鴨川教会ミサ説教(待降節第一主日)

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    2011年11月27日 鴨川教会にて

     

    第一朗読 イザヤ63・16b-17,19b、64・2b-7

    第二朗読 一コリント1・3-9

    福音朗読 マルコ13・33-37

     

    今日から待降節に入りました。

    待降節は主の降誕を迎える準備のときであると共に、主の再臨を思い、再臨への準備を新たにするときでもあります。

    今日のマルコの福音は繰り返し「目を覚ましていなさい」(マルコ13・33,34、37)と述べて、主キリストの再臨に備えるように警告しています。

    またパウロも、コリントの教会の人々に向かって同じことを述べています。

    「あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。」(一コリント3・7)

    主の再臨は神の支配の完成のとき、悪に対する決定的な勝利の日であります。神は全能の神ですが、神の全能はいわば限定的にしか実現しておりません。悪の存在は神の支配がまだ及んでいない部分があることを示しています。罪は人間の行う悪ですが災害も悪であることに変わりはありません。

    ローマの信徒への手紙の8章に次のような不思議な言葉が出てきます。

    「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるのではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」(ローマ8・19-21)

    被造物も最後のとき、主の再臨のときにあがないを受け隷属から解放される、とパウロが教えています。

    その日を目指して希望を持って日々歩みましょう。

    「目を覚ましていなさい」と主は言われました。それは絶えず主の御心を求め、御心を実行することだと思います。

    日本カトリック司教団は11月8日、仙台で『いますぐ原発の廃止を』と言うメッセージを発表しました。

    わたしたち人間は経済利益、快適で便利な生活を追求するあまり、人間の限界をわきまえず、思い上がり、分を超え、傲慢にも神の領域に足を踏み込もうとしています。原発事故はこの傲慢な人間の起こした過ちではないでしょうか。わたしたちは謙遜になり、質素単純な生活に立ち戻らなければなりません。

    メッセージの中で司教たちは言っています。

    わたしたちキリスト信者は、「単純質素な生活、祈りの精神、すべての人々に対する愛、とくに小さく貧しい人々への愛、従順、謙遜、離脱、自己犠牲」などによって、福音の真正なあかしを立てる務めがあります。」

    この司教団の勧めをしっかりと心に留めていただきたいと思います。