お知らせ

お知らせ

東京教区ニュース第123号

1995年06月01日

INTERNATIONAL DAY

4月29日カテドラル構内で第5回インターナショナルデーが実施された。 雨のせいか、 ゴールデンウイークのせいか、 はじめは人の出足は悪かったが、 最初のプログラム、 分かち合い参加者も、 まもなく100人を越した。 初の試みである同時通訳と、 周到な準備のおかげで、 実りの多いものとなり、 まずは好調な滑り出しとなった。

その間に朝の慌ただしい状態から、 やっと落ち着いたスタッフたちの前を、 来た、 来た、 今年もたくさんの国の人が通り、 やがて2000部準備したパンフレットは足りなくなった。

この日のために作曲されたテーマソングで始まったミサは満員で、 熱気に疲れたのか、 入り切れないからか、 大聖堂の外には座って休んでいる人が、 およそ200人。

昨年は新会館建築で縮小したバザーも、 今年はフルサイズで活気をもたらし、 同じ会場に展示された子供たちの絵も力作ぞろいで、 人々の目を楽しませた。 15の教会や学校・幼稚園から寄せられた175点もの絵が所狭しと並べられ、 とくに団体で描いた絵には目を見張った。

野外のステージでは、 観客を巻き込むラテンアメリカ系の人々のダンスなど、 いろいろな国のあでやかな出演が人々の目を引いていた。

まわりの人々とともに生き、 受け入れる心を求め、 テーマを、”LIVE・TOGETHER”とした今年のインターナショナルデーは、 さまざまなアイデアや初めての試みをのせ、 天候と、 完成した東京教区関口会館という立地条件、 そして多くの方々の協力に恵まれ、 夕方5時すぎまで人々を楽しませていた。

(余語久則神父)

☆ ☆

インターナショナル・ミサ

東京教区のインターナショナルデーは、 今年で5回目を迎えた。 テーマである”LIVE・TOGETHER”を生活の中でもっと生かしたいという願いもあり、 今年はスタッフによってテーマソングが作曲された。

手に手を取り支え合いながら、 準備の集まりを重ね、 各国の人々の協力をいただきながら、 一緒になってミサを作っていった。 時には違いを互いに受け入れなければならなかったこともある。 人々の積極的なそして好意的な姿勢に支えられながらの歩みだった。 数えきれないほどの出会いというプレゼントが、 私たちの前に用意されていた!

この日のミサは、 色々の楽器で神を賛えたいと準備して下さったバンドによって、 照明の落とされた聖堂内をテーマソングのメロディが、 暖かく包むように流れる中、 次の世代を担う子供たちとその家族が、 キャンドルをもって光の道を作って始まった。 次いで、 テーマソングとともに、 美しい民族衣装を身につけた各国の代表と若者たち、 そして侍者、 210名程の司祭団、 森司教、 白柳枢機卿が入堂し、 聖堂を埋めつくした人々とともに、 一つに集まった。 文化やものの考え方、 生活習慣の違いはあっても、 神の家族として集うよろこびがあふれ出た。

“LIVE・TOGETHER”のテーマをエネルギッシュに、 体いっぱいに表現したパントマイム、 清楚な若者のダンス、 言葉は分からないが、 心の底で感じることのできる12か国の人々の共同祈願、 それぞれの国で生まれ愛された聖歌を、 みんなで歌いながら、 祈りにおいて一つになっていくのを感じて満たされた。 今年ははじめてご家族で参加した人は、 「カトリックは全世界的なものであることを言葉では分かっていたが、 このミサで色々の国が、 その国独自のものを出しながら、 みんな一つの神を賛美しているということを実感し、 感動したと語ってくれた。

日本の社会・教会には外国人信徒が年ごとに増加している。 色々の国に対して、 人々に対して聞いた心を持ちたい。 自分の狭い考えかたをのりこえること、 それは毎日、 自分といろんな面で違う人を暖かく迎え、 相手の立場に立とうとすることから始まるような気がする。 より大きな愛の中でLIVE・TOGETHER!

(援助マリア修道会・渡辺アイ子)

パフォーマンス

インターナショナルミサの終った3時過ぎからは、 恒例のパフォーマンス・7教会9種類の歌・踊り・ゲームが繰り広げられた。

目黒アンセルモ教会クワイアのオープニングソング。

赤羽教会によるピスタの曲に合わせ鮮やかな民族衣装を着た7人のフィリピンの子供達の踊り。
聖ロヨラグループ所属メキシコ人シゲル・モントヤ・エミリオ・ラゾさんのデュエットはベサメムウチョ等を含む5曲は往年のパンチョス楽団を凌ぐ絶唱。

ポット割りゲームは目隠し一回転してポットを割りに行く子供達は真剣でようやく12人目の剣道達人と思われる男の子が割るとポットのキャンディを目掛けて突入する子供達に一同大爆笑。

四谷教会によるペル1人5人編成の民族楽器演奏は、 コンドルは飛んで行く等6曲は素晴らしく、 飛び込みの2組が即興ダンスを披露した。

赤羽教会によるフィリピンの子供達8人のディスコ風ギンガ・グリグリの曲に合わせた踊り。
マタイによる福音書19章 「金持の青年」 をテーマにした創作舞踊はインターナショナルデー 「分かち合い」 を表現したオリジナル。

聖心グループからのタダノ・シホ、 シモツヤ・トシコさん2人の乙女バリ島の魅惑的な踊り。

五井教会によるハワイアンダンスのころは気温も上り日も暮れてカイマナヒラ・ブルーハワイの曲に合わせた踊りにはハワイでの一時を過ごしているようであった。

フィナーレはフィリピンフォークソングにミサの会衆者も加わり今年のテーマである 「一緒に生きる」 を確め合い盛況の内に終った。

(目黒教会 和田卓三)

