです。 常に新しい状況が私たちを待っております。 その一つ一つに誠実に信仰者として対応していくことが一方では求められていることも、 忘れてはならないことです。

いろいろな事情から、 教会のお手伝いを頼まれたり、 委員の役割を依頼されたりすることがあると思います。 それはある人にとっては、 それまで思ってもみなかったことであるかもしれません。 そうした新しい状況に、 どう対応すればよいのか、 どう応えることが、 神のお望みなのか、 自分に問い掛けて行くことも大事なことです。 そういう問い掛けの積み重ねから、 ある人は、 今の自分にとっては家庭との関わりを大事にすることの方が、 神の望みであると結論されるかもしれません。 別の方は、 教会との関わりを大事にしよう、 それが神の望みである、 と結論を下されるかもしれません。 どのように応えようがそれぞれが真剣に問い掛け、 神の光を求め続けた結果であれば、 それでよいと思うのです、 人と人との複雑な関わりや重い責任を負わされている信徒の方々には祈りの中で、 神がお望みになることは何なのか、 真剣に問い続けていくことが、 何よりも貴重なことのように思います。

フランシスコ会に新司祭誕生
カルメン会に2新司祭

3月10日 (火) 午前10時より、 東京・カトリック瀬田教会において、
間野正孝氏 (まのまさたか 35歳) の司祭叙階式が白柳誠一大司教により、 荘厳に行われた。 あいにくの荒れ模様にもかかわらず、 各地から司祭叙階の喜びを共にしようとかけつけたご両親や兄弟をはじめ、 大勢の司祭、 信徒300余人が、 間野司祭の誕生を祝った。

間野新司祭の略歴は以下の通り。

間野正孝氏

1956年 北海道生まれ。 洗礼名ミカエル。 滝川西高等学校卒業後、 建築会社に勤務。

その後、 フランシスコ会に入会。

聖アントニオ神学校卒業。

叙階後、 田園調布教会助任司祭として活躍中の間野新司祭は 「教会の中で、 社会とともに歩む実践者の1人として生き続ける司祭になりたい」 と抱負を語る。

★ ★

3月22日 (日) 東京カルメル会修道院聖堂において、 白柳誠一大司教より、
窄口松雄 (さこぐちまつお 40歳)、 福田正範 (ふくだまさのり 33歳) 両氏の司祭叙階式が挙行された。

1週間雨が降り続き、 心配されていた天候であったがその日は晴天の上、 カルメル会にとっては昨年に引き続いての叙階式とあって、 新司祭の出身地である長崎や鹿児島からお祝いにかけつけた両親、 友人、 関係者、 司祭、 修道者、 信徒が聖堂にあふれんばかりに参列し、 両司祭の叙階を祝った。

新司祭の略歴は以下のとおり。

窄口松雄師

1951年 長崎県生まれ。

聖アントニオ神学校卒業。

叙階後、 上野毛の修道院に所属し、 活躍している。

福田正範師

1958年 鹿児島県生まれ。

聖アントニオ神学校卒業。

叙階後、 同会管区長秘書に任じられ、 名古屋に異動。 

ズームアップ
ロミティ神父 (田無教会)

司祭叙階50周年を祝う

1942年、 ヨーロッパが第2次世界大戦の戦火に包まれていた中、 ミラノで司祭叙階。

1951年来日、 富士吉田教会を設立。 1963年から1986年までは、 請われてイタリアの神学校で教鞭をとる。

1986年再来日、 田無教会の主任司祭として今日にいたる。

心の深くに熱く宣教師魂を燃やし、 黙々と宣教司牧にあたる誠実さと堅実・温厚な人柄は、 多くの人々の心を引き寄せている。

1919年生まれ。 ミラノ外国宣教会会員。 

ヘルプラインをご存じですか

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「ヘルプライン」 は一味違うボランティアネットワークです。 誰でもいつでも何でも持ちよって助けあいの輪をひろげる所です。

