カトリック町屋教会

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名称

カトリック町屋教会

教会堂名

聖家族

創立年月日

1931年9月

小教区管理者

アントニオ 泉 富士男 (いずみ ふじお) ※教区本部から管理

信徒数

155人 (2015年12月31日現在)

主日のミサ

10:00

宣教協力体

荒川・足立

住所

〒116-0001 東京都荒川区町屋4-7-9 [Google地図]

電話

03-3809-0414

Fax

03-3819-2772

身障者設備

スロープ(または、バリア・フリー)、トイレ

交通案内

東京メトロ千代田線・京成本線「町屋駅」、都電荒川線「町屋駅前」より、徒歩10分。
 

歴史

神の教会の福音の種がこの町屋にもたらされたのは 、ラサール神父によって1931年10月のことであった。当時の町屋は関東大震災の被災者が多く、東京都の社会局は、ここを東京都最大の困窮地帯としていた。現在の日本の状況から考えれば、とても考えられないことであるが、現在の尾竹橋通り沿いの廃屋に近い建物の中で、苦しむ人の救いを願ってミサがささげられたことは 想像に難くない。
 
1933年、イエズス会が運営するこの上智厚生館は現在地に移転した。現在の発展を支えたのは、1935年10月10日 に着任したドイツ人のアロイジオ・ミヘル神父である。教会は第二次世界大戦ですべてが灰に帰し、一から再出発することになった。
戦後の町屋教会は幾人かの司祭を迎えた。スペイン人のアルベルト・ラミレス師、貝瀬健一師などが司祭を務め、 上智大学、聖心女子学院の学生もボランティアでお手伝いをした。
 
また、トラピスト会の山下房三郎師も東京在学中、1967年から2年間、教会に客員として滞在していた。再び貝瀬師が町屋教会に戻ってきた1983年は、ミヘル師の司祭叙階金祝の祝いの年であったが、町屋教会にとってその土台を揺るがす混乱の始まりの年でもあった。1980年、ミヘル師が戦後に幼児教育のために招来した「長崎純心聖母会」が、管区の運営の都合上、荒川修道院を引き揚げてイエズス会の石神井の黙想の家付きの修道院に移動することになった。
 
この話の発表は教会にとっては正に青天の霹靂でもあった。その後、事業団内での雇用問題とイエズス会内での混乱が錯綜し、教会はその機能を停止する寸前にまで到った。混乱する教会を建て直すべく派遣されたのは河野純徳師である。彼はその生涯を賭けて教会の混乱の収拾、そして裁判の解決にあたった。河野師の死去に伴い、数名のイエズス会士が教会の主日のミサをささげるために来会したが、司牧上の効果を期待できることもなく、町屋教会は司牧担当をイエズス会から東京大司教区に変更することになった。
 

現状

上智厚生館の聖堂を兼用しての62年を経て町屋教会はようやく、1993年4月上智社会福祉事業団により土地を無償提供され、現在地に独自の聖堂を持つことによって新たな宣教の局面をむかえることになった。 また、町屋の環境は大きく変化した。この後は、地域の必要に応えられるあらゆる面を探していかねばならない。教皇聖下や司教団と心を合わせ神の国の福音を説き続けていくだろう。
なお、独立した聖堂を持つことに尽力されたペトロ塚本伊和男神父は2006年7月2日に帰天 された。現在は東京大司教区の泉富士男神父が責任司祭を務めておられる。