主の降誕(夜半のミサ)説教

    image_pdfimage_print

    2010年12月24日 22:00 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

     

    天使は言いました。

    「わたしは、民全体に与えられる大な喜びを告げる。今日ダビデの町で、救い主がお生まれになった。」

     

    2010年のクリスマスを迎えました。

    1.クリスマスとはキリストのミサ、という意味です。クリスマスだけでなく、ミサはすべてキリストのミサです。ミサは毎日ささげられます。だから毎日がクリスマスともいえます。といっても、365日のなかでミサがささげられない日があります。それは聖なる金曜日、イエスが十字架につけられて亡くなった日です。イエスは亡くなってから葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し、神の右の座に着かれました。亡くなった次の日が聖なる土曜日で、この日もミサはありません。ただし日没後は次の日が始まると考えられ、復活徹夜祭という荘厳な典礼がささげられます。ミサがささげられない日がある、ということをあわせて考えることも、クリスマスの意味を深めるためによいことではないかと思います。

    2.わたしたちの住んでいるこの世界でわたしたちは、喜んではいられない悲しいこと、苦しいことにたびたび出会います。戦争、紛争、貧困、飢餓、病気、孤独、差別、人権侵害、種々の虐待・・・イエスの時代の人々も大きな苦しみ、悲しみを担っていたのです。神の御子イエス・キリストはわたしたちと同じ人間となり、人間の苦しみ、弱さ、惨めさを一緒に担われ、最後は十字架につけられました。イエスは人々と苦しみ悲しみをともにし、すべての人のためにいのちをささげることにより、すべての人の兄弟となりました。そしてわたしたちも互いにこの世界の苦しみ悲しみを担い合うようにと招いておられます。

    3.今年知った衝撃的な言葉は「無縁死」という言葉です。一人孤独に亡くなり引き取り手もない死が「無縁死」だそうです。地縁、社縁、血縁が崩壊し、今の社会は「無縁社会」になっているというのです。迷惑をかけたくないという気持ちからの孤独死だとも聞きます。わたしたちはお互い安心して迷惑を掛け合う仲になりたいものです。

    4.2000年前にお生まれになり、きょうクリスマスのミサで幼子としてわたしたちのところにこられる救い主イエス・キリストは、世の終わりには栄光のうちにこられる、とキリスト教徒は信じています。

    使徒パウロはテトスへの手紙のなかで言っています。

    「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」

    パウロは現世的な欲望を捨てるように勧めています。この機会に自分自身の欲望の在り方を見つめ直したいものです。また栄光のキリストと出会うという希望をもって日々歩みなさいと勧めています。自分はどんな希望を抱いているでしょうか?今日あらためて確かめてみたいと思います。

    どうかよい年をお迎えください。