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東京・ケルン50周年記念行事:メッセージ

2014年02月14日

2004年東京・ケルン大司教区友好50周年
《交換書簡》マイスナー枢機卿のメッセージ

ケルン大司教から東京大司教区の信者の皆さまへ

2004 年1 月25 日

ヘフナー枢機卿

親愛なる東京大司教区の姉妹・兄弟の皆さま
東京大司教ペトロ土井枢機卿と私の前々任者ヨーゼフ・フリングス枢機卿が、私たち両教区共同の祈りと相互支援の約定を結んでから、もう50年になりました。

神はこの祈りと援助の共同体に、具体的なかたちで豊かな祝福をお与えになりました。毎年、ケルンのカトリック信者は東京の姉妹・兄弟のために祈り、東京の皆さまはケルン のカトリック信者のために毎年お祈りくださいました。こうした祈りによって両教区の信者同士のきずなが培われ、私たちが一緒にあがめる天の父がその御手を私たち双方の教区と小教区の上にかざしてくださっているのだという確信が互いに深められています。

当時両教区の司教が最初に交わした手紙を読みますと、この祈りの共同体が聖ボニファチウスに由来するものであったことが分かります。当時ドイツでは使徒でありドイツ人宣教の師であった聖ボニファチウスの帰天1200年記念祭を迎えていたのです。フリングス 枢機卿はこのことを取り上げて、土井枢機卿に宛てた手紙の中で次のように述べています。

「私たちの先祖に遠い国から真の信仰の光がもたらされたことに胸いっぱいの感謝の気持ちをもって、ケルン大司教区の司祭と信徒たちは特に(東京)大司教区のために祈り、かつ物質的援助をいたしたく存じます。」

聖ボニファチウスは変転の時代に生きた方です。実行力のある、何事にも屈しない、そのため時には付き合いにくいこともあった宣教者でした。彼は多くのものを築き上げましたが、また多くのものが再び壊されてしまうのを目の当たりにしなければなりませんでした。しかし聖ボニファチウスのお墓があるところには、もうずいぶん前からドイツ全国の司教たちが毎年集まって、総会を開いています。

私たちは当時、数のうえではまだ小さな集まりだった東京のカトリック信者たちの信仰の固さと宣教の熱心さに感動いたしました。このころ、東京の教会は内的にも外的にも急成長を遂げており、それはケルンの教会にとって、全世界に福音を伝える責任を感じさせ、何かをしなければならないという気持ちを抱く重要なきっかけとなったのでした。

同時に私たちの目と心が、世界中の欠乏、飢え、病気に向けて開かれることとなりました。東京教区との、信仰と祈りの生きた共同体が存在しなかったならば、ケルン教区においてその5年後に、全ドイツの司教たちに働きかけて、世界中の飢えと病気に対する教会の救済組織「ミゼレオール」を創設しようとする歩みはなされなかったかも知れません。
 
今日、私たちの共同体のお祝いの年を迎えて、当時聖ボニファチウスがしたように、私たちも時代のしるしを解き明かし、キリスト者として共有する答えを求めるよう、神は私たちに呼びかけておられます。

多くの面において私たち日独両国とその社会は似たような歴史をたどりました。世界有数の豊かな工業国として、特に私たちは国の内外の貧しい人々や弱い人々に対する責任を果たすよう求められています。新たな社会的試練が次々と重なり、生活様式が様々に変化することから、私たちはこれまでの教会の仕組みや小教区の組織などの改革について考えをめぐらせ、適応をはかってゆかねばならなくなりました。主のぶどう畑のために働くようにという主の呼びかけが、どうやらあまり聞かれなくなり、理解されなくなってきていることを、痛感いたしております。

そこで両教区の責任者が一緒に考えて、この記念すべき年に当たっては司祭職と修道生活への召命に向けて再び人々の心が開かれるよう、特に真剣にお祈りしようということになりました。―私たちは東京の皆さまのために、そして皆さまはケルンの私たちのために。

また、東京のカトリック信者がミャンマーの教会、特に聖職者と修道者の後継養成のために多大の努力を払っておられることから、今後は、毎年1月ケルン教区での東京デーの献金をこれに加えて、ミャンマーへの援助を強化したいと考えています。

なお、私の側からも、ケルン教区およびその信者全員の関心事を皆さまのお祈りに含めてくださるようお願いしたく思います。今年は、教皇様が世界の青少年を招いて2005年にケルンで開かれるワールド・ユース・デーに向けて、私たちの青少年が精神的準備を行う年です。私は今のうちから、東京教区の青少年たちが一人でも多くこの集いに参加されるよう、お招きします。

聖霊が私たち東京とケルンの教会をこの記念すべき年にキリストの愛のきずなによってよりしっかりと結んでくれますよう、聖霊との一致において皆さまにご挨拶を送り、祝福いたします。

