カトリック築地教会

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名称

カトリック築地教会

教会堂名

聖ヨゼフ

創立年月日

1874年11月22日

主任司祭

シューマカ,レオ S.S.C. (聖コロンバン会)

信徒数

450人 (2016年12月31日現在)

主日のミサ

土曜日18:00  日曜日9:30

初金ミサ

第1金曜日 10:00

宣教協力体

中央・千代田

教会学校

○ 土曜日15:00-17:00 対象:小1~中3

住所

〒104-0044 東京都中央区明石町5-26 [Google地図]

電話

03-3541-8185

Fax

03-5565-4315

ホームページ

http://tsukijicatholic.jp/

交通案内

東京メトロ日比谷線「築地駅」八丁堀寄り出口より、徒歩8分。
東京メトロ有楽町線 「新富町駅」6番出口より、徒歩7分。
 
【JR「東京駅」八重洲南口より 】
2番のりば 都営バス 東15系統 深川車庫前行き
 「明石町停留所」下車 徒歩5分

沿革

東京で最初に建てられた教会である。

1874年 (明治7年)

東京市から居留地の一部を借り入れ、パリ・ミッション会が仮聖堂を建てた。

1875年(明治8年)

近くに(旧区立2中跡)サンモール会が土地を借入れ、女学校(後の雙葉学園)を開く。

1876年(明治9年)

オズーフ司教が日本北教区の教区長に任命され、翌年明治10年7月東京に赴き、築地教会を司教座と定めた。

1878年(明治11年)

煉瓦作りの本格的な聖堂が建てられ、名実共に東京のカトリック教会の中心となる。

1891年(明治24年)

東京大司教区が設けられ、築地は首都大司教座となる。(3月19日)
翌1920年(大正9年)、大司教座は関口教会に移転する。

1923年(大正12年)

9月、関東大震災により、聖堂、司祭館、その他焼失。 同年12月焼け跡に仮聖堂を建てる。

1924年(大正13年)

4月、聖ヨゼフ幼稚園を創設(仮聖堂を使い、保育開始)

1927年(昭和2年)

4月、現聖堂竣工。ギリシャ神殿風の木造モルタル

1999年(平成11年)6月1日

東京都の歴史的建造物に選定された。

2007年(平成19年)

3月31日 聖ヨゼフ幼稚園を閉園。

 

歴史

禁教令の終わり

関白秀吉によって発布されたキリスト教禁令は、徳川家康によりさらに強化され、三代将軍家光によって、鎖国令へと発展した。日本の教会にとり、長く厳しい時代が訪れた。300年の間、多くのキリシタンが信仰の故に専い血を流し、故国を追われた。
しかし遂に自由の日が来た。1854年、開国を迫るアメリカのペリーとの間に通商条約が結ばれると、オランダ・ロシア・イギリス・フランスもこれに続いた。外国人が日本に居留することにより、
同時にキリスト教が再び日本の地に宣教の根を下すことになった。
 

開国

1862年、開国以来最初の教会が横浜に建てられた。東京は種々の理由で開市が遅れ、
1869年になってようやく外国人の居留を受け入れた。現在の明石町あたりがそのためにあてられた。横浜から派遣されたマラン神父とミドン神父(共にパリ外国宣教会)は1871年秋ごろ東京に入り、宣教を始めた。開国されたとはいえ、まだキリシタン禁制の高札が揚げられていたことを思えば、2人の宣教師の情熱が伝わってくる。このカトリックの宣教は、ロシア正教や聖公会の伝道より いち早く始められているのである。
 

借家の仮教会

神父たちは稲荷橋に商家を借り受け、仮の教会とした。
当時教会をおとずれる人は特に、地方出身の諸藩の留学生など、若者が多かったようである。
1872年には千代田区三番町にラテン学校(神学校)を開校し、70人余りの学生を収容するまでになった。宣教の発展のために、借家の仮教会を出て、築地の居留地内に教会を建てることを
マラン神父は決意した。
 

新聖堂の献堂と司教座

1874年11月22日、聖霊降臨後最後の日曜日に、聖ヨゼフを保護者として新聖堂は祝別された。築地の宣教が始まって3年後のことであった。
翌年には横浜にすでに女子のための童貞学校を開設していたサン・モール会の修道女数人を迎えた。小学校、孤児院、教会付軸の施設の運営を通して宣教はますます力強い歩みを始めた。1877年、築地教会に司教座がおかれ、オズーフ司教か着座し宣教の拠点が囲められた。
 

司教座関口教会へ移転

1920年、東京大司教館が築地から関口教会構内に移転することによって、
次の新しい時代を迎えることになる。
 
教区ニュース76号(1990年9月発行)より