お知らせ

    教会学校リーダーの皆さんへ「東京教区こどものミサのお知らせ」

    2014年08月15日

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    2014.8.15
    東京教区教会学校委員会

     
    2014年度東京教区「こどものミサ」

    【日時】  2014年10月12日(日) 午後2時半~5時
    【場所】  東京カテドラル関口教会「聖マリア大聖堂」&前庭
    【テーマ】 「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して
           そちらに行かせて下さい。」(マタイ14・28)
           - イエスさまの「来なさい」に信頼して-

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    今年も東京教区主催の「こどものミサ」が、10月12日(日)午後2時半から、東京カテドラルにておこなわれます。「こどものミサ」では、毎年参加される小教区ごとに、テーマに基づいた奉納物を準備していただき、当日のミサで奉納するという形をとっています。
    そこで、今年のテーマについて、テーマに関するカテケージス(教え)、奉納物など、教会学校リーダーの皆さんに、当日までに子どもたちと共に準備していただきたい事についてお知らせします。

     =お知らせの内容=

    1.テーマについて
    テーマとなっている聖書の箇所についての説明です。子どもたちとより豊かな準備が出来る様に、リーダーの皆さんもテーマとなっている聖書の箇所を深く味わってみてください。
    2.当日までに行なっていただきたいカテケージス(教え)
    「1.テーマについて」および「2.当日までに行なっていただきたいカテケージス(教え)」を参考にしながら、当日までに子どもたちにカテケージス(教え)を行ってください。
    3.当日持参していただきたいもの(奉納物の製作)の説明
    製作していただく奉納物についての説明と注意点、製作時のヒントなどをまとめました。製作した奉納物は、こどものミサ当日に持参してください。 ミサ中に奉納して頂きます。

     

    1.テーマについて

    「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、そちらに行かせてください。」(マタイ14・28) 」
    -イエスさまの「来なさい」に信頼して-
     
    今年のテーマとなっている聖書の言葉は、マタイによる福音書の14章に書かれているもので、シモン・ペトロがイエスさまに向かって言った言葉です。ペトロは、この言葉をどこで言ったのでしょうか?嵐の湖に浮かぶ舟の中からです。夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた、イエスさまに向かって、ペトロはこう言ったのです
    イエスさまはペトロに「来なさい」と言われ、ペトロは水の上を歩き、イエスさまの方に進みました。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたペトロを、イエスさまは助けられます。
    「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
    イエスさまからこのように言われたシモン・ペトロを、イエスさまは後に弟子たちの頭とし、教会の礎とされました。
     「ペトロのあこがれ」「神さまからの招き」「招きに従う信仰」について・・・わたしたちに語りかけられているメッセージがたくさんあります。一緒に今年のこどものミサの中で受け取らせていただきたいと思います。まず、マタイ14章22~33節を一度お読みいただきたいと思います。

      ◇

     それからすぐ、イエスさまは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられました。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになりました。

     夕方になっても、ただひとりそこにおられました。
     ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていました。
     夜が明けるころ、イエスさまは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれました。弟子たちは、イエスさまが湖上を歩いておられるのを見て、
     「幽霊だ」
    と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげました。イエスさまはすぐ彼らに話しかけられました。

     「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

     すると、ペトロが答えました。
     「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」
     イエスさまが、

     「来なさい」

     と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスさまの方へ進みました。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、
     「主よ、助けてください」
    と叫びました。イエスさまはすぐに手を伸ばして捕まえ、

     「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」

    と言われました。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まりました。舟の中にいた人たちは、
     「本当に、あなたは神の子です」
    と言ってイエスさまを拝みました。
     
                              (マタイ14章22~33節参照)

    この箇所は「湖の上を歩く」という小見出しがついているところで、小見出しの通り、ペトロは湖の上を歩いて、イエスさまの方に向かいます。しかし、途中で強い風に気がついて怖くなり、沈みかけます。「主よ、助けてください」と叫ぶペトロを、イエスさまはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。しかし、この「疑い」を通して、弟子たちは「本当に、あなたは神の子です」という信仰に向かって、成長させていただいたのです。

    今回の「こどものミサ」では、テーマとして「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、そちらに行かせてください。」というペトロの言葉を選び、また、サブテーマとして、イエスさまが言われた言葉をもとに-イエスさまの「来なさい」に信頼して-という言葉をもうけました。ペトロが願うより先に、そこに神さまからの招きがあったと思うからです。