ケルン大司教 ヨアヒム・マイスナー枢機卿

 

 

聖職者の集い ミサ説教

 2004 年3 月29 日 11:00
東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

親愛なる聖職者・修道士・修道女の皆さま

今日、東京・ケルン両大司教区の友好の金祝を祝うために皆さまが東京大聖堂で催されます祝典にお越しくださいましたことは、私にとりまして大きな喜びとするところです。この友好関係につきましては、私どもも同じように利益を得させていただく立場におります。なぜなら、私たちの祖父たちが当時、困難なときに両大司教区の間のこのパートナーシップを結んだからです。1954年といいますのは、私たちどちらの国も、戦争の深い傷跡がまだ生々しく残っている時代でした。この戦争は残念ながら私たち両民族から発したものでした。世界の国々は私たちドイツ人と日本人に対して深い不信の目を向けていました。当時、双方の大司教であった土井、フリングス両枢機卿が手を伸べ合ったのは勇気あるしるしと言えましょう。双方が互いに手を差し伸べたのは、互いに励まし助け合い、我々両民族が平和と自由に対する義務を担うことによって、世界共同体に再び名誉ある地位を取り戻すためでした。この目標が、他の目標と並んで達成されましたことに、私たちは深い感謝の念にあふれております。

我々カトリックの世界教会内部におけます相互の連帯は、内に向けても外に向けても成長を遂げています。これに関連して上智大学は少なからぬ役割を果たしておられます。ドイツ語でこれを申しますと、上智大学は我々にとりまして“lieb und teuer”「かわいく、そして価値あるもの」であります。聖書のさまざまな絵の中では、使徒パウロの絵が残念なことに少し陰に押しやられております。すなわち、教会がキリストの体であるということです。「もし体の一部が栄誉を受ければ、体全体がともに栄誉を受けます。もし一つの部分が苦しめば、全ての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、全ての部分がともに喜ぶのです」(コリント人への手紙Ⅰ 12.26)。これはとりわけ私たち両大司教区の聖職者と修道者に当てはまります。聖なる叙階によって、私たちはソリストとしての生涯を送るようにと運命づけられたのではありません。そうではなくて、私たちは司祭職に叙階されたのです。これは一つの組織体であって、その頂上にはそれぞれの司教が立っています。ここで個々の聖職者は、彼の任務を完全にキリストの意において遂行することによって、司祭職の強化とその霊的なバイタリティーに貢献すべきなのです。恩寵は決して単なるプライベートな出来事ではありません。恩寵は、恩寵を受けた者を通じて他の者の霊的な水準を高めるのに貢献すべきものなのです。

相互間のパートナーシップは聖職者相互の責任を意味します。罪もまた決して単なるプライベートな損失ではありません。罪によって私は全司祭職、そしてそれによって教会の全聖職者の霊的水準の損失に関与することとなってしまうのです。

愛する兄弟、愛する姉妹の皆さま。私はここで、教会の偉大なる慰めの書である黙示録の第一章から、私を個人的にいつも非常に助けてくれる言葉を申したいと思います。「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難とみ国と忍耐に与っているものである...」(黙示録1.9)。皆さまと同じように苦難を背負う者として、私は現在の状況におられる皆さまに是非、この言葉を差し上げたいと強く思いました。私たちの心を陰鬱にするのは、私たちの仕事が実を結ばないからです。昔の人はこう言いました。「神のみ国においては100パーセントの努力をすれば、10パーセントの成功がもたらされる」今日では、こうした比喩が適切かどうか大いに疑わしいところです。私たちを苦しめるのは世俗的なものの考え方です。これが世界のあらゆる生活の場を占め、教会の扉も、とどめることができないのです。これについて二つの例を挙げてみます。

私たちは今日、永遠という時間の概念を失いました。ですから、生活を持続的なアミューズメント、娯楽の場にしたいと考えるわけです。しかし、そこには永住の場がないのだということがすっかり忘れ去られています。人間がいつか神の前で自分の審判を受けて自分の生涯についての報告をしなければならなくなるということは、どこかへ押しやられてしまいます。そうなりますと、召命、たとえば聖職者の召命ということが神の永遠に向けられているのであるということが、もはや私たちの考えや感覚にうまく合わなくなってしまうのは明らかです。

それはとくに二つ目の例が示しています。独身を通すというのは、私たち聖職者の生活スタイルで、イエスの生活スタイルに基づくものですが、世間はもとより、最近私たちの信徒の間ですら異様に見えるようです。人の子となって私たちのすぐ近くに来られた、生きた神を知らない者には、そうした生活の形が理解できないのです。私たちが聖職者として外部から攻撃され、内部から意義を唱えられるのはそうした事情によるのでしょう。「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難に与っているものであって...」と黙示録に書かれてあるのは、天使とともにある、すなわち聖職者とともにある信徒の集合体にとって、神の大きな慰めとなるのです。

