イエズス会司祭叙階式説教

2017年9月23日

[聖書朗読箇所]

受階者
アロイジオ  大西 崇生(たかお)
ヨセフ    グエン・タン・ニャー
洗礼者ヨハネ ファン・デュック・ディン

説教

今日は、大変嬉しい、喜ばしい日です。
3人にとっては、その人生の中で、もっとも晴れがましい、もっとも喜びに満ちた、もっとも多くの人から祝福を受ける日になっているのではないかと思います。

さて、いま読まれました、叙階式のための福音は、主イエスのご変容の場面です。
ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子は、高い山の上で、主イエスが光り輝く、栄光の姿に変わる場面を目撃し、非常に感動いたしました。
この出来事は、イエスが受難に向かう、すぐ前のことであったと、福音書は伝えております。

主のご変容にあずかったのは、3人の弟子、今日叙階される人も3人。
なぜ、この場面が、今日の叙階式の福音朗読に選ばれたのか、3人に聞いたのですが、思い出せませんが、いわば、主の変容の栄光にあずかる日であると言っても良いのではないでしょうか。

さて、このご変容というのは、弟子たちに向けて、イエスが、これから、自分が受けるべき受難、十字架上の死、そして、復活という、神秘に満ちた出来事に、弟子たちが備えるように、あらかじめ、お示しになった出来事であり、変容の栄光は、主イエスの復活の出来事の前触れであると思われます。

3人は、今日、いわば、主の復活の栄光にあずかりますが、これは、ほんのしばらくの間のことで、しばらくは、お祝いの日々が続くのでしょうけれども、やがて、司祭としての任務を、忠実に遂行する日々、それは、日々祈り、日々黙想し、そして、日々、人々の声に耳を傾ける。毎日献げる、ミサのいけにえに、人々の献げ物と一緒に、自分自身の日々の犠牲、苦しみを献げるという日々が、毎日待っています。

司祭は、日々、人々と苦しみをともにし、悲しみを分かち合いながら、自分自身の問題と向き合い、そして、ときには、悩み、苦しみながら、自分の司祭の生涯を全うできるよう、多くの人に祈りを求め、そして、何よりもともにいてくださる、主イエス・キリストへの信仰を深める、そのような日々を過ごします。

「あなたがたは、キリストにおいて、人々を聖なる者とする務めを果たす者となります。
キリストの奉献はあなたがたの手を通して信者と共に祭壇の上で秘跡として祭儀のうちに献げられるのです。ですから自分の行うことをよくわきまえ、それを生活の中で生かし、主の死と復活の神秘を祝う者として、自分自身があらゆる悪に対して死んだ者となり、新しいいのちのうちに歩むように努めてください」。(叙階式儀式書より)

今日の第一朗読で、使徒パウロが、次のように教えています。
「キリストはすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分のために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。あなたがたは、日々肉において死に、霊において新たに生まれる、という生き方を、日々生き、そして、その生き方を、人々の前にあらわしていかなければなりません」。

「仕えられるためではなく、仕えるために来られ、失われていたものを探し求めて救いに導くために来られた、よい牧者キリストにならって、日々の生活を献げてください。人々に、謙遜に仕え、しかし、牧者としての務めである、教えるべき時に教え、糺(ただ)すべき時には糺すという務めを、どうか、立派に果たしてください。決して、「自分自身を養う牧者」のようであってはなりません。あなたがたは「弱い者を強め、病める者・傷ついた者を癒し、失われた者を尋ね求め、追われた者を連れ戻す牧者(エゼキエル34章参照)、主イエスにならって羊のためにすべてを献げるよい牧者となってください」。

みなさん、そのように、今日叙階される3人が歩むことができますようご一緒にお祈りいたしましょう。

聖書朗読箇所

第一朗読  コリントの信徒への手紙 二 5・14-20
なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。

 

福音朗読  マルコによる福音書 9・2-10
六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。

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