     「逆風のために、舟が波に悩まされていたこと」、「それがイエスであったのに恐れ、恐怖のあまり叫び声まであげたこと」、「イエスに『安心しなさい』と言われたこと」、「水の上を歩いて、そちらに行かせてくださいと言ったこと」、「強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたこと」、「主よ、助けてくださいと叫んだこと」、「イエスに捕まえられたこと」、「『なぜ疑ったのか』と言われたこと」、「本当に、あなたは神の子です、といってイエスを拝んだこと」・・・

    この短い物語の中に、わたしたち一人ひとりの歩みにも直接関わりのある、信仰と救いのエッセンスが凝縮されています。教皇フランシスコが著した、使徒的勧告「福音の喜び」が強く促しているように、わたしたちが「すべての人に福音を告げ知らせるものとなるように」、「主イエスの招きに答えるものとなるように」、また「主イエスの招きに信頼して、前に一歩を踏み出すものとなるように」今年のテーマを設定しました。
    ここでは福音書の言葉に解説を加えながら、テーマについて説明していきたいと思います。

    「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。」

    それから、の「それ」が表す内容は、「五千人に食べ物を与える」という出来事のことです。イエスさまは五つのパンと二匹の魚を群衆に与え、すべての人が満腹しました。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠がいっぱいになりました。その出来事の後、喜びの余韻に浸ることもなく、「すぐに」弟子たちを、強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられたのです。
    「向こう岸」とは、異邦人の土地、未知の土地。言うならば、弟子たちにとっては「あまり行きたくない場所」でした。 

    「群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。」

    イエスさまが祈られたのは、「パンの出来事の意味」を弟子たちに悟らせるためです。パンの業を行なわれたイエスさまというお方が「一体何者であるのか」、そのことに弟子たちを出会わせるために、イエスさまは祈られたのだと思います。そして、今日の嵐の湖の上の出来事も、イエスさまが何者であるのかに、出会わせるための出来事だったのです。

    「ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた」

    1スタディオンは185m。ガリラヤ湖は、南北20㎞、最も幅の広いところで東西12㎞の大きさですから、ずいぶん長い時間苦労しているのに、まだまだ対岸は遠かったのです。舟とは「教会」の象徴。イエスさまの乗っていない舟は、夜の闇の中で、逆風と波に襲われ、また戻ることもできない状況にありました。

    「夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。」

    「神が、水の上を歩いて行かれる」(詩編77・20参照)というのは旧約聖書的な表現です。また、聖書では「海」「湖」「水」は、度々、神に敵対する悪の象徴として用いられます。つまりここでは、イエスさまは、悪に妨げられることなく、その上を通ってこられる、「神的な存在」であることが表されているのです。
    しかし、弟子たちは「幽霊だ」とおびえ、恐怖のあまり叫び声まであげたのです。

    「イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。』」

    「わたしだ」という言葉は、原文のギリシャ語では「エゴ・エイミ」ですが、これは、旧約では神が自らを顕現されるときの、「宣言形式」。決まり文句のような言葉です。「恐れるな」も、旧約聖書全体でくり返し語られる、神からのメッセージです。
    イエスさまはここで、恐れる弟子たちに「神的存在」として自らを顕し、語りかけておられるのです。

    「するとペトロが答えた。『主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。』イエスが『来なさい』と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。」

    イエスさまの語りかけによって「主よ、あなたでしたか」と分かったペトロは、「わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と願いました。ペトロはただ、イエスさまのそちらに行きたかったのだと思います。そして(あなたは、そのことがお出来になる)と信じて、「わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」とお願いしたのだと思います。

    それに対するイエスさまのお答えは

     「来なさい」

    でした。
    ペトロの願いは、ちょっと突拍子もない感じもいたします。しかし、ペトロがそう願う前に、神さまがペトロを強く招いておられたのだと思います。

    教皇フランシスコは、ある自叙伝的な文章の中で、ご自分の召命を振り返り、17歳の時に「待っておられる方がいる、という不思議な体験があって、自分が求められていることを理解した」と書いておられます。そして「人が神を探す時、まず神が人を探されており、あなたがたが神を見出そうとする時、神が最初にわたしたちを見出される」と言っておられます。

