聖母のみ心 説教―東京カリタスの家賛助会総会・ミサ説教―

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    2014年6月28日 本郷教会にて

    [聖書朗読箇所]

    説教

    今日は聖母のみ心の記念日です。今日の福音は、12歳の少年イエスの出来事を伝えます。

    12歳といえば、いまの日本の感覚では小学校6年生で子どもに過ぎませんが、イエスの時代の12歳はもっと成熟した年齢でした。ユダヤの社会では12歳のときから律法を守る義務が生じた、と言われています。

    マリアとヨセフは、イエスを連れて毎年エルサレムに上り、過ぎ越しの祭りに参加していました。ナザレからエルサレムまでかなりな道のりですので、数日を要したのかもしれません。それは両親が行ったすばらしい宗教教育でした。イエスはさらに会堂の礼拝に出席し、旧約聖書の勉強もしていたことでしょうし、詩篇を唱えるお祈りにも参加していたと思います。

    12歳といえば大人になりかけている年齢ですが、まだ両親の保護の下に置かれていたと思います。しかし12歳の少年イエスは誰にも断らないで両親の巡礼の一行から離れ、神殿で学者たちと議論をしていました。「聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた」とルカは告げています。

    ナザレからの一行の誰にも告げないで取ったこのイエスの行動は非常識であり、叱責に値するものでした。マリアの詰問は母親としての当然の言葉です。マリアは言いました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(ルカ2・48)

    しかしイエスの応答はさらに両親を当惑させます。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(ルカ2・49) 

    イエスのこの言葉は、イエスが既に自分の使命を自覚し始めていたことを示しています。

    両親はこのイエスの言葉の意味が分かりませんでした。しかしマリアはこのイエスの言葉を無視したり否定したりはしませんでした。

    マリアは「これらのことをすべて心に納めていた」(ルカ2・51)のでした。マリアは神の言葉を思い巡らす人でした。大天使ガブリエルより神のお告げを受けて以来、マリアは信仰のうちに神の御心を求め、神の計らいに自分をゆだねて日々を過ごしたのです。

    日本でも昔はより「子どもは授かり者」と言われました。親は子どもをあずかり養い育てる責任があります。この当然のことをよく自覚しない親が増えていることは実に大きな問題です。

    ヨセフとマリアはイエスという特別な子どもを神からおあずかりし、心をこめて養い育てました。12歳の少年イエスはその後20年ナザレで両親に仕えて過ごしました。たぶん父の職業である大工を受け継いだと思われます。20年の年月、イエスは多くを学び、仕事をし、静かな、普通の生活をして過ごしたと思われます。

    たぶんこの20年の間にヨセフは亡くなっていたのでしょうが、30歳を過ぎたころ、イエスはマリアを置いて、家族・親類から離れて、神の国の福音をのべ伝える旅に出立したのでした。

    人生とは神の呼びかけに答えることです。

    東京カリタスの家賛助会総会がここ本郷教会で開催されていることは意義深いことです。本郷教会の好意により「カリタス翼」の活動がここで行われています。わたしたちは、大切なお子様をおあずかりし、マリアのように、神の御心を思い巡らしながら、お子さんたちの人生が、一人ひとり意味と輝きに満ちた人生となるお手伝いをしています。

    わたしたちが聖霊の導きによく答えることができますよう、祈りましょう。