しかし、私たちには、「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにみ国に与り、あなたがたとともにイエスのなかにあって苦しみ耐えぬく」という言葉も大切なのです。まさに現代における特別な恩寵を私が見るのは、聖職者としての私たちが、もはやあるイメージとか社会的な威厳でもって支えられるのではなく、まったくもって神の恵みによってのみ支えられるのであるということです。神の恩寵以外には今日私たちを支えるものはもはや何もないのです。神には、私たちは全重力をもって全身をその腕に委ねきることが許されますし、また可能なのです。神は私たちを支えてくださいます。私たちが、全ての可能性を使い切ってしまったところで、神は始められるのです。私たちに新しい希望を与えるのに、外面的な状況を最初に変える必要はありません。私たちの内側にまずは変化が必要なのです。回心を行う必要があるのです。そうすることによって私たちは再び聖霊の上昇気流に乗れるのです。以前はこんなふうに言ったものです。「私たちは生活に対して超自然的な考え方を必要とする。」

 私たちの、聖職者への召命を、私はヨハネの福音書第15章16節に適切に述べられていると見ております。「あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それはあなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためです。」「あなたがたが私を」ではなく「私があなたがたを」ということが、私たち聖職者を支える基盤となるのです。神は忠実です!神は私たちをもてあそんだりしません。神は私たちを尊重してくださいます。成功が神の名前のどれでもないという場合、我が主の言葉によると、それは「実り多い」ということです。私たちの司牧の仕事は、今日の人々の考えを支配している生産の法則に従うものではありません。成長の法則によるのです。生産の法則は私たちの手の内にはありません。私たちは種をまくだけです。穫り入れをするのは他の人です。ですから、私たちの仕事というのは、目隠しをしてするのと似たところがあります。私たちがすることをほとんど見ることがありません。永遠のなかではじめて、それに対する私たちの目が開かれるのです。

私たちが独身の生活をしていることは、イエス・キリストが存在してのみ納得のいくことです。彼を積極的に信じない者は、私たちの生活の形を理解できません。たとえば、結婚式の際、男の人は一人の女性のために他の全ての女性をあきらめるというのではなく、他の全ての、パートナーとしての可能性の残っている女性のなかから一人を優先させたのです。そして独身生活をとる司祭は、パートナーとしての可能性を持つ女性をまずあきらめたというのではなく、生きた神の子イエス・キリストとの友情を他のすべての人間とのパートナーシップに対して優先させたのです。独身制というのは断念することなどではなく、優先させるということです。私たちが私たちのためにと、私たちの務めのためにこうした生活を選んだことは、失うということではなく、勝ち得るということです。「私のために命を失う者は、それを救うのです」(ルカ9.23-25)。私たちが気遣うのは、この最初の愛を失わないということです。

どれだけたくさんのものが、この何年間かほとんど誰にも気づかれずに、イエス・キリストでもないのに全面に押し出て、一番最初の席につくようになりました。他のものが私たちにとって第一のものとなれば、キリストは二義的なものとなってしまいます。しかし、キリストが私たちにとって二義的なものになってしまえば、私たちの生活の基礎は揺らぎます。「なぜならあなたがたが私を選んだのではなく、私があなたがたを選んだからです。」

司祭への叙階というのは、キリストの十字架に与ることによって、全て無意味なものを意味あるものに変質させ、絶望を希望に、死を生に、マイナスをプラスに変えるというキリストの持つ可能性に与るということです。

カトリック教徒が少数派の土地、すなわちディアスポラに住み、そこで亡くなったある司祭の日記に、私も生前個人的に深くお付き合いさせていただいた方で、生涯最後の10年間は体が麻痺して何もできないという運命を担うこととなった方ですが、この司祭の日記の終わりに、コロサイ人への手紙1章24節を引用していました。「私はあなたがたのために苦しみを喜びとしています。そしてキリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは教会のことです。」彼は最後にこう繰り返しています。「それが当たっていることを、私はうれしく思います。」

私は私自身だけでなく、皆さまにも、そのとおりであることを望みます。私たち聖職者がいなかったら、この世はどうなっていることでしょう。私たちを選んだのは私たちではなくて、彼が私たちを世のために選んだのです。彼は私たちの召命を支える土台であり、私たちの務めを可能にする力です。彼こそ、私たちは私たちの全てをおまかせできるのです。

アーメン。

ケルン大司教 ヨアヒム・マイスナー枢機卿

 

