東京大司教着座3周年記念ミサ

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    2003年9月7日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

     

    本日大司教着座3周年を迎えるにあたり、この3年間わたしのために祈りわたしを支え援助してくださった皆様に心から感謝申し上げます。

    「主に望みをおく人」、これはわたくしの司教としてのモットーです。イザヤ書40章31節の「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る」(31節)からとりました。わたくしはかねがね、自分にもっとも必要なのは「希望」の徳であると思っていたのです。重要な任務をいただいて4年目を迎える今、あらためて主への信頼を新たにしてくださるよう、切に祈り求めたいと思います。

    大司教就任の年は紀元2000年、大聖年の年でした。わたくしは9月3日の着座ミサにおいて当日の福音朗読に引用されているイザヤ書の「主の恵の年」を大聖年に重ね合わせながらつぎのように就任の決意を表明し皆様の祈りと協力をお願いいたしました。

    「わたくしは、わたしたちの教会がすべての人に開かれた共同体、とくに弱い立場におかれている人々、圧迫されている貧しい人々にとって、やすらぎ、なぐさめ、はげまし、力、希望、救いとなる共同体として成長するよう、力を尽くします。

    どうか皆様、この決心を実行できますよう、わたくしを助けてください。

    どうか神よ、この決心を祝福してください。たえずわたしたちを教え導き支えはげましてください。そしてとくにお願いします。わたしたちひとり一人にこの決心を実行するための勇気をお与えください、主・キリストによって、アーメン。 」

    今同じ決意と祈りを主の御前におささげします。

    就任以来3年が経過しました。この3年間はわたくしにとって9年くらいに該当するくらい内容の濃いものでした。2001年6月25日には就任のときの決意を実行すべく、『新しい一歩』というメッセージを発表いたしました。現在このメッセージの展開である、小教区の再編成と教区の改革が進行中です。 

    いまこの3年間を振り返ってみますと、東京大司教の任務が本当に重いものであり任務遂行に多大な困難が伴うものであると、しみじみ感じています。

    わたしたちの教会、わたくしたち自身のなかに解決すべき数々の問題、克服すべき悪が存在しています。またわたしたちが生きているこの世界にもなお多大なる悪、到底受け入れることのできない理不尽なことがらが存在しています。わたくしは最近この悪の問題を痛感しています。教会の内外に現として深い闇があると感じます。

    しかし闇が深ければそれだけ光は明るく輝きます。イエス・キリストは神の国の到来を告げ知らせました。イエスの存在そのものが神の国を示しています。イエス・キリストとともに神の国が実現したのです。

    今日の福音は「エッファッタ」ということばとともにイエスが耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の聞けない人を話せるようにしてくださった、という奇跡の話です。これはまさにイエスによって神の国が到来したことを告げ知らせる福音の場面であります。

    ところでイエスはしばしば奇跡を行って神の国を明かししましたが、この世の病気や問題のすべてを取り除いたわけではありません。イエス・キリストにおいて神の国は到来した、でも神の国はまだ完成していないのです。

    イエスは罪と悪に打ち勝って復活を遂げました。復活によってこの世界の意味は本質的に変えさせられたはずです。しかし、わたしたちの目にする世界は悪の跳梁跋扈する世界です。どこに復活があるのか、と疑いたくもなるでしょう。

    このような現実の中でわたしたち教会自身は神の国の到来のしるし、復活の証人となるよう招かれています。そのためにこそ教会が設立されたのです。たとえ小さく弱くともわたしたち人身がキリストの復活の光です。自分自身を輝かせなければならない、輝かせてください、と力を、恵みを祈りも求めなければならないのです。闇の中に光を輝かせること、それは証であり、苦しみが伴います。それはまさにイエス・キリストの「死からいのちへ」の道です。このように思うとき次のミサの祈りが強くこころに迫ってきます。

    「慈しみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、現代に平和をお与えください。あなたのいつくしみに支えられ、罪から解放されて、すべての困難に打ち勝つことが出来ますように。わたしたちの希望救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。」