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ヘルプラインの仲間達からのひとこと

-私はここに来て、 何かを頂いて帰ります。

-カルチャーセンター等もある今、 私は隣人のために、 自分の時間を使いたいと思いました。

-ここに来るのは神様が呼んで下さっていると思うのです。

-私は信者ではないけれども、 ここの1日は時間が早く経ち、 しかめ面をしないで楽しんで働けます。

-ここにいると、 自分の年を忘れ、 若い人とも同じ気分になれます。

-この部屋には、 クリエイティブな発想が生まれて、 エネルギーが溢れています。 女性のパワーが静かに世の中を動かしているのを感じますよ。

誕生して1年、 様々な人々が出入りして、 様々な出会いがありました。

「援助してほしい」 という声と、 「お役に立ちたい」 という人とを結ぶ場所なのです。

さまざまな援助活動の情報提供を行い、 またオフィスでは連絡業務のかたわら、 援助作業を行うのです。

「スクランブル」 発送の人あり、 山谷への古着整理の人あり、 回収したアルミ缶を運ぶ人、 古切手を整理してまとめる人、 牛乳パックをスツールに変身させる人と、 アイディアが泉の如く溢れる人とそれを受けて行動に移す人との流れで活動しています。 どんな人でも参加できる場所でここの出会いと働きは、 神様の計らいによっているのです。

ヘルプライン・オフィスにお立ち寄り下さい

情報提供、 援助の申し出、 要請をお待ちしています。

■オフィス所在地

〒150

渋谷区広尾4-3-1

■聖心会サービスセンター

・ヘルプライン

TEL03-3486-7567

FAX03-5485-3884

・オフィス・アワー

毎週火・木曜日10時~15時 

ナイス2、教区としての 「課題案」 まとまる

-決定までの経緯-

昨年暮、 司教団NICE2準備委員会事務局から求められた 「各教区の課題案」 提出について、 大司教はナイス2東京準備会が取りまとめを行うよう指示された。 早速ナイス2準備会はアンケート調査 (1・27~3・15) の結果と教区総会 (3・20) の意見聴取をもとに、 取りまとめに当たった。

★ ★

1、 アンケートの集計から

実に2975通の回答が寄せられ、 1人3項目提起と言うことで、 9000もの項目提示があった。 ナイス1の柱に当たる大項目の1、2、3を除く39項目を数量的順位で並べたのが、 別表1である。

上位20位までの項目から

家庭での教育 (特に信仰教育) に関するもの 12、5、25

弱者とともに歩む家庭に関するもの 27,13,16,10,8

社会構造の改善も求めながら社会とともに歩む家庭に関するもの 41,32,42,34

家庭を支える教会共同体に関するもの 6,9,43,30,33,40,34,36

となっている。

2、 教区総会での諸意見

去る3月20日、
四谷・雙葉小学校を会場に開かれた本年度の教区総会でも、 広くナイス2の課題決定のために、 広く意見聴取が行われた。 その結果は 『教区総会報告書』 にまとめられているが、 その要点のみ書き出して見ると次のようである。

15のワーキンググループで最も多く取り上げられた課題は 「家庭における信仰教育」 で、 次が 「子どものしつけと教育」 、 「高齢化社会と教会の対応」 と続いた。 全体的にアンケートの結果と一致していたと言える。 少数ながら貴重な意見として提起されたものから、 拾って見ると、
(1) 日本の歪められた社会構造に福音の光りを当てて、 変革して行く努力が求められている。 (2) 弱者を大事にする家庭、 教会でありたい。 弱い立場の人、 差別されている人々とともに歩む姿勢を持ちたい。 (3) 未受洗者の家族、 その中で信仰を持ち続けて行く信徒並びに離婚せざるを得なかった信徒に対する教会の暖かい配慮と一般信徒の理解が求められる。 (4) 直接 「家庭」 の課題とは関係ないが滞日外国人労働者、 難民定住者との交わりを通して家族全員が思いやりの心を育てる必要がある。 (5) 教会から離れがちな青少年への教会の積極的働きかけ、 努力が求められている。 等々であった。 何よりも夫婦、 家族の 「福音的会話、 対話」 を持つことが大事との意見であった。

3、 ナイス2準備会のまとめ

上記のアンケート結果と教区総会の意見聴取をもとに、 準備会事務局が 『東京教区課題案』 の第1次案を作り、 4月13日の準備会に提示、 検討した。 各自が持ち帰り4月末までに、 事務局に修正したい箇所を申し出にした。 それを参考に第2次案が作られ、 5月11日の準備会で最終的な修正が行われ、 大司教の承認を受け、 別記の 『東京教区課題案』 が決定された。

