お知らせ

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東京教区ニュース第138号

1996年12月01日

司祭研修会 「滞在外国人に対する司牧責任を果たすために」をテーマに

10月13日から15日にかけて、滞日外国人の司牧をテーマに、司祭たちの研修会が行われた。参加者は70数名。

「日本の教会が、門前に助けを求めてたたずむラザロを無視した金持ちと同じように、自己充足的な閉鎖状況を続けるのか、あるいは、現実に助けを求めて叫ぶ人々の存在に共感し、その扉を開くことのできる教会に転換できるのか、あるいはまた、強盗に襲われて半死半生のまま横たわる旅人を見て見ぬ振りをして道の向こう側を通り過ぎていった祭司やレビ人と同じような信仰生活を続けるのか、あるいは、人々の『真の隣人』として意味ある存在に転換できるのか、外国人の存在は、日本の教会への厳しい問いかけになっている。

今や、一部の司教、司祭、信徒が関われば十分であるというレベルをはるかに超えてしまっている。信徒の数だけに限っても、その数は、いくつかの教区・小教区では日本人の信徒数の数倍にもなっている。

この課題に真剣に、誠実に対応していくならば、それは日本の教会を活性化し、日本の教会に真の豊かさを与えることにもなると思う」という、森司教の問題提起から研修会が始まった。

東京国際センター(CTIC)の所長である大原猛神父(=写真)は、豊富な経験と蓄積された資料に基づいて、外国人の置かれている深刻な状況と司牧上の問題点の説明を行なった。

深刻な状況とは

東南アジアや中南米など経済的な後進国から日本に訪れる人々に対する日本人の潜在的な蔑視の感情、偏見と差別、住居の賃貸における差別、3Kといわれる仕事、給与の遅延・不払い、女性たちへのセックスの強要、病気や災害時の怪我の保険等による保証がない、日本の風習や考え方とのギャップからくる疎外感、閉塞感。祖国を離れたことによる孤独感、その解消のための同棲、重婚、覚せい剤等に走る者。

司牧上の問題点

○小教区への登録。フィリピンでは小教区の登録、教会維持費制度もない。小教区への帰属意識も薄い。日本の小教区への登録をどうするか。
○フィリピンでは、子どもの洗礼は当然のことと考えられており、子どもが誕生すれば、「洗礼」を当然のように小教区に依頼する。洗礼を受けられないと、子どもは不幸になる、と親たちは不安を抱く。親たちへの要理をどうするか、幼児洗礼にどう対応したらよいか。
○フィリピンでは、小学生に上がる頃、学校で信仰生活のための教育を受けるが、日本では小教区に行かない限り、学ぶことはできない。フィリピン人には小教区への帰属意識がないため、子どもは信仰教育を受ける機会を持たないことになる。子どもたちの信仰教育をどうするか。
○司祭の語学力の問題もあり、すべての小教区で外国語のミサを行うことは現実的には不可能。外国人のためのミサを行った方がよいのかどうか。
○習慣・考え方等の違いから、小教区内に日本人信徒を中心とした共同体と外国人信徒の共同体が共存することは難しい。さまざまなトラブルが起こっていると報告されている。小教区としての外国人への対応をどうしたらよいか。

こうした発題と説明の後、2人のフィリピン人女性の日本での生活の生の声と農村外国人花嫁のケアをしている桑山紀彦氏から、異文化のはざまで生活する外国人が直面する問題とそのストレスについての講演を聞いた。問題への認識を深め、グループに分かれて、司祭としての司牧責任について話し合いを行った。最終日には、この課題に対するそれぞれの思いを、教区長への提言としてまとめた。

現場の司祭たちが、外国人司牧の問題を公けに話し合うのは今回が初めてのことであり、さまざまな議論が交わされ、実り豊かな研修会になった。
今後、この提言を受けて、さらに教区としての具体的な司牧的対応の確立に向けて検討が行われていくことになる。

東京管区会議で「教区間の協力」を話し合う

「東京管区会議」が先月、新潟で開催された。「東京管区会議」といってもピンとこないかも知れない。しかし、横浜・新潟以北近隣6教区の司祭、司教が集まって共通の悩みや懸案を話し合う集いを持ったといえば理解して頂けると思う。意外と悩みは共通しており、共同して取り組む必要性が痛感された。以下は、その報告である。