2004年 東京・ケルン大司教区友好50周年
感謝のミサ 説教

2004年3月28日 10:00
東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

親愛なる聖職にある兄弟の皆さま、親愛なる主キリストにおける姉妹・兄弟の皆さま。

私たちは今日、東京大司教区とケルン大司教区の友好50年を祝います。でも、2000年にもなる教会の歴史の中で、50年というのはお祝いに値するのでしょうか。私たちは「ヤー」「はい」と言います。なぜなら、このパートナーシップによって世界教会の中で二つの司教区が教皇さまの祝福を受けて友好の絆を結んだからです。

これまでにもローマの私たちの教会を中心とする個々の司教区の関係は常に存在しました。これは過去においても、現在においても極めて必要なことです。しかしながら、教会の中心に向けたこうした関係は、東京とケルンの間のパートナーシップのような横のつながりによって強化され、現実的なものとなるのです。この50年の間に、個々の司教区同士の横の関係がたくさん生まれました。カトリックであるということは、横の関係に立つということです。世界教会にとって、東京とケルンの関係は模範的なものです。

使徒パウロによりますと、教会はキリストの花嫁です。結婚で結ばれた人たちのように、教会は花婿としてのキリストとの密接な絆のなかに生きるのです。すでに旧約聖書の中で預言者たちはヤーウェとその民との関係を結婚の絆であると定義づけています。ですから今日、福音書のなかで、教会はキリストとともに、私たちに対するのと同じように、キリストと結ばれたものとして、夫に背いた罪深き妻を赦すのです。

福音書の伝えるところによりますと、イエスさまはその女の前にかがみ、指で何かを地面に書きました。イエスさまが一体何を地面に書き込まれたのか、是非知りたいものだと、私はずっと思っていました。非常に古い、フランスで写本された聖書に、その様子が細かく描かれています。その細密画を描いた僧侶は、主イエスに次のような言葉を地面に書かせています。「テラ・アクサヴィト・テラム」すなわち、「地面は地面を嘆く」ということで、つまりはパリサイ人が罪を犯した女を嘆くという意味です。世間が教会に対して発する嘆きの言葉は、全てが根拠のないものではありませんが、教会について歎くべきことといえば、それは、教会に属する人たちの世俗化です。

西暦2000年の四旬節第一主日に、教皇さまは良心を清めるために、過去と現在において罪を犯した教会に属する人々のために罪を告白されました。いつの時代にあってもパリサイ人はさまざまな理由をつけて教会に対する反対意見を唱えます。多くの非難を教会は受けています。私たちの使命はこれらの非難が正当でないと言えるようにすることです。現在、教会が受けるほとんどの非難は正しくありません。しかし、中には正当な非難も存在します。それは私たちが主と歩みが一致してない場合です。

ご聖体の祭儀において、私たちは文字通り、ちょうど夫婦が婚姻を通じて結ばれるように、主と一体となります。普通の食事ですと、食べ物は私たちの体の中でさまざまな要素に変化して吸収されます。聖体拝領ではそれが逆になります。ここでは体が私たちの体に同化するのです。現代の医学から私たちも知っていることですが、たとえば心臓移植で危険なのは、臓器が移植された組織を拒絶する反応を示すことです。これは互いに異質であるからです。このことはキリスト教徒についても考えられることです。キリスト教徒にふさわしくないような生活態度をとっている人がご聖体を拝領した場合、キリストの体の秘跡とは一致しないで、まるで異質の組織のように拒絶されるに違いありません。

二つの大きな大司教区パートナーシップが存在する理由は、互いに神の前に責任を負い、互いに清め合い、教区同士ができるだけイエスと一致できるよう互いに努力するということにあります。「もし体の一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しむ」(コリント人への手紙Ⅰ 12.26)とパウロは言っています。「もし一つの部分が喜べば、全ての部分が共に喜ぶのです。」

私は東京教区の皆さまが、信仰の中で忠実にキリストに従うことによって私たちを強め、神秘的な形で私たちを勇気づけ、また私たちの慈善事業の中で私たちを支援してくださっていることに感謝申したく思います。私たちは日々、互いに与え合う義務を負っています。「私は彼らのため、私自身を清め分かちます」(ヨハネ17.19)と、主は弟子たちのために祈りの中でこう言っておられます。私はケルンの大司教として、これを東京大司教のために、また東京の大司教はケルンのために次のように言うべきでしょう。「ケルンの彼らのために私は私自身を清め、東京の彼らのために私は私自身を清めます」と。私は毎日の聖務日課を祈るとき、ケルン大司教区の神の民だけでなく、東京大司教区の神の民のためにも祈っております。福音書のなかで、パリサイ人が女の人を非難するように、私たちも世間からしばしば非難を受けるのですが、たとえそうであっても、私たちは信仰のなかで互いに励まし合い、互いに赦しを願うことを本分とするものであります。