    ペトロには、イエスさまへの強いあこがれがありました。しかし、それはまず、神さまがペトロを強く招き、求めておられたのだと思います。
    イエスさまは「来なさい」と言われました。
    ペトロはイエスさまを見て、イエスさまの「来なさい」を聞いて、水の上をイエスさまの方に進んだのです。

    「しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。」

    強い風に気がついた時、ペトロの目は、イエスさまから、自分の方に向いてしまったのかもしれません。ペトロは、(水の上を歩いて、そちらに行かせるよう、お命じになる力をお持ちの)「イエスさま」から、(水の上など歩くことのできない)「自分」に、目が向いてしまったのかもしれません。
    そして、怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫びました。
    イエスさまはすぐに手を伸ばして捕まえ、

     「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」

    と言われました。 
    「疑う」と訳されている言葉は、ギリシャ語の「ディスタゾー」。ディスは「二つ」の意味で、ディスタゾーは、「心が二つに分かれる」という意味合いです。イエスさまのところに行きたいという「あこがれ」と、強い風と波への「恐れ」で、ペトロの心は二つに分かれてしまったのです。そして、「恐れ」が勝ってしまったのでしょうか。
    しかし、本当にペトロが目を向けるべきところは、ただ「来なさい」という、イエスさまの招きなのでした。

    「そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ」

    舟の中に二人を迎え入れた時、風は静まりました。舟とは教会の象徴。イエスさまを「主」として迎え入れる時、嵐が治まります。 
    イエスさまを信じつつ、かつ、恐れもある弟子たち。「疑う」・・・すなわち心が二つに分かれてしまった弟子たちは、この時、本当に自分たちが「向かうべきお方」をはっきりと知ることになります。

    このあと、弟子たちの疑いは解消されたのでしょうか?いいえ、疑いは残りました。マタイによる福音書の最終章である28章で、弟子たちはイエスさまが指示しておかれた山に登り、復活のイエスに出会います。復活のイエスに出会った弟子たちでさえ、ひれ伏して「信じつつ」、かつ「疑った」のです。(マタイ28・17参照)
    しかし、イエスさまは、「信じつつ」かつ「疑い」の残るままの弟子たちに近寄り、励まして、「すべての民を、わたしの弟子にしなさい」と言って彼らを派遣されます。そして、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と、力強く約束されたのです。

    わたしたちにも、一人ひとりいろいろなあこがれがあり、また、いろいろな望みがあると思います。そして、共におられる神さまに信頼しつつも、かつ疑ってしまう存在です。しかし、最も大切なことは何よりもまず、神さまがわたしたちを招いてくださっているということです。
    その招きに信頼して歩むことができますように。また、自分の心の奥深くにあるあこがれを、まず神さまが創ってくださっていることに信頼して、「一歩を踏み出せるように」と、今年のテーマを設定しました。

    2.当日までに行なっていただきたいカテケージス(教え)

    今年のテーマ「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、そちらに行かせてください。」(マタイ14・28)を受けて、当日のミサの福音の箇所はマタイ14・22~33としました。事前に福音の内容に親しんでおいていただくために、リーダーのみなさんに子どもたちといっしょにやっていただきたいことがあります。簡単に以下のようにまとめてみました。

    1.当日の福音 マタイ14・22~33を子どもたちに読んで聞かせる。

    ペトロが「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と願い、イエスさまが「来なさい」と言われる箇所です。リーダーのみなさんが、一度子どもたちの前で声を出して、読んで聞かせてほしいと思います。

    2.言葉の説明をする。(必要に応じて内容を調整なさってください)