★ ★ 

〔項目順位別〕 全国会議の課題設定のためのアンケート集計 1992、3,31現在

  信徒 修道女 司祭 その他 合計
男子 女子 修道者

回答者数

600 1301 453 111 510 2975
  1、社会と共に歩む家庭 78 176 85 23 72 434
2、家庭で育てられる信仰 177 448 225 34 150 1034
3、家庭を支える教会共同体 93 181 136 16 67 493
(1) 12、子供の信仰教育 139 244 101 21 78 583
(2) 27、高齢化社会と教会の対応 114 286 65 7 90 562
(3) 5、家庭でのしつけと教育 89 186 76 10 100 461
(4) 13、一人暮らしの老人 62 214 37 3 99 415
(5) 6、家庭の思いやりと愛の実践 82 187 47 8 83 407
(6) 41、滞日外国人労働者 74 141 91 23 58 387
(7) 9、家族の交わりと祈り 86 144 82 23 42 377
(8) 43、司祭の高齢化と信徒の役割 78 162 42 16 45 343
(9) 30、信仰の危機都心との交わり 53 120 49 10 54 286
(10) 16、寝たきり老人と悔悟 49 111 21 3 51 235
(11) 10、障害者と共に歩む人々 35 119 13 9 43 219
(12) 33、ターミナルケアと信仰 33 125 20 3 33 214
(13) 36、悩み・相談窓口と教会 34 101 32 10 40 217
(14) 32、受胎調整と罪意識 37 79 46 8 16 186
(15) 40、出生率低下と聖職者不足 35 71 27 8 22 163
(16) 8、病人とその家族 25 88 9 3 32 157
(17) 42、難民定住者との交わり 31 71 25 5 20 152
(18) 34、残業(働きすぎ) 39 43 21 14 28 145
(19) 25、非行青少年とその家族 27 46 30 1 27 131
(20) 38、住宅と心のゆとり 27 60 8 2 23 120
(21) 23、家族の健康 23 54 3 1 39 120
(22) 21、教会学校と信徒の協力 35 49 21 4 10 119
(23) 22、登校拒否児(生徒) 17 51 22 4 19 113
(24) 4、学校教育と近所づきあい 27 42 18 4 20 111
(25) 24、週休2日制と教会の対応 24 36 22 2 23 107
(26) 11、家庭での性教育 20 30 28 6 20 104
(27) 14、テレビの視聴指導 14 30 21 5 20 90
(28) 37、過労死と労災認定 20 31 7 5 15 78
(29) 7、単身赴任者とその家族 18 22 11 9 10 70
(30) 17、読書指導 13 31 5 3 10 62
(31) 20、家族の余暇利用 14 23 7 3 5 52
(32) 28、アルコール依存者と家族 10 24 3 3 10 50
(33) 19、離郷青少年と家族 8 13 17 8 3 49
(34) 29、育児ノイローゼ   26 6 2 7 41
(35) 35、家計と家族の経済観念 11 14 4 1 9 39
(36) 18、堅信を受ける準備 5 9 1   7 22
(37) 31、薬物依存者と家族 5 8 1 2 5 21
(38) 26、家族のスポーツ 10 7 1   2 20
(39) 15、子供の初聖体準備 5 11 2   1 19
    1786 3941 1486 322 1508 9016

 

 家庭を支える教会共同体づくり

アンケート調査で多数を占めた該当項目

2975通の内

・子供の信仰教育 20% 583

・家族の思いやりと愛の実践 14% 407

・家族の交わりと祈り 13% 377

・信仰の危機と信徒の交わり 10% 296

・ターミナルケアと信仰 7% 214

・受胎調整と罪意識 6% 186

・出生率の低下と聖職者不足 5% 163

・教会学校と信徒の協力 4% 119

 

総会での意見で該当するもの

・家族での信仰教育、親の信仰見直し

・家族が共に祈ること

・親の自覚と模範

・教会学校に充実、向上

・裁く教会でなく、暖か味のある教会に

・異宗教の家族の中のキリスト者

・天の父のみ旨を行うものは皆、兄弟

・教会の家庭化、家庭的交わりを

・離婚した人の子供の問題


 

