世田谷南宣教協力体合同堅信式説教(年間第31主日)

    image_pdfimage_print

    2011年10月30日 年間第31主日 碑文谷教会にて

     

    第一朗読 マラキ1・14b-2b、8-10

    第二朗読 一テサロニケ2・7b-9、13

    福音朗読 マタイ23・1-12

     

    今日は世田谷南宣教協力体合同堅信式の日です。

    堅信式に参加するために碑文谷教会にお集まりの田園調布教会、上野毛教会、そしてここ碑文谷教会の皆さん、

    今日の福音で主イエスは律法学者、ファリサイ派の人々を痛烈に批判して言われました。イエスの批判は二点にわけられます。

    彼らは「言うだけで実行しないこと」ということと、彼らは「人に見せびらかすために行う」ということです。

    前者についてイエスは言われました。

    「彼らの言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで実行しないからである。」

    わたしたちは家庭で両親から学び、また学校で先生から学びます。親は自分の子どもに、「こうしなさい」「こうしてはいけない」などいろいろ教えて、子どもが善良な人間に成長するよう配慮します。子どもは親の言葉によって人間としてなすべきこと、避けるべきことを学びます。しかし他方、子どもは親の生活を観察しています。親が言葉どおりに実行しているか、鋭い目で確かめています。子どもは、親が何を言ったかより、どうしたかということから、より多くを学び、より大きな影響を受けます。教師についても同じことが言えます。

    言葉より実行の方が大切です。親が自分の言葉どおりに実行していないなら親を信用しなくなるでしょう。人は自分が口にする言葉を実行しなければならないのです。

    漢字の「誠実」の「誠」は、「言葉が成る」と読めます。自分の言葉を実行する、と言う意味です。

    「信仰」の「信」ですが、人と言葉が一致していることをあらわしていると思います。いわゆる「言行一致」です。

    イエスは言われました。「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に乗せるが、自分でそれを動かすために、指一本貸そうとはしない。」

    イエスの非難はわたしたちにも該当するかもしれません。人が何を言ったかということより、何を行なったかを見ています。言葉と行ないが一致するかどうかを見ています。

    とはいえ、自分の言葉どおりに実行することは容易なことではありません。神の助け、聖霊の導きが必要です。

    世界の中でわたしたち教会は、自分が信じ、のべ伝えている真理を如何に実行しているか、ということがいつも問われています。

    教皇ヨハネ・パウロ二世による世界平和祈祷集会(1986年10月27日)開催25周年を記念して、10月27日(木)、イタリアのアッシジにおいて、諸宗教の指導者の集会が開催されました。

    教皇ベネディクト16世はこの集会で次のように言われました。

    「たしかに歴史の中で、キリスト教信仰の名のもとに暴力が用いられたこともありました。わたしたちはこのことを認め、深く恥じ入ります。しかし、次のこともきわめて明らかです。これはキリスト教信仰の濫用であり、キリスト教信仰の真の本性にはっきりと反します。わたしたちキリスト者が信じる神は、すべての人の造り主また父です。このかたによって、すべての人は互いに兄弟となり、唯一の家族を形づくります。わたしたちにとってキリストの十字架は神のしるしです。神は暴力の代わりに、他者とともに苦しみ、他者を愛するかただからです。」

    そして、教皇は次の結びのことばを述べました。

    「もはや決して暴力をふるってはいけません。もはや決して戦争を行ってはいけません。もはや決してテロを起こしてはいけません。すべての宗教は、神の名において、地上に正義と平和、ゆるしといのちと愛をもたらさなければなりません」。

    今日堅信を受けられる皆さん。皆さんが信じた神の愛を日々の生活で実行し、人々の前でキリストの教えを生きることにより、皆さんの信仰を人々に伝えるよう努めてください。