バザー

バザーは東京教区関口会館工事終了に伴い、 新会館内及び広場の利用が可能となり、 昨年の数倍の大きなスペースで実施することが出来た。

広場には国際色豊かなFOOD&DRINK (食べ物) 16グループとKDD、 IDCの無料国際電話コーナー、 更に、 本部テントがそれぞれ所狭しと設営され、 新会館には1階のエントランスホールと中会議室に分かれて、 ハンドクラフト (民芸品) 販売11グループがテーブルの上に思い思いの品物を並べた。

10時から始まったバザーは分かち合いが終る12時頃に第1のピークを迎え、 早めに来てミサ前に、 日頃食べられない世界の珍しい食べ物をほうばる人、 又、 新会館内ではくじ引きで、 良い賞品を当てた人の喚声や、 自分達が一生懸命作った品物が完売できた喜びの喚声が響いていた。 国際電話の無料コーナーでは、 日頃なかなか連絡の出来ない外国の友人に電話をする人や、 自分の故郷と連絡がとれず、 係りの人と一緒に電話をかけている等、 本当に国際色豊かな人種や国を越えての集まりが感じられ、 思わず”LIVE TOGETHER”と言ってしまいたくなる瞬間であった。 ミサの終った、 3時頃からは、 音楽、 ダンス等のパフォーマンスを見ながら、 食事を取る人も増え、 予定の5時を少し過ぎるころまで、 人垣は無くならなかった。 全体の時間配分もうまくゆき、 昨年程のピークの混乱もなく、 皆、 楽しそうに家路についてゆきましたが、 その分、 出展された方々は長時間となってしまい、 遠くまで帰られる方はさぞ大変であったことと御協力に感謝いたします。

(田園調布教会・有賀守昭)

分かち合い

1995年は戦後50周年の年であり平和をテーマにとの声も多かった。 が、 いまや外国人の来日数がふえ、 すでに貴方の隣人になっている現実をふまえ、 日本人も外国人もお互いに相手を信じ、 共にいきていかれると、 テーマ”LIVE TOGETHER”が第1回企画会議で決まった。

当日集まった人から、 意見を活発に引き出すために、 設問を準備し、 事前に外国人ミサ参加者の多い共同体にアンケートとして渡し、 150件余りを回収した。 米国、 フィリピン、 ミャンマー、 韓国、 中国、 タイ、 ナイジェリア、 ガーナ、 ペルー、 エクアドル、 英国、 イタリー、 フランス、 ベルギー、 ドイツ、 スペイン、 オーストリア無記名のものもあった。

ボランティアで快く引き受けて下さったパネリスト、 通訳他みなさまに感謝します。

(田園調布教会・菅 光代)

☆ ☆

アンケート結果

質問1: あなたが日本に来る決意をしたのは、どんな目的、理由によりましたか

アンケートから;「マネー、マネー、マネー、マネー、マネー」の回答を筆頭に、経済的理由が70%を占める。

ついで、生活の向上、よりよい仕事に就くため、家族を助ける為、今の生活保持の為、配偶者の転勤、日本の国を知り文化にふれる為、日本人と結婚と続く。

会場から;『経済的理由だが思ったように稼げない(ナイジェリア)』『日本人と結婚家族を一緒
に暮らすことが第一の理由(フィリピン)』『日本文化に憧れて日本人と結婚、文化に触れる毎日(インドネシア)』『宣教師として(スペイン)』『日本人を夫に持ち、運命で(フィリピン)』

質問2: 日本に来る前に、あなたはどんな夢、理想、イメージを持っていましたか

アンケートから;伝統を重んじ忍耐強い、礼儀正しい、人種差別が無く宗教戦争もない正直な国民、桜・富士山・神社仏閣のある美しいきれいな国、ハイテク・先進国の豊かな法治国家、よりよい生活の夢を膨らませての来日、単一国家で閉鎖的、公害に対しても恐れがあげられている。

主な意見・・・『来日前、日本は方、秩序を尊び、また貿易立国として経済大国にもなり、政治・財
政上、とくに宗教上でも危機の無い国と学んできた』

会場から;『将来を考えて、経済的に豊かな日本に来た。神社仏閣、思慮深い国民、経済的豊かでお金が稼げる。がきてみると日本人は心を閉ざし、自分のことばかり考えている(チリ)』『大学で働く為に来日。科学的に進んでいて将来手に向かっている国と思っていたが、実際はそうでもない。日本人は個では付き合えるがグループでは難しい(イタリア)』『両親の友人の日本人医師の影響で文化の高い国と思い、日本へ着たかった(アメリカ)』

質問3: 日本にきて、実際どんな困難とぶつかりましたか

アンケートから;「言葉」を80%あまりの人があげている。

次いで、日常習慣、住宅、仕事がきつい、バブル崩壊後仕事が無い、狭い道、駐車場が無い、電車の混雑。

主な意見・・・『日本語が最大の障害。知人以外の日本人と交流が無い。無視すれば我々外国
人がこの国から出て行くだろうと考えているのか、自分たち外国人が存在していな
いことを望まれているように感じる』

会場から; 『韓国人ということで家を貸してくれず、さびしい思いをした(韓国)』『一番の困難が言葉、複雑で読み書きが出来ない。日常生活に困る。2番は日本人の性格が閉鎖的(ペルー)』『何もわからず来た。主人は働きバチ、留守の間ドアに人が来ても対応ができなかった。日本式お返しには慣れない。お返しが出来なくなったとき、友達がなくなるのでないかと不安(フィリピン)』『日本人と結婚、日本になれるのに2年かかった。皆親切だが孤独感があり、家に招いても招かれることは少ない(アメリカ)』『言葉。日本人は友好的(バングラデッシュ)』

