タルチシオ 菊地功大司教着座式朗読個所・説教

2017年12月16日、東京カテドラル聖マリア大聖堂

[聖書朗読箇所]

 

説教

ヨハネの福音の冒頭の部分が読み上げられました。

「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は光ではなく、光について証しするために来た。」(ヨハネ1・6-7)

洗礼者ヨハネ自身は、光ではなく、光を証しする人でした。いまのわたしたち日本の教会の使命も。この洗礼者ヨハネの使命を遂行することではないか、と思います。わたしたち自身は光ではありません。光を受けて光をあかしすべきものなのです。

今あらためてこれからの日本の教会の宣教mission・福音化evangelizationの使命に思いを馳せます。

1549年、聖フランシスコ・ザビエルが日本に福音を伝えてから今年で468年が経過しました。多くの立派な優れた福音宣教者が日本の宣教mission・福音化evangelizationのために献身してきました。

しかしながら今の日本の状況はまだまだ遠い道のりを歩んで行かなければならないと感じています。まだ旧約聖書から新訳聖書に移行する期間に留まっているように感じます。まさに今こそ、丁寧に、誠実に、洗礼者ヨハネの役割を果たしながら、喜びの福音であるイエスの姿を現し伝えていかなければならないのではないでしょうか。

1987年、日本のカトリック教会は、第一回福音宣教推進全国会議(The National Incentive Convention for Evangelization)いわゆる「NICE-1」を開催し、「開かれた教会づくり」を目標に掲げました。

誰に対して開かれなければならないのか、と言えば、それは、貧しい人々、弱い立場の人人々へ開かれていなければならない、ということです。

主イエスは罪人とされて、蔑まれている人々、病気・障害に苦しむ人々、差別されている人々の友となりその仲間となりました。わたしたちは主イエスにならい、自分の弱さ、罪深さを知る者に優しい教会でありたいと願います。心身の病気、不自由に苦しみ悩む人々のよりどころ、安らぎとなる共同体でありたいと願います。行き暮れ迷い、生きがいを失っている人々の友となり励ましとなりたいと願います。

多くの人が孤独であり生きる意味を見失っています。誰でもその人として大切にされ尊敬される交わりを築き広げていきたいと願っています。

教会は敷居が高い、行きづらい、入りにくい、行ってみたがだれも相手にしてくれなかった、などの声を聞くのは辛いことです。どなたもどうか来てください、歓迎します、という様子と態度が見える、そういう教会共同体になりたいものです。

実にいろいろな人が救いを求めています。それは具体的な統計、自殺者の統計に現れています。ここにわたしたちが心して受け取るべき日本の社会の事実があります。それは若い人の死因に付いてです。なんとその第一位が自死(自殺)であるということです。15歳から39歳の世代の死因の第一は自殺という統計があるのです。

これは非常に残念で悲しい報告です。わたしたち宗教者はこの問題にどう答えたらよいでしょうか。この事実を改善するために日本のカトリック教会は全力を尽くし、そのために祈りをささげなければなりません。

さてわたしたち教会の使命は、キリストの光を受けたキリストを指し示すしるし、また聖霊を受けたキリストの体となる、ということです。キリストの体にはいろいろな部分がありいろいろは働きがあります。すべてはキリストおいて一つの働きにまとめられるのです。今日の聖書朗読で使徒パウロは驚くべき言葉をわたしたちに残しました。

12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。(ローマ12・10)

わたしたちの間でこのパウロのことばはどのように実行されているでしょか。お互いに仲間の欠点を指摘し、貶しあっている、ということはないでしょうか。もっと互いに相手の長所・美点を評価し合い、その人の役割と使命を認め、互いに尊敬し合うようにしたいものです。

実際、この言葉の実行は容易ではありません。既に新約聖書のコリントの信徒の手紙一が告げているように、コリントの教会の中に、分裂と対立がありました。(一コリント1・10-17)

また福音書が告げているように12人の弟子たちすら、自分たちの中で誰が一番偉いのか、ということが彼らの大きな関心事でした。(マルコ9・33-37、マタイ13・1-5、ルカ9・45-48参照)

他方、教会の外の人が、初代教会の信者たちを見て「なんと彼らは互いに愛し合っていることか」と感嘆の声を上げていた、とも伝えられているのです。まさにこれは次の使徒ヨハネの言葉が実行されていたことをも想起させます。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネ13・34-359

教会はキリスト信者の愛の証しによって成長し発展してきました。

いわば現代の荒れのような現代の日本の社会の中で、生きづらさに苦しむ人々の目に、わたしたちが互いに助け合い愛し合い赦しあって仲良く生きている様子が伝わるならば、これにまさる宣教・福音化はない、とも言えるでしょう。

慈しみ主イエスよ、聖霊の注ぎを通して、あなたにならって神の慈しみを日々実行する恵みを、どうかここに集うわたしたちにお与えください。アーメン。

第一朗読 ローマ12・2―10

(12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。)

12:2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

12:3 わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。

12:4 というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、

12:5 わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。

12:6 わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、

12:7 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、

12:8 勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。

12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、

12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。

 

 

福音朗読 ヨハネ1・1-181:1

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

1:2 この言は、初めに神と共にあった。

1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。

1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。

1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。

1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」

1:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。

1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

1:18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

 

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