神学生合宿ミサ説教

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    2015年9月1日、長野県富士見「マリアの家」にて

    [聖書朗読箇所]

    説教

    きょうの第一朗読でパウロは言っています。

    「あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。」(一テサロニケ5・5)

    「光の子」という表現には思い出があります。もう40年以上前のことですが、わたくしは千葉県の柏教会の主任司祭をしておりました。(柏教会は移転して現在、豊四季教会、となっております。)

    教会学校に名前を付けるよう頼まれて「光の子」という名前を提案して受け入れられました。

    教会学校なので「光の子」としたのですが、実は神の子はみな、「光の子」です。

    昨日の主日に第二朗読「ヤコブの手紙」では、御父は「光の源」と言われています。すなわち、

    「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。」(ヤコブ1・17)

    イエスは、ニケア・コンスタンチノープル信条が言うように、「神からの神、光からの光」であります。そして『教会憲章』が言うように「諸民族を照らす光」であります。

    わたしたちは自分からは光ることが出来ません。主イエスから光を受けて初めて世を照らす光となることができます。

    わたしたちがこの世を照らすためにはいつもキリストを仰ぎ、キリストから光を受けていなければならないのです。

    まさにわたしたちは、スルスム・コルダ(surusum corda)いつも心を上にあげてなければなりません。そうでなければわたしたちの心は闇で閉ざされてしまうかもしれないのです。

    さてきょうの福音で人々はイエスの悪霊追放のみ業に感嘆して言いました。

    「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」(ルカ4・36)

    イエスは何をした人であるか、と言えば、何と言っても目立つ行為は「悪霊の追放」ということです。わたしたちは日々祈っています。

    「わたしたちを誘惑におちいらせず悪からお救いください。」

    この場合の「悪」のギリシャ語原文は、悪霊とも訳せます。主の祈りの副文では、司祭は次のように祈ります。

    いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い
    現代に平和をお与えください。
    あなたのいつくしみに支えられ、罪から解放されて、
    すべての困難にうち勝つことができますように。
    わたしたちの希望、救い主イエス・キリストがこられるのを待ち望んでいます。」

    これはわたしたちの真摯な日々の願いです。

    「わたしたちを誘惑におちいらせず悪からお救いください。」

    この祈りがまさに切なる日々の祈りであります。