カトリック麻布教会

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名称

カトリック麻布教会

教会堂名

イエスのみ心

創立年月日

1882年5月3日

主任司祭

パウロ三木 稲川 圭三 (いながわ けいぞう)

信徒数

1,797人 (2016年12月31日現在)

主日のミサ

日曜日 7:00 / 9:30

週日のミサ

初金ミサ:第1金曜日 10:00

宣教協力体

港・品川

教会学校

○ 第1、3日曜日10:30~12:00 (対象:幼稚園 、小学生)

講座

◇聖書クラス 水曜日19:30~21:00  木曜日10:00~11:30
◇入門講座  金曜日19:30~21:00  土曜日11:00~12:30 

福祉活動

□ 社会奉仕福祉部会を中心に多くの活動を継続的に行っている。
 (下記ホームページを参考ください)

諸活動

▽ 下記ホームページを参考ください。

住所

〒106-0031 東京都港区西麻布3-21-6 [Google地図]

電話

03-3408-1500

Fax

03-3408-2575

ホームページ

http://www.azabu-catholic.jp

身障者設備

スロープ(または、バリア・フリー)、トイレ

交通案内

東京メトロ日比谷線、都営地下鉄大江戸線「六本木駅」より、徒歩8分。
 

歴史

1882年5月3日、築地教会から約4キロ離れた赤羽橋に築地の分教会が誕生した。これは、築地教会所属の信徒の中で新橋、品川から青山間に住む信徒が多くなった為である。
新聖堂は聖十字架発見の記念日にちなんで、『聖十字架の聖堂』と命名された。

赤羽橋の教会が手狭になると、当時神田教会から巡回していたパピノ神父は、1889年、現在麻布教会がある地に土地を借り受け、和洋折衷の聖堂を建築した。彼は建築家でもあり、浅草教会など多くの聖掌を建てた。

麻布地区には既にメソジスト派の宣教師が活躍していた。東洋英和女学院は、大きな宣教の成果を上げつつあった。

1892年3月から、レゼー神父が初代の主任司祭として常住した。彼は、神田教会の主任時代から、毎月2回雑誌を発行していたが、麻布に転任してからもその活動は続いた。
だが、1893年頃から麻布教会の活動は、東京6教会の中で最もおとなしく、目立たない存在になって行った。

1892年11月、主任のレゼー神父は甲府・松本地区に転任した。後任のシユテル神父も1年足らずで麻布教会を去り、帰国してトラピスト修道院に入った。次のギュィヨン神父も2年足らずで浜松・藤枝地区に転任になった。こうした事態の裏には次のような事情があったと思われる。

ローマ教皇庁は、価値観が多様化し相対化する近代世界の危険を防止するため、教皇庁の権威を持って各地の教会を指導しようと、1879年、各布教地ごとに数名の司教による地方教会会議を開催するよう命令した。日本では種々の理由で開催が遅れたが、1890年、朝鮮の教皇代理も交えて長崎で行われた。司祭・伝道士、信徒・求道者の義務やその指導監督が細かく記された決議文は、1893年に公表された。地方教会の事情を考慮しない教皇庁の厳しい方針は、当時の日本の教会を大きく揺さぶった。
進歩的・活動的な司祭の多くは地方へ転任させられたようである。

もう一つの事は、1888年麻布に大隊区司令部が出来て、軍人の住民が多くなったことである。彼らは日清戦争後の領土問題に、独・仏・露が干渉した事で強く反発し、その敵意をフランス人宣教師にも度々向けた。温和な性格のステーヒエン神父は、麻布教会の移転までも考えたが、財政的に無理であったので、.結局住民の感情を刺激しないよう、細々とした活動で満足するしかなかった。
こうした事情の中で、麻布教会の信徒団は忍耐を養い、素朴な信仰生活と家庭的助け合いの精神を身につけていった。しかし、黙々とした歩みの中で、麻布教会は大きく発展し、1921年 には東京6教会中最大の信徒数になった。
 
教区ニュース85号(1991年7月発行)より