お知らせ

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東京教区ニュース第113号

1994年06月01日

第4回インターナショナル・デー
同じ信仰の結ばれたものは違いを超えて一つの家族になる

肌の色や言葉を越えてキリスト者がイエスのもとに一つに集う祭典-インターナショナル・デー。祭りの頂点であるミサで高らかに告げられた「羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」というイエスの最後の夢(自柳大司教教説教)は、この日、2400の参加者に現実のものとなった。誰もが等しくイエスという羊飼いに導かれる一匹の羊であり、さまざまな羊が一つの群れになって集う喜びを感じた。そして、この夢が1日だけの現実に終わらないでいつまでも続くように、「皆が同じ夢を見るとき、それはもはや夢ではなく現実のものになりつつあるのです」という大司教の言葉を固く信じ、希望した。

さまざまな出会いと感動を与えてくれたこの日のようすを、祭典を企画したスタッフたちのリポートで報告する。

☆ ☆

真の国際化は人と人との出会いから

レオ・シューマカ神父

4月24日(日)東京カテドラル聖マリア大聖堂で、第4回インターナショナル・デー(国際交流の日)の集いを行ないました。

30ヶ国以上の国々から、約2400人の人が、イベントに参加しました。

今年のインターナショナル・デーのテーマは、世界中の人にとってとても人切なこと、すなわち「家族」でした。 いろいろな何から来た一人ひとりに家族があります。私たちは家族の中で、愛と喜びを経験し、自分の国の文化と言葉を習得します。人は「家族」の中でアイデンティティーを、確立します。

午前中の「分かち合い」では、7組のさまざまな家族の体験発表を聞きました。さまざまな家族の根本的な中心は同じ「愛」でした。

午後1時半からは、インターナショナル・デーの中心、インターナショナル・ミサ(白柳大司教司式)でした。自分の知らないいろいろな言葉で、歌ったり祈ったりしましたが、言葉の違いをこえて心の一致があり、感動的なミサが捧げられました。

ミサ終了後、3時半から「家族」というテーマにもとづいて大人と子供が一緒にゲーム大会をしました。

つなひき、玉入れというゲームは、それぞれ自分の国のゲームだと思っていたようでしたが、各国にある共通のゲームであったという発見に皆驚いていました。

東京は国際的な都市とよく言われています。

東京の店居では、世界中の国々の製品が買えます。東京のレストランでは、色々な国の料理を味わう事ができます。展覧会や古楽会で、外国の文化を見たり、聞いたりします。

このように、外国をいろいろな面から経験できます。けれども、本当に外国のことをわかるためには、その国の人々と出会うことが必要です。食べ物や民芸製品より「真の国際化」というのは、人と人の出会いによってです。

日本は、今国際化の道が始ったばかりで、いろいろな問題がでてきています。

日本のカトリック教会でミサをうける外国人の信徒は年々増加しています。彼らは何らかの形で日本で働いている人たちです。

そういう人々の住む新しい日本の社会に対して、カトリック教会の果たす役割は大きいと思います。今の日本の教会では、社会に先がけて国際化が実現しつつあるように思います。

同じ信仰に結ばれた者は、違いをこえて一つの家族になります。

分かちあい国境を越えて、共通の家族の姿

菅 光代

去年の第3回インターナショナル・デーから始まった「分かちあい」は、ことしは≪家族≫つまり「外国人も日本人も神の前ではみな家族である」をテーマに行われた。

発表者を合む在日・滞日外国人および日本人のそれぞれの(家族への)考え方を通して、神の前で家族として手をつなぎあうということを目標に定めた。

できる限り各国からの体験談をうかがえるように発表者は、日本・米国、フランス・ガテマラ、日本・ポルトガルの各ご夫婦、ベトナム人家族、韓国人留学年、日本の3世代の長の男件、教育現場の日本人教師教師を選び、家族の価値観・信仰住活・子供の教育・社会への関わり方などを語ってもらった。

共通の価値観をもって同じ方向へすすんで歩んでいる家族、外国での子育てゆえに、言語において親子の真のコミュニケーションの欠落を感じつつある家族、安易な結婚が壊れ、その犠牲となった子供たちへの影響力など、国を超え、人間として家族とはどうあるべきかを考えさせられることが多かった。