質問4: 問題、困難を乗り越えるために、誰のどのような助けが力になりましたか

アンケートから;「自国のともから」とあげた人が50%弱。

「誰の助けも受けず、自分自身で解決」が10%弱ある。

その他は、日本人、日本人家族、同僚、上司、教会、教会の友人、祈りや神の助け。

主な意見・・・『感嘆の問題や説明は、日本人の同僚や友人から受けた』『来日前、主人の前任
者から日本でしてよいこと、いけないことの説明を受けた』『幸運にも日本人の親友 が出来た。一生の友である』

会場から;『日本は国際的な国、どのように一緒に生きていくか、外国人と言うことで、隣に座ってくれず、逃げられる。今日書いたそこへ来る人に助けられる(ナイジェリア)』『日本人の夫が一番助けてくれる。娘も幼稚園なので助けてくれる(チリ)』『外国人として見るのではなく、ひとりの人としてつきあうとうまくいくのでは(日本)』

質問5: 日本に来て、日本人と仲間や友達になることができましたか
あなたは日本人を信じられますか
日本人を共に生活ができますか

アンケートから;「仲間や友達の出来た人」は55%。

「信用する」は30%、「共に生活できる」は20%。

その他は、外国人に対して閉鎖的である、友人となるまでには時間がかかる、誰とでもなく限られた人となら一緒に生活できる、日本政府にとしてもっと外国人に対して前向きになることを望む

主な意見・・・『私は日本人と友達になれるし、親近感も持っている。人が12人集まれば一人裏
切る人がいる。私は日本人の95%を信じることが出来る。日本の習慣を知ってい
るので、日本人を一緒に住むこともできる』

会場から;『日本人とのつきあいは難しい、同国人のほうが気楽(韓国)』『日本人の友達を作った。人を信じるのは国籍ではなくその人ではないか。夫と生活しているが、他の日本人とはわからない(フィリピン)』『日本人の素晴らしいところを神の目で見つけた(スペイン)』『来日が1年だが友達は教会と外にもできた(アメリカ)』

質問6: 日本に来てよかったと思った体験を分かち合ってください

アンケートから;安全な国で礼儀正しく交通規則など秩序を守りすべてにベストをつくす正直な人々との出会い、落としたものが戻る体験も少なくない、親切だが心の中で何を考えているかわからないなど。

主な意見・・・『鍵ケースに定期、テレカなどと小銭をいれ、2度なくした。1回は見知らぬ人から連
絡があり、2回目は駅員から連絡を受けた』『無謀でもマナーが悪いのでもない
が、電車の”いわしの缶詰状態”は好きになれない』

会場から;『間違った電車に乗ったとき親切にしてくれた(インドネシア)』『教会は遠いが、子供たちにとてもよい信仰教育をしてくれることに感謝(フィリピン)』『来日して6ヶ月、今日のインターナショナルデーが楽しみ(ナイジェリア)』『日本人のおかげで先生になれた(スペイン)』

質問7:日本に来て、教会に行く機会がありましたか。教会は、あなたにとって助けの場になりましたか。日本の教会と信徒に、どのようなことを望みますか

アンケートから;「行く」と答えた人は30%強。

その他は、教会が言語・文化の障害なしで相互扶助のできるところ、友達が増えて信仰も深まる、もっと外国人の困った人の支えになってほしい、日本自体が安全なので教会に重きをおく必要はなく日本のき教会は宣教や祈りに重きをおいて信徒と共に霊的理解、強大関係の増長を期待するなど

主な意見・・・『日本の教会に何回か行ったが、すぐに受け入れられていないと感じた。保守的』

会場から;『日本に来て、教会に人の助けが大きかった。日本はカトリック信者が少ないので、地の塩となる生き方が求められているのではないか(チリ)』『日本は欧米には心を開くが、アジアに対しては閉鎖的になるということがここであまり出てこなかったのが気になる。神の子として信仰を持った目で”国境を越え共に生きる”ことが出来るのでは。今日日本はチャレンジを受けているのでは(日本)』

新しい教区一般職員年金制度規約制定
「年金を考える会」2年間の検討実る

東京大司教区では、 昭和56年に、 教区で働く一般職員のために 「年金制度」 を作り、 そのための 「年金基金」 も設定していた。

この制度に基づいて現在も5名が年金を受給しているが、 給付の対象者の規定の仕方その他に不備の点も生じてきたので、 大司教は平成4年12月の財政評議会に諮問したうえで、 この年金制度を改めて見直し、 より充実したものにするようにという意向を示した。

これを受けて教区本部では直ちに、 司祭3名、 職員3名からなる 「年金を考える会」 を発足させ、 約2年間にわたって検討を重ねた結果、 新年金制度の構想をまとめた。

そして、 大司教は新しい 「教区一般職員年金制度規約」 を本年の4月に制定し、 6月から新制度が実施されることになった。

新年金制度の内容については次の通りとなっているが、 年金委員会に登録された職員については、 改めて案内をする予定。

適用の範囲

本制度は、 年金委員会に登録された教区本部および宗教法人カトリック東京大司教区包括の小教区・分教会の一般職員に適用する。

受給資格要件

年金の給付を受け得る資格者は、 次の各項に掲げる要件を満たし、 年金委員会においてその適格性を認定された者とする。

1、 登録者であること。
2、 常用者は5年間以上、 パートタイマーは5年間以上勤務のうえ、 円満退職した者であること。
3、 満65歳に達した者であること。
4、 雇用形態のいかんにかかわらず、 在勤中は有給職員であること。

