フランシスコ会司祭叙階式説教

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    2011年3月26日 田園調布教会にて

     

    受階者 トマス 元田勝哉(もとだまさや)

     

    第一朗読 エフェソの教会への手紙(エフェソ1・3-14)

    福音朗読 ヨハネによる福音(ヨハネ15:11-17)

     

    2011年3月11日 という日はわたしたちこの日本列島の住民にとって決して忘れることのできない日となりました。この東北関東大震災によって多くの命が失われ、また今なお多くの人が行方不明です。生命の危機に瀕している方々がお一人でも多く救出されますように祈りましょう。また亡くなられた方々に永久の安息が与えられますよう祈りましょう。被災された方々に必要な助けの手が届きますように、そして原子力発電事故の復旧が一刻も早く実現しますように。

    今回の大地震で『天罰』という言葉を耳にしました。被災者は天罰を受けたのでしょうか?わたしは決してそんなことはないと思います。

    イエスの次のことばを思い起こしました。ルカ13章1-5節です。

    「ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの18人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

    いまは試練のときです。わたしたちの信仰、希望、愛が試されるとき、信仰、希望、愛をあかしするときです。

    今日の福音でイエスは言われました。

    「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

    わたしたちの愛が試されています。多くの人が被災者のために祈り、支援を行っております。政府、行政の関係者は必死の努力をしております。大災害の衝撃と悲嘆の中であっても冷静、沈着、整然と事態に対処している日本人の姿は多くの外国人から賞賛されています。

    わたしは、いまの社会はあたかも『現代の荒れ野』であり、人々は『無縁社会』の中で孤立しており孤独である、と痛感し、機会あるたびにそのように語ってきました。しかし、大震災に立ち向かう日本のためへの賞賛を聞き、わたしたちの中には危機に際して助け合い思いやるという、神の子の間の連帯と思いやりが存在していることに気がつきました。これは非常にうれしいことです。

    最近わたしはslovakiaのカトリック司祭からメールを受け取りました。彼は何度も日本の大地震の映像をテレビで見ているうちに日本人に深い関心をもつようになったそうです。震災に出会った人々は自制的・組織的で暴力に訴えることなく相互支援しており勇敢に事態に対処している。・・・褒めすぎのような気がしますが、この機会にわたしたちは自分たちの長所に誇りと自信を持つべきではないか、と思うようになりました。

    「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」のです。いまやこのキリストの愛が問われ、試されているときです。

    ところで神様はわたしたちにどうしてこのような試練をお与えになるのでしょうか?

    今日の聖書朗読の中に次のような言葉があります。

    「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」(エフェソ1:10)

    救いのわざが完成するときがきます。そのときには天にあるもの、地にあるもの一切がキリストのもとに、ひとつにまとめられる、というのです。聖パウロもローマの信徒への手紙の中で言っています。

    「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」(8:20-22)

    今回の大地震は「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」というときの「うめき」に該当するのでしょうか?人類だけでなくこの世界が、被造物全体があがなわれ救われなければならないのは明らかなことです。

    わたしたちは、神の救いの計画の中に被造物の救いが入っていることを信じます。わたしたちはそのときが来るということを信じ、希望しています。東北関東大震災はこの希望を強くしていただくときであると思います。

    「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(8:24-25)

    東北関東大震災の直後(15日後)に司祭に叙階される元田さん、どうかこのような信仰と希望、そしてキリストの愛を実践することにより、現代の聖フランシスコの弟子であるという証し(あかし)を立ててください。わたしたち一同はそのようにお願いし、そのためにわたしたちは祈ります。