花嫁は花婿に応じるべきです。それは花婿のためだけでなく、人類のためでもあるのです。教会に対して主は他に比べるもののないメッセージを託しました。福音を伝えること、これは教会の栄誉とするところであり、教会の受けた任務であるのです。教会のもつ全てのものは他の人のものです。この他の人というのは世界のことです。ですから、教会はキリストと人類の間にある自分の場所、自分の任務を忠実に果たさなければなりません。

ケルンの教会は1700年以上前からそれをしてきました。記録に残されているケルン最初の司教はマテルヌスですが、彼はすでに313年ローマで開かれた教会会議に出かけていますし、また314年のかの有名なアルルの教会会議にも出席しています。東京の教会は後に生まれましたが、イエス・キリストの教会としてエルサレムを発祥の地としており、それ以前に生まれたカトリックの世界共同体の諸教会と共に活躍しています。そうしたなかで、キリストと日本人たち、そしてキリストとケルンおよびドイツの人たちの間における経験を交し合うために、私たちはこの出会いを持つこととなったのです。

私たちの国は両国とも工業国で、比較的高い生活水準を輸出に依存していますが、私たちの国々では頭ばかりで心を失おうとしています。計算に明け暮れるばかりで祈ることを忘れ、投機のことばかり考えて信仰をおろそかにしています。ここにおいて私たちキリストと世界の間に立つ神の教会は人々を神のもとに連れ戻し、神のことばを社会にもたらすという、避けることのできない委託を受けているのです。教会は、キリストが社会に向けて歩まれる橋の役目を担うものです。また人間がキリストに向かっていくための橋なのです。

使徒ペトロはこう言いました。「世界中でこのみ名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていません。」(使徒言行録4.12)ですから、主は福音を広めるために使徒たちを地の果てまでも派遣されたのです。この使命をとおして、私たちケルンのカトリック教徒は東京の皆さまと結ばれているわけです。それで私たちの前任者たちは50年前に友好関係を発足させて、互いにこのすばらしい使命達成に向けて互いに力づけることにしたのです。私たちは、今日、このつながりが半世紀も維持され、継続されていることを非常にありがたく思っています。

そして私たちはこの結びつきを互いに新しいものにしていきたいと思います。そのためには私たちはお互いに喜びと苦しみを分かち合い、お互いに訪問し合い、お互いに助け合い、そしてとりわけお互いのためにお祈りをするのです。キリストの花嫁としての教会は、花婿であるキリストと密接に結びついて生きています。それに倣って私たちも、教会の一員としてお互いに結束を保ち、お互いに助け合っていかなければなりません。

主は、他の人たち、パリサイ人が罪を犯した女の人を赦すなら自分も赦すとされています。「イエスはその女に問われた。『婦人よ、あなたを罪に定める者はいなかったのですか』彼女は答えた。『誰もいません。主よ』そこでイエスは言われた。『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。』(ヨハネ8.10)私たちは互いに永遠の至福のために必要とし合いますし、また私たちが想像するよりももっとたくさんのことをお互いのためにできるのです。主は私たちに今日、そのことを福音のなかで示されました。

教皇ピオ12世は、今から50年前にこのパートナーシップを祝福されていますが、次のように書いておられます。「人間の至福が人間に結びついているというのは、強い感動を促す考えである。」私たちはこのつながりを50年来続けることを許されてきたのです。そのことを私たちは神に感謝いたしましょう。
アーメン。

ケルン大司教 ヨアヒム・マイスナー枢機卿

 

 

2004年 東京・ケルン大司教区友好50周年
《交換書簡》岡田大司教のメッセージ

東京大司教からケルン大司教区の信者の皆さまへ

2004年1月25日

岡田大司教

新しい年を迎え、マイスナー枢機卿様をはじめ、ケルン大司教区のすべての皆様の上に主なる神からの平和と喜びが豊かに注がれますようお祈りいたします。

今年2004年はケルン大司教区と東京大司教区にとって非常に意味深い年であります。それはいうまでもなく、今からちょうど50年前、両教区の友好関係(姉妹関係)が始まったからです。この友好関係は二人の枢機卿の出会いに由来しています。当時のケルン大司教フリングス枢機卿と東京大司教土井辰雄枢機卿が出会い両教区の間に姉妹の絆が結ばれました。以来この絆は両教区の代々の大司教に引き継がれ、その友好関係は50年にわたり、より強く確かなものとして成長してきました。
今わたくしは土井枢機卿の後継者である白柳枢機卿の後継者である東京大司教として、深い感謝の念を持って過ぎし50年を思い起こしています。