弱い立場の人とともに歩む家庭づくり

アンケート調査で多数を占めた該当項目

2975通の内

・一人暮らしの老人 14% 415

・滞日外国人労働者
13% 387

・寝たきり老人と介護
7% 235

・障害者と共に歩む人々
7% 219

・難民定住者との交わり
5% 152

・病人とその家族
5% 157

・非行青少年と家族
4% 131 

総会での意見で該当するもの

・障害者たちの生活

・弱者を大事にする家族でありたい

・差別されている人々への配慮

・外国人の人間性の見直し

・高齢化社会における教会の対応

・独身者の家庭ビジョン

・離婚者の問題

・老人の孤独

・会話を失った家族

・滞日外国人労働者への対応


 

社会と共に歩む家庭づくり

アンケート調査で多数を占めた該当項目

2975通の内

・高齢化社会と教会の対応 19% 562

・滞日外国人労働者 13% 387

・悩み・窓口相談と教会 8% 217

・難民定住者との交わり 5% 152

・残業(働きすぎ) 5% 145

・週休2日制と教会の対応 4% 119

 

総会での意見で該当するもの

・日本の社会構造の変革に光を

・父親は仕事人間から解放されること

・母親は偏差値から解放されること

・働きず、サービス残業を止める

・強すぎる権利意識と利己主義の修正

・父親の復権、夫婦の福音的対話の実践

・福音の基づく、価値観の確立 


 

第2回福音宣教推進全国会議に向けての東京教区課題案

課題案1

社会構造の福音的変革を目指しての 『社会とともに歩む家庭づくり』

〔提案理由〕

日本の社会構造の現実は、 企業の論理が家庭生活を脅かし、 偏差値優先教育、 学歴重視社会を生み出し、 現世実利主義、 利己主義的傾向を助長し、 精神的価値、 来世的志向を弱めている。 いのちの軽視の傾向は、 堕胎、 中絶を横行させ、 出生率の減少、 性道徳の乱れをもたらし青少年の心を頽廃的たいはいてきにし、 非行を増加させている。 福音の光に照らされ先ず、 家庭生活に信仰を結びつけることを心掛け、 子どもの信仰教育を重視し、 まことの信仰を伝えて行く努力が求められる。 両親が率先して家庭での祈りを大切にし、 『社会とともに歩む家庭』 として、 開かれた家庭」 づくりに励み、 社会の福音的変革に身近かなところから参与することによって、 家庭は 「小さな教会」 (家庭教会)
(1)
として社会の福音化、 福音宣教に寄与できると考える。

(1)教皇ヨハネ・パウロ2世使徒的勧告 『家庭』45~52

※生命の軽視と性道徳の乱れをもたらす中絶、 堕胎について、 数年前出した司教団声明を社会に向かって、 改めて呼び掛けて欲しい。 また、 学校の週休2日制が実施される時期に、 主日の尊重を訴えるアピールを出して欲しいとの意見もあった。

課題案2

福音的愛の実践による、 キリスト者のあかしとして、 『弱い立場の人々とともに歩む家庭づくり』

〔提案理由〕

日本の教会の基本方針に示された 「弱い立場の人々」 の側に立って、 一人ひとりが日常生活の中で、 病人、 障害者、 老人などへの愛の奉仕を通して、 キリスト者のあかしをすることが福音宣教につながると言える。 家族の全員が、 この思いやりと暖かさを培うように心掛けるならば、 弱い立場の人々とともに歩む家庭が築き上げられるであろう。 とくに高齢化社会の中で、 ひとり暮らしの老人、 寝たきり老人への配慮と奮発。 従来から実践している難民定住者への心温まる対応、 近年急激に増加している滞日外国人労働者への暖かい接触は、 現代のキリスト者のあかしになると考える。

※1994年の 「国連世界家庭年」 に先がけて、 疎外されがちな弱者と痛みを分かちつつ育つ家庭の福音的意義について、 日本司教団が声明を発表してほしいとの強い希望があった。

