赤羽教会訪問に際してのミサ

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    2002年11月17日

     

    待降節が近づいてきました。教会の典礼は終末を迎える準備をするよう勧めています。

    先週の主日の福音は『5人の賢いおとめと5人の愚かなおとめの話』でした。わたしたちはそれぞれ世の終わりに自分の責任を問われます。わたしたちは、人には替わってはもらえない自分自身の責任があることを思い起こさせられます。

    今日は『タラントンのたとえ』です。わたしたちは世の終わりに神様の前に出て自分の人生の清算をしなければなりません。神様から与えられた召命の総決算をしなければならないのです。人にはそれぞれ召命があります。司教、司祭、修道者、信徒は、それぞれ異なる召命を受けました。今日の朗読では、「いつも光の子として目を覚ましているように」といわれています。召命の内容は異なってはいても、誰でも光の子としての自分の召命を生き全うしなければならないのです。

    ところでわたくしは司教の務めを受けております。

    実は仙台教区の前司教佐藤千敬様が亡くなられ、おとといの金曜日、仙台のカテドラルで葬儀が行われました。わたくしは頼まれてつたない説教をいたしました。

    司教の務めは色々ですが、教えること、聖化すること、治めることの3つにまとめることができます。「治める」とは「仕える」ことです。

    言い換えれば、教職、祭職、牧職あるいは預言者、祭司、王の務めであるといえましょう。

    教える務めは福音化(福音宣教)という言葉で言い表すこともできましょう。

    佐藤司教様はこの司教の務めを22年間にわたって務められました。さぞご苦労が多かったことと存じます。葬儀の中では司祭団代表の弔辞がありました。それは心を打つ内容でした。司教と司祭の関係をしみじみ考えさせられました。自分の葬儀の時には誰が何を言ってくれるだろうかと、ふと考えてしまいます。

    さて、「光の子」としていつでも主の前に出られるよう準備するために何が大切かといえば、やはり日々の祈りです。

    先日教皇ヨハネ・パウロ2世は全世界の信者に、使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』を送り、全信者にロザリオの祈りを大切にするよう勧め、2002年10月から2003年10月を『ロザリオの年』と定められました。

    さらに教皇はこの度、従来の3つの玄義、喜びの玄義、苦しみの玄義、栄えの玄義に、新たに「光の玄義」を加えました。これはキリストの公生活、宣教の生活を黙想し観想する玄義です。世の光であるキリストを黙想しようという意味です。

    「光の玄義」には次の5つのキリストの公生活の場面が含まれています。

    第1―ヨルダン川でのイエスの受洗、第2―カナの婚宴における最初のしるし、第3―御国の到来の宣言と回心の呼びかけ、第4―ご変容、第5―過ぎ越しの神秘の秘跡的表現である聖体の制定。

    ロザリオによって聖母とともに主の生涯の神秘を黙想することは大変優れた日々の祈りであり、主の再臨を迎えるための良い準備となります。ロザリオの祈りを大切にしながらロザリオの年をお捧げになるようお勧めします。

     

    (当日の説教を多少修正したものです)。