今さらナイス(福音宣教推進全国会議) の功罪を評価するわけではないが、ナイスが教区間に存在する厚い壁を取り除く機会を作ったことは事実である。ナイス前は、教区が江戸時代の藩のように見えない国境でさえぎられていて、他教区は手も口も出せないというのが現実だった。東京管区六教区(札幌・仙台・新潟・浦和・東京・横浜)同じテーブルを囲んで共通の問題を語り合うというのはナイス以来である。

とは言ってもあまりにも広くあまりにも事情が違い過ぎるのでテーマを選ぶのがなかなかむつかしく、準備が大変。今回は、当番に当たった新潟教区の提案で「教区問の協力」が選ばれ、新潟と浦和の両教区から提案理由と具体的な内容が説明された。協力の必要性は、問題が数教区にまたがって存在していたり、一教区ではどうすることもできない共通課題を抱えていることにある。滞日外国人の司牧や信徒の養成、青少年の教会離れや司祭の高齢化への取り組み等はいずれの教区にとっても深刻な課題になっている。テーマの主旨説明と発題のあと、17名の参加者が3グループに分かれて話し合いに入った。問題が具体的であるだけに各グループとも盛り上がっていた。最終日の2日目に全体会議があり、各グループで話し合われたことが発表された。共通して出されたことは次の5点である。

1、情報の交換
2、人材、特に司祭の交流
3、滞日外国人司牧の共働
4、信徒の養成の共同取組
5、財政的協力の促進

この管区会議は1年に1回なので話し合いがその場限りになりがちだった。そこで、今回は、話し合われたことをフォローするために作業チームを作り来年につなげることにした。

司祭評議会に発足した 高齢司祭小委員会について -その2-

世間知らずか永遠の青年か

今年、還暦を迎える司祭がいる。とても若い。どういうわけか司祭は若く見る。よく言えば永遠の青年、悪く言うと、いつまでも学生気分の抜けない世間知らずということになるのだろうか。良きにつけ悪しきにつけ、神父さんの世界は、どこか世間離れしたものといった印象がつきまとう。この印象が実は、司祭の高齢化問題を考える点で大きな障害になっているのである。「神父様は特別なんだ。世間のものと一緒にしてはいけないよ」と言うのは一面では当たっている。しかし、他面では世間の常識や法規に従ってきちんとしてゆかなくてはならないというのも明確な事実なのである。
教師が、たとえ現場を離れても死ぬまで「先生」であり続けるのと同様に、司祭は、その生を終えるまで「神父さん」とか「神父様」とか呼ばれ続ける。そのことを抜きにしては司祭の高齢化を考えることはできない。

司祭にも第2の人生がある?

誰でも、60歳位までは、身体的にも精神的にも、年齢に沿って、ほぼ平均的に進むものである。個人差が出てくるのはそれからだ。これはそのまま司祭にも当てはまる。企業や官庁の定年制度は、働き盛りの人材をいきなり外に放り出すようなひどい制度だが、もう一方では第2の人生設計を真剣に考えさせるといういい側面を持っている。真剣に考えるが故(ゆえ)に60歳の定年前に辞職し、次の人生に進む方もいらっしゃるとか。定年という見地にたって司祭を見ると、問題が急にややこしくなってくる。果たして司祭に第2の人生というものがあるのか。いったん司祭になったら死ぬまで司祭で、第2も第3もないのが司祭だと思っていることに起因する。そのうちに、いつの間にか積極的に老後を考える機会を見失い、身体の自由がきかなくなってからの引退先を捜すということになってしまう。つまり、あまりはっきりしないが司祭にも司祭としての第2の時期があり、それを真剣に考えたり話し合ったりすることがとても大切になってくる。

教会で働くといってもいろんな形が考えられるし、個々人の得手不得手もある。70歳になったらということではなく65歳、60歳いや50代で考えても決して遅くない。わがままをしようというのではない。司祭としていきいきと生きて行ける道を考えるということである。

