使徒ヨハネ宮内薫行神父通夜の祈り

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    使徒ヨハネ 宮内薫行(みやうち しげゆき)神父 通夜の祈り
    1920.2.24生 1955.12.21司祭叙階 2014.7.30 帰天 (94歳)

     

    2014年8月4日 東京カテドラルにて

     

    聖書朗読 ヨハネ14・1—6

     

    ホミリア 

    宮内薫行神父は、1994年9月、関町教会主任司祭の職を退いた後、「司祭の家」で過ごされるようになりました。そして4年前から新しくできた「ペトロの家」に移られました。引退司祭としての生活はちょうど20年ということになります。若い頃から病気がちで、ずいぶん苦労されたそうですが、この20年間は比較的静かな生活だったと思います。お好きな読書三昧の生活のようにお見受けしていました。わたしがこのカテドラル構内で住むようになってから接していても、健康状態も比較的よく、おだやかな日々を過ごしておられたと思います。一時期は、「人生の中で今が一番健康」ともおっしゃっていました。

    何年か前から、腎臓の機能が低下し、認知機能の衰えも見られるようになりました。年齢なども考えて、人工透析はしないことになり、次第に体のむくみが大きくなりました。時間が非常に不規則になり、いろいろな意味で生活上の支障が出てきました。それでも最後まで、歩いて食堂に来られていました。傍から見ていると辛そうなのですが、「具合はいかがですか」と聞いても、いつもほとんど「別に」「大丈夫」との答え。いろいろお世話をされるのがお嫌で、看護師などは何度も「うるさい」と何度も言われたそうです。

    7月30日水曜日も、午前中、一人で歩いて食堂まで来られ、朝食をとられました。部屋に戻ったところで、11時頃に看護師がバイタルチェックに行き、血液中の酸素濃度が下がっていて、上がる様子がないので、救急車で聖母病院に行くことになりました。いざという時には連れていく約束になっていたのです。「聖母病院に行きますがよろしいですか」とお聞きすると「どちらでも」とおっしゃいました。これは「行ってもいい」という意味なのです。聖母病院では、酸素吸入等の処置で状態は改善し、わたしは司教館に戻りましたが、午後、電話があり、万が一のことを考えて、病者の塗油の秘跡を受けたほうがよいかもしれないとのことでした。そこで病院のチャプレン、バレンタイン・デ・スーザ神父にお願いして病者の塗油の秘跡を授けていただくことにしました。弟さんご夫妻も駆けつけましたが、状態は安定したように見え、お話もでき、ご夫妻はお帰りになりました。その後、病状が急変し、わたしが連絡を受けて駆けつけたときには、もう心臓が止まっていて、夜8時27分に死亡が確認されました。病名は慢性腎不全でした。あまりに急なことでとても驚きました。前の週、7月25日にはペトロの家の納涼会がありましたが、その時は中庭で楽しそうにお話もできたのです。しかしとにかく、ギリギリまでまでペトロの家で過ごすことができて良かったと感じています。

    宮内神父は、1920年2月24日のお生まれでしたから、今年で94歳になられていました。17歳のとき、高円寺教会で洗礼を受けられました。戦争中は軍隊にも行き、戦後はカトリック学校の先生をしていましたが、司祭の道を志し、神学校に入学。1955年に司祭叙階を受けました。いくつかの教会の助任司祭を経て、町田教会、関口教会で主任司祭として働かれました。

    その後、司教館で司教総代理という仕事をなさいました。東京教区の補佐司教であった濱尾司教が横浜司教になって転出され、森司教が補佐司教になるまでの間でした。司教総代理は、神学生の養成担当司祭の責任者でもあります。わたしがちょうど神学生だった時期と重なっていましたので、たいへんお世話になりました。わたしが司祭になって数年後、関町の神学校のモデラトールになったころ、宮内神父は関町教会の主任司祭で近くにおられたので、そこでも関わりがありました。今でもよく覚えていることがあります。突然電話がかかって来たのです。そのとき宮内神父は新しく出た神学の本を読んでいて、「ここにこう書いてあるが、どういうことだろう」と電話で聞いてくるのです。別にわたしをテストするつもりではないようで、本当に率直に疑問を感じて電話して来られたのです。ずっと勉強する姿勢を持ち続けておられました。そのことはとても印象的でした。とにかく誠実、忠実に司祭として生きた方だと思います。

    亡くなられて、お部屋に入ったとき、机の上に、幼いイエスの聖テレジア(リジューの聖テレーズ)の写真がありました。いつもそこに置いていらしたようです。

    テレーズは19世紀の後半、カルメル会修道者として生き、若くして亡くなったフランスの女性です。1925年にピオ11世教皇によって、列聖されました。宮内神父は、病弱だったテレーズと自分自身を重ね合わせていたのでしょうか。テレーズは24歳で亡くなりました。宮内神父は94歳まで生きているのですが、でもどこかで自分とテレーズを重ね合わせていたのではないかと思います。

    テレーズという人には多くの夢がありました。宣教師になって世界の果てまでキリストを伝えたいという夢、司祭になってキリストの聖体を人々に与えたいという夢、さらに殉教者としてキリストのためにいのちをささげたいという夢。でも現実の彼女は、観想修道院の中にいる病弱な修道女でしかありませんでした。そして彼女は「小さな道」を発見します。大切なのはどれだけ偉大なことをするかではなく、どれだけ自分が小さくなり、幼子のようになって、ひたすらすべてを神に委ねきるかだ、ただ愛する心を持つことだ。神のこころにかなうのはそれだということ、これがテレーズの発見した「小さな道」でした。

    宮内神父はご自分もずっとこの「小さな道」を歩もうとされたのではないかと思います。その道を歩み通されて、今はもう、神のもとに行かれました。イエスが皆に先立って行った神への道、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」とおっしゃるイエスの後をついて、天の永遠の国に行かれました。

    宮内神父の生涯を偲びながら、94年の生涯をとおして神が与えてくださった恵みに感謝しましょう。神が宮内神父のいたらなかった点をゆるし、ご自分のもとでの永遠の安息を与えてくださるように祈りましょう。そして、わたしたちもまた、道であるキリストに結ばれ、それぞれの「小さな道」をとおって、神のもとへの旅路を誠実に歩み続けることができるように祈りましょう。