10時から始まった体験者による発表の後、発表者に対する質疑応答が行われた。

日本人がなるべく外国人のグループに入り、お互いに異文化間の、はなし合いができるように、2ヶ国語が可能なリーダーたちを配して、次の小グループの分かちあいに移った。

英語中心・スペイン語中心と日本語中心の各グループがカトリックセンターホールと聖園幼稚園に分かれ、1時間余り有意義な話し合いがなされた。

ナイジェリアからの会社員2名、日本人編集者1名、カナダ人シスター1名、日本人女子大生3名のグループでは、先ず家族の信仰生活ということを中心に、宗教の違う男女の結婚、国際結婚のカップルが宗教の違いから離婚に至った例を挙げ活発に討論された。

最近は、夫のほうの宗教を先ず尊重するというナイジェリアからの意見、チャンスをみつけて、祈りのうちに自分の宗教へ目を向けるよう努力している日本人女性、宗教による結婚生活の破綻は、もっと奥に何か別の深いものがあるのではという編集者の立場方の見解。国境を越え、男女を超え何が一番大切をはなし合い1時間があっという間に過ぎた。

お互いに分かち合った豊かな糧をこころの中に、工事中のため、例年より少ないエスニック料理の店へ、実際の糧を求めに会場を後にした。

インターナショナル・ミサ 肌の色の違いを超えて一致した祈り

韓国人教会 李基憲(イキホアン)神父

故郷を離れて暮らしたことのある人がどれほど懐かしいかを知っている。これは異郷で暮らしたことのない人には分かりにくい切なさである。新宿とは上野へ行くと、街を歩いている外国人をたくさん見かける。きちんとした服を着て楽しそうに歩いている人もいるが、たいていの人はみすぼらしい身なりをして元気なく歩いている。多分彼らは仕事を求めて愛する故郷を家族を離れて経済大国、日本を訪れたのだろう。

しかし、現実派そうあまくはない。経済不況により、仕事を探すことも難しいが、そのうえ全く異なる文化や生活習慣、言語障壁の中で生活しなければならないかれたの苦しみや悩みは私たちの想像を越えるものであるだろう。

誰もが彼らの友達になるか。誰が彼らをなぐさめてくれるか。旧約聖書のヤーウエは故郷を離れた人々のよい慰めとなった。またヤーウエはイスラエルの人々に孤児や未亡人、特に故郷を離れたさすらいの人々を助けるように教えられた。

こういう意味で東京教区のインターナショナル・デーの行事は日本の社会が持つべき外国人に対する関心と友情を模範的に示してくれた実に美しい、ありがたい行事であったといえよう。私自身も故郷を離れた人々の為に司牧する司祭ではあるが、外国人一人として行事そのものがとてもありがたく意味深いものであった。特にミサはすごく感動的であった。

すべての参加者がこのミサの雰囲気と意義を共感している中で行われた典礼は、本当に生き生きとして、ミサならではの喜びと賛美が最大限表現された。東洋的な典礼の中ではなかなか味わうことのできない熱い感動であった。親子そろって”聖家族”を志向するように祭壇に向かって歩く行列、テーマの「家族」を表現しようとした若者たちが熱演したパントマイム、各国の民族衣装を着て祭壇に登る若者たちの姿、全然聞き取れないが、霊的に共感できる各国の信者たちのお祈りや歌などを通してキリストの中で一つになるということを身にしみて感じることができた。

熱い感動のなkで、”アーメン!アレルヤ!”を大きい声で歌っていら兄弟たちの顔を思い出しながらこうつぶやいた。私も故郷に帰ったら今までよりも外国人にやさしい司祭になろうと・・・。

ワールドフェスティバル 共に食べ、共に遊び

有賀守昭

インターナショナル・デーワールドフェスティバルは、工事中の狭くなった東京カテドラルの敷地に所狭しと張られたテントに出店された模擬店とゲームを中心として実施されました。

アフリカングループによるコートジボアール、ザイールのアフリカ料理、麹町教会のセントロヨラ修道院によるラテンアメリカ料理、五井教会フィリピン料理、喜多見グループによる南アメリカ料理、イエズス会中国センターによる中国料理、カパテイグループによるメキシコ料理、東京韓人カトリック教会による韓国料理、ベトナムカトリック東京共同体によるベトナム料理、六本木チャペルセンターによるホットドック等各組織を中心としたテントには思い思いアイデアを凝らした各国料理が並べられ、天候に恵まれたこともあり、関口教会のミサの終る11時ごろから人出が多くなり、食べるほうもどれを食べようか迷いながら、久しぶりに会う仲間たちと話が弾んでいました。

