教皇フランシスコ就任感謝のミサ説教

    image_pdfimage_print

    2013年3月19日・聖ヨセフの祭日 東京カテドラルにて

     

    第一朗読 サムエル記(サムエル下7・4-5a、14a、16)

    第二朗読 ローマ4・13,16-18,22

    福音朗読 マタイ1・16,18-21,24a

     

    (福音本文)

    ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

    イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

    夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

    マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

    ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた。

     

    今日3月19日は聖ヨセフの祭日です。

    おりしも、日本時間で、今晩午後5時半より、ローマの聖ペトロ広場で教皇フランシスコの就任のミサが始まっています。わたしたちのこのミサに心を合わせ、教皇フランシスコの就任を祝い、教皇のために、またわたしたち教会のために、そして全世界のすべての人のために、このミサをささげましょう。

    新教皇が聖ヨセフの日に就任し任務を開始されるということは大変意味深いことだと思います。

    東京カテドラルの庭、西の端に、ちょうど主祭壇の真正面になりますが、聖ヨセフの像が立っています。胸に手を当てて思案している場面です。像の名前は「受けとめるヨセフ」となっています。

    ルカによる福音書によれば、マリアは天使ガブリエルのお告げを受け、聖霊によって救い主の母となる事を告げられました。彼女にはすでにヨセフという許婚がおりました。聖霊による妊娠という事をヨセフになんと説明したらいいのでしょうか?彼女は戸惑い苦悩します。

    しかし、神のお告げに従う決心をし、「お言葉どおりこの身になりますように」(ルカ1・38)と答えたのでした。

    他方、許婚のヨセフはマリアの妊娠を知り苦悩します。ひそかに離別しようと考えていたときに、夢の中で天使が現れ、マリアに宿った子は聖霊によるのだ、と告げられました。

    ヨセフは素直に天使の言葉を信じ、マリアを受け入れました。ヨセフは素直にマリアの潔白を信じたのです。

    このヨセフの信仰と諒解がなければ、マリアはヨセフの妻になることができず、その結果、マリアは姦通の罪を犯した女として、石殺しの刑を受けることになるはずでした。

    ヨセフはマリアを受け入れることにより、マリアとその子イエスの生命を守ったのでした。

    ヨセフはまた夢で天使のお告げを受け、エジプトに避難し、ヘロデ王が亡くなった後、また天使の夢のお告げを受けて帰国し、ナザレという所に居を定めました。ヨセフ、マリア、イエスの家族はそこで貧しくも静かで穏やかな生活を送られたことでしょう。

    何がヨセフの生涯を支え導いたのか、と考えてみれば、それは夢の中で彼に告げられた主の言葉、神の導きでありました。主の言葉、神の導きを信じて歩むことがヨセフの生涯でありました。

    ヨセフは不言実行の人、神のみ言葉に従って誠実に生き、自分の役割を忠実に果たして静かに地上の生涯を終えた人でした。わたしたちは聖ヨセフの信仰の生涯に倣って生きなければならないと思います。

    いま、わたしたちの教会は『信仰年』中の四旬節を過ごしております。信仰を新たにし、心からの悔い改めを行うときです。

    わたしたちの教会はいま大きな危機の状態にあると思います。聖ヨセフの信仰に立ち帰ることが切に求められます。

    新教皇フランシスコの霊的な指導力が大いに期待されます。

    3月10日、四旬節第5主日、教皇は聖ペトロの広場に集まった信者とお告げの祈りを唱える前に当日の福音について一言話されました。その日の福音は、福音ヨハネの福音8章の、「イエスが罪を犯した女性を断罪しないで赦した」という話です。教皇はドイツの神学者カスパー枢機卿の言葉を引用しながらおよそ次にように言われました。

    「神のmisericordia(ミゼリコルディア)が世界を変えます。この「misericordia」という言葉は「慈しみ、あわれみ」という意味です。神のmisericordia(慈しみ)を受け取り味わうならば、それがたとえ小さなmisericordia(慈しみ)であっても、世界をより温かく、公正なものとしてくれます。わたしたちはこの神のあわれみをよく悟らなければなりません。神が忍耐強く、あわれみ深い父であることを悟らなければなりません。」

     

    神のmisericordia(慈しみ)をより深く知り、そして実行するよう務めましょう、そのために祈りましょう。

    これこそ教会を浄化し再生させる道です。