「誰も相手にしてくれないよ」
ある神父さんに、年をとったら自分より若い神父さんの手伝いとして教会で働くというのはどうですかと尋ねたことがある。するとすぐに「誰もそんなことを言ってくれるものはいないよ」という返事だった。年を取ってから若い人の下で暮らすことは、教区の司祭にとっては重荷かもしれない。しかし、上だ下だということではなく、いきいきと共に生きて行く道を見いだして行かなくてはならない時が来ている。相手にしてくれないのではなく、相手にしてもらえないわけを見つめる勇気こそが求められている。
(次号につづく)
(西川哲弥神父)

年齢 合計(人) 日本籍(人) 外国籍(人)
95-90 7 3 4
84-85 30 14 16
84-80 77 31 46
79-75 98 30 68
74-70 242 89 153
69-65 292 122 170
64-60 232 124 108
59-55 221 136 85
54-50 166 106 60
49-45 140 93 47
44-40 135 100 35
39-35 129 83 46
34-30 88 58 30
29-25 9 7 2
合計 1866人 996人 870人
平均年齢 58.87歳 56.35歳 62.36歳

 

上海司教来日 金魯賢(ジン・ルーシェン)さん

上海司教が来日した。これは麹町教会の信徒有志の招きで実現した。非公式の訪問とはいえ、ローマが認めていない中国の司教が来日するのは初めてのこと。金司教は1916年生まれ。とても80歳とは見えない。司教の行く所どこにでも笑い声が響く。ユーモアあふれる司教の話が周囲の人をなごませるのだ。ある人が司教のユーモアについて尋ねたところ、「このユーモアの精神がなければ、27年間牢獄で正常さを保つことはできませんでした」と言われ、襟を正した。

金司教は、上海の10数代続く信徒の家庭に生まれ、22歳の時、イエズス会に入会。フランスやイタリアで神学を学ぶ。1951年、共産党政権樹立後の中国に帰国。1955年、上海で1000人以上の教会関係者が逮捕された事件に関連して、逮捕、投獄。80年代に入り、ようやく釈放された。その間、日本の200年間に及ぶ潜伏キリシタンたちを思い出していたという。82年上海に戻り、85年補佐司教、88年司教となる。現在、上海司教、上海神学院院長、司教団副会長を兼任している。金司教は政府に近い教会関係者から「政府に協力してくれ」と言われ10回断ったが、11回目に、「神学院を開かなければ、中国カトリックに未来はない」と言われ、受け入れた。

神学院講師として外国人司祭を最初に招いたのは金司教で、これは現在まで続いている。さらに、中国語の典礼を導入したり、エルサレム聖書を底本に中国語版新約聖書を刊行したり、その先進的な姿勢で世界的に有名である。

今回の来日で司教が強調したことは、「今は信徒の時代、信徒が福音宣教できるよう養成したい」「若い司祭たちを続けて養成していく必要がある」ということ。さらに、「中国では1年間600ドルあれば一人の神学生を養成できる。何人かの援助をしていただけたら」と訴えた。

第22回「正義と平和」全国集会 男女力あわせて 対等に向かい合う関係へ

日本カトリック正義と平和協議会(岡田武夫司教担当)が主催する全国集会が、10月10日〜12日まで東京教区関口会館で行われた。共催の浦和、東京、横浜教区の全国集会実行委員会は、今年のテーマを「女と男の正義と平和」とし、女性委員会が中心となって準備されたシンポジウム、分科会はきめ細かな配慮と、並々ならぬ熱意を感じさせた。

参加者280名は、連日の話し合いの成果を「わたしたちの願い」とし、最終日のミサで派遣文として読みあげ、この集会での気づきを埋もれさせることなく、更に掘り下げる努力を続ける決意をした。

また相馬司教、岡田司教から、東ティモール独立運動の支えとなったベロ司教とボルタ氏にノーベル平和賞が贈られるという報告があり、喜びのうちに集会を閉じた。

シンポジウムより

岡田司教の司会で3人のパネリストが発題、質疑応答、最後に同司教が感想を述べた。要旨を紹介する。

米田彰男神父(ドミニコ会)は「イエスが一つひとつの出来事にどの様に立ち向かっていくか、もう一度見つめ直す必要がある」と語った。

イエスは「アッバ=父さん」と神に呼びかけた。これは女性神学者からは「なぜ母さんと呼ばないんだ」と言われるが、イエスが「アッバ」と呼ぶのは大きな意味があった。

当時のユダヤ教の中で幼児語を使って「アッバ」と神に呼びかけるというのは、「家父長制」の中で全く無視された幼児へのイエスのあわれみのまなざしとそのシステムへの切り込みであった。

