マザー・テレサ生誕100周年ミサ説教(カテドラル)

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    2010年8月26日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

     

    聖書朗読 使徒パウロのフィリピの教会へ手紙4・4-9

    福音朗読 マタイによる福音25・31-40

     

    今日はマザー・テレサがお生まれになってちょうど100年にあたる日です。

    2010年8月26日の東京で、わたしたちはマザーの生涯から何を学ぶことができるでしょうか。

    日本のカトリック教会は8月6日から15日までの10日間を『平和旬間』と定め、全国の教会で平和のために祈り、平和について学び考え、平和のために行動する行事を行なっています。

    東京教区では8月14日、ここカテドラルで平和を願うミサがささげられました。わたくしは説教のなかで、2005年の司教団の平和メッセージ『非暴力による平和』の内容を紹介しました。その趣旨は次の通りです。

    「日本国憲法第9条のおかげで日本は65年間、戦争によって殺されることもなく殺すここともしないで済んだ。これは日本国民の誇りにできる事実である。

    他方、今注目して欲しいもう一つの悲しむべき事実がある。それは日本では連続12年間に及ぶ3万人を越える自死者のことです。このような多くの自死者のいる社会は決して平和ではない。」

    何が人を死に追い詰めるのでしょうか?病気、貧困をまずわたしたちは考えます。病苦から人は死に追いつめられ、貧しさのために人は死を強いられます。病気と貧困が孤独と結びつくときに人間はもっとも悲惨な状態に置かれます。

    マザー・テレサは度々言われました。

    「人間にとって最も辛いことは誰からも相手にされないこと、必要とされないこと、無視され、人間として認められないことである。」

    これは人間にとってもっとも重い病気であり、もっとも恐ろしい貧困ではないでしょうか。

    わたしは、日本にはこの恐ろしい現実がある、と感じます。

    神は愛です。マザーは神の愛を伝え実行するために神の愛の宣教者会を設立しました。

    今、日本では多くの人が孤独であり、人との暖かいつながりを奪われています。砂漠のような東京で人々は激しい生存競争で疲れ果て、生きる力をそがれて、絶望的になったり、自暴自棄に陥ったりします。

    しかし他方、わたしたちは、日々出会う人々のなかに、神の愛の輝き見つけます。それは、親切、正直、善意、忍耐などの人間としてのすばらしさのあかしです。使徒パウロも言っています。

    「兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」

    神の愛を実行するとは、マタイ福音書が教えているように、端的に言って、「飢えた人に食べさせ、渇いた人に着せ、病気の人を見舞い、牢獄の人を訪ねること」です。

    今、多くの人は肉体的に飢えているだけでなく精神的に飢えています。暖かい笑顔、励ましの言葉を必要としています。

    パウロは「主において常に喜びなさい」と教えています。マザー・テレサはこの教えを実行できた稀な人ではなかったでしょうか。マザー・テレサは実にすばらしい微笑みによって内なる喜びを伝えていたといわれています。

    多くの弟子たちに恵まれ、世界中から多大な支援を受け、ノーベル平和賞の栄誉に輝いた方です。何時も喜びと満足で一杯だから微笑んでいるのも当然、と人は思うかもしれませんが、実はあの笑顔のうらには大きな苦悩が隠されていたとも言われます。わたくしも最近その事実を知り驚きました。(「工藤裕美、シリル・ヴェリヤト共著『宣教師 マザーテレサの生涯』上智大学出版」参照)

    マザー・テレサは48年にわたり霊魂の暗闇に置かれていたとのことです。霊魂の暗闇とは、あの偉大な聖人、十字架の聖ヨハネなどが体験した、霊魂の浄化を受けるための非常に苦しい試練のことです。マザーがそのような試練を受けていたことを側近のシスターたちは気づかなかったそうです。イエスのゲッセマネの園での苦しみに与る日々を48年にわたって体験しながら何時も微笑を絶やさなかった、ということでした。彼女の霊魂の暗闇を支え導いたのは4人のイエズス会の司教・司祭であったことも述べられています。 マザー・テレサは本当に深い信仰の人であったと驚きました。

    今のわたしたちに必要なのはこのマザーの持っていた深い強い信仰です。彼女の霊魂は、暗闇、孤独、空虚、乾き、失望などを感じていました。しかしそれでも神の愛を信じ、イエスに従い、神を愛するという固い決意には変わりがありませんでした。

    信仰とは感じることではありません。感覚があれば信仰は必要ではなくなります。信仰を支えるためにもっとも必要なことは祈りです。互いに祈りによって支え合いましょう。

    マザーはしばしば“Something beautifl for God”と言われました。今日から何かよいこと、美しいことを始めましょう、神の愛を生きるために。

    神よ、そのために、わたしたちに知恵と勇気をお授けください。アーメン。