小金井教会ミサ説教(年間第18主日)

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    2012年8月4日 年間第18主日 小金井教会にて

     

    第一朗読 出エジプト16・2-4,12-15

    第二朗読 エフェソ4・17,2-24

    福音朗読 ヨハネ6・24-35

     

    (福音本文) 

    〔五千人がパンを食べた翌日、その場所に集まった〕群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。

    イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」

    そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」

    そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。 わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」

    すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。 神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」

    そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

     

    「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」(ヨハネ6・28)という質問に対するイエスの答えは予想外の答えでした。人々は、「神の律法を守りなさい」とか、「全身全霊をあげて神を愛しなさい」というような答えを予想していたと思いますが、イエスは答えて言いました。

    「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」(ヨハネ6・29)

    「神がお遣わしになった者」とはイエス自身のことです。イエスを信じることが神の業である、と言うのです。つまり自分自身を信じることが神の業である、ということになります。

    それでは、イエスを信じるとはどういうことでしょうか?

    ヨハネの福音によれば、イエスを信じる者は永遠の命を受けます。「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである。」(ヨハネ6・40)「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。」(ヨハネ6・47)「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3・16)「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また裁かれることなく、死から命へと移っている。」(ヨハネ5・24)

    イエスを信じるとは、「永遠の命」を受けることです。

    福音書によれば、イエスに出会った人々の中で、ある人はイエスを信じ、ある人はイエスを信じませんでした。信じなかった者はイエスに躓いた人々です。おそらく、弱い人間の中に神の栄光を認めることができなかったのでしょう。

    また、イエスが安息日の掟を破ったとして、そのためにイエスを冒涜の罪に問うユダヤ人もおりました。

    ヨハネの福音書は伝えています。

    「イエスが安息日を破るだけでなく、神をご自分の父と呼んで、ご自分を神と等しい者とされたからである。」(ヨハネ5・18)

    イエスはまた言われました。

    「永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17・3)

    聖書でいう「知る」は深い意味をもっています。旧約聖書ではしばしば「主を知る」「主を知らない」という言い方が出てきます。今日の第一朗読でも「あなたたちはこうして、わたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる」(出エジプト16・12)とあります。「主を知る」とは、主を神として礼拝し主の言葉に従って生きる、ということです。

    神以外に永遠の命を持つものはなく、人間は自分の力で永遠の命へ到達することは出来ないのです。まことの人でありまことの神であるイエス・キリストだけが人を神のもとへ導くことができます。神と人の仲介者はイエス・キリストただ一人です。(一テモテ2・5)

    イエスは言われました。

    「わたしは、道であり、真理であり命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14・6)

    このイエスの言葉を信じ、その招きに応えて、イエスに自己をゆだねるものは、イエスを通して父である神のもとへ達することができるのです。この信仰がわたしたちの信仰です。

     

    小金井教会の皆さん、ご存知のように教皇ベネディクト十六世は、今年2012年の10月11日より翌年2013年の11月24日までの一年余りを『信仰年』とされました。

    『信仰年』の趣旨は次の三項目にまとめられます。

    1. 信仰を確かめること。

    2. 信仰を深めること。

    3. 信仰を伝えること。

    わたしたちは日々信仰を深め、信仰の生活をささげることにより、周りの人に主イエスへの信仰を伝えることができます。

    きょうの第二朗読を深く味わいましょう。

    「以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、 心の底から新たにされて、 神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」(エフェソ4・22-24)

    主キリストを知るとは、キリストの霊である聖霊に従って生きること、聖霊によって日々新たな人に生まれ変わる、ということです。

    エフェソ書にはまた次のような勧めがあります。

    「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」(エフェソ4・29)

    「その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」この表現にとくに留意しましょう。

    わたしたち一人ひとり、より深く主イエスを知ることができますよう、祈りましょう。