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| 名称: | カトリック浅草教会 |
| 教会堂名: | 聖パウロ |
| 創立年月日: | 1877(明治10)年12月25日 |
| 主任司祭: | セバスチャン 西川 哲彌 (にしかわ てつや) |
| 信徒数: | 365人 (2010年12月31日現在) |
| 主日のミサ: | 日曜日 10:00 ■第3日曜日 14:30(英語) |
| 週日のミサ: | 月曜日〜土曜日 7:00 |
| 宣教協力体: | 下町 →宣教協力体のページへ |
| 教会学校: | なし |
| 講座: | 聖書クラス 火曜日10:30 木曜日19:30 |
| 福祉活動: | なし |
| 諸活動: |
◇ロザリオ会
毎月第4日曜日ミサ後 |
| 住所: | 111-0053 東京都台東区浅草橋5-20-5 Google地図へ |
| 電話: | 03-3851-4009 |
| Fax: | 03-3851-7002 |
| ホームページ: | なし |
| 身障者設備: | スロープ(または、バリア・フリー)、トイレ |
| 交通案内: |
【JR総武線「浅草橋駅」より】 JR総武線、浅草橋駅西口改札を出て左の道へ、 「餃子の王将」の前えを通って、コンビニ「am/pm」のある交差点を右に曲がり、3つ目の信号「忍岡高校入口=Shinobugaokakōkō」を左へ。約150m先の右側。駅より徒歩約8分。
【都営地下鉄浅草線「浅草橋駅」より】 都営地下鉄浅草線、浅草橋駅A4出口を出て直進。3本目の道を左へ。直進し、2つ目の信号「忍岡高校入口=Shinobugaokakōkō」を越えて、約150m先の右側。駅より徒歩約10分。
【東京メトロ日比谷線 「秋葉原駅」より】 東京メトロ日比谷線、秋葉原駅1番出口を出て直進。2つ目の信号を越えて、2本目の道を右へ。直進し、4つ目の信号を更に越えて、CSタワーの横約50m先の左側。徒歩約10分。 |
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【歴史】 江戸時代
浅草教会の歴史を語る時、江戸における最初の宣教についてふれておきたい。 徳川家康の貿易政策に協力することを条件に、江戸での宣教をゆるされたフランシスコ会のヘロニモ・デ・ヘスス神父は、1599年「ロザリオの元后聖マリア聖堂」と「修道院」を江戸府内(現在の日本橋か八丁堀)に京都の4人の信徒たちと建て、宣教・司牧にあたった。ヘロニモ神父の亡きあと、同じフランシスコ会のルイス・ソテロ神父らにより、この聖堂・修道院を中心に東北、幾内方面にもおよぶ宣教活動が続けられ、江戸では3,000人を超す信徒が数えられた。 1623年12月4日札の辻で殉教した、ジョアンナ原主水胤信(タネノブ)は浅草のハンセン病院・寄せ場に身を隠していたと思わせる。 以上の事柄は宣教師たちよって逐一本国スペイン、ポルトガルに書簡で伝えられ、現在ではキリシタン研究にはなくてはならない資料になっている。
明治維新
日仏修好通商条約が結ばれ、1862年江戸が開港された。築地の居留地内にフランスの自国人のための教会も出来、それに伴ない神父たちも入国してきた。パリ外国宣教会の神父たちは、自国民の司牧もさることながら、日本人への布教にも力を注ぎ日本人に洗礼を授けている。1868年明治維新を迎えるが禁教令は依然続き、居留地以外の土地に教会を建てる許可を得ることは不可能であった。1873年5月(明治5年)キリシタン禁教令が解除された。1877年(明治10年)4月15日(復活の主日)築地稲荷橋の教会で受洗したトマ本多善右衛門氏の努力で、江戸時代の書簡によって伝えられていた刑場の近くの浅草区猿屋町16番地(現在の浅草橋3丁目2)に家屋を取得し、フランス語を教える玫瑰(マイカイ:中国語でバラの意)学校を創設した。その家屋の一室を「聖ポーロ小聖堂」と命名された聖堂で、この日40人の洗礼式が行われた。玫瑰(マイカイ)学校を拠点とする宣教活動は、めざましい成果をあげ浅草地区に増え続ける信徒のために、教会堂が建てられることを望まれた。ここだけでは、神父・信徒にとって不都合が多かったからで、向柳原町1丁目15番地(浅草教会現在地)に土地と建物を購入した。同年12月25日 購入した建物の玄関と書院を利用して聖堂とし献堂式が行われた。
(明治10年)
と思われる。
教区ニュース79号(1990年12月発行)より・2010年5月改:文責 里野八郎 |
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