灰の水曜日説教

東京カテドラルにて

[聖書朗読箇所]

説教

灰の水曜日の福音を読むと、マザー・テレサの「解放の祈り」という祈りが心に浮かんできます。

イエスよ、わたしを解放してください。
尊敬されたいという望みから、愛されたいという望みから、
名誉を得たいという望みから、称賛されたいという思いから、
他の人より好かれたいというという望みから、
相談されたいという望みから、
認められたいという望みから、人気者になりたいという望みから、
侮辱されるという恐れから、軽蔑されるという恐れから、
非難されるという恐れから、中傷されることへの恐れから、
忘れられることへの恐れから、誤解されるという恐れから、
嘲笑されるという恐れから、疑われるという恐れから。*

マザー・テレサは主イエスに願いました。それは、他の人から評価されたい、重んじられたい、という思い、人から認められたい、尊敬されたいという思いから解放してください、と祈ったのでした。(「望む」・「思い」という訳の原文はdesireです。「欲望」と訳したほうがいいのかもしれません。)

さらにまた、「恐れ」から解放してほしいと願っています。どんな恐れかといえば、馬鹿にされること、蔑まれること、見下される、ということへの恐れなのです。

誰でも自分が可愛い。これは非常に根深い思いです。

しかしそのような自分自身への思いを後にし、自分を無にしてまでこのわたしを大切にし、大事にしてくれた、という誰かとの出会いの体験が人を救うのだと思います。

イエスは神に等しい者であるのに自分を無にし、無であることに徹して死んだのでした。イエスの弟子たちはイエスの十字架の死と復活の神秘に出会って、この神の思いを強く感じたのだと思います。

自己中心である人間にとってこのような愛の実行は難しいことですが、決してできないことではないと思います。わたしたちはそのようにしていただいた体験を多少とも持っていることです。そのおかげでわたしたちは主イエスを信じ、キリスト者として歩んできました。

今日のマタイの福音ではイエスは律法学者やファリサン人を「偽善者」として痛烈に非難しています。

彼らの心は名誉欲で一杯です。自分がどんなにか善行を積んでいるのか、どんなによく祈り、断食に励んでいるのか、ということを、これ見よがしに見せびらかしているのです。彼らの行う施し、祈り、断食は人の称賛を得るための演技に過ぎません。

イエスはその偽善性を強く非難していますが、それではわたしたちは大丈夫でしょうか。わたしたちの心の中には、人の評価を求める強い欲求が潜んでいないでしょうか。

他方、すこしでも自分にとって否定的な反応を受けるとすぐに傷ついてしまう、という自己中心の自分がいます。

イエスは言われました。

「返してもらうことを当てにして貸した所で、どんな惠があろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高きかたの子となる。」(ルカ6・34-35)

「返しを期待しないで貸す」という、この教えを実行できる恵みを祈り求めましょう。

*祈りの英語の原文は以下のとおりです。

MOTHER TERESA’S PRAYER
Deliver me O Jesus from the desire of being esteemed.
Deliver me O Jesus from the desire of being loved.
Deliver me O Jesus from the desire of being honored, and being praised, and being preferred to others.
Deliver me O Jesus from the desire of being consulted.
Deliver me O Jesus from the desire of being approved and popular.
Deliver me O Jesus from the fear of being humiliated, from the fear of being despised, from the fear of being rebuked.
Deliver me O Jesus from the fear of being slandered, from the fear of being forgotten, and the fear of being wronged.
Deliver me O Jesus from the fear of being ridiculed and suspected.
Amen.

 邦文は「マザー・テレサを語る」(早川書房)のpp.43-44の訳文をわたくしの解釈で一部修正したものです。

 

聖書朗読箇所

第一朗読 ヨエル2・12-18
第二朗読 二コリント5・20-6・2
福音朗読 マタイ6・1-6,16-18

(福音本文)

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。

だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。

施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。

あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。

あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

 

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