第40回ジュリア祭説教

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    2009年5月16日 神津島 ジュリア顕彰碑広場にて

     

    第40回ジュリア祭に参加できましたこと、そして皆様とご一緒に神津島でひと時を過ごすことができますことを、心から喜んでおります。この機会を作っていただきました皆様、特に神津島の石野田村長をはじめ関係者の皆様に、心から御礼申し上げます。

    今日、私たちはジュリア顕彰碑広場に集まって、新しい力をいただき、また自分の生活の場、仕事の場に戻って、元気に生きていきたいと思います。

    一人の女性、おたあジュリアという方が、この神津島に流されてきて、ここで島の人たちと一緒に生活し、島の人たちに大きな影響を与えました。400年にわたって島の人たちは彼女の墓碑を守り、そしてその思い出を伝え、彼女の生き方を尊敬し、彼女を慕ってくださったという紛れもない事実がございます。

    彼女がここに来たのは、自分から望んだことではなく、ただひとつ、彼女がキリシタンであり、その信仰を放棄することを拒んだためでありました。今、読み上げられましたヨハネの福音書(15章18-21節)にもありますとおり、キリストの弟子は、この世に属する者ではありません。ですからキリストが十字架につけられたとしたら、私たちもその十字架を担い、そして世から排斥されることを場合によっては覚悟しなければならない、おたあジュリアという方は、そのことを強く信じ、守ったためにここに流されてきたのであります。

    彼女のこの生き方、そのことが400年前の神津島の人たちに、どのように映ったのか、どのように受け止められたのか、よくはわかりませんが、島の人たちは彼女の生き方を尊敬し、400年の間、その記憶を私たちに伝えてくださったのであります。私たち、今のカトリック教会の信徒はまず、この事実に対し、島の方々に御礼しなければならないと思います。

    1600年代の前半、ちょうど昨年11月24日に列福された殉教者の時代と重なる頃でありますが、おたあジュリアは福者ヨハネ原主水といっしょに駿府城において、徳川家康に仕えたことがあると記憶しております。時の権力者に対し、どんなことでも命令には従いますが、信仰に関してはどうしても従うことができませんという態度を貫いて生きたのであります。その意味で原主水と同時代に生き、同じような信仰の姿勢を貫いたわけです。

    ジュリアは教会を大切にし、教会の祭儀、特にミサ、ご聖体を非常に大切にしていました。神津島に流されてきて、もちろんミサはなく、本当にミサにあずかりたいと心から願っていました。私たちは全く違う状況にあります。せめて、ここでミサをささげ、そのような思いで生きられたおたあジュリアをしのび、そして私たちもミサを大切にする心を養っていきたいと思っております。

    昨年の列福式、今日のジュリア祭40周年を合わせて考え、まず私が思いますのは、400年前の人々は、なぜあんなに勇敢に信仰を証しすることができたのだろうか、ということであります。そしてこの環境のもと、400年前のここではどのような生活をしていたのだろうか、どんな思いを持って毎日生きていたのであろうかということであります。ジュリアは幼時に韓国から日本に連れてこられたという非常に数奇な運命の中で生き、そして非常に力強く生きたのです。その生き方が周りの人たちに励ましと勇気を与えたのではないかと思うわけです。 

    ここに来る直前、新聞に載っていた記事に、日本では一年間に自死者が3万人を超え、それが10年連続しているという驚くべき記事がありました。自分で死を選ぶ、死に追いつめられてしまうという、非常に生きるのが難しい、生きにくい状況にあります。

    どうしてそうなるのだろうか、私たちが生きている環境自体、特に大都会では、多くの人がそこに集まっているけれども、人と人とのつながりは、薄く、冷たいです。生きる理由、生き甲斐がなかなか見つからない、そしてご存知のような経済不況の中で、本当に生きる、がんばる、具体的に明日誰それのためにこうしなければならないというような動機が、だんだん薄く、あいまいになってしまうのかなと想像してみたりします。

    そういう状況で、私たち宗教者は、人々に力、励まし、希望を指し示す者でなければならないのですが、私たち自身がどれだけできているか、ここに来まして、400年前の女性の生き方から、少しでも光、力を学びたい、そしてこの素晴らしい神津島の自然の中で、人々との交わりの中で、今私たちが毎日の生活の中で見失っている、本当に人間らしい生き方、自然の恵み、神様の創造のみわざの美しさを、心から喜んで受け入れて、新しくされて、また現実の生活に帰り、そこでがんばるようにしたいなあと思います。

    人生は苦しみであります。仏教では「四苦八苦」といい、「生・老・病・死、愛別離苦(あいべつりく )、怨憎会苦(おんぞうえく )、求不得苦(ぐふとくく )、五薀盛苦(ごうんじょうく )」を人生の苦の総称として表現しているようです。これがどういうものであるかを、知ったかぶりで申し上げられませんが、今日述べたいことは、私たちはここに来て、おたあジュリアという一人の女性、韓国と日本の複雑な歴史の中で両国を結ぶ懸け橋となるべき人でもあり、ただキリストを信じたために、苦しみの生活を喜んでささげたこの勇敢な、そして清冽な生き方から勇気と希望をいただけるであろうこと、そして神津島の自然とあたたかいおもてなしから、私たちは慰めを受けることができ るであろうということを申し上げたいのでございます。 

    ジュリア祭40周年にあたり、私は今までほとんどジュリア祭には直接の関わりはございませんでした。石野田村長はじめ村の関係者の方々が、わざわざ大司教館に出向いてくださり、「40周年の際にはぜひ参加してもらいたい」と言われ、私も前から行きたいと思っていましたが、忙しさや健康状態の不安などもありましたので、今回参加できたことを特に喜んでおります。

    40年の歴史は非常に重いものです。カトリック教会が始めたのではなくて、島の方々がイニシアチブをとって始められたと聞いております。歴代の村長、役場の職員の方々、島の皆さん、そして特に昨年逝去された松本一元村長を思い起こして、その御霊に感謝をささげたいと思います。

    また私も何度もお会いしましたが、東京七島新聞社の田中英一記者の尽力によって、この40年が支えられてきたと思います。田中記者もすでに故人となられております。

    カトリック教会側の人物としては、白柳誠一枢機卿、濱尾文郎枢機卿、下山神父、杉田神父、韓国釜山教区の金神父などのご指導、支えによって今日まで歩んで来ることができました。

    私たちは、この40周年に際し、40年間を振り返りながら、日本の社会、私たちの教会に欠けているものが何であるかを、あらためて思い起こし、本当に光と力をいただいて元気を回復し、ジュリアが周りの人を励ましたように、日本の社会の人々に私たちも励ましを伝え、励ますことができますようにと心から念じたいと思います。