    「イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ」
      →「向こう岸」は、弟子たちにとって知らない土地。あまり行きたくない場所。でも、それはイエスさまから与えられたチャレンジでした。
    「ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた」
      →1スタディオンは185m、長い時間苦労したのに、湖の真ん中までも行っていない距離。
    「イエスは湖の上をあるいて弟子たちのところに行かれた」
      →湖の上を歩かれる、とはイエスさまが神さまに等しいお力を持った方であることを表しています。
    「弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた」
      →旧約聖書には、度々、神さまに出会って恐れる人間の姿が書かれています。弟子たちも叫び声をあげるほどに恐れたのです。
    「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」
      →「恐れるな」・・・これこそが、神さまがくり返しわたしたち人間に語られるメッセージです。イエスさまも「恐れることはない」と弟子たちに言われたのです。
    「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」
      →ペトロは、水の上を歩く力が欲しかったわけではありません。ただ、イエスさまのそっちに行きたかったのです。そして、イエスさまが命令してくだされば、そっちに行けると思ったのです。
      →まるで子どものように、ペトロはイエスさまにお願いしています。そして、その願いをイエスさまは聞かれました。
    「イエスが『来なさい』と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ」
      →ペトロは、どこを見ていたのでしょうか?きっと、ただイエスさまの顔を見ていたと思います。初めて歩いた赤ちゃんが、お母さんの顔に向かって歩いたように、ペトロも歩いたのでしょう。
    「しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ」
      →ペトロは、はっと我に返って、イエスさまを見るのをやめてしまったかもしれませんね。そして沈みかけて、イエスさまに叫びました。
    「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
      →「疑う」と訳された言葉は、「心が二つに分かれる」という意味の言葉です。強い風に気がついても、イエスさまを見続けるように、イエスさまはおっしゃっているのではないでしょうか。
    「本当にあなたは神の子です」
      →イエスさまが、本当に一番なのだと、心からそう分からせていただいたのです。

    3.こどもたちに質問する。

     ペトロは、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」と言いました。
     
    「ペトロは、どうして、『わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください』と言ったのだろうか」(補助質問)

      →どうしても、イエスさまのところに行きたかったから。
      →イエスさまみたいに、自分も水の上を歩いて行きたかったから。
      →イエスさまなら、お願いを聞いてくれると思ったから。

    こどもたちはすぐ、上のような答えをするかもしれませんし、全くわからない・・かもしれません。
    いつものことですが、無理に答えを出そうとしなくてよいと思います。
    まず、どんな意見も「そうかもしれないね」と、答えてくれたことを大切していただいたらいいと思います。
    おそらく、意見を大別すると
      1)ペトロのあこがれ、望みの強さ、
      2)イエスさまへの信頼と期待
    になるのではないかと思います。

    一度リーダーの皆さんが、
    「(ペトロが「わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と言ったのは)、どうしても、イエスさまの方に行きたかったから、そして、イエスさまなら、その願いを聞いてくれると思ったから、かもしれないね」
    とまとめていただければと思います。

    そして、更に問いかけていただきたいと思います。(これが主質問です)

    「ペトロは、イエスさまに『来なさい』と言われて、水の上を歩き始めたのに、どうして沈みかけてしまったのだろう?」(主質問)

     →強い風に気がついて怖くなったから
     →やっぱり無理と思ったから
     →「来なさい」って言われたのを、忘れちゃった

    この問いについても、こどもたちはすぐ、上のような答えをするかもしれませんし、全くわからない・・・かもしれません。
    ここでも、無理に答えを出そうとしなくてよいと思います。
    まず、どんな意見も「そうかもしれないね」と、答えてくれたことを大切していただいたらいいと思います。 

    4.リーダーが子どもたちに、教える・伝える

    最後に、子どもたちに次のように話していただければ幸いです。
    「ペトロはイエスさまに、『水の上を歩いてそちらに行かせてください』とお願いしました。それに対してイエスさまは『来なさい』と言われました。」

    「みなさんにも、いろいろな『望み』や『あこがれ』『夢』や『希望』があると思います。それはみな、神さまが、皆さんの中に創ってくださったものです。」「だから。神さまはその望みや、あこがれのなかから、みなさんに『来なさい』と呼びかけておられます。」

    「だから、どんな時でも『来なさい』という神さまの呼びかけを信じて歩めたらいいですね」

    *もし、リーダーのみなさんに、『来なさい』という呼びかけを見失って、沈みかけてしまった経験があるなら、また、困難があっても『来なさい』を聞き続けた経験があるなら、子どもたちに話してあげてほしいと思います。リーダーの内的な体験であれば、皆、必ず真剣に聞くはずです。

    5.イエスさま(神さま)に手紙を書く

    今日の福音を受けて、子どもたちに手紙に書かせていただきたいと思います。

    ◆「イエスさまに(神さまに)、お手紙を書こう」
     ・イエスさまに(神さまに)、自分の夢、あこがれていること、自分が望んでいることを、手紙に書いてお話ししてみよう。
     ・それ以外の内容でも、イエスさま(神さま)に聞きたいこと、話したいことがあったら、自由に書いてください。  
     ・イエスさま(神さま)は、皆さんが真剣に書いたことには、真剣に答えてくださいます。
     ・だから、本当に真剣に、誰にも内緒で、書いてみましょう。
     ・名前は書かなくていいです。