また一方、国際デジタル通信(株)(0061)殿のご提供による無料国際電話コーナーで、来場者たちはクッキングタイマーを使って3分間無料電話8台に故郷への思いを託していました。

分かち合いの終った12時過ぎには、人出は第1のピークを迎え、インターナショナルミサの始まる1時半頃まで会場はごったがえしました。さらにインターナショナルミサのあわった3時過ぎからは、歌とゲームが加わり盛り上がりは最高に達し、玉入れゲーム、いす取りゲームの他、目黒教会アンセルモ修道院の方たちのお手伝いによるリンボーダンス、バンブーダンス、ポット割り等フィリピンのゲームも含めて8種類のゲームが行われ、子供たちを中心に大人も加わり、最終のビンゴゲームが始まると、ゲームテーブルはたくさんの人々に囲まれ身動きもできないような状況となり、数字が読み上げられていくと、”ビンゴ”の掛け声とともに皆さまからご寄付いただいた多数の素敵な商品と片手に来場者たちは家路に向かっていきました。

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来年のインターナショナル・デーは、関口新会館(仮称)の耕司の完成を記念して盛大に実施される予定となっていますので、多くの方々の参加を期待しています。

最後になりましたが、ごみ処理、後片付け等、当日お手伝いいただいた方々に紙上をお借りしてお礼を申し上げます。

貞潔の祈願を取り上げ全国で修道女研修会

今年も4月下旬から5月上旬にかけて全国各地で『修道女研修会』が、日本女子修道会総長管区長会の主催の下、開催された。関東地区では4月29日、宮崎カリタス修道女会・本郡修道院で行われ、約220人の修道女が参加した。

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この研修会は「修道女としての日本の教会と社会への創造的参加を目指して」を基本テーマとするものであり、これまで2年ずつ、三誓願(清貧・従順・貞潔)を扱ってきた。今年は、昨年にひき続き貞潔の誓願を取り上げ、『日本の社会の中で福洋の証となる貞潔の祈願は、どのような形か』をテーマとして進められた。

心理学の専門家を含む4人のパネリストからの提言を受け、各自の個人考察、グループの分かち合い、全体会での質疑応答、さらに森一弘司教による講話と続き、ミサの派遣でしめくくられた。

貞潔は、個人の内面に深く関わることであるが、パネリストの方々は、率直に自分の体験・歩みを分かち合って、多くの示唆を与えてくれた。また、医学的見地からの指摘によって客観的に捉えることもできた。それを通し、共同体において、それぞれの違いを認めた上で、共通点を見出し、ありのままの自分でいられることが、貞潔を生きる支えとなることを確認できた。社会的に未熟な面や、深い女性性を開花させてゆく必要性なども課題として挙げられた。『貞潔の誓願の根源はイエス・キリストとの人格的な深い出会いである』ことをあらゆる角度から見つめてゆくことができた。

森司教による講話は、ロール・プレイで始まった。設定は〔終年誓願前のシスターが休暇中、同窓会に出席して様々な立場の女友達と出会い、女性としての生き方に疑問を抱き揺れ動く。修道院に戻り、先輩のシスターや院長に和談するが、納得するような解答は得られない……〕 というものであった。このロール・プレイは事前に準備されていたものではなかったが、それぞれ絶妙に役を演じてくださり会場は湧きかえった。そこから森司教の問いに答える形で、全体で考え分かち合っていった。しかし具体的に、今年のテーマである『日本の社会の中で福音の証となる貞潔の誓願は、どのような形か』という点には至ることができなかった。

それを受けて森司教は、これから考え生きてゆくヒントとして、男性性と女性性の特徴・違いを挙げた。女性性とは、継続性・永遠性(命を自分の中に感じる)であり、それをどのように修道生活の中に取り込んでいくか-命をいかに生きた形で体験するか-にかかっていると述べた。

テーマが難しかったために、明確な答えを出すことはできなかったが、貞潔-福音の証は、共同生活・使徒職の中でより女性性を開花させ、人間と命の関わり、命の営みに共感して生きてゆくことにかかっていることに気づかされた。

-ある修練女のレポートより-

ずーむあっぷ

アントニオ下山神父ご苦労様でした

この春の人事異動で本初教会主任司祭の職を愛弟子のお一人、本初出身杉田栄次郎神父(前上の教会主任)にバトンタッチされた。

明治43年1月生まれの84歳。

若いころからの豪快かつ面倒見のよい人柄と見識の広さから、数々のエピソードを残し、狂句を超え、教会内外の多くの人々に敬愛され、銀祝のころから早くも「おやじさん」の愛称で親しまれる。