イエスの女性観も「人間として当然あるべき姿は何か」という同じ視点に立つ。ミシュナーの中でも女性は男性の「所有物」とされているが、イエスは姦淫の問題を論じる場面でも「女と男が対等に向かい合う関係」という思想をはっきり打ち出している。

高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)は沖縄の現実問題の一つひとつは全体がかかえている問題として話した。「日本の強姦罪は、明治の法律が今なお生きている。このあいだ少女に加えられた強姦が裁判で判決を受けたのが、10年の求刑が7年の判決におわりました。今凶悪犯罪と日本でいうと、殺人、強盗、放火、強姦という順序になります。「その女性の存在そのものを押し潰してしまう、そのような犯罪が日本の中では強盗よりも軽く見られている」

この時代がイエスのメッセージが生きて働いているならば、女性に加えられる暴力に対しての重さがしっかりと受け止められる社会にならなければと思います。教会の中で女と男が対等に向かい合う関係ということをしっかりと見つめていける群れとして生かされる時に、社会もまた変わってくるのではないかと思います」

エリザベス・ゴスマンさん(女性神学)は、「女性の視点による神学とは」というテーマで(1)女性神学という概念について、(2)フェミニスト神学とは何か?その批判的精神とは?(3)現在のバチカンが女性の司祭職を禁止していることについてと題して参加者に多くのことを投げかけた。
「男性は今までどおりでいいという概念がある。男性が協力しないなら、平和と正義を実現するのは不可能です」と相互の理解と協力が必要だと説いた。

岡田司教は「男性、女性の間には、いろいろな問題がある。その問題を一緒に解決するための努力、協力することについての共通の理解がなければかえって問題はこじれてしまう。自分の見方はこうなんだけれども、女性は(男性は)どうみているかということを知りたい。これは本当に大変なエネルギーを要することで、いくら言われてもわからないこともある。私たちは、この社会を神の到来のしるしとしてよりよいものにするために、女性と男性が力をあわせることによって、何かすばらしいことができるのではないかと思っています」と語った。

使用済みテレカ 回収にご協力を

地域の福祉活動のために働いている「東京カリタスの家」では、活動資金の一部にするために換金できる「使用済みのテレホンカード」を集めています。ゴミとして捨てたり、電話ボックスや駅に放置されているカードが有効利用されますので、ご協力をお願いします。ただし、折れたり傷ついたりしたものは、換金の対象とはなりませんのでご配慮ください。
(西千葉教会 渡辺以文)

送り先
〒112
文京区関口3-16-15
東京カリタスの家
賛助会カード係(中尾好子)

CTIC 東京国際センター通信

昼時の炎天下で、フィリッピン女性と出会った。彼女は交差点で信号を待つでも渡るでもなく、ただボーっと立ちすくんでいた。彼女は29歳。夫は大手企業に勤めるサラリーマン。彼らは5年前に結婚したが、かれこれ1年以上、彼は彼女に口を聞いたことがない。「出て行け!」英語で記したメモ用紙をテーブルの上に置くのが日課だという。彼女は私を見て小さく手を振ったが、笑顔はない。心のやみはますます深くなっていくようだ。

正確な数はわからないが、フィリピン人と日本人との結婚は半数以上が壊れているという。暴力を振るう夫、ギャンブルに狂い一銭も家に入れない夫、ほかに女性をつくり家族を顧みない夫に堪えかね、離婚したいと相談にくる外国籍の女性は多い。幸せな家庭を営んでいる夫婦ももちろん多くいる。だが、アジア、中南米から来ている移住者、特に女性の状況は過酷で厳しい。

離婚した女性たちには超えがたいハードルが何層にも張りめぐらされている。法務省は離婚した女性を基本的には自国に帰す方針だ。在留特別許可をもらうためには、子育てのために生活の保障が要求される。ホステス以外の業務に従事し、子どもを自分のところで養育しなければならない。親子で生活できる賃金をもらえる仕事を探すのは至難の業だ。日々の労苦のほかに、日本語の問題や学業のことなど子育ても容易ではない。