年金月額

年金の月額は、 勤続年数に応じて、 次の4段階とする。

1、 勤続年数 5年以上 10年未満 年金月額 20,000円
2、 勤続年数 10年以上 20年未満 年金月額 30,000円
3、 勤続年数 20年以上 30年未満 年金月額 40,000円
4、 勤続年数 30年以上 年金月額 50,000円

給付期間

年金給付の期間は、 次のとおりとする。

1、 退職後に満65歳に達した者は、 その誕生月の翌月から死亡月まで。
2、 満65歳に達した後に退職した者は、 退職の翌月から死亡月まで。

給付日

1、 年金の給付日は、 毎年4月15日、 10月15日の2回とし、 それぞれの前6か月分の年金を指定金融期間を通じて給付する。 ただし、 初回および最終回は該当する月分を給付する。

2、 給付日が土曜日、 日曜日または国の定める休日に当たるときは、 指定金融期間の翌営業日に給付する。

小教区の事務手続き

年金委員会に報告する事務は次の通り。

a、 職員を雇用した場合は直ちに雇用報告を提出する。
b、 職員が退職した場合は直ちに退職報告を提出する。

心のともしび運動
宗教法人に

42年前、 「暗いと不安をいうよりもすすんであかりをつけましょう」 というキャッチフレーズのもと、 ラジオ、 テレビ、 その他出版物をとおして、 イエス・キリストの愛を広めるためにハヤット師により始められた 「心のともしび運動」 はこの程、 宗教法人 「カトリック善き牧者の会」 (代表J・ハヤット神父) として京都府から認可された。 5月3日、東京カテドラル聖マリア聖堂地下聖堂で、 これを記念して、 白柳枢機卿司式のミサが捧げられ、 三浦朱門、 曽野綾子夫妻をはじめとする運動の協力者たちが多数参列しともに祈りを捧げた。 尚、 新法人役員は次の通り。

宗教法人 「カトリック善き牧者の会」
代表 ジェイムス・ハヤット
理事 白柳 誠一
田中 健一
近藤 雅広
グラハム・マクドネル
監査 小林 章夫

ずーむあっぷ
渡辺哲郎さん
(CTIC亀戸相談センター相談員)

渡辺さんがCTICのスタッフになったのは昨年の11月で、 所長の大原神父とは、 7~8年前 「海外進出企業問題を考える会」 で出会って以来の付き合い。 「私が労働組合の総評を終え、 隠遁生活をしようと思っていた矢先 『今度、 亀戸に相談所が出来るから是非』 とふんづかまってしまった」 という。

相談センターでは労働問題を担当、 そのなかでいちばん多いのが賃金未払い。

渡辺さんは、 外国人労働者、 通訳のシスターと一緒に雇い主の所へ交渉に行く。 当事者同士の言葉、 習慣の違いから起こる認識のずれを解きほぐし、 解決していくのが相談センターの持ち味と話す。 又、 緊急に帰国する人のケースで 「これを使わない手はない」 と外国人分会 (全国労協全国一般東京労組) の知人に入ってもらい1回の会合で決着。

「労働屋」 としては、 もっとすばやい最善の解決をとの思いからシステムを具体的につくるというのが今後の課題。 「カトリックの皆さんと楽しい毎日」 と話す渡辺さんはCTICの頼もしい存在である。

第1回特別聖体奉仕者養成講座を終え
34名を集会司式者・聖体奉仕者に認定

1月29日から8回にわたり、 千葉県都賀集会所を会場に、 第1回東京教区 「特別聖体奉仕者養成講座」 が開催され、 講座修了者には終了証書が授与された。 そして奉仕者となることを希望する者は、 4月22日~23日行われた黙想会に出席したうえで、 奉仕者認定願いを提出し、 このほど次の34名が 「集会司式奉仕者」 または 「聖体奉仕者」 と認定された。
白柳誠一枢機卿は、 小教区、 共同体の責任者である主任司祭に対して次のような書簡を4月30日付で送付した。

☆ ☆

ご復活の喜びを申しあげます。

過日、 1月29日より8回にわたり、 千葉・都賀の集会所を会場として行われた 「特別聖体奉仕者養成講座」 に出席し、 「集会司式奉仕者」 または 「聖体奉仕者」 として認定いたしました方々の名簿をお送りいたします。

ちなみに 「集会司式者」 とは、 主日等の司祭不在の際、 集まった信徒たちのために 「み言葉」 の祭儀を司会する信徒です。 「聖体奉仕者」 とは、 司祭に代わってお年寄りや病人等に聖体授与の役割を果たす者です。

この方々に渡しました認定書には、 「集会司式者」 としてあるいは 「聖体奉仕者」 としての勤めを実際に果たすためには、 小教区共同体の責任者である主任司祭の依頼が必要であることが明記されております。 小教区共同体のためにこの方々の奉仕が必要と判断される時に、 この方々の協力を求めてくださるようお願いいたします。 また、 小教区の中で、 この方々に公けに、 継続的な奉仕を依頼なさる場合には、 教区事務所に申請してください。 教区から1年という期限付きの任命書を発行いたします。

また、 この方々がその役割をスムーズに果たすためには、 小教区の信徒の皆様の理解と協力が必要と思われます。 その点に関して主任司祭の皆様の賢明なるご指導をお願いいたします。

このような講座は、 教区としては今回初めてのものであり、 まだまだ不備な点が多々あります。 更に充実したものにしたいと考えておりますので、 積極的なご意見、 ご指摘がございましたら、 司祭評議会の方にお寄せくださいますようお願いいたします。

