平和旬間 カテドラル関口教会 平和を願うミサ説教

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    敵を愛しなさい

    2011年8月13日 東京カテドラル関口教会にて

    第一朗読 エフェソの信徒への手紙(2・14-22)
    福音朗読 マタイによる福音(5・43-48)

    「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(マタイ5・44-45)

    キリスト信者でない人も知っている有名な教えです。

    「敵」とは何でしょうか?誰でも知っていますが、いざ定義するとなると難しいことに気がつきます。ある辞典を引いてみると、参考になる説明が出ています。

    「自分を害しあるいは攻撃しようと試み、あるいはそうしようと願っている誰か。あるいは自分が不快感あるいは憎悪を感じている相手。」

    敵と言うと穏やかではありませんが、人間は誰に対しても好悪の感情を持ちます。これは逃れることができません。

    1995年夏休み、浦和教区の青年たちが韓国のソウルの教会を訪問し、ショックを受けて帰ってきました。こう言われたというのです。

    「日本人は鬼みたいな人間だと聞いていたが会ってみると自分たちと同じ人間だった。」

    8月6日、世田谷北宣教協力体の平和旬間行事が世田谷教会で開催され、「人はなぜ戦争するのか」をテーマとするフォーラムがありました。そのなかである哲学者の説が紹介されました。「戦争の本質は他者への憎しみであり、憎しみは自分とは異質な存在へ向けられる感情である」と言う説明であったと理解しました。

    8月15日を韓国では光復節というそうです。光をまた見た日と言う意味だそうです。35年間にわたる日本帝国の韓国・朝鮮支配は筆舌に尽くせないほどの苦悩と屈辱を朝鮮半島に人々にもたらしたのでした。

    しかしうれしいことに、1995年の夏、日本と韓国の青年は一緒に食事をし、同じミサに与り、自分たちが同じ人間であり、同じ神を信じるものであるという共通理解をもつに至りました。本当によい体験をしてくれたと思います。

    今年は教皇ヨハネ・パウロ2世が広島『平和アピール』を出してから30周年を迎えます。教皇は紀元2000年を迎えるに際してわたしたちカトリック教会のメンバーはそれぞれ過去を振り返り、過ちを認めて悔い改めるようにと説かれました。それは十字架の上で血を流していのちをささげられることにより「敵意」と言う隔ての壁を取り除かれたイエス・キリストの生涯に倣うためでした。

    教皇の主要な反省点の中には以下の2点が含まれています。
    1. 異なる宗教の信者、あるいは同じキリスト教徒でも異なる信仰理解の兄弟を迫害し暴力の行使さえ認めてしまったこと。
    2. 全体主義政権の基本的人権を侵害し、他国・他民族を侵略することを黙認したこと。

    1995年、日本カトリック司教協議会は『平和への決意』というメッセージを発表しました。そのなかで司教たちは、50年前に終わった戦争について真剣に責任の反省を行っております。

    あの戦争において教会は、「わたしがあなた方を愛したようにあなた方も互いに愛し合いなさい」そして、「敵を愛しなさい」と教えたイエスの教えをなおざりにし、アジアの兄弟を敵とみなす過ちを犯しました。また十字架にお架かりになって「敵意」という隔ての壁を取り除かれた主イエスの教えに背いてしまいました。いまその事実を真摯に直視し、神の人々の前に心からのお詫びを表明したいと思います。

    どうか平和の神よ、わたしたちに真摯な反省に基づき、勇気を持って平和のために貢献することができますようお導きください。