年間第31主日(司祭叙階40周年記念)ミサ説教

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2013年11月3日 午前10時00分 東京カテドラル関口教会にて

[聖書朗読箇所]

説教

今日の福音は、有名なザアカイの話です。ザアカイは徴税人の頭でした。支配者であるローマ帝国のために税の徴収を請け負っていたユダヤ人でしたので、同胞のユダヤ人から蛇蝎のように忌み嫌われていました。ザアカイ自身、非常に後ろめたい気持ちを持っていたと思われます。

他方、イエスは当時評判の人、人々の注目を集めていた英雄のような人だったと思われます。そのイエスから「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19・5)といわれたのですから彼は有頂天になって喜びました。「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」は、[今日はあなたの家に泊まることになっている]というように訳せます。そえは神の計画、神の御心である、と言う意味になります。罪人の頭のように思われているザアカイを神は愛し受け入れ彼に近づきます。人々から爪弾きされていたザアカイにとってそれは驚天動地の出来事でした。ザアカイは回心の決意を表明しました。それに対してイエスは言われました。

「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ19・9-10)

神は罪人を愛し、イエスを遣わして罪人を救われます。イエスは罪人を優しく受け入れ、罪のとげのある罪人を抱きしめ、癒し、罪人一人ひとりがどんなにかかけがえのない存在であるのかを示します。

イエスによって示されたこの神の愛は本日の第一朗読の知恵の書で非常にわかりやすく説明されています。

「全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ

  回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。

  あなたは存在するものすべてを愛し、

  お造りになったものを何一つ嫌われない。

  憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。

  あなたがお望みにならないのに存続し、

  あなたが呼び出されないのに存在するものが果たしてあるだろうか。

  命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、

  あなたはすべてをいとおしまれる。」(知恵11・23-26)

非常に明白な表現ですので説明は不要でしょう。

この信仰はしかし時として危機に瀕します。愛である神の造られた世界と人間に存在する悪と罪の現実はわたしたちの信仰に挑戦してきます。

わたしは最近しみじみ思うのは、罪人と罪、世界と悪の存在を分けて考えなければならない、と言うことです。よく[罪を憎んで人を憎まず]と言います。

わたしたちの敵は悪人ではなく、また罪人でもありません。わたしたちが戦うべき相手は[悪]です。「悪」とは自分の外の悪、自分の中の悪、そして何より悪の霊、悪霊、悪魔であります。

エフェソ書のなかで次のように言われています。

「わたしたちの戦いは血肉を相手にするものではなく、・・・悪の諸霊を相手にするものです。」(エフェソ6・12)

敵は誰かの人間ではなく悪の力、悪の霊、悪霊です。悪霊がわたしたちの信仰の敵なのです。悪霊と戦うためには神の武具を身に着けなければなりません。

「真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。」(エフェソ6・14-16)

悪霊の攻撃を防ぐ武器はまず信仰という盾です。神の言葉を学び、聖霊の助けを受けて絶えず根気よく祈り続けなければなりません。

信仰年がまもなく終了しますが、信仰の戦いは生涯続きます。

「わたしたちを誘惑に陥らせず悪からお救いください」という祈りはまことに大切な真摯な祈りであります。