中南米からの3人の女性が相談センターを訪ねてきた。彼女たちは顔や腕、足などにけがをしている。自動車事故に遭ったという。スナックの日本人経営者が運転する車に同乗しての事故だった。彼は即死だった。自賠責保険しか入っていなかったため、1人120万円まで。足の手術を受ける女性の医療費は200数10万円かかるという。

彼女たちは、中南米のある国から組織にだまされて日本にきた。日本に来た時に、彼女たちの借金は400数10万円だと組織に告げられた。ありもしない借金のため、スナック等で働き、売春を余儀なくされる。こういった話は枚挙にいとまがない。

彼女たちの相談から見えてくるものは、彼女たちの悲惨な状況だけではない。むしろゆがんだ私たちの日本社会の悲惨さである。社会のゆがみは、特に弱い立場に置かれているところに集中する。賃金未払い、労災、売春、暴力、いじめや差別など。戦後、私たちは豊かさを求めて走り続けてきたが、豊かになった代償としてさまざまな問題を背負うことになったし、実に多くのものを失うことになった。

経済優先に力を注ぎ、家庭でも学校でも企業でも競争を是認する在り方は、人間が人間として生きていくために重要な関係性を喪失させてきた。人への関心、人の痛みに敏感である心を希薄にさせた。

冒頭で述べたサラリーマンのように、たとえ一流大学を出て大手企業のエリートになったとしても、人とのかかわりを知らないとすれば、あまりにも悲しい。

言葉を交わさず、メモで自己の意志を伝えるという同様の感性を、私たちは持ち合わせていないといえるだろうか。日本社会にともに生きている外国の人々に対する無関心や偏見がさまざまな問題を生み出しているのではないだろうか。

教会も社会の影響の下にあるのは否めない。日本における信徒総数の約半数近くは外国籍の信徒で占められているにもかかわらず、まだまだ私たちの意識や関心がその半数の人たちに向けられているとはいえないようだ。

しかし、教会は外国からの人々とともに生きることを学び始めているし、社会の中でしるしとなる可能性も大きいといえるだろう。

教皇ヨハネ・パウロII世のメッセージの「教会は人類一致のしるしですから、教会の中ではだれも『外国人』ではありません」(『違法状態にある移住者と教会』より)という言葉は、私たちがどう生きるかを指し示している。
(大原猛神父)
(カトリック新聞9月8日号『展望』から転載)

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東京教区家庭プロジェクトチーム主催 家庭についての祈りと学びの集い -日頃の慌ただしい生活から離れてー

広々と秋の空が広がった10月12、13日に東京教区家庭プロジェクトチーム主催「家族についての祈りと学びの集い」が行われました。会場となったイエズス会黙想の家の庭には、名の分からない木々の葉が各々に色づき、日頃の慌ただしさから逃がれ、心を静めて家族のために祈り、考える絶好の環境が与えられました。

スタッフをまぜて総勢31名の参加者は、博報堂生活総合研究所長の関沢英彦先生(=写真)のお話、そして森司教のお話に耳を傾けながら、家族から離れ、改めて家族のことを考えてみる良い機会に恵まれました。

関沢先生のお話は、「まず、家族とは何なのでしょうか?」という問いかけから始まりました。「愛情を込めて育てているペット」、「一緒に生活しているが、愛情が全く感じられなくなった夫婦」、「同居して一緒に住んでいる同姓の友人」、この様な関わりを家族と呼べるかどうか…。そう問われると、改めて家族は何なのかということを考えます。現代社会は、女性がもう我慢しなくなったという現象から、個の追求が進み、同時に新たな不安を生み出しているということでした。「自分の足で、もう少しすくっと立ってみること」、「近視眼的でなく遠くを見るまなざしを持つこと」の大切さを強調されました。

森司教は、関沢先生のお話を受けて、それを更に精神的に深められ、「家族とは、外界から守るための空間であり、どういう旗のもとに束ねるかということについては、さまざまに意見があるだろう。けれども、信じることを求めて寄り合う集まり…。人間とは、信じられる対象との出会いに飢えている生物…」と、家族がお互いに補い合って受容していく大切さを述べられました。更に、「家族とは、神様から預かった人、お互いをさらけ出し、かけがえのない存在として肯定し、包みこんでいく…。そのためには、面と面と向かい合って、からみ合うことが大切…」と続けられました。