議題案3

家庭を支える教会共同体づくり

〔提案理由〕

教会が宣教する信仰共同体となるには、 各家庭が福音に生きるものとなる必要がある。 家庭的共同体である教会共同体は、 一人ひとりの悩みや心配の相談相手となり、 信仰教育を側面から支援し、 福音的価値観に基づく人づくりを目指したい。 また共同体の全員が、 小教区教会を家庭的暖か味のある信仰共同体に育てるよう、 力を合わせたいものである。 教会に求めることは、 その構成員の一員として自らに問うことであるとの自覚を持って家庭と教会との連携を密にし、 相互の連帯を強める必要がある。 各家庭の諸困難に対して、 痛みをともにしながら、 相談に応じる態勢を教会共同体は整えるよう求められている。 また各家庭は、 諸困難に耐え、 それを乗り越えることを自らの 『過ぎ越し』 と受け止め、 教会共同体の救いの神秘に参与している意識を持つよう心掛けたい。

この信仰に基づいた家庭と教会の連帯が、 福音のあかしとして周囲に示されるとき、 福音宣教の実を結ぶに違いない。

※ナイス1の特別提案 離婚者、 重婚者に対しての教会の司牧的配慮を具体的に示して欲しいとの意見があった。

シリーズ
外国人共同体をたずねて 〔2〕

フィリピンの人々と”共に生きる”

“AMA NAMIN SUMASALANGIT KA”
天に在す我等の父よ、 日焼けした顔に真剣な目をしたフィリピン男性女性が長い行列をつくって、 今御聖体を受けようと並んでいます。 その彼らの一人一人の祈る後姿を見ていると私は胸に込み上げてくるものがあります。 彼らの1ヶ月の悲喜交々が-。

毎日3K (危険、 汚い、 きつい) の仕事の現場で、 日本語もはっきり理解出来ない彼らが度々罵詈雑言をあびながら一生懸命働いている。 また日本の娘達だったら未だ親のすねをかじっている年令で、 早くも家族の為にタレントとして夢を抱いて来ても、 厳しい現実が彼女らを待っている。 しかしそれでもフィリピン女性は南国特有の明るさと優しさで歌い、 踊り続けている。 心の涙を隠して-。

一体何故彼等はこのようにしてまでも日本に来なければならないのでしょうか。

今日、 多くの人が怒濤の如く世界の工業国に押し寄せてきます。 それは戦後植民地主義的支配から独立した第3世界の人々が自国で長期にわたる失業、 疾病、 生活困窮等から少しでも向上し改善させようとの当然の必要性からであります。 しかし真に貧しいからだけなのでしょうか。 あの天然資源に恵まれた国々が!海外労働者を派遣しなければならなくなった国々の原因がどこにあるのかを探ってみると、 其処にはかならず南北問題が大きく重くのしかかって来るのです。 この問題はこの紙面で語ることは不可能ですが一つには世界資本主義構造が産み出した先進工業国の産業構造の急速な転換が第3世界を今日でも侵食しているからとも書かれています。 (仲間じゃないか、 外国人労働者 カラバオの会編)

日本の経済成長も第3世界からの資源、 労働力を受けることによって成り立っている所があることを忘れてはならないと思います。 しかし日本政府は入管法によって単純労働者を認めませんから彼等は身を低くして忍耐し仲間同士ごく自然に助け合い励まし合って生きています。 こうした現実の中に教会こそ、 主イエスキリストとの出会いの場であり、 便宜的に作り出された関係ではない兄弟として共に生きている人間の根源的関係が赤羽教会に見られることは何と幸いなことでしょう。 「そこにはギリシャ人とユダヤ人、 割礼の有無、 未開人、 スキタイ人、 奴隷、 自由な身分の者の区別はありません。 キリストが全であり、 全のもののうちにおられるのです。 (コロサイ3・11)

(Sr. 長谷川 桂子) 

青年のフィリピン体験学習報告

人々に出会い、 自分自身の生き方をみつめなおす

青少年委員会と国際センターの後援で2月に実施した体験学習は、 NGOのKAPATID(カパティ) が、 10年ほど続けてきた体験学習のプログラムに参加させていただく形で実施しました。 カパティの日本およびフィリピンのスタッフの皆様には、 心からお礼を申し上げます。

