聖母の被昇天・平和を願うミサ

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    聖書朗読箇所

    第一朗読 黙示録11・19a,、12・1-6、 10ab
    第二朗読 一コリント15・20-27a
    福音朗読 ルカ1・39-51

     

    ホミリア

    第一朗読は黙示録です。古代ローマ帝国がキリスト教を迫害している中、迫害されている信徒を励ますために書かれたのが黙示録です。今は、どうしようもない悪の力が猛威を振るっているが、この悪の時代はいつか終わる。いつか必ず神の勝利が表される、そう語って、迫害のさなかにいるキリスト信者を励ますために書かれた文書です。ただ、それをストレートに語ることはできないので、すべてを象徴的な言葉で語っているのです。

    今日の箇所、12章に一人の女が登場します。この女性は12の星の冠をかぶっています。12の星はイスラエルの12部族、そしてイエスの12人の使徒を連想させます。この女性は神の民である教会のシンボルのようです。悪のシンボルである「竜」が女に襲いかかろうとします。「竜」は教会を迫害するローマ帝国のイメージなのでしょう。

    5節に「女は男の子を生んだ」とあります。そして「この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた」とあります。これはやはりイエスのことでしょう。だとしたら、この女性の姿はイエスの母である一人の女性、マリアの姿とも重なってきます。「子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた」と言いますが、その前には本当は十字架の受難と死があります。イエスの母マリアは一人息子を十字架で殺された母なのです。

    この女性は、一方で教会のシンボルでもあり、一方でマリアさまのことでもある。不思議な仕方で描かれているのですね。

    女は荒れ野に逃げ込みます。そこは神に保護される場所です。非常に厳しい状況ですが、それでも神は女を見捨てず、守り続けてくださいます。

    今日の箇所では省略されていますが、天において、天使ミカエルと竜との間の闘いがあり、神の勝利が天で宣言されます。さらにその続きがあって、竜は地上に投げ落とされ、さらに女を攻撃しようとします。そして竜の怒りは、女だけでなく、女の「子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たち」(17節)に向かいます。ここには教会の母、わたしたちの母であるマリアのイメージが出てきています。試練の中でわたしたちとともに試練にあい、試練に耐えるマリアの姿。苦しみの中で、苦しむ子どもたちと苦しみをともにし、支えとなってくださる母の姿です。

    福音はマリアのエリサベト訪問の場面とそこで歌われたMagnificat(マニフィカト)と呼ばれるマリアの賛歌です。救い主を身ごもったマリアは洗礼者ヨハネを身ごもっている親類のエリサベトを訪問しました。お互いのうちに神の救いの計画が始まっていることを確かめ合いながら、神に向かって賛美と感謝をささげます。この賛歌の特徴は単なる個人的な感謝と賛美を超えて、貧しい人、身分の低い人、苦しむすべての人と連帯して神に救いをよろこびたたえる賛歌であるということです。

    「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
    権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
    飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」

    マリアさま、ちょっと過激過ぎませんか? そう言いたくなるほど、苦しむすべての人とつながっているマリアの姿がここに表れています。

    マリアはわたしたちとつながっています。それこそ、被昇天のマリアの特徴です。「マリアが天に上げられた」というとき、それは決してマリアだけの栄誉の問題ではないのです。今日の第二朗読にあるように、わしたち皆が罪と死の支配から解放されて、最終的にキリストの救いに完全にあずかるものとなる。その先駆けとして、第一人者として、マリアは天に上げられた。教会は次第にそう信じるようになったのです。

    第二バチカン公会議の『教会憲章』には、こういう言葉があります。

    「キリストに次いでもっとも高く、またわれわれにもっとも近い位置を占めるマリア」(LG54)

    これこそが被昇天のマリアなのです。

    先日、ある集会で「安保関連法案に反対するママの会」の方がお話しされたのを聞きました。話のおわりのシュプレヒコールが心に残りました。普通、シュプレヒコールと言うと「戦争法案、絶対反対」「9条壊すな」「安倍政権は即時退陣」とか固い言葉で要求を述べる。叫ぶ。ところがそのママさんは普通のような話し方で「ママは戦争しないと決めた」と言いました。最初、参加者は皆、それがシュプレヒコールだとは気づきませんでした。でも、気づいてみんな答えるようになりました。

    「ママは戦争しないと決めた。」「ママは戦争しないと決めた。」

    「パパも戦争しないと決めた。」「パパも戦争しないと決めた。」

    「みんなも戦争しないと決めた。」「みんなも戦争しないと決めた。」

    「70年間決めてきた。」「70年間決めてきた。」

    「だれの子どもも殺させない」「だれの子どもも殺させない」

    これは訴えや主張というよりも、決意表明だと感じました。子どもを持つ者として、いのちを守り育む者として、絶対にこれだけは譲れない。そういう決意がこの言葉に込められているのです。

    今日、おとめ聖マリア被昇天の祭日を迎え、この決意表明は、聖母マリアの決意表明でもあるとも感じています。「被昇天のマリア」――キリストの救いに完全にあずかり、天の栄光に挙げられたマリアは、同時にわたしたちの母として、わたしたちすべてのいのちを見守ってくださるマリアです。一人の人間が苦しめば、自分も苦しみ、一人の人間が殺されれば、自分も槍で胸を貫かれる。一人息子を十字架で殺されたマリアは、すべての人の母として、数知れぬ子どもたちを戦争によって殺されてきたマリアでもあります。そのマリアは、わたしたちの中にいて、今、「だれの子どもも殺させない」と固く心に誓いながら、祈ってくださっているのではないでしょうか?

    聖母マリアの平和への祈り、いのちへの祈りに心を合わせて、今日、祈りましょう。

    戦争で亡くなったすべての人が神のみもとに受け入れられますように。亡くなったわたしたちの先祖や家族が神のもとで安らかに憩うことができますように。本当にすべての命が尊重される世界が実現しますように。憎み合い、殺し合う世界から解放されて、平和な世界が実現しますように。