東京大司教区

カトリック木更津教会

※新型コロナウイルス感染症防止のため、ミサや各種行事の時間が変更になっている場合があります。教会にお越しの際は、必ず事前にお問い合わせくださるようお願いいたします。

名称

カトリック木更津教会

教会堂名

聖コールマン

創立年月日

1952年

主任司祭

 ステファノ・ボナベントゥラ 加藤 英雄 (かとう ひでお) ※館山教会主任兼務

信徒数

457人(2019年12月31日現在) 

主日のミサ

日曜日 10:00
第2,4日曜日 14:00 (英語)

週日のミサ

月~土曜日 7:00
初金ミサ:第1金曜日 10:00

宣教協力体

安房・上総

講座

入門講座

随時希望により

聖書講座 

毎週金曜日 10:30

住所

〒292-0831 千葉県木更津市富士見3-1-13 [Google地図]

電話

0438-22-3873

Fax

0438-25-3623

ホームページ

http://catholickisarazu.com/

身障者設備

トイレ

交通案内

JR木更津駅西口より正面富士見通りを木更津港に向って徒歩12分。
【車でお越しの場合】
館山自動車道の木更津南インターを出て10分。 ※駐車場あり

歴史

木更津は、千葉房総半島の内房総の中央に位置する昔からの港町で、日本武尊が遠征のおり、荒れ狂う海を静めるため、身代わりとなって海中に身を投じた 妻の 弟橘姫を偲んで詠んだ句“君不去”が、地名の由来であると言われている。
 
木更津教会の基盤となる精神的歴史は、遥か遠く明治17年頃パリ外国宣教会伝道師ビイーグルース神父、カディヤック神父の房総伝道に遡る。川崎から帆船で木更津に上陸し、馬車と徒歩で房総を伝道された先哲の師のご苦労と、強靭なまでの信仰の深さによってその基盤が作られた。戦後の混乱期、木更津では進駐軍の蒲鉾兵舎が聖堂の時期もあった 。昭和26年(1951年)東京湾隣接地区埋め立て計画によりできた、木更津海岸埋め立て地に敷地が購入され、小さな仮の教会が建てられた。これが東京教区カトリック木更津教会の始まりである。 翌昭和27年(1952年)には、現在のマリア館に聖堂が作られた。その後 、赴任した司祭と信者たちの信仰と努力と、アイルランドの兄弟の暖かい寄付により、昭和30年(1955年)に、現在の聖堂が献堂された。

沿革

教会は古い商店街を抜けた所にある。正面の門を入ると、左手に、十字の柱がある平成9年に建てられた洋風司祭館、芝生の中庭をはさんで右手に、広い屋根に赤い瓦を頂いた木造平屋の聖堂、正門中央奥には、木造2階建ての旧クリストロア女子修道院、その左右に白い平屋の旧聖堂(現在は信者会館)と、子供たちの遊び場でもある庭のあるコールマン館がある。これが教会の全容である。
聖堂は、御影石の祭壇を中心に頂き、左に守護の聖人コールマン、右に幼子イエスを抱いている聖母マリア、聖堂の壁面には色彩ガラスがはめ込まれ、淡い光が差し込む素朴なまでの静寂な聖堂である が、木更津海岸から吹き上げる海風にさらされ、少々くたびれてきており、そろそろ新聖堂を建てようという声も聞かれるが、しかしアイルランド人の設計士によるその日本的なたたずまいは、教会を訪れる方々の何物にも代え難い心の支え、憩いの場である。教会は、約670名の信者数で、近隣には新日本製鉄君津製鉄所等があり、九州の福岡、長崎等から家族共度も共々転勤してきた方も多くおられる。統計によると、1973年の信者数は、266名でそれなりに増加はしているが、東京教区では小規模な教会といえる。

現状

主日のミサは、祈りも歌を中心としたもので、特にテゼの歌を沢山交えたミサは、この教会の特徴かもしれない。教会の活動は、夏の移動ミサ(蓼科高原)、秋のアガペーの集い(バザー)を中心に四季折々に合わせ活動している。教会が力を注いでいるのが、小学生・幼児の教会教育で、教会学校、幼児教室、20キロ離れた町に久留里カトリック幼稚園がある。2002年には教会献堂50周年を迎えた。
東京湾アクアライン(川崎-木更津間)開通により、東京教区内で最も海に近い教会で、今後信徒数の増加が期待されている。

どうぞ木更津教会においで下さい。
 
【資料:教区ニュース178号(2000年11月発行)より 】