皆様の上に神の豊かな祝福を祈りつつ。

1995年4月30日
東京大司教区 教区長
枢機卿 白柳 誠一

☆ ☆

認定願い提出者一覧表 (氏名・所属教会・希望の役務)

朝戸苑生 松戸
集会司式者・聖体奉仕者
岩永幸子 東金
集会司式者・聖体奉仕者
合羽井誠 豊島
集会司式者・聖体奉仕者
金子智香子 田園調布
聖体奉仕者
渡辺与也 東金
集会司式者・聖体奉仕者
橋口キイ子 東金
集会司式者・聖体奉仕者
中野年子 葛西 (幼き イエス会)
集会司式者・聖体奉仕者
安部哲英 西千葉
集会司式者・聖体奉仕者
鈴木けふ 小岩 (ドミ ニコ会)
聖体奉仕者
浦松幹雄 茂原
集会司式者・聖体奉仕者
中野直子 茂原
集会司式者・聖体奉仕者
黒木秀子 西千葉
集会司式者・聖体奉仕者
赤城政雄 千葉寺
集会司式者・聖体奉仕者
小野塚啓治 板橋
集会司式者・聖体奉仕者
田辺ゆり子 板橋
集会司式者・聖体奉仕者
高根和雄 八王子
聖体奉仕者
木村磐 五井
集会司式者・聖体奉仕者
服部綾子 五井
聖体奉仕者
本宿和子 松戸
聖体奉仕者
諏訪部正孝 豊四季
集会司式者・聖体奉仕者
東美佐子 成田
聖体奉仕者
小澤兵衛 西千葉
集会司式者・聖体奉仕者
土屋容子 松戸
聖体奉仕者
荒井功 高輪
集会司式者・聖体奉仕者
斉藤鏡子 千葉寺
集会司式者・聖体奉仕者
斉藤知也 千葉寺
集会司式者・聖体奉仕者
小林裕一 西千葉
集会司式者・聖体奉仕者
木田昭 西千葉
集会司式者・聖体奉仕者
木村泰子 五井
聖体奉仕者
鷲山悠紀 茂原
集会司式者・聖体奉仕者
高梨百合子 成田
聖体奉仕者
間野幹夫 西千葉
集会司式者・聖体奉仕者
庄司昌子 西千葉
聖体奉仕者
花牟礼順子 千葉寺
聖体奉仕者

*以上の34名は、 全員、 今回の特別聖体奉仕者養成講座の修了者であることを証します。 (特別聖体奉仕者養成講座スタッフ一同)

城東ブロックの終戦
50周年記念行事始まる

3月号で既報した標記行事の第1回が去る3月12日午後2時から本所教会で開催された。 ブロック会議議長杉田稔師、 開催教会杉田栄次郎師、 市川教会吉田善吾師の共同司式で平和祈願の典礼のミサがブロックを越えた100名近い信徒修道女により捧げられた。 そのあと徒歩15分にある震災資料館で戦災写真等を見学して戦争の悲惨さを改めて想い起こし、 東京都慰霊堂の祭壇前では用意した平和のための祈りを唱えた。

第2回は6月18日三河島、 第3回は7月16日浅草と、 引続き3月10日の東京大空襲の最大被災地となった教会で、 午後2時からそれぞれ平和のミサと記念行事を行ない、 8月5日には例年のとおり上野、 浅草両教会から千鳥が淵への平和祈願行進を行なって、 教区の平和祈願祭に向けて運動を盛り上げていく予定。

1月24日神戸に行って思ったこと
鈴木隆2君(25歳)の報告(2)

神戸での4日間

神戸での4日間いろいろなことがあった。 物資を背中にしょいながらいろいろな所をまわる。

教会の方針で行政の手の届かない人達 (老人、 ホームレス、 在日外国人など) を支援して行こうということだったが、 これがなかなか難しかった。 寝たきりの人に下着などを手渡していると、 側にいたおばさんに 「ウチにはくれないの?」 といわれ非常に困った。 死ぬような思いをした人に 「渡せません」 とは言えない。

ある区役所に独り暮しの老人やホームレスの人の情報を聞きにいったところ、 「今はみんながホームレスです。 みんなが困っているのです。」 といわれたときに感じたのは正直なところ憤りにも似たやるせなさだった。 さらに 「区役所 (避難所のようになっていた) のトイレ掃除のボランティアをして欲しい」 といわれた。 グループのみんなが新しい仕事を見つけ喜んでいたけど、 その時は怒りがこみ上げてきた (後にこれは却下された)。

一部の人にだけ物を配るのは公平でないかも知れないが、 手の行き届かない隅に追いやられた人達の力になりたいという意向もある。 被災者の誰もが寝るのも食べるのも困っているし、 この寒さである。 だがしかし……なのだ。

神戸で一番嬉しかったこと

避難所で 「補聴器が壊れた」 といっているおばさんに出会った。 実は壊れているのではなく電池切れだった。 「電池を探してきますから」 といってその場を辞したところ、 別のフロアに同じように補聴器が壊れたといっている人がいた。 実はその人も電池切れだったのだが予備の電池をたくさん持っていた。 しかし電池をケースから出せないくらい指が弱っていて、 私が電池を入れ替えたところ、 非常に喜んでいた。 その人に事情を説明して電池を一つもらい最初のおばあさんに持って行ったところ非常に喜ばれた。 そのおばあさんは私が壊れた補聴器を修理したと思ったらしく、 手を握りながら何度もありがとうといい名前と住所を聞いてきた。 もしかしたらこれが神戸で一番嬉しかったことかもしれない。 しかしそのとき、 まわりの人達にケースから電池を出してあげる余裕もなかったのかと思うと暗澹たる気持ちになった。 気持ちに余裕がないのはつくづく罪なことだなと思った。