わたくしたちの感謝はまず故フリングス枢機卿に向けられます。なぜなら枢機卿様が身をもって福音の精神の実践をわたしたちに示してくださったからです。今から50年前といえばまだ両国が第2次世界大戦の戦禍からやっと立ち直りかけた時期であります。フリングス枢機卿様は自分の教区の復興より遠い極東の国の一教区の復興のほうを優先してくださったのです。自分の必要よりも他国の他教区の必要を大切にしてくださいました。わたしたち東京大司教区はこのフリングス枢機卿様の模範に倣い、25年前からミャンマーの教会と姉妹関係を結んでおります。

ついでわたしたちはこの50年の間、東京教区がいただいた数々の援助のことを思い起こし感謝の念を新たにします。東京カテドラル聖マリア大聖堂の建設を始め、上智大学の施設拡充、数々の小教区の建物の建設などのために、ケルン教区の皆様のこころのこもった献金を頂戴いたしました。厚く御礼申し上げます。

日本のカトリック教会の歴史を振り返れば、長い禁教と迫害の時代がありました。信仰の自由が認められ、宣教が再開されたのは今から130年ほど前のことでした。1891年には日本で初めての教区が設立されました。東京教区はこのとき日本の最初の大司教区として誕生したのです。以後困難の中にも東京大司教区は徐々に発展の道を歩んでまいりました。
 現在日本全体のカトリック信者数は約45万人です。これは総人口の0.5パーセントにも満たない数字です。ケルン教区と比べればまことに大きな違いがあるといわなければなりません。ただし最近他国から日本へ移住するカトリック信者が増えてきました。推定では日本人信者と同数かそれ以上の外国人の信者が日本で生活していると思われます。したがって約100万人のカトリック信者が日本の教会に所属しているといえます。

実際、日本のカトリック教会の特色を挙げるとすれば、非常に少数派(マイノリティ)であるということとともに、多国籍化・国際化が急速に進んでいる、ということであります。他方カトリックの学校や施設は非常に多く、そして高い評価を得ています。例えばイエズス会が運営する大学である上智大学、聖心会による聖心女子大学は非常によく知られており、その卒業生は日本の各界で活躍しています。

敗戦のなかで立ち上がった日本国民は軍事大国への道を放棄し、経済活動にエネルギーを集中して生活の向上と国家の繁栄を追及するようになりました。その結果が高度経済成長です。そのおかげで日本国民の生活水準は飛躍的に向上し国民所得も上昇しました。しかしそのために支払った犠牲は決して少ないものではありませんでした。

人々の心のなかにいつの間にか経済価値優先の人生観が忍び込み根を下ろしてしまいました。今や日本の社会を支配しているのは経済的利益をめぐる競争と管理の原理です。いのちの尊さや隣人愛の精神は後回しにされてしまいました。

人口は大都市とその周辺に集中し、多くの住民は孤独と疲労に悩み、閉塞感と挫折感に苦しんでいます。伝統的地縁社会は崩壊し、地域での人間関係はきわめて希薄です。その代わりに企業での人間関係がますます重要になってきました。人々はそのエネルギーの大半を企業に取られ、父と夫は企業戦士となりました。それと平行して家族の絆は弱くなり家庭は崩壊の危機に瀕しています。

この数年、経済不況が深刻で、失業率が高く、路上生活者も増加の一途をたどっています。昨年は生活苦や病気などの理由で3万人以上の人が自らのいのちを絶っています。互いに支え助け合うべき家庭と地域の人間関係が弱まり、崩れ壊れつつあるという点に今の日本社会の大きな問題があると思います。

日本には仏教・神道を始め多くの宗教が存在します。それぞれの宗教団体はこの非人間的な状況に対して何らかの対応に迫られています。たとえ少数者であっても日本のカトリック教会は、このような社会状況のなかで、希望としるしとなる、という大きな役割を果たすことができると信じます。

わたくしは2000年9月、カトリック東京大司教区の大司教に就任いたしました。着座式の中で次のように述べて、わたくしの東京という大都市を司牧する者の決意を表明しました。

「わたしたちの教会がすべての人に開かれた共同体、とくに弱い立場におかれている人々、圧迫されている貧しい人々にとって、やすらぎ、なぐさめ、力、希望、救いとなる共同体として成長するよう、力を尽くします」。
この決意を実施するため、今東京教区では次の課題に優先的に取り組んでおります。

1. 小教区の再編成と小教区間の交流・協力の推進
2. 多国籍教会としての成長、外国人からの生活上の相談と外国人司牧の促進
3. 心の問題に苦しむ人々への支援プログラムの作成と実施
4. 信徒の霊的成長を助けるための指針の作成と支援
5. 教区本部機能の強化