13日の分かち合いは、数人の方々の悩みを、自分の経験をまじえながら、共に考え、意見を述べ合うという白熱したものになりました。
この2日間を通し、自分が小教区に戻った時、こうして率直に話し合い、誰かの悩みを自分のことと受けとめて、共に悩めたら、少なくとも今より温かい風が吹くのではないかと考えました。
(山田堯子)

教区委員会紹介 その8 「東京教区部落問題委員会」

東京教区部落問題委員会の決心-困難に出会ったとき、私たち委員にご連絡下さい-

1「恐ろしさ」をなくす

9年前、「同和こわい考」という本が出されました。カトリック教会の部落解放運動の発足に貢献した故・中山重夫氏の子息、中山武敏弁護士は、これに関連して、「これまでの運動は人間の暖かさや純粋さを見ようとする視点に欠けている所があったのではないか」と指摘しています。結婚や職業における理由のない差別によって、自殺にまで追い込まれているという、日常的な差別社会の「恐ろしさ」を被差別部落の人々は体験しています。

一方、強圧的で、しつような「糾弾」を受けたという出来事を例に取り、「同和は恐い」と考えている人々もいます。私達は互いに引き裂かれている、この不幸な現状に終止符を打ちたいと考えています。差別している人自身が理解し本心から変わってくれなければ、何をしても現状は変わっていかないのだという事実に、常に目を向けていたいと思っています。

2弱さを認める

中山重夫さんが生前示された態度「人の弱さ、冷たさ」をしっかりと受けとめ、「強さと温かさ」をもって人を包み込む姿に、私達委員一同は出会いました。誰にも絶対という事はありません。部落問題をよく理解している男性でも、女性問題では無意識的に差別する側についている事もあります。内的な弱さを互いに認めないと、共同で問題を解決していく方向には向かえないのだと私達は思います。

3小規模を認める

この委員会のメンバーはサラリーマン、小店主、主婦、修道女、司祭などです。予算も集まる機会も少ないので、規模にあった活動にしています。少数である事の特別な意味も感じています。委員だけが忙しく活動していくのではなく、職場と家庭を生きている教区の人々との架け橋であり続けたいと思っています。

4サービス機関

今ゆっくりやっている事は、明治前期、テストヴィート神父が絹の道を通って東京教区の母体となった被差別部落を初めて宣教した歴史のまとめ、啓発的な講演やパンフレットの作成、サービス機関としての委員会の構築などです。
(坂倉圭二神父)

連絡先:
坂倉 0425-96-1261
藤堂 03-3469-1010
小尾 03-3479-3941
平沢 03-3454-9564
伊藤 03-3316-8022
右田 03-3357-6498
本橋 0471-45-0869
後藤 03-5388-6508

ミンガラバ No.7 ミャンマーの姉妹教会はいま (2)

教会は若い人たちの育成にも力を入れています。8月28日から罰日にかけて、年2回開催される全国の若者の集いがありました。

司祭、修道者、カテキスタ、学生が参加し、各教区の現状報告をはじめ、福音宣教のあり方を学んだり、これからの教会を考えるための話し合いや黙想を通しての研修が行われます。この中には昨年マニラで行われたワールドユースデーに送られた人もいました。担当のレイモンド司教は「新しい息吹が教会を活性化させていきます」と、若者への期待を表していました。

2日目の意見交換では、日本の宗教(仏教や神道)や民族問題についても話し合いました。「異なる民族、異なる宗教を抱えるミャンマーで、どのように福音宣教をしていけばよいと思いますか」と教会の抱えている問題についての意見を求められ、「とにかく互いの存在を認め合い、徐々に人間関係を築いていくことから始めていくしかないのでは」と答えました。

青少年担当の神父は「この間題は程度の差こそあれ、世界中で福音宣教をしていく時に必ずついてまわる問題であり、常に考えていかなくては」と、その場にいた全員に意識を促していました。

各民族の踊りや歌が披露された夜の交流会では、停電の中、ろうそくの炎で一緒に踊るという体験を通して、異なる国、民族、言葉を持ちながらも、同じ信仰を持つ者としての一体感を味わうことができ、普遍的なカトリックのありがたさを感じました。