キリスト者として……

果たして東京にいる私達は心に余裕のある生活を送っているのであろうか。 神戸では地震の後 「小さい人」 がますます小さくされていっている。 公園の隅の方にテントをたてる外国人、 避難所で寝たきりの老人、 坂の上の家で身動き取れない老人、 避難所に入り切れなかった労働者のおじさん、 私は出会えなかったがオーバーステイの人達、 いろいろな人がいる。 東京でも、 困っている老人や労働者、 オーバーステイの人だって見えにくいかもしれないが沢山いるだろう。 神戸ではそういった人達が本当に表に出てきている。 彼らを目の当たりにしたときに、 私達は 「世界のみんな兄弟さ♪」 とか 「小さな人々の♪」 と歌いながらどのような態度をとるのだろうか。 そして切羽詰まった状況に置かれたとき、 キリスト者として私とどれくらい心に余裕をもてるであろうか。

ザイール
ビラバ難民キャンプで銃撃事件
―カリタス・ジャパンに連絡―

ザイールのプカプに近いビラバ難民キャンプで11日午後10時 (日本時間12日午前5時) 銃撃事件が発生、 ルワンダ難民28人 (うち子供3人) が志望、 70人が重軽傷を負った。 これはピラバ難民キャンプに看護婦、 神父ら4人を派遣しているカリタス・ジャパン (東京都江東区潮見2-10-10) に現地から連絡が入ったもので、 4人の日本人は無事。

現地の菊地功神父 (36) からの連絡によると、 11日午後10時ころ、 突然、 ビラバキャンプ周辺で建物を揺るがすような爆発音が響くと同時に銃撃戦が1時間半にわたって続き、 死傷者が多数出た。

難民たちの話を総合すると、 約50人近くの武装集団が3隻のモーターボートでキプ湖から上陸、 近くのビラバキャンプを攻撃した。 ビラバキャンプ側からも反撃があり、 銃撃戦が1時間半にわたって展開され、 武装集団は再びボートで引き上げたという。

クリニックの横に建っていた薬品倉庫は迫撃砲が打ち込まれて半壊した。 負傷者は、 カリタス・ジャパンが派遣した修道女2人のほか、 アジア人権基金のルワンダ難民救援センターの日本人スタッフ4人もかけつけ、 臨時の診療所で手当てを受けた後、 重症者は近くの病院に運ばれている。

UNHCRの係官が事情聴取して原因を調べているが、 帰国呼びかけに反対するキャンプ内のフツ族ゲリラに対するルワンダからの攻撃なのか、 それとも難民キャンプ内の運営に対する反抗か、 フツ族とツチ族の部族抗争なのか、 はっきりしないという。

ビラバキャンプにはフツ族の難民が約17,000人がおり、 カリタス・ジャパンは昨年11月からこれまで3回にわたって看護婦、 神父など計12人を現地に派遣、 主にビラバキャンプの診療所の運営に当たってきたが、 この3月からカリタス・スペインがビラバキャンプの全面的な運営に当たっていた。

ルワンダ内戦が開始されて4月7日で、 ちょうど1年。 ルワンダの首都キガリでは大虐殺の犠牲者を追悼する国葬が行われたばかり。 フツ族穏健派を取り入れた国民統合政府は、 国民和解を進めようとしているが、 虐殺実行者の処罰が必要との立場から、 これまでに23,000人のフツ族を拘置、 これに反対する旧政府側との和解は進まず、 各難民キャンプでは何か起きるのではないかと警戒を強めていた。

ビラバキャンプに滞在しているカリタス・ジャパンのメンバーは次の4人である。

イエスの小さい兄弟会 (名古屋市南区道徳通1-18-11) 塩田希 (のぞみ) 神父 (47)。 神言修道会 (名古屋市昭和区南山町11) 菊地功神父 (36)。 マリアの御心会 (東京都新宿区南元町6-2) 道下美和子修道女 (48)。 援助修道会 (東京都新宿区市ヶ谷田町2-24) 柏瀬百合子修道女 (49)。

教会・修道院巡り(42)
『福音史家聖ヨハネ布教修道女会』

医師戸塚文卿は、 政府の命令でフランスに留学中、 輝かしい将来への道を捨てて、 司祭となって帰国した。 西小山に聖ヨハネ汎愛医院を建て、 教皇の特別許可のもとに、 医師としてまた司祭として働くことになった。

一般の患者の他、 当時一番悲惨な状態にあった結核患者を主として収容した。 これが桜町病院の前身である。

師の心には、 自分を手伝う信心深い婦人たちとともにボン・サマリタン兄弟姉妹会という存俗会のようなものを作ろうという構想があった。 岡村ふく、 戸塚富久その他の婦人たちが師の手伝いをしていた。

師は病院の仕事の他に、 関町大神学校の教授、 信心書の翻訳および著作、 カトリック新聞の編集、 土地購入のための現地視察、 資金調達など超人的活動をし、 ついに心臓発作に倒れ、 1939年8月16日47歳でその霊魂を神に返した。

戸塚師帰天2ケ月後、 桜町病院は落成し、 その仕事が軌道に乗ったとき、 岡村ふく、 戸塚富久は土井大司教に修道会に入会したいこと、 桜町病院は大司教が望まれる修道会に引き渡したい旨を申し出た。 しかし大司教は修道会を創立し、 桜町病院を運営するよう岡村ふくに望まれた。 彼女は神言会のハインリッヒ・プンスマン師の協力を得て、 新修道会創立に着手した。 1943年11月司教直轄修道会としてローマより認可された。