わたしたち東京教区は今、ケルン教区にならって、ミャンマーなど困難な状況に置かれている諸国とその地の教会のニーズに関心を深め、福音的精神に活かされた交流と支援を促進していきたいと考えております。これからもケルン教区の皆様のさらなるご指導ご支援を切にお願いする次第です。

このメッセージを結ぶにあたり、教皇ヨハネ・パウロ2世とともに聖母への祈りをごいっしょにささげてくださるようお願いいたします。

聖なるマリア、いと高き神の娘、
教会の愛と奉仕を通して、
アジアのすべての人々があなたの子、世界の唯一の救い主イエス・キリストを知り、人生の喜びを完全に味わうことができるよう祈ってください。
新しい創造の母、アジアの母であるマリア、
あなたの子供である私たちのために、今もいつも祈ってください。
(教皇ヨハネ・パウロ2世使徒的勧告『アジアにおける教会』51より)

 

東京大司教 ペトロ 岡田武夫

 

東京・ケルン友好50周年の開始にあたって

2004年1月22日

東京教区のすべてのカトリック信者の皆様

新しい年を迎えましたが、すでにお知らせのとおり、今年はケルン大司教区と東京大司教区が「パートナーシップ」(友好関係)を結んで50周年の記念の年にあたります。1月25日のケルンにおける「東京デー」、東京における「ケルンデー」をもってこの記念行事がスタートすることになります。

この50周年の意義をよく理解していただくために、ケルン大司教区のマイスナー枢機卿様とわたくしは、同封のメッセージを交換することにいたしました。ケルンの教会では「東京デー」にわたくしのメッセージが読まれることになっています。同時に、東京教区の教会では1月25日のミサの中で、マイスナー枢機卿からの東京教区の信者宛のメッセージを朗読することにいたしました。メッセージをお送りするのが間際になって申し訳ありませんが、よろしくお願い申し上げます(朗読していただくのはマイスナー枢機卿のメッセージだけです。また、時間の都合で多少省略してもかまいません。念のため)。

また、この時にあたり、特に皆様にケルンの兄弟姉妹のための祈りをお願いいたします。マイスナー枢機卿様のメッセージにもありますように、この友好関係はそもそも「共同の祈りと相互支援」の約束でした。東京教区は物質的にはケルン教区から多くの援助を受けてきましたが、ケルン教区は当時急成長していた東京の教会の若い息吹と東京の信者の祈りを期待したのです。わたくしたち日本の教会の司祭・修道者志願者も現在では決して多いとはいえません。だからこそ、両教区の信者がともに祈ることが必要であると感じております。

「ケルン・東京両教区の教会に、神と人々に奉仕する人が豊かに与えられますように‥‥。
司祭・修道者として生きることのすばらしさを多くの人が再発見し、神の呼びかけに答えることができますように‥‥。

特に若い世代の人々が自分の人生を、キリストに従う人生として見いだすことができますように‥‥。
すべての人が神の呼びかけに心を開くことができますように。」

皆様のお祈りをお願い申し上げます。

ところでわたくしは1月8日から13日まで、ミャンマーを訪問し、ミャンマーの司教様方と話し合うことができました。その中で、ミャンマーの教会の活気に触れることができ、深い感銘を受けました。また、お互いの友好関係を再確認することができました。25年前、白柳枢機卿様がケルンの精神にならって始められたミャンマー(旧ビルマ)との友好関係を、今後より確かな、意味のあるものにしたいと考えております。

ミャンマーには約240人の大神学生がいますが、司教様方が一致して望んでおられることは、この神学生たちのために適切な勉強と生活の場を整えることであり、この面での援助を期待していることも分かりました。東京教区にできることはわずかかもしれません。しかし幸い、ケルン教区が東京教区と協力して、ミャンマーの教会への援助を申し出てくださっています。そこで、3月のマイスナー枢機卿様の来日の日程に合わせて、ミャンマーからもお二人の司教様をお招きすることにいたしました。なお、記念行事の日程は、別紙にあるとおりです。

わたしたちの教会は「カトリック」教会です。それは世界中に広がる教会であり、全世界の教会とのつながりの中でキリストへの信仰を生きるものです。この記念の年が、人種・国籍・民族の壁を越えた神の国の連帯を味わう年となりますよう、また、貧しさの中で互いに分かち合う喜びを再発見する年となりますよう、心から願っております。

なお、友好50周年の意味を皆様に理解していただくための「記念誌」を2月中に皆様のお手許にお届けする予定ですのでお役立てください。

 

東京大司教 ペトロ 岡田武夫

 

ケルン週間を迎えるにあたって

2004年2月16日

東京教区の皆様

既にお知らせしましたように、2004年3月20日から29日まで、ケルン教区長マイスナー枢機卿一行をお迎えして、東京・ケルン両大司教区友好関係50周年を祝うケルン週間が行われます。この機会にあらためてこの友好50周年の意味を説明し、皆様のご理解とご協力をお願いする次第です。

