2016年帰天司祭・合同追悼ミサ説教


2016年11月28日、東京カテドラル

[聖書朗読箇所]

説教

11月は死者の月であります。司祭月例集会の11月では、帰天された神父様方の永遠の安息を願って、ご一緒にミサをお献げいたします。  
特に、この1年間、主のもとに召された、神父様方の生涯を思い起こしましょう。教区司祭、修道会の司祭、宣教会の司祭のみなさん、それぞれ、一緒に働いた司祭、或いはいろいろなときにご一緒であった司祭を思い起こし、その神父様方のためにお祈りいたしましょう。  

東京教区の司祭を振り返ってみますと、この一年、亡くなられた方はおりません。  
本日は、東京教区ではない、ほかの教区の司祭で2016年10月になくなった、わたくしと深いつながりのあった二人の司祭について一言申し上げることをおゆるしください。  
一人はさいたま教区の司祭で、もう一人は名古屋教区の司祭です。  

10月9日のことですが、さいたま教区司祭、アシジのフランシスコ 清水宏神父さんが亡くなりました。清水神父さんがあらかじめ、葬儀のカードに残す聖書の言葉を書き残しておりました。その聖句は、詩編119にある一節であります。
「あなたの律法がわが喜びでなかったなら、わたしは悩みのうちに滅びたでしょう。」(詩編119-92)  
清水神父さんは、旧約聖書を学び、そして、カトリック神学大事典の編纂に深くかかわった方です。わたくしとは一緒に大学に入学した、という仲であります。そして、わたくしは、ただいま、さいたま教区の教区管理者をしております。清水神父さんの葬儀の様子を思い起こしながら、清水神父さんの生涯をしみじみ偲びました。  
思いますに、一人の人の生涯には、本当にいろいろな顔がある、ということです。  
非常に親しくしていた司祭には別な清水神父さんの顔がありました。関口教会の月報「せきぐち」11月号に、亡くなった清水神父さんの思い出でを書いた記事がございます。ここからは非常に人間的な司祭清水宏の姿が伝わってきます。  
また葬儀のときですが、実のお姉さんが、葬儀のときに、弟である神父さんの思い出を話されました。それは全く私が知らない、清水宏の人間味あふれる姿があるのでした。  
聖書を一所懸命勉強し、そして、イエスの掟を明らかにし、その掟に従うよう努めた清水神父さんの生涯があります。慈しみ深い神がその生涯に、豊かな報いを与えてくださるよう、祈らずにはおられません。  

10月30日、名古屋教区の司祭のヨハネ・ボスコ 由井滋神父さんが亡くなりました。由井神父さんとわたしは、神学院で同級生であり、同じ年、1973年に司祭に叙階されたという仲です。  
由井さんはいつも朗らかな方でした。弱者への深い同情といたわり、やさしさをもって接した司祭です。親切でいつくしみ深い行いをもって、生涯を困っている人、苦しんでいる人のために献げた司祭であると思います。  

道であり真理であり命である主イエスに従って生きた司祭たちをしみじみ偲びましょう。それぞれの人生の中でいろいろなことが、困難と挫折があったであろう司祭たちです。  
いつくしみ深い神様に、その生涯に豊かな報いを与えてくださるよう、心からお祈りいたしましょう。  

今日の第一朗読は、ローマ書8章であります。  
すべての被造物は虚無に服していますが、主イエス・キリストが、現れるとき、隷属から解放されて、贖いの恵みを受けて、神の子の栄光にあずかることができる、そのような日が来る、とパウロは教えています。  
わたしたちは「このような希望によって救われているのです。」(ロマ8・24)  
今日は、地上の生涯の終わりだけでなく、世界の終わりの時も思い、すべての悪からの解放の時が来るという信仰を新たにし、希望をもって歩んでまいりましょう。  

昨年の11月22日、千葉寺教会で、聖コロンバン帰天400年記念ミサがあり、わたくしが主司式いたしました。  
このときに、非常に感動的な祈り、「司祭のための祈り」が紹介されました。この祈りは、今地上で司祭の務めを果たしている司祭のための祈りであるだけでなく、地上の生涯を終わった司祭のための祈りでもあります。教会博士である幼きイエスの聖テレジアの祈りであると伝えられております。  

説教の結びとして、この祈りを唱えます。   

司祭のための祈り   
おおイエスよ!   
あなたに選ばれた司祭たちのために祈ります。   
忠実で熱心なあなたの司祭のため   
生ぬるく不忠実なあなたの司祭のため   
宣教地で働くあなたの司祭のため   
誘惑に苦しんでいるあなたの司祭のため   
孤独と寂しさで苦しんでいるあなたの司祭のため   
若いあなたの司祭のため   
病気になったあなたの司祭のため   
臨終の床にあるあなたの司祭のために祈ります。   
しかし何よりも私たちにとって身近な司祭たちをゆだねます。   
私たちに洗礼を授けた司祭   
私たちの罪をゆるした司祭   
あなたのミサの中で、私たちにあなたの御体と御血を授けた司祭   
私たちに教え、助言を与えた司祭   
私たちが感謝しなければならないすべての司祭を   
この世においても、永遠の世界にあっても   
あなたの祝福で豊かに満たしてください。アーメン。                         
                                                                                        (幼きイエスの聖テレジアの祈り)

聖書朗読箇所

第一朗読 ローマ8・18-25 /> 福音朗読 ヨハネ14・1-6

(福音本文)

〔そのときイエスは弟子たちに仰せになった。〕「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」  
トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」  
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

 

 

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