彼らはほとんど皆、幼児洗礼で、カトリック家庭に生まれないとカトリックに接する機会が少なく、洗礼も受けにくく、宗教は自由とされていても、80%が仏教徒の状況で改宗することの難しさを知りました。しかし、集まった若者たちの姿には、これからのカトリック教会を支える担い手として、大きな期待を抱かせられます。
(カトリック信徒宣教者会・派遣候補者の報告から)

26年間のビルマ式社会主義の後、軍事政権の支配が続くミャンマーでは、50年前と同じ生活を続ける人々がたくさんいる一方、激しいインフレが起きています。自由経済化が進められているとはいえ、軍・政府とコネがないと事業を開始できないと言われています。地方の状況についての情報は多くはありませんが、今も少数民族を中心に、難民が流出し続けています。タイ国境で長期に渡って難民生活を続けるカレン族、モン族に加えて、10月には大量のシャン族が国境を越えていることが確認されています。
(ミャンマー委員会)

※第17回ミャンマーデー(11月17日)ご協力ありがとうございました。この日のミサ献金は、ミャンマーの教会(神学校) に送られます。

学生向け特別価格 イスラエル巡礼

1997年2月19日(水)〜27日(木)
9日間 208000円
現地をゆったりまる7日間かけてまわります。

来春のスタディツアーの予定
◎3月9日(日)〜3月21日(金)
中国雲南省(昆明)
◎3月23日(日)〜4月3日(月)
ミャンマー(タイ学生と合同)

問い合わせ:真生会館カトリック学生センター
ONAKAMA 03-3351-7121
余語久則神父 03-3357-6227

教皇の「進化論」をめぐる発言の背景と真意

1 1859年にダーウィンが発表した「進化論」に対してカトリック教会は、「神が男と女を創造した」という創世記1、2章の物語を根拠に、長い間、否定的であったことは事実である。

2 しかしその後、20世紀の後半に入って、旧約聖書の研究が発展し、ピオ12世を初め、歴代教皇は、旧約聖書、特に創世記の1章から11章までの物語の歴史性について、神学者や聖書学者たちに特別に研究するように指示を与えた。そうした研究成果を踏まえて、現代カトリック教会の大勢は、創世記1章から11章までの物語を、文面通り解釈すべきではないという立場に立っている。

3 こうした流れの中で、すでに教皇ピオ12世も、進化論は仮説として受け入れてよいと発言している。

4 今回の教皇ヨハネ・パウロ2世の書簡の真意を理解するために、「進化論」についての正確な理解が必要である。

a)この世界を実証的にみるとき、生命あるいは生物の発展の事実として「進化の事実」を認めざるをえない。
b)しかし、その進化・発展のプロセス・メカニズムに関しては諸説があり、ダーウィンの説明も、その諸説の一つにすぎない。
c)ダーウィンの進化論は不幸なことに、無神論・有神論、つまりさまざまな哲学的・神学的立場からのイデオロギー的論争に巻き込まれ、ダーウィンが初期に意図したものから離れてしまった。

5 現教皇は、すでにニュートンが発表した研究著書の出版300年記念集会で、神学者たちに次のように呼びかけている。「進化論の観点が、神学的人間論、および神の似姿としての人間の意味、キリスト論の問題、そして教義の発展それ自身に何らかの光をもたらす可能性について、今日の神学者は真剣に研究を続けるように」(1987年カステルガンドルフにて)

つまり教皇は、神学者たちに、「進化論」をめぐる無神論・有神論の無意味な論争を離れ、実証科学が提供する研究成果に敬意を払い、それを尊重しつつ、その上に立ってペルソナあるいは霊的存在としての人間の神秘、宇宙の神秘、そして人間と神との関係等について、神学者としての役割、そして研究を行うよう指示と励ましを与えたのである。

教皇の言葉は、上智大学北原隆教授の言葉を借りると、「自然科学の暴走と神学の不毛という2つの危険から遠ざかることができる可能性」への道を示したといえるのである。教皇の今回の教皇庁宇宙科学アカデミーに寄せた書簡も、このような流れの中で意味づけられるものである。

編集部から

編集部員から「今月号の紙面が硬い」という声があり、記事を集めて紙面作りをして見ると、教会が色々と行っていることは、どうしてこんなに真面目で硬派のものが多いのであろうと思ってしまう。何かもっと軟派でユーモアにあふれて、楽しい信仰の実践というものがないのだろうかと考えてしまう。信仰が、楽しさと喜びに満ちあふれるような、そしてそれにふれた人がほのぼのと暖かく感じられるような企画が自在に生まれ出るようにならないと、多くの人々を教会へ足を向けさせられないのかとふと思った。