桜町病院経営の他、 信者の婦人の依頼で戦災孤児のための施設、 小平の愛児園を引き受けた。 その後戦災孤児については国の援助が行き渡ってきたので、 新たに知的障害児の施設を解説することになった。 建物の老朽化と共に周辺の交通量も増え、 環境が子供たちのために適さなくなったこと、 また成人に達した障害者を受け入れてくれる施設が少ないことから、 山梨県忍野村に施設を移転し、 成人棟を作り、 重度棟も完備させた。

1992年4月から地域援助事業・グループホームを河口湖町に開設した。 1993年には高齢者のホームヘルパーサービス事業を開始し、 1994年からは全国でも数少ないホスピス病棟を桜町病院内に開設した。

修道会のモットー 『援助を必要としている人に手をさしのべ、 最善を尽くす』 事業は50年の間多岐に渡り、 今日も発展し続けている。

本部
〒184小金井市桜町1-2-20
TEL0423 (83) 4117

森司教
「オウム真理教」の事件について産経新聞の問いに答える

3月20日の地下鉄サリン事件とそれに続く一連の事件と 「オウム真理教」 の関係が明らかにされ、 数々の報道がなされている。

抜粋で 『サンケイ新聞』 (4月24日)、 『カトリック新聞』 (4月30日号) に載せられた 「オウム真理教」 の事件に関して森司教の見解を、 今回 『東京教区ニュース』 には全文掲載することにした。

現代社会のゆがみが 「オウム真理教」 の事件を通して浮びあがってきたこと、 そのゆがみの原因が何であるか、 森司教のするどい分析が続く。

☆ ☆

「オウム真理教」 の事件を契機に 「宗教とは何かを考える」 企画を予定しております。
<質問>一連の 「オウム真理教」 の事件をみて、 どう思われますか。 教団としての見解感想をご自由にお書きください。
産経新聞社夕刊編集部
宗教班

・教団としての見解をまとめる時間的な余裕がありませんでしたので、 この回答は私の個人的なものであることをご了承ください。

1、 「オウム真理教」 の一連の事件を通して明確になってきた 「オウム真理教」 のあり方、 そしてまた 「出家した人々の姿」 から、 現代日本社会を蝕んでいる病理を感じると同時に救いに飢え渇く人々に対して宗教が誠実に応えていかなければならない責任があることをあらためて確認いたしました。

a、 経済優先社会の中での人間性の磨耗

「オウム真理教」 の 「出家者たち」 が、 寝食をつめて修行に集中しております。 何かを体験しようと懸命になっています。 非常に極端な形をとっておりますが、 それは、 一方の極に、 「日本株式会社」 と揶や揄ゆされるほど、 私たち日本人が、 ここ数10年、 経済の発展を優先し、 企業の歯車として、 仕事の中に自らを失い、 そのために心身を消耗し、 人間性が空洞化されてしまったという現実があり、 それを取り戻そうとする渇きがあるからではないでしょうか。

b、 消費社会の中で精神性の喪失

「出家」 と同時に、 若い人達が、 全財産を教団にお布施という形で、 惜しむことなく、 差し出しています。 これもまた、 私たちには極端とうつりますが、 しかし、 それも、 一方の極に、 私たち日本人が、 誕生から墓場までのすべての事柄が金で左右される消費社会が作り上げ、 金の力による快適な生活を追求してきてしまいました。 そして、 そこで、 いつの間にか金の力では得ることも、 触れることもできない人間の内面世界への感性を失ってしまってきている。 そうした事実を若者たちが敏感に感じ取り、 「出家」 して、 金に依存しない人生を確立しようとしているとも考えられます。

c、 能力を中心にした価値観の行き詰まり

「オウム真理教」 の中核になる人々には高学歴の人が多くしかも、 いわゆる 「普通の常識」 からみれば、 それまで順調な人生を歩み、 それぞれの職場からは惜しまれて 「出家」 しております。 一般的には 「貧、 病、 争」 が宗教への入門の動機とこれまでいわれてきましたが、 オウムの中核になる人々にはそれは指摘できません。 しかし、 彼らには、 別の意味で欠けたもの 「貧」 が、 あるように思われます。 それは、 幼い時から進学・受験に集中し、 エリートコースを歩むことが人生の最高の目標であるかのような、 能力を中心にした価値観しかもてなかったこと。 多様な人生観、 価値観への展望が欠けていたということです。

その背後に、 国立大学をピラミッドの頂点とした学校間の序列をつくりあげ、 能力の育成を中心にしてきた学校教育の行き詰まりがあると思います。 オウム真理教に飛び込む若い人々は、 その行き詰まりを敏感に感じとり、 絶対的な真理、 価値を求めようとしているのではないかと思います。

d、 家族の絆の希薄化

今回のオウム真理教の一連の事件の一つに出家した子供たちを呼び戻そうとする親たちの姿の訴えが目立ちます。 子供たちはみな 「優しいいい子」 だったと言われます。 それまで 「いい子」 として親たちの期待に応えて歩んできた若者たちが、 「家族との絆」 を切って 「出家」 しております。 その背後に、 父親は仕事、 母親は家の外の事柄、 子供たちは勉強、 とそれぞれが多忙のあまり、 家族の間で喜怒哀楽を分かち合い、 人間として向かい合い、 絡み合うことができなくなってしまったということ。 つまり、 家族が共にいることの意味が薄れてしまったという事実があるように思われます。 「出家」 して疑似家族共同体の中の人間の関わりで、 自分たちを支え合おうとしているのではないかと思われます。

e、 人間の主体性を蝕む情報社会

比較的若い世代の人者たちが、 新聞・テレビ・雑誌等のない世界に身を置き、 一般社会からの情報を完全に断ち切って、 尊師と呼ぶ教祖からの 「情報」 だけに集中しています。 これもまた極端に見えますが、 しかし、 その一方の極に 「情報」 が氾濫する現代日本の社会で、 人間の主体性が侵されていることを前提とすると、 了解可能なように思われます。