    *手紙の形に書かせてください。教区の「こどものミサ」の時に、奉納します。
    *できればリーダーも一緒に書いていただくと、子どもたちもより一生懸命に取り組めると思います。
    *子どもたちが書いた手紙は、奉納物の「舟」の中に入れるようにしてください。舟と一緒に奉納することになります。

    3.当日持参していただきたいもの(奉納物の製作)の説明

    今回の奉納は、小教区(聖堂共同体)ごとに、1.「信頼と希望の舟」(後で詳述します)と2.「イエスさま(神さま)への手紙」を奉納していただきます。
    2.「イエスさま(神さま)への手紙」は、1.「信頼と希望の舟」の中に納めてください。一人の子どもが運べるような物にお作りください。(当日持ってきてください)
     
    製作していただく奉納物については、当日のスムーズな進行のため、ある程度の制約をこちらで決めさせていただきました。ご協力のほどよろしくお願いします。

    1.「信頼と希望の舟」

    今回は、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と言ったペトロの「あこがれ」と「望み」に対して、「来なさい」と言われたイエスさまへの信頼を、形に表したいと考えました。舟(教会の象徴)にこどもたちの「夢」と「あこがれ」と「希望」を一杯に載せた、「信頼と希望の舟」を作り、奉納していただきたいと思います。

    以下の要領で、各小教区で「信頼と希望の舟」をお作りください。

    個数:小教区毎に1個

    機能:「信頼と希望の舟」は、カテドラルの祭壇の前の階段に置きます。倒れてしまうと、見えなくなってしまうので、自立するもの、にしてください。
    大きさ:高さは、30センチはあるものにしてください。(その程度の大きさがないと、皆から見えないため)舟の幅は、38センチ以下(祭壇の前の階段に置くため:38センチは階段の幅です)でお作りください。
     (ただし子ども一人で持って奉納できる大きさ・重さ以下(厳守))
    材質:可燃物でお願いします
    特に、当日持ち帰りを希望されない教会の奉納物は、教会学校委員会で適切に後処理を行いますので、金属、粘土などではないもので作って頂きますようお願いします。)

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    作り方について
    ・特にありませんが、前述したように、全体の高さが、30センチはあるものにお作りください。
    ・こどもたちの「夢」と「あこがれ」と「希望」を、自由に表現いただきたいと思います。
    ・自立する形にお作りください。

    2.「イエスさま(神さま)への手紙」

    ◇子どもたち(一人ひとり)に、イエスさまへの手紙を書かせてください。
    ・今回の内容は、自分の夢、あこがれていること、自分が望んでいること、です。
    ・手紙の紙質、大きさや色などについて、特にきまりはありません。
    ・ 手紙の内容については、「2.ミサまでに行なっていただきたいカテケージス(教え)」を参照してください)
    ◇書いた手紙は、1.「信頼と希望の舟」の中に納めてください。舟と一緒に奉納していただきます。

    ※尚、ミサ後、「信頼と希望の舟」を持ち帰る希望の方は、ミサ終了後、手紙だけ取り出して、こちらが用意した箱の中に、奉納してからお持ち帰りいただきます。取り出しやすい形にお作りください。

     
    奉納物&手紙の奉納
    ◇「奉納物(舟)(手紙)」はミサの中で奉納します。
    各教会1名の代表者(厳守)が、中央通路を通り、祭壇まで進みます。そして司教様に手渡します。その後、係が奉納物を並べていきます。(※例年奉納の行列が長くなってしまうので、代表者は必ず1名でお願いします。)
    ・ 「奉納物」を持ち帰りたい教会は、ミサ当日に会場の受付で申し出て下さい。ミサ後、手紙だけ取り出し、こちらが用意した箱の中に奉納ください。(手紙はこちらで預かり、適切に処理をさせていただきます。)
     
    以上、説明が大変長くなりましたが、よろしくお願いいたします。
    ご質問等ございましたら、下記お問い合わせ先までご連絡ください。

     

    問い合わせ先:
    東京教区 教会学校委員会 担当司祭
    稲川圭三神父(カトリック麻布教会 主任司祭)
    電話: 03-3408-1500
    fax: 03-3408-2575
    e-mail: keizo.ina@nifty.com