東京教区生涯養成委員会主催 第10回生涯養成コース

「現代の若者たちはどこに行くのか」―21世紀へ信仰を伝えるために―

大人社会との大きな断層の彼方で浮遊している様な観の現代の若者像。21世紀に向けて信仰を伝え文化を継承していく対象として、彼らにどのように関わっていけばよいのでしょうか。まず現代の若者の実態に目を向け彼らへの対応を考えたいと思います。

第1回 2月1日(土)
午後1時30分〜4時30分
「現代の若者像」
講師 藤竹 暁氏(学習院大学教授・社会学)

第2回 2月8日(土)
午後1時30分〜4時30分
「とまどう若者たちと、そしてチャレンジ」
講師 森一弘司教

場 所:東京教区関口会館ケルンホール
〒112 東京都文京区関口3-16-15

参加費:3000円(2回分)

定 員:50名

締切り:1月18日(土)
(ただし定員になり次第、締め切らせて頂きます)

申し込み・問い合わせ先
〒112 東京都文京区関口3-16-15
東京教区生涯養成委員会  生涯養成コース係
Tel 03-3943-2277
Fax 03-3944-6677

申し込み用紙に必要事項をご記入の上、郵送またはFAXにてお申し込み下さい。

教区福祉委員会主催 第2回防災教育講座

教区福祉委員会(塚本伊和男神父担当)は11月7日午後1時から、東京教区関口会館ケルンホールで第2回防災教育講座を開催した。(参加者は21小教区、34人)

この講座は昨年1月の阪神淡路大震災の被害状況から、「小教区における防災の心得」の必要を感じた同委員会が昨年から実施しているもので、今回は大阪教区高齢者・障害者ケアーセンター設立準備会代表の池田雄一神父を講師に招いた。

池田神父は「大震災を体験して」と題して、震災後の移動の困難さ、マスコミで報道されたものと現実の違いなどを自身の体験を語り、「現場を見、現場に入ることによって、自分たちが何をすべきかを体得していく」「状況の変化に応じて、人間が生きていくとは何なのかを原点に戻って考えていく体験をさせてもらった」「自分の手でできる自分の身の守り方、他人の守り万を知ってもらいたいと思った、ボランティアの人々は自分の手で命を守れることを感じてくれた」と話した。

教区福祉委員会では今年の10月に小教区における防災の現状についてアンケートを実施し、(別掲)「小教区における防災の心得(案) (集会中の震災にそなえて)を作成した。

小教区における防災の心得(案)(集会中の震災に備えて)

1震災対応の体制は?

主任司祭 = 教会委員長 ⇒ 係 通報・連絡・避難・誘導・消火・救急
・いざという時に備えて、震災対応の体制(組織)を予め決めておく必要がある。
・少なくとも、前期の三つの部門の責任者を副を含め、決めておくことが求められる。

2一般的震災対策

(1)日ごろからの防災意識が必要。防災教育が日ごろから行われ、対応訓練がなされていれば、被害を最小限度に迎えることができる。
(2)地震による圧死より、出火による焼死が多いことが、関東大震災、阪神・淡路大震災から知られている。したがって地震後、出火しないように初期消火の備えが大事。
(3)日ごろから災害弱者といわれる幼児、病者、障望暑、高齢者に対しての防災対策を整えておくことが必要。

3小教区独自の防災対策

(1)ミサ・集会中に地震、火災が起こった時、どのように行動したらよいか。
・地震のときは、まず椅子の問に身を屈め、頑を座布団や本などを使って守る。
・パニックに陥らないように、指示者、誘導係の指示に従って、落ち着いて行動し整麒と避難する。
・防災備品として何が必要か、どこにどのように保存するかを日ごろから検討し、いざというと-きのために備える。
(2)小教区は地域、規模などで同一ではない。実態に合わせた防災体制、防災用具の整備、防災計画が求められる。
・信徒の少ない小教区にあっては、小規模教会としての防災計画が必要であろう。
・信徒の多い小教区では、大規模教会としての防災計画が求められる。
・いずれの小教区であろうと、日ごろからの防災訓練が必要である。