参加者は総勢で31名。 東京教区募集分はすぐに集まり、 定員超過のために、 あきらめていただいた方が何名か出ました。

この体験学習は、 若い人々がフィリピンの (貧しいと言われる) 人々に出会い、 彼らの文化や精神性にふれること、 またそれを通して自分自身の生き方を見つめ直すことなどを目的としていました。 病気やトイレ、 治安、 スラムなど、 未知の世界に不安を持っていた参加者もいましたが、 終わってみれば皆が、 「良かった」 と言っており、 目的は十分達したと言えそうです。

皆の感想は、 「また行きたい」 「人生観が変わった」 「心の豊かさを見た」 「もっといろいろな世界を知りたい」 「これからも関わりを持ちたい」 「国内あるいは国外で何かをしていきたい」 …など主催者側として嬉しいものばかりでした。 また、 経験上、 未信者の参加者 (カトリック系の大学からの参加者は未信者が多い) の多くが、 後に洗礼を受けることが多いのも注目すべきことだと思います。 日本では見ることのできない世界や、 活発な教会、 そして人の心にふれるという体験の影響力の大きさを感じさせられます。

次号には作製中の感想文集から、 青年たちの声を拾って載せたいと思います。

◆主なスケジュール・訪問先

■セ ブ (2月13日~19日)

・青年・子どもたちとの交流

・スラムでのホームステイ

・男の子の施設 (SAPAK) でのホームステイ

・女の子の施設訪問 

■マニラ (2月19日~27日)

・文化的、 歴史的施設・名所等

・ストリートチルドレンの施設

・革命記念式典・歓楽街

・スラムでのホームステイ

・ピナツボ被災地

◎分かち合いの時を時々設けているほか、 最終日には丸1日、 体験のふりかえりの時を持ち、 まとめとしてミサを捧げました。

※注・カパティ (タガログ語で兄弟の意味) …1983年に始まった、 聖心会主催のフィリピン体験学習をもとに生まれたNGO。 フィリピンの困難な状況に置かれた人々との人格的出会いや、 精神的豊かさにふれたことを機に、 何かできることはないかと、 活動を開始。 現在、 体験学習の企画、 施設への援助、 奨学金援助などの活動をしている。

(余語久則神父)

青年ネットワーク事務局だより
教区青年ネットワーク事務局案内パンフレット完成!!

お陰様で青年ネットワーク事務局も、 昨年4月開設以来、 高円寺教会をはじめ各修道会およびマスコミの方々のご支援のもと、 1周年を迎える事ができました。

昨年は教区創立100周年であった事もあり、 ネットワーク事務局のアピールも兼ね、 さまざまな記念行事を主催してきました。 もちろんそこには、 共に福音的喜びをもって生きるという精神があったわけですが、 短い準備期間のために、 スタッフ一同その精神を充分深めることができたとはいえませんでした。

同時に、 ネットワーク (ネットワーキング) の意味と、 なぜこのような青年ネットワーク事務局があるのかといったことに関する案内文等がなかったために、 皆様にご不便をおかけした面もありました。

今回、 ネットワーク事務局発行の情報誌 「みのるか」 の別冊として、 事務局案内パンフレットが完成いたしましたので、 このコーナーでご紹介したいと思います。

内容は、 事務局ができるまでの経移、 活動方針 (会う~知る~つながる) そしてネットワーキングのイメージアートといった作りで、 表紙こみで16ページ物となっています。

既に各小教区の神父さまや各活動団体および他教区の青年センター等へ配布してありますので、 どうか手にとって目を通していただければ幸いです。

また、 今年から心機一転、 年に1度 「泊錬」 (教区青年一泊錬成会) を企画したいと考えております。

第1回は、 来たる6月13日(土)、 14日(日) に行います。

これは、 従来の一泊交流会のテーマである 「出会い」 を一歩掘り下げて、 「神の共同体は人の力だけでは作れない。 本当に教会にきてよかった。」 などの信仰体験を分かち合える場として始めていくものです。

今回のメインは、 森司教司式による 「手づくりの」 深夜ミサです。 是非皆様のご参加をお待ちしております。

(安藤秀樹)

教会・修道院巡り(17)
『イエズス会』

1540年、 教皇パウロ3世により認可されたイエズス会の会憲には、 福音宣教が1つの大切な目的であることが記されている。 この年、 フランシスコ・ザビエルはすでにリスボンにいて、 東洋 (インド) への旅に出ようとしていた。

