平和旬間 平和を願うミサ

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    2010年8月8日 立川教会にて

    第一朗読 イザヤ2:1~5
    第二朗読 ローマ12:14~18、21
    福音朗読 マタイ26:47~52

    個人的な話で申し訳ないのですが、わたしの名前は和生と言います。「平和の和に、生きる」と書きますと言うと、「いい名前ですね。まるで司教になるために生まれてきたような名前ですね」と言われたりします。

    なぜわたしの名前が和生なのか。子どものころ、母親に聞いたことがあります。わたしは次男で、兄の名前は「行生」と言います。長男が生まれたとき、祖父はたいへん喜んで、姓名判断の先生に頼んで、よい「画数」を教えてもらい、いろいろ考えた末に「行生」という名前に決めたそうです。次男のときには祖父はもう孫の名前を考えませんでした。そこでわたしの両親は、下は兄と同じ「生」にして、上だけ変えて「和」を付けたそうです。それで「和生」になったわけです。安易ですね~。なぜ上が「和」なのか?それはわたしが生まれたのが、ちょうど戦後10年目のことで、この子が大きくなってもずっと平和が続きますように、そういう願いを込めて「平和」の「和」を付けたのだそうです。そう親から聞かされたとき、子どもごころに、やっぱり長男のほうが大切にされてるんだ、と思いました。

    しかし、今になってみると「和生」でよかったと思っています。わたしの両親が自分の息子だけの幸せを考えたのではなく、世界の人々の平和を願ってこの名前を付けてくれたことをちょっと誇りにも思えるようになりました。

    今から55年前のことです。戦後10年がたっていましたが、あの悲惨な戦争の記憶は父の中にも、母の中にもありました。だからこそ絶対に二度と戦争をしてはいけないという思いが強くあったのです。それが普通の日本人の普通の感覚だったのでしょう。その思いから、今のわたしたちはどれほど遠くにきてしまったでしょうか。

    いつの間にか、「国家の安全保障」という言葉が当たり前に使われています。それは日本の安全を守るために自衛隊と武器をきちんと備えましょう、という考えですね。それは絶対に戦争しないということではなく、いざとなればその軍事力を使うということですね。それだけではありません。軍隊と戦争によって苦しめられてきた沖縄の人々の心を無視して、「沖縄の米軍基地は日本の安全保障のために必要だ」と当たり前のように言われます。核兵器を否定しているはずの日本で「核の抑止力は必要だ」と平気で語られています。65年前の敗戦のときの思い、何があっても絶対に二度と戦争だけはしてはいけないという思いから、どれほど遠くなってしまったことでしょうか。

    わたしは先週はじめて、広島の原爆の日に広島に行きました。東京教区の青年・中高生の小さなグループと一緒でした。もっと大勢集まるかと思ったのですが、やはり東京からは広島は遠いですね。行ってみて感じたことは、距離が遠いというよりも、心理的に遠いということでした。広島や長崎の人々が一生懸命、核兵器の恐ろしさを訴え、核兵器の廃絶を訴えているのに、それは東京の人間からすると、どこか遠い地方都市の問題のようになってしまっているのではないか。いつのまにか、日本が被爆国だというよりも、「ヒロシマ」「ナガサキ」が被爆地だということになってしまって、遠い話にしてしまっているのではないか。すごく反省させられました。

    「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」

    これが神の約束です。いつか本当に武器や兵器によらない平和が訪れる。それは65年前の敗戦のとき、多くの人がほんとうに信じた約束ではないでしょうか。そのことの実現に向けて歩み始めようとした約束だったのではないでしょうか。それがいつの間にかとても遠くなってしまって、みんな諦めかけているのではないでしょうか。

    「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」

    パウロがすべてのキリスト信者に向けた切実な勧めの言葉です。

    「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」

    これがイエス・キリストがいのちがけで語られたみことばです。

    遠い理想論じゃなく、この言葉を本気で信じて歩んでいきましょう。

    5年前、戦後60年にあたって日本の司教団は「非暴力による平和への道」というメッセージを出しました。そして、この「非暴力による平和」が今年の東京教区の平和旬間のテーマにもなりました。特別に今年、「核兵器のない世界」への願いを込めてそうなったのです。核兵器や軍事基地によって平和を作るのではなく、国籍や民族や宗教の違いを超えた人と人との心のつながりを作り、愛と共感の輪を広げる中で平和は実現していく、その思いを新たにしましょう。先ほど聞いた近藤西紀さんの話のような、世界の貧しい人々とともに生きる活動は、そういう意味で本当に平和を作る活動だと言えます。

    世界の中の貧しい人々の現実を遠いものにしてはいけない。戦争犠牲者の苦しみを遠いものにしてはいけない。今もものすごい数の人々が戦争やテロで殺され、傷つけられ、苦しみ続けています。そのことを少しでも身近に感じながら今日、平和のためにご一緒に心を合わせて祈りたいと思います。