〈ケルン・東京の友好関係とケルン精神〉

今から50年前、日本と同じ敗戦国であったドイツのケルンにはまだ戦争の傷跡が残っており、再建されていない教会も数多くありました。当時のケルン大司教ヨーゼフ・フリングス枢機卿は「司教とは、自分の教区だけでなく宣教地の教会のためにも責任を持つものである」という考えから、わたしたち東京教区を援助することに決めました。同枢機卿は、この関係をただ一方的に援助するという「親子関係」ではなく、対等な兄弟姉妹としての「友好関係(パトーナーシップ)」として提案しました。当時の東京教区は貧しかったのですが、霊的活力に恵まれ、召命も豊かでした。そこでフリングス枢機卿は東京教区の信者に、ケルン教区の召命のために祈るようにと願われました。フリングス枢機卿は、ケルンの人々が東京と日本の教会との交流によって自らを霊的に刷新し、成長させることができると考えたのです。

以後両教区はこのパートナーシップを続けてまいりました。「対等な関係」とはいってもこの間、東京教区がケルン教区よりいただいた経済的援助は多大なものでした。ケルンの援助によって建設された教会施設は、東京カテドラル聖マリア大聖堂、東京カトリック神学院、上智大学や数々の小教区、と枚挙にいとまがありません。この援助はケルン大司教区が余ったお金を東京に回してくれたと言うものではありませんでした。むしろ、ケルンの貧しい信者が生活を犠牲にして心を込めて捧げてくださった献金の結果なのです。

〈ミャンマーの教会との友好関係〉

1979年、両教区の友好25周年にあたり、当時の白柳誠一東京大司教(後に枢機卿)は「ケルン精神」を学び、ケルン教区の召命のために祈るよう教区の信者に呼びかけました。そして、来日した当時のケルン教区長ヘフナー枢機卿と白柳大司教はケルン精神をさらに発展させようと考え、25周年以降は力をあわせてミャンマー(旧ビルマ)の教会を支援することに合意しました。こうして東京大司教区では、毎年11月の第3日曜日を「ミャンマーデー」と定め、ミャンマーの教会のための献金を呼びかけることになったのです。ミャンマーが支援先に選ばれたのは当時ミャンマーが最も貧しい国の一つであり、わたしたちの援助を非常に必要としていたからであります。

わたくしは2004年1月、ミャンマーの教会を訪問しミャンマーの司教協議会の総会に出席いたしました。司教方は総会の中でわたしたちの「ミャンマーデー」にならって、同じ日、すなわち11月の第3日曜日を「東京デー」と定め、ミャンマーの教会を挙げて東京大司教区とその召命のために祈ることを約束してくださいました。

ミャンマーの教会は50年前の日本の教会と同じように司祭への召命は数多く、大神学校では希望に燃えた敬虔な神学生で溢れています。しかし建物は老朽化しかつ非常に手狭になっています。そのため今、ミャンマーの司教協議会は新しい神学校の建設を計画しています。わたくしはこの計画に是非協力したいと考えています。おりしもケルンの大司教ヨアキム・マイスナー枢機卿はこのたびわたしたちに寄せられたメッセージの中で「ミャンマーへの援助を強化したい」と明言しておられます。なおこの3月の50周年行事にはミャンマーの司教協議会・神学校委員会の司教お二人が参加されます。そこでこの機会にこの課題をケルン大司教区といっしょに相談する予定でいます。

〈お願い〉

そこであらためて皆様にお願いいたします。

1. 東京・ケルン友好50周年記念行事の趣旨をご理解いただくために、是非とも友好50周年記念誌『兄弟として』をお読みください(近日中にお届けします)。両教区の関係を振り返って感謝の心を深めるとともに、「ケルンの精神」を学びたいと思います。

2. ケルン教区の召命促進のためにお祈りください。
(別紙の例文を共同祈願やミサ後の祈りに使用したり、この意向でロザリオなどの信心業をし、「祈りの花束」をささげていただくことなどをしていただければ幸いです)

3. 東京・ケルン友好50周年記念行事の趣旨とミャンマーの教会との交流と支援をご理解いただき、応分の献金をお願いいたします。
(記念行事全体の費用は800万円ほどかかります。また、ミャンマーの新しい神学校建設のためにも集まったお金を使わせていただきたいと思います。東京教区の信者数で割ると、信者一人あたり最低200円というのが目安になります。各小教区・修道院で集めた献金を5月30日聖霊降臨の主日までに教区本部にお送りください)

皆様が四旬節のよき準備を送られ、恵みに満ちた復活祭を迎えられますよう祈ります。

東京大司教 ペトロ 岡田武夫