司祭叙階式

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    2001年3月4日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

     

    【司祭受階者】

    アウグスティヌス 加藤 豊(東京教区)

     

    1. 初心忘るべからず。

    これは能の大成者,世阿彌のことばです。本日の司祭叙階式にあたり、今司祭に叙階されようとしている加藤豊さんにこの言葉を送りたいと思います。

    加藤さん、今あなたはどんな気持ちでしょうか?

    あなたは謙虚な気持ちのうちにも「よいこと」「すばらしいこと」を始めようとしています。自分の至らなさを思いながらあえて福音宣教の第一線に立とうとしています。緊張と不安のなかで、熱意と気迫に押し出されるようにしてこの場に臨んでいます。ただ一筋に召命を生きたいという誠実で純粋な心でこの日を迎えられたことと思います。

    どうかこの気持ちを生涯大切にしてください。

    あなたの前には、おそらく、困難で長い道のりが待っています。「自分はなぜここにいるのか?」と自分に問う日がくるかもしれません。その日のために、いまの気持ちを大切にしてください。

     

    2. 一匹の羊のために

    司祭としての歩みの途中で時折われと自分に問いかける問い、それは「なぜわたしは司祭であるのか?なぜ司祭としてここにいるのか?」などの問いではないでしょうか。そのときあなたは何と答えますか?

    今日の福音はルカ15章の「99匹と一匹の羊のたとえ」です。これは、99匹の羊を置いてまでただ一匹の羊を探し回る羊飼いの姿を通して、当時罪人として弾劾された人々への神の深い愛を説く譬え話です。ここには、常識では理解できない、父である神の、「罪人」への特別な思いが語られています。司祭とは、いわば、この神の愛を証しし伝える「もう一人のキリスト」であると思います。

    この話からわたしたちは、何を置いても優先的に手を差し伸べるべき人とは誰か、ということを学びます。一匹の羊で示されている人々とは、誰よりも助けを必要としている、貧しく、寄る辺のない、無力な人々、のことではないでしょうか。イエスの宣教は、自分で自分を守り自分を主張する力の乏しい、寄る辺のない弱い立場におかれた、貧しい人々を優先する宣教でありました。

    教会はイエスと出会い救いの喜びを与えられた貧しい人々の群れです。教会がこの世界の中で「地の塩」「世の光」として自らをあかしできるのは「貧しい人々とともに歩むこと」によってです。

    いま、この首都圏において「貧しい人々」とはだれでしょうか。

    3Kとよばれるつらい労働に従事する寄留者たち。異なる文化・習慣・言語の社会の中で定住しようと悪戦苦闘している移住者たち。社会・家庭・地域などで性差別や暴力にくるしむ女性たち。家庭・社会のゆがみの犠牲者として虐待されている子どもや青少年。病気や心身の衰弱に悩む人々。さまざま障害に苦しみ人々。日本社会の偏見である部落差別にくるしむ人々。

    「金がすべて」の価値観が支配する社会の歯車にされてくる人々。そして、人生の意味、目標を求めて彷徨し、孤独に悩み、心の問題に苦しんでいる人々。

    司祭とは、このような「貧しい人々」とともにあゆむ教会の奉仕者です。わたしたちの教会共同体が、すべての人、とくに「貧しい人々」のいこい、やすらぎ、よろこび、すくいとなる共同体として成長して行くよう、力を尽くしたいと思います。

    どうか、叙階されるあなたは、聖ペトロの言葉に倣い、「ゆだねられている人々に対して、権威を振り回さ」ず、謙遜に奉仕する僕の姿を示しながら、このような教会共同体建設のために力を尽くされるよう切にお願いします。

     

    3. 司教の協力者、司祭団のメンバー

    さて、司教の第一の協力者は司祭であります。司教は使徒の後継者であり、イエス・キリストの使命を受け継ぐものです。その司教は司祭の存在と協力なしにその使命を果たすことはできません。司祭はまず司教との緊密な交わりに中で任務を遂行します。不肖わたくしはあなたの司教です。あなたに洗礼を授け司祭への道を導いた人は別な人でした。種を蒔いた人と実りを刈り入れる人は別です。この事実の中に、時間と場所を超えた、普遍教会の交わりのすばらし神秘があります。

    ところで、司教の協力者として叙階される司祭は同時に、司教を中心とする司祭団へ加入することになります。

    主イエスは最後の晩餐に際し新しい掟をのこされました。「わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい」。この言葉はまず司祭の交わりの中で具体的な姿をとって実現されなければなりません。

    新しく司祭に叙階されるあなたは、すでに叙階されている先任者、年長者の司祭を尊敬し、その指導と助言とに謙遜に耳を傾け、その体験と知恵に学ぶよう努めてください。また、病気の司祭、高齢の司祭をいたわり助け、その必要によく応えるよう心がけてください。

    日々の宣教司牧活動については何事も仲間の司祭との緊密な連絡と協力のもとに行うようを心がけてください。またあなたの後に続く司祭の召命に特に意を注ぎ、青少年の育成に配慮するようお願いします。

     

    4. 司祭と信徒

    教会は信徒、司祭,奉献生活者からなる神の民ですが、教会の発展のために司祭と信徒のふさわしい協力関係をたえず築かれ新たされなければなりません。

    第2ヴァチカン公会議の『教会憲章』は信徒と司祭のあるべき関係について次のように述べています。

    まず司祭に対する信徒の態度についてのべます。

    「信徒はその知識,才能,識見に応じて,教会の利害に関する事柄について自分の意見を発表する権利,時にはそうする義務を持っている。このような場合には,教会がそのために制定した機関を通して行うべきであって,常に真実と勇気と賢慮を持って,聖なる職務のためにキリストの代理をつとめる人々に対する尊敬と愛のうちに行わなければならない。」

    ついで司祭についてのべます。

    「聖なる牧者は,教会における信徒の地位と責任を認め,またこれを向上させなければならない。信徒の賢明なる助言をこころよく受け入れ,教会の奉仕のために信頼を持って彼らに任務をゆだね,行動の自由と余地をかれらに残し,さらに,かれらが自発的に仕事に着手するよう激励しなければならない。また信徒から提案された創意,要求,希望を,キリストにおける慈父としての愛を持って慎重に考慮しなければならない。」(37番参照)

    これからの東京教区が、この司祭と信徒にあるべき協力関係のなかで、希望のうちに健全なる発展を遂げるよう切に望んでいます。