1549年8月15日ザビエルはインドを経て鹿児島に上陸、 日本への福音宣教を始めた。 最初の発展と自由な宣教の時代は短かった。

明治になりキリスト教が復活すると、 日本での宣教はアジア各地で働いていたパリ外国宣教会に委託された。 しかし20世紀の始め教皇ピオ10世は、 日本に高等教育事業を始めるようイエズス会に命じた。

1908年、 最初の3人が到着。 再開された宣教活動は、 1つの管区の下にではなく、 総会長直轄のもとに行われた。

総会長は日本の宣教のために、 全会員の援助を要請した。 その要請文には次のように書かれていた。

「日本の宣教はイエズス会にとって常に大切なもので、 会の瞳として認められるほどに愛されている。 」

1911年4月6日 「財団法人上智学院」 が誕生。 1912年に4谷・麹町の土地と家屋が購入された。 翌1913年3月28日、 文部省から文学部と商学部を含む、 専門学校令による私立大学を開く正式な許可が下りた。 4月21日に授業が始まり、 予科27名の学生でスタートした。

1923年9月1日、 関東大震災で多大の損害を受けたが、 間もなく立ち直ることができた。

1928年上智は文部省より大学としての許可を得、 文学部と商学部の2つの学部が認められた。 文学部には哲学科、 独文科、 英文科の3科、 商学部には経済学科と商学学科の2科が設置された。

1922年には聖イグナチオ、 聖フランシスコ・ザビエルの列聖300年記念を盛大に祝った。

1921年、 ローマの布教聖省は大阪教区を2分割していたが、 この祝いを期に、 西の地区をイエズス会に委ねた。

1932年より大きな苦しみとなった靖国問題は、 1936年5月26日に発布されたローマ布教聖省からの指針で解決することができた。 他のアジア諸国でも、 同じ問題が生じたが、 日本への指針と同様なものが出され解決した。

イエズス会は日本の社会に、 また日本のカトリック教会に大きな貢献をしている。 1940年に出版されたカトリック大辞典の編さん、 キリシタン研究や文庫の設置、 中・高等学校の開設、 信者の霊的指導、 現代の社会問題を研究し取り組む社会司牧センターなどその幅は広い。

住所〒102千代田区麹町6-5-1 

神学生養成を理解するためにビデオの作成はじまる
一粒会総会開催

4月12日 (日) 午後1時30分より、 関口教会新館ホールにおいて、 一粒会総会が開催された。

白柳大司教は、 開会のあいさつの中で、 一粒会の会員は、 教区の全信徒であり、 司祭養成は教区全体のものであることを強調し、 やがては、 「私たちの中から世界の宣教に出かけられるようにこの運動を活発化させていきたい」 と呼びかけた。

一粒会運動委員長の梅田文夫氏 (豊島教会) から、 1991年度活動報告が行われた後、 一粒会担当司祭の市川神父から今年度活動方針が示された。

今年度新規事業として、 神学生育成を理解してもらうために、 ビデオの作成を予定しており、 すでに3月8日の叙階式は撮影済みであること、 テープは各小教区に1本づつ配布する予定であることが述べられた。

野嵜一夫神父講話

神学院の現状について

9州を除く11教区の司祭養成の場である。

教会活動をしながら召し出しを感じたものが教区を通して入学してくる。 2年前から、 1年目は那須のガリラヤの家で生活し、 月水金の午後は、 光星学園の人と一緒に畜産等の実践をする。 人のために、 しもべとして仕えていけるかどうかを学ぶ。 次の5年間の夏休みの休暇は小教区の手伝いをしながら、 召命を考える。

