東京教区修道女連盟 新年研修会ミサ説教

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    2016年1月6日 麹町教会にて

    [聖書朗読箇所]

    説教

    今日の福音で、主イエスは弟子たちに言われました。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マルコ6・50)

    また、主イエスは昇天の時に弟子たちに、「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいる」(マタイ28・20)と言われました。

    このみ言葉に信頼し、希望と勇気をもって歩んで行きたいと思います。

     

    昨年2015年12月8日(無原罪の聖マリアの祭日)より本年11月20日(王であるキリストの祭日)の一年は『いつくしみの特別聖年』であります。

    教皇フランシスコは特別聖年に際して「いつくしみの特別聖年の祈り」をわたしたちに与えてくださいました。わたくしはこの祈りはわたしたちの教会の在り方と使命を簡潔にしめしていると思います。

    「祈りの法は信仰の法」と申します。この祈りを深く味わうならば、日本の教会の使命をより深く自覚できると思います。

    わたくしには、特に次の箇所が強く心に響きます。

    主イエス・キリスト、・・・・
    あなたは、目に見えない御父の、目に見えるみ顔です。
    何よりもゆるしといつくしみによって、自らの力を示される神のみ顔です。
    教会がこの世において、
    復活し栄光に満ちておられる主のみ顔となりますように。
    あなたは、ご自分に仕える者が弱さを身にまとい、
    無知と過ちの闇の中を歩む人々を、
    心から思いやることができるようお望みになりました。
    これらに仕える者に出会うすべての人が、
    神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じるこことができますように。

     

    イエス・キリストは目に見えない神の目に見える神の顔です。

    教会は聖霊を受け、イエスの使命を引き継ぎました。この世において復活の栄光のイエスのみ顔を示し表すことがわたしたちの使命です。

    人は迷い悩みあるいは過った生き方に陥ります。無知と過ちの闇の中を歩んでしまいます。わたしたち信者も罪人であり、弱い人間です。だからこそ、人々の問題に心から思いやることができるのだと思います。

    わたしたちは弱い者ですが、聖霊に導かれ強められて、主キリストにお仕えしております。どうかわたしたち、キリストに仕える者を通して、人々が、「自分は神から必要とされ、愛され、ゆるされている」と感じることができますように。わたしたち仕える者が、そのようであることができますよう、切に願い、祈りたい、と思います。

     

    さて、今わたしたちは、『いつくしみの特別聖年』と同時進行で、『奉献生活の年』を過ごしています。一昨年の2014年11月30日(待降節第一主日)より2016年2月2日(主の奉献の祭日)までの一年余りです。

    日本の社会にあって奉献生活者は主キリストのあかし。その生活と祈り、奉仕の働きが主イエスの愛を表し伝えています。

    今日ここに集まっておられる皆さんは、この世にあって、奉献生活という生活形態を通して、神の国の到来のしるし、山上の説教の精神の目に見えるあかし、をしておられます。生きる意味が見いだせない人々、困窮している家族、病気と障がいに悩む人々、孤独な高齢者、無気力な状態にある若者たち・・・にとって奉献生活者は人々の希望、支え、便り、光であります。

    皆さんの日々の奉献に心から感謝し、主の祝福を祈ります。

     

    奉献生活者が多数一同に会しているこの機会にわたくしは、日本における福音宣教(福音化)という重大な課題に一言触れたいと思います。

    第二ヴァチカン公会議を受けて、日本カトリック司教協議会は日本の教会の福音宣教(福音化)の努力を重ねてきました。

    1981年には教皇ヨハネ・パウロ二世が日本を司牧訪問されました。
    1984年、日本カトリック司教協議会は、「日本の教会の基本方針と優先課題」を発表、
    1987年、第一回福音宣教推進全国会議(NICE-1)が開催され、
    1993年、同第二回が開催されました。・・・

     

    今日本の教会の現状を見るに、依然として、多くの困難と課題の中にいます。わたしたちの小さな船はこの世の波風のなかで揺れ動いているかのようです。

    主イエスは弟子たちに言われました。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マルコ6・50)

    このお言葉を今、わたしたちに向けられたお言葉として、しっかりと受け止めたいと思います。

    ヨハネの手紙は言います。

    「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」(一ヨハネ4・18)

    そのような愛の恵みを切に祈り求めます。

    自分自身に問います。自分の「恐れ」とは何の恐れでしょうか。自分が傷つくことへの恐れ、自分が貶められることへの恐れでしょうか。苦しみを受けることへのそれでしょうか。何を失うことへの恐れでしょうか。

    自分には何も恐れがない、と言えば偽りとなります。人間としての不安と恐れを感じます。しかし、復活した主イエスがともにいてくださるという信仰をもって、神の赦しといつくしみに信頼し、平和のうちに、勇気をもって歩んでまいりたいと思います。