2015 インターナショナルミサ 説教

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    [English]

    2015年9月27日、年間第26主日、世界難民移住移動者の日、東京カテドラルにて

    [聖書朗読箇所]

     

    説教

    今日の福音のなかで、イエスは弟子たちの偏狭な縄張り主義(セクショナリズム)を非難しています。

    ヨハネがイエスに言いました。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」答えてイエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。(マルコ9・38-40)

    「お名前」といえばイエスの名前です。イエスの名前を使って悪霊を追い出すとは、イエスの力を使って悪霊を追い出すということ、聖霊の働きによって悪霊に打ち勝つと言うことに他なりません。

    ヨハネは「わたしたちに従わないので」と言っていますが、その従わない人は、弟子たちの力ではなく、イエスの力によって悪霊を追放していたのですから、弟子たちが止めさせるのは筋違いでしょう。彼らは、自分の支配権が侵害されたと思ったのでしょう。

    しかしイエスの考えは違います。「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」(マルコ9・40)
    イエスは弟子たちの狭い、排他的な縄張り主義(セクショナリズム)を非難しています。

    今日の第一朗読で、七十人の長老にも、モーセに授けられた霊が分け与えられたことについて、ヌンの子ヨシュアが妬んでいます。ヨシュアもヨハネらとおなじ、恵みの独占欲にとらわれていました。

    ここでイエスが言っているのは「神は寛容であるからあなたがたも寛容であれ」ということです。神の働き、聖霊の働きは場所と時間の限定を受けません。キリスト教の諸教派の中ではもとより、他の宗教においても、あるいは信仰していないと自認している人の中でも働いています。

    わたしたちは、自分たちの教会の外に見られるあらゆる善い事、美しいこと、真実なことに対し、素直に評価しなければなりません。また、信仰の理解の違う人々に対しても、信仰の自由の権利を尊重しなければなりません。

    カトリック教会はその点で多いに反省すべきです。教会の歴史の中で信仰の自由を尊重しなければならないという考えがなかったわけではありません。しかし、信仰の自由の基本的人権に関する理解は第二ヴァチカン公会議のときになってやっと現在の理解、すなわち「他者の信仰には寛容でなければならない、信仰の自由は大切な基本的人権に属する」という理解を確立するに至ったのです。

    日本は非常に宗教の多い国です。この日本でわたしたちは宗教と教団の違いを越えて、互いの立場を尊重しながら、平和のため、いのちと人間の尊厳のために協力して、悪との戦いを進めて行かなければならないと思います。

    さて、本日は「世界難民移住移動者の日」です。

    現在、世界の各地で、実に多くの人が難民となることを強いられ、また移住せざるを得ない事情に置かれています。その人々の苦難には計り知れないものがあります。イエスとマリア、ヨセフの聖家族も難民でした。困窮している難民のかたがたのために自分のもとにある富、資産、財貨を喜んでゆだねるのはキリスト者にとって当然の行為です。わたしたちは信条、国籍、文化、言語、習慣等の相違を越え、互いに善いことがらを分かち合い、人間を貶める悪を滅ぼすために力を合わせなければなりません。そのために主なる神の助け、聖霊の導きを祈り求めましょう。そして頂いた恵みに心からの感謝をささげ、主なる救い主イエス・キリストへの賛美をお献げ致しましょう。

    わたしたちと同じ人となってくださった主イエスは賛美されますように!アーメン。

    最後にこの席を借りてお願いがあります。

    10月26日より28日、カテドラルで「司祭集会」が開催されます。東京教区で働くすべての司祭の参加が強く求められています。CTICで働く司祭、CTICの活動に関わっている司祭は是非ご参加していただき、CTICの今後のより良き在り方について話し合って頂きたいと要望します。よろしくお願いします。