中目黒・聖ミカエル教会40周年記念ミサ

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    2003年4月6日、中目黒聖ミカエル教会にて

     

    1962年11月11日、この中目黒の地にドイツ語圏の信者のためのカトリック教会聖ミカエル聖堂が完成し、当時の土井辰雄東京大司教によって献堂されました。昨年の11月で聖ミカエル聖堂は40周年を迎えたわけです。今日は少し遅れになりますが聖ミカエル聖堂献堂40周年記念ミサをささげています。

    あらためましてここのお集まりの皆様に献堂40周年を心からお祝いを申し上げます。

    1962年と言えば第二ヴァチカン公会議の始まる前年です。第二ヴァチカン公会議後、40年が経ちました。この40年の間、教会も、皆様自身も、大きな変化を体験されたことと存じます。

    公会議から40年を経たいま、わたしたちの教会はどんな状況に置かれているのでしょうか。

    世界の教会、アジアの教会、日本の教会、この東京教区をみても容易ならぬ状態にあると言わなければなりません。普遍教会の最高の牧者でいらっしゃる教皇様の責任はどんなにか重いものでしょうか。そのご心痛はいかばかりでしょうか。

    教会が直面している問題はまず、教会が派遣されているこの世、この世界の問題、この世界から来る問題です。キリストの弟子たちはこの世にあって数々の試練に出会うのです。

    しかし、最近わたくしが思いますに、教会の問題は外から来るものだけではなく、わたくしたち自身の中からも生じます。それはわたしたちが、罪びとの教会、健康な人ばかりでなく病気の人をも含む教会、むしろ罪と弱さ、病気や患いをもつ弱く貧しい人の集団であるからです。問題はわたしたちのなかにも内在しているのです。

    教皇様は紀元2000年の大聖年を迎えるに際し、教会の子らは心から過去の過ちを悔い改めなければ新しい千年紀の敷居をまたぐことはできないのだ、と言われました。過去の過ちとは、キリスト者の分裂の罪、教会内の非寛容のことなどを指しているのではないかと思います。

    わたくしは2001年6月の「新しい一歩」を発表し、前任者の意向を引き継ぎ、教区の刷新と改革に務めたい、と申し上げました。それ以来感じてきたのは、まずわたしたち司教・司祭自身が自分自身の問題を直視しなければならない、ということです。教会が刷新されるためにはまず神の民の役務者の心と意識が新たにされなければならないのです。そうでなければ司祭は信徒によく仕え導くことができないのです。

    さる3月2日、東京カテドラルでわたくしは2名の司祭を叙階しました。わたしはそのような思いを込め、渾身の力を振り絞ってこの式を執行しました。

    さて、今日の朗読を振り返りましょう。聖ペトロは言います。「主は、人々から見捨てられたのですが、神によって選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通してささげなさい」(Ⅰペトロ 2:4-5)。まず司教・司祭からと申しましたが、実は教会全体がキリストの祭司の務めを受けています。わたしたちは皆、祭司です。司祭も信徒もおなじ霊に生かされ、キリストと同じ生きた石となり、神へのささげものになるのです。

    依然として世界の情勢は緊迫しております。わたしたちキリストの弟子は霊によって築かれた神の家、神の神殿です。わたしたちは世界を聖化するパン種となり、神の支配、神の平和の行き渡った世界の建設のために力を合わせようではありませんか。