現在、 東京教区の神学生は11名。

どういう人が‥

基本的にはいろいろな人が呼ばれている。

長男が多い。

学歴:7~8割が大学卒。

家庭が信者の家庭の方が多い。 幼児洗礼が3分の2。

召し出しを感じた動機も幅が広い。

学費は‥

神学生運営費 (教区負担) 神学生の数に応じて

520000円×人数+上智大学の授業料

将来をみこんで70万円×8人

那須入学金30万円

新入生1人152万円

個人費用(小遣い)14000円

那 須 10000円

講話の後、 ブロック別の集まりがあり、 4時すぎに散会した。 

シリーズ小教区報うらばなし (2)
小岩教会 「いわお」

広報部は、 現在部員10名、 うち5~6名は部会や校正にも集まり、 最近特に活気があります。 平均年令も大分若返りました。 部員のご紹介をしましょう。

「いわお」 揺籃期にガリ版を切りカテドラルまで刷りに行った大学生のM氏もいまは3人の父親で壮年会・バザーで活躍。

つぎつぎの出産・育児の合間にも子連れで校正、 郵送も引き受けてくれる優しいMさん。

前任司祭の大倉師から広報を引き継がれ、 財務も兼任の実直なF氏、 その子息Fご夫婦。

運営委員と兼任のA夫人 (運営委員の任期満了御苦労様でした。 時間のないときはお宅へ押し掛けて夕食も御馳走になりながらの校正もしばしばです)

シングルぐるーぷのTさん、 T君、 U君、 I君。 I君は茨城に転居のため、 前の晩から徹夜で上京し校正に駆り出されたりもしました。 (実は飲み明かし?最近車を購入したので飲めなくなったようです)

ジャンケンで負けたT君、 今回の後記の担当になったものの書くのが苦手、 お得意の車の運転で購入車の運搬を条件にI君に変わってもらったとか。

I君とU君はバンドも組んでいます。 子供のミサはU君のギター伴奏、 作曲もあります。

昨年から 「いわお」 年4回の発行を森司教のアドバイスで6回発行に変えたのですが、 その時点では部員も少なく、 どうなることかと不安だったのです。 やはり人間の思惑を超えた計らいがあったようです。

ただし、 当初のプランでは2~3回は手刷りにして経費の節減を図る予定でしたが、 実行できません。 250部発行。

内容はその年の小岩教会のテーマに沿って企画 (今年は来秋予定のナイスのテーマ【家庭】を続けます)、 行事案内や情報提供 (アムネスティ小岩53グループ・幼稚園も含めて) 等。

編集は印刷会社の協力を得てユニークな方法です。 募集の時は書き易いように字数は正確に限定しません。 締切日に予定数集まらず、 集まっただけを印刷所へ。 20字に印字して頂き校正の段階で割付編集しますので空白が出て埋め草深し、 という場合も少なくありません。

企画・原稿集め・印刷等、 皆様の教会の方法をこのシリーズでお聞かせ下さい。

(田澤富子) 

編集部から

◆暖かい日が続いていたと思っていると、 急に花冷えとかいって肌寒い日が来て、 セーターを引っぱり出すやら慌ててしまいました。 風邪をひかれた方もおられるのではないでしょうか。 しかし、 新芽は一日々々と緑を濃くしていきます。

◆春の人事異動によっい、 教区ニュースの編集委員にも変動がありました。

新しい編集委員による東京教区ニュースの発足以来活動して来られた元関口教会主任司祭の吉池好高師は、 この度新潟教区に出向されました。 これまでのご協力に感謝するとともに、 今後のご活躍をお祈り致します。

後任として新関口教会主任司祭の門馬邦男師が来られました。 神父様の豊かなご経験が紙面に生かされ、 一層内容あるものになると思います。 ご期待ください。

◆東京教区創立100周年を記念して、 歴史に詳しい白柳大司教様に 「東京教区100年を語る」 と題して、 本紙に連載しましたところ大変に好評で、 皆さんに毎号喜んで読んでいただきました。

この度、 1冊の本になって発行されることになりました。 大勢の方々に読んでいただきたいと思っています。

◆インターナショナルデーが24日盛大に行われました。 当日のカテドラルは、 在日外国人同士や日本人との交歓風景があちらこちらに見られ、 華やいだ雰囲気の中でさまざまな催し物が行なわれました。 中でも、 夕方から行われた 「分かち合い」 では日本で生活し働く外国人の方々の生の声を聞くことができ、 改めて在日外国人の苦しみや問題点をつきつけられた思いがします。 次号はインターナショナルデー特集号とし、 この中で 「分かち合い」 の模様も詳しくお伝えしたいと思います。 ご期待下さい。