あらゆる 「情報」 が、 24時間、 絶え間なく、 脈絡のないまま、 茶の間や個人の部屋にまで、 侵入してきております。 すべての現代人は、 幼い時からこうした 「情報」 に無防備にさらされています。 主体性が確立していない場合には、 簡単に 「情報」 に呑みこまれ、 自ら考え、 判断しながら自分の人生を造りあげていくという姿勢を失っていきます。 若者たちは、 「情報社会」 に背を向けて、 自らの主体性を確立しようとしているように見えます。

2、 このように、 人間性を蝕まむ現代社会のアンチ・テーゼとしての 「オウム真理教」 の存在は、 宗教家としての私にも了解可能なものがありますが、 しかし、 その原理主義的な姿勢には、 疑問に思える点が、 多々あります。

a、 対話の欠如 

「オウム真理教」 には、 現代社会との対立が目立ちます。 地域社会の善意の人々との対話が欠如しているように思えます。

今や、 イデオロギー、 信条、 宗派の違いを越えて、 全ての人々が、 手を結んで、 この地球の出来事に、 責任をもって対処していかなければならない時代になっております。 実際、 実に多く人々が、 主義主張の違いを越えて、 さまざまな矛盾を克服し、 複雑な問題を解決しようと、 さまざまな工夫・努力をしております。 互いの善意を信じ、 それぞれの良心を尊重しながら対話し、 忍耐深く、 手をとりあってよき社会をつくりあげていこうとする姿勢の欠如が、 オウム真理教だけでなく、 原理主義的な教団の特徴の一つです。

b、 盲目的服従の危険性

尊師と呼ぶ教祖への絶対服従は、 修行のレベルにおいては意義づけることができても、 それが、 自らの良心に従って、 考え、 行動するという姿勢を否定し、 盲目的な服従に結びついてしまうものならば、 人間であることの放棄につながる恐れがあります。 それはやがて、 非人間的なことでも、 上の者の言うなりに、 疑問を持たずに行動してしまう人間を育ててしまう恐れがあります。

c、 薬品等の依存への疑問

薬物の力、 あるいは、 あるいは脳等への刺激、 あるいは教祖の血を飲む等の方法をもって、 宗教的な体験を深めていこうとするあり方は、 私たちには理解不能です。

d、 終末論的姿勢に対する疑問

度重なる終末論的な発言が、 教祖の口から繰り返されております。 過去の歴史を振り返るとき、 時代の大きな転換期、 あるいは社会の混乱期には、 終末論的なメッセージを中心にした宗教者たちが登場しては、 消えていっております。 どのように考え、 どのように生きてよいのか、 冷静に考えることのできない時、 不安におびえる人々は、 終末論的なメッセージに支えをもとめる傾向があります。 が、 このような教団で長続きしたものは多くありません。

恐れ、 恐怖心を煽って信徒を導くという方法は、 程度の違いこそあれ、 過去のどの宗教団体にも、 見られるものですが、 それは、 決して人を導くための王道ではないと思います。

e、 教団の閉鎖性への疑問

教団としてあたかも 「独立した国家」 をつくろうとしております。 それが、 他の原理主義的な団体と同じように、 問題のある現代社会の影響を断ち切った共同生活を確立し、 一人ひとりが迷うことなく修行に打ち込むことのできる環境を作るという意味では理解できますが、 しかし、 また一方で、 それが、 地域社会、 国と敵対するかのような 「組織」 を作ろうとすることであるならば、 大変疑問に感じます。 すでに、 指摘しましたように、 今や宗派を越えて、 すべての人々が連体し、 この地球の問題を考えていかなければならない時代になっていると、 私は確信しているからです。

3、 オウム真理教への警察の介入は、 今回の場合、 宗教弾圧とは思えません。 刑事事件としてのレベルに留まっていると思います。 但し、 警察が微罪でオウム真理教に関連する人々を逮捕していくことが、 前例となり、 一般化されることのないよう、 警告したいと思います。

編集部から

●今、 世間で話題の 「ハルマゲドン」 という言葉は、 世紀末に起る恐ろし気な出来事を指すような言葉ではなく、 「メギドの丘」 とか 「メギドの山」 という場所の意味です。

恐らくヨハネの黙示録の16章16節に、 終末の神の審判の時に、 「汚れた霊達が、 全世界の王たちを集めた」 場所から恐ろしいイメージを浮かべる言葉と受けとられているのかもしれません。
旧約聖書では、 士師記5・19~22、 列王記下23・29~30、 歴代誌下35・20~24、 ゼカリア書12・11などにでて来ます。

メギドは、 イスラエルの北方にある何千年も前にあった古い町で、 かつて平野にあった町が、 滅ぼされ、 その上にまた新しい町が造られて行ったために丘の上に町が出来ているようになった町の名前を指しているのです。

●心配された雨も朝のうちに上がって大勢の人でにぎわったインターナショナルデー、 今年も国境や人種を越えたさまざまな人との出会いがあった!

枢機卿さまの 「皮膚の色、 風習の違いを含めて愛し合おう」 の呼びかけを、 単なるお祭りに終わらせるのでなく、 大事にしたいものです。

●オウムのせいか、 マスコミも宗教に関心を持っているようです。 産経新聞は夕刊の1ページを宗教特集とし、 枢機卿さまは水曜日にコラムを書いていらっしゃいます。

本誌編集長門馬師が、 天台宗の僧侶とともに 「企業戦士転じ宗教家・空白抜け心の人生」 に登場しました。