茂原教会国際ミサ説教

2017年7月23日、年間第16主日

[聖書朗読箇所]

今日は、年間第16主日でして、福音は、先週に引き続き、天の国(神の国)のたとえ話であり、今日はいわゆる『毒麦のたとえ話』です。
わたしたちの住んでいる、この世界は、神がお造りになった世界であり、創世記で言われていますように、極めて良い世界で在る筈です。
しかし、わたしたちが毎日体験しておりますように、さまざまな問題が存在し、《悪》というものが存在していることを、わたしたちは否定することができない。この世界には《悪》がある。
わたしたちの教会にもいろいろな問題があり、時としてわたしたちは大いに悩み、苦しんでいることも否めません。どうして、この世界に、《悪》という、あってはならないものが存在するのだろうか。多くの人が、この問題に、頭を悩ませてきました。

今日の福音を読んでいきますと、主人に向かってしもべが言います。
「毒麦を引き抜いて集めましょうか」。
《毒麦》と訳されていますが、調べてみましたら、麦の成長を妨げる「雑草」のことであるそうです。「雑草」だけを引き抜いて、問題のない、理想的な社会にしたいと思った人がいて、これまで長い歴史の中で、いろいろな試みがなされてきました。しかし、結果は、われわれが知っているとおりであり、完全に理想的な、平和で平等な社会というものは、なかなか実現しないように思います。

このしもべの提案に対して、主人がどのように言ったかというと、
「いまはそのようにしない。毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」
悪い麦だけを引き抜くということができれば良いのですが、悪い麦を抜こうとすると、良い麦も一緒に抜くことになってしまう。
本当に、この言葉は、わたくしどもには、実感をもって迫ってきます。何か良くないことを見て、そのことだけを取り除こうとすると、一緒に他のものもだめになってしまうからです。
教会でいろいろなことがありますが、そのようなことを根絶するためには、何も人間がしないようにすれば良いのかもしれません。しかし、何もしないということは、良いこともしないことになる訳です。

悪いことが一切起こらないようにするためには、人間が何もできないようにするということが、一番簡単な解決方法ですが、そうすると、その人はそれで終わりです。世界についても、教会についても、同じことが言えます。

それよりも、われわれは自分自身のことを振り返ってみると、自分の中には、良いものも、悪いものもあることが分かります。もちろん、悪いものは取り除かなければならないが、悪いところだけ取り除こうとすると、自分自身が、そこで、大きな傷を受けることになりはしないでしょうか。
そこで、欠点の除去に努力を集中するより、既に与えられている良い点を育てるよう努力して、その結果として悪い点を克服するようにした方が良いのではないか、というように考えることができます。

教会の中に、いつも存在するさまざまな問題を、わたしたちは知っています。そして、それがなくなることを望んでいす。しかし、そのことだけを見て、それだけを取り除こうとすると、もっと大きな悪い結果が生ずることになるのではないかと、今日の福音は言っているのではないでしょうか。
忍耐し、希望をもって、神様が、この世界を完成してくださる日を待ち望みましょう。そのように、わたしたちは思います。

(以下に英語の説教が続く。Homily for 16th Sunday in ordinary time)
Dear brothers and sisters in the Lord Jesus Christ,

Today we celebrate the 16th Sunday of the Year.
The Gospel of today speaks of the parable of wheat and weeds.
The kingdom of heaven is compared to a man who sowed seed in his field. What he sowed was good wheat seed, but someone sowed seeds of weeds called darnel, among the wheat. When the wheat sprouted and ripened, the weeds appeared. The servant thought that they should eliminate the darnel, but the man said: No, because when you weed out the darnel, you might pull up the wheat with it.

Dear friends, the field where wheat and darnel are growing at the same time represents our church and also our world where good and evil are co-existing. Our humanity is like the field and there co-exists various good and evil among us which we cannot separate. Our minds are exactly like this field. In our mind there appear good thoughts and evil thoughts. In the mind of the some person there exists good and evil.
Our God is very merciful, patient and tolerant. He waits and waits until we know our own evil mind and repent our sins. Merciful God waits until we want to be real children of God, accepting the grace and love of God which has already been given us through the redemption of our Lord Jesus Christ and the sending of the Holy Spirit.

聖書朗読箇所

第一朗読 知恵12・13,16-19
第二朗読 ローマ8・26-27
福音朗読 マタイ13・23-43

(福音本文)
〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
《イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「わたしは口を開いてたとえを用い、
天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」》

説教へ戻る