東京カテドラル献堂記念ミサ説教

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    2010年8月8日 立川教会にて

    今日のミサは東京カテドラル聖マリア大聖堂献堂記念のミサですが、同時に「無原罪の聖マリア」、もっと正確に言えば「おとめ聖マリアの汚れなき御宿り」の祭日のミサです。マリアさまのことを思うとき、わたしはいつも相馬信夫司教のことを思い出します。相馬司教はもともと東京教区の司祭でしたが、1969年に名古屋の司教になり、正義と平和協議会などで活躍され、1997年、81歳で天に召されました。

    わたしが神学生だったころ、月に一度「静修」という黙想の日がありました。神学院の外から講話の講師を招くこともあり、相馬司教をお招きしたことがありました。そのお世話をする係がたまたまわたしになりました。

    「正義と平和の話をしようか、それとも、マリア様の話をしようか」講話の始まる前に相馬司教は係のわたしに尋ねました。びっくりしました。ぜんぜん話の準備していないということでしょう。「何の準備もなく講話をすることができるというのは、さすがに司教様だ」と感心する思いと、「全然準備なしに話すなんて、なんといい加減な」という思いと、両方ありました。もちろん、「どちらでもかまいません」としか言いようがありません。そうしたら、相馬司教は「そうだな、正義と平和の話はいつもしているから、マリア様の話にしよう」とおっしゃいました。とにかく、わたしは内容にはまったく期待しないで、その講話を聞くことになりました。でも、それが30年後の今でも忘れられない話になったのです。

    相馬司教はこうおっしゃいました。

    「Ave Maria, gratia plena
    って、いい言葉ですね。めでたし聖寵満ち充てるマリア。『あなたは恵みで満たされているんだよ』この言葉は、マリア様にだけ言われたんじゃなくて、わたしたちみんなに言われていると思ってみてください。そう思ったらすごくいい言葉でしょう。そしてさらにDominus
    tecum(主、御身と共にまします)。これもわたしたちにも言われている。だとしたらすごいことじゃないか。本当にうれしくなりますね」

    「めでたし、聖寵満ち充てるマリア。主、御身と共にまします」

    わたしはそれまで、この言葉を自分に向かって言われている言葉だと感じたことは一度もありませんでした。だからすごく新鮮でした。でも本当にそう思ってみると、やはりすごいことですね。

    今の聖書の訳では「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」

    祈りの言葉では「恵みあふれる聖マリア、主はあなたと共におられます」

    相馬司教は、マリア様に対してすごい親しみを感じていて、それで、そのマリアに対する天使の言葉を自分に向かって言われているのだと受け止めるようになったのでしょう。さらに言えば、彼がかかわっていた、東チモールやいろいろな国で人権を抑圧された人々、圧迫された貧しい人々に向かっても、天使は同じように言ってくださっているはずだ、相馬司教はそう感じていたのではないでしょうか。

    今日、マリア様の無原罪の御宿りを祝っていますが、「無原罪」というのは、言葉を変えて言えば、「Gratia plena(恵みに満たされている)」ということです。マリア様はその生涯の最初から「恵みに満たされていた」それが聖マリアの無原罪という教えです。マリア様が「恵みに満たされていた」からそのマリアから生まれたイエスが神の子だというのではありません。逆です。神の子イエスを産んだ方だから、キリストの救いを最初から受けていた、だから「恵みに満たされていた」ということです。

    だから本当はマリアさまだけが「恵みに満たされていた」というのではないのです。キリストの救いにあずかっている、という意味で、わたしたちも皆「恵みに満たされている」のです。「恵みに満たされている」というのは教会の本来の姿であり、それを典型的に表すのがイエスの母マリアなのです。

    エフェソ書5章27節の言葉で言えば、「しみも、しわも、汚れもない」教会の本来の姿。それをマリア様の中に見るのが、今日の祭日の意味です。

    現実のわたしたちの教会はどうでしょうか。カテドラル献堂45周年、2年前に大改修工事も行って、外見はきれいになっています。でもやっぱり内側には「しみや、しわや、汚れ」がいっぱいあるというのがわたしたちの教会の悲しい現実でもあります。だからこそ、わたしたちはいつもいつもキリストの救いの原点に立ち返りたいのです。神だけが、キリストだけが、わたしたちを「しみも、しわも、汚れもない」者にしてくださいます。

    「おめでとう、恵みに満たされた者、主があなたと共におられる」この言葉を今日、あらためてわたしたち一人一人に向けられた言葉として受け取りましょう。そして、その原点に立ち返って、わたしたち東京教区の教会が、司教をはじめ、司祭・助祭・信徒・修道者みなが一つになって、罪と悪の力に打ち勝つことができますように、キリストの体である共同体として成長していくことができますように、心から祈りたいと思います。