司祭研修会ミサ説教

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    2014年10月29日 府中にて

    [聖書朗読箇所]

    説教

    教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び(Evangelii Gaudium)』が出ました時に、司教協議会はできるだけ早く日本語訳を皆さんに届けられるようにと急いで翻訳作業に取り掛かりました。

    すると訳しにくい表現に出会いました。たとえば原文のスペイン語で「primerear」と言う言葉です。教皇様が文中でご自身断っておられますが、これは造語らしいです。そして、「出向く」と言う意味に用いているとのことです。

    教皇様は「現場に出向く」ことの大切さを解くために、この造語を用い、「率先する」「関わり合う」などを意味しているようです。「自分から出て行く」とは、福音を待っている、苦しんでいる人、悲しんでいる人、病んでいる人、貧しい人のところへ自分から出向く、ということです。

    人間性は、ラクで楽しいことを好み、そこに留まっていたいと願うものです。しかし教皇様は、「自分にとって快適な場所から出て行って、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気をもつよう招かれているのです(『福音の喜び』20)」と言います。聖霊による喜びはこの「自分から出てゆく」ことに伴って与えられる、と言われます。(『福音の喜び』21参照)

    さて本日の福音でイエスは言われました。

    「狭い戸口から入るように努めなさい。」(ルカ13・24)

    狭い戸口から入るということは、身をかがめ、自分の都合を考えず、持ち物を捨てて、快適な状態から抜け出しなさい、と言う意味でしょうか。イエスは自分を捨てて自分の十字架を背負って自分についてくるよう求めています。  10月26日に教皇パウロ六世が列福されました。パウロ六世は使徒的勧告『福音宣教(Evangelii Nuntiandi)』を発表されたかたです。この『福音宣教(Evangelii Nuntiandi)』から『福音の喜び(Evangelii Gaudium)』 に引用されている祈りがあります。

    「願わくは、現代の人々が、悲しみに沈んだ元気のない福音宣教者、忍耐を欠き不安に駆られている福音宣教者からではなく、すでにキリストの喜びを受け取り、その熱意によって生活があかあかと輝いている福音宣教者・・・・から福音を受け取りますように。(『福音の喜び』10)」

    本当にこのような福音宣教者でありたいものです。自分を顧みるに、そのような福音宣教者から程遠い者ですが、そのような福音宣教者に近づくことができますよう、祈ります。