最近の心境を尋ねると・・・

いやー、子分の神父が来てくれて、すっかりのんびりさせてもらってるよ。できればまた、日本一周してみた気分。なぜかまだ和歌山県だけいってないんだなー。

今後の思いを訪ねると・・・

12人の神父(使徒?)を育てるのが目標だった。あと3人頑張らなくちゃー。

しばらくは本初白百合、小平聖マリア両幼稚園の園長、日本カトリック幼稚園連盟,都・区私立幼稚園協会、区教育委員、都共同募金会東都の要職、おたあジュリア表慶会会長、祈祷の使徒会指導司祭も続けられる。

都賀集会所建設中
西千葉・千葉寺教会の協力で8月7日 献堂式

千葉市は一昨年12番目の政令指定都市になり、近い将来には人口100万人を越えようとしています。現在千葉市には西千葉、千葉寺の2つの教会があります。しかし、他の11の政令指定都市からすると余りに少ない教会の数です。

実際、現在は主日のミサでも教会に入りきれない事態が生じており、千葉市の広い地形と、不便な交通網により1時間かけて教会に来る信徒も大勢います。

ところがここに、千葉県の宣教を委ねられた聖コロンバン会が、今から10年程前に千葉市の将来の発展を見越して教会建設を目的として購入し、東京大司教区に委譲した約300坪の土地が有り、その後諸般の事情により機が熟せぬまま今日に至っている通称「都賀の土地」(千葉県若葉区若松町、JR都賀下車)があったのです。このままでは固定資産税を支払って草刈をくり返すだけの状態であるし、東京教区も100周年を迎え新しい一歩を踏みだした時ですので、それにふさわしく西千葉、千葉寺の2つの小教区が協力してここに新しい宣教の拠点を造ろうという機運が盛り上ったのです。

「市内に2つも教会があり、司祭が減る傾向にある現在、本当に教会がこれ以上必要なのか、又もっと必要としている所があるのではないか、教会への道路が狭く、協会用の土地としては適さないのではないか、都賀地区には現在両教会合わせて250名以上の信徒がいるが、教会を追っても果して何人の信徒が移動する気があるのか」臨時信徒総会で真剣に討論し、現在の信徒のためだけではなく、将来の千葉の信徒のため、また広く教区の新しい宣教の拠点という観点から考えようということで、いずれ教会となることを前提とした集会所建設が始められることになりました。

1階は30人から50人がごミサにあずかれるホールと台所、身障者の方も使えるトイレがあり、2階は管理人用あるいは司祭館として使えるように2部屋の和室と台所、トイレ、浴室で、総床・面積は約46坪という小さな建物ですが、今年の2月に建設が始まり、7月未完成の予定です。

8月7日には、白柳大司教、森司教をお迎えして祝別式が行なわれる予定で、喜びのうちに目下当日のスケジュールを検討しているところです。

(都賀集会所建設委員会)

とびっくす

お茶碗いっぱいの米運動

今年の3月から4月にかけての、全国的な米不足騒動は、記憶に新しい。

この米不足は、一人暮らしのお年寄り、病人など弱い人々ほど影響が大きかった。ボランティアと寄付にたよる山谷の炊き出しのための米も不足していた。

この一助ともなればと、西千葉教会壮年会(渡辺以文会長)では、「山谷にお米を届ける運動」を行っている。ミサに参加する人にお茶碗一杯のお米を寄付してもらうというものだ。

渡辺会長は、この運動の輪を広げようと、まず関口教会の壮年会(久守健治会長)に呼びかけた。

同会は、米不足の折りだからこそ意義も大きいと判断。早速3月13日のミサの前後に、茶碗一杯のお米の寄付を求めた。

たった一度の呼びかけだったが、米75kg、米券5kg分、現金28、702円の寄付が集まり、その日のうちに山谷に届けたという。

両教会の壮年会は、今後ともこの連動を続けるとともに、広くこの運動が広がることを望んでいる。

東京教区役職(1994年4月1日)(敬称略)

教区長 白柳誠一

司教総代理・補佐司教 森一弘

司祭評議会 森一弘、稲川保明、塚本伊和男、深水正勝、古賀正典(以上職務上)
佐久間彪、藤岡和滋、大倉一美、大原猛、西川哲弥、坂倉恵二、小沢茂
高木腎一、スメット、プッチ、湯沢民夫(主宰者 教区長)

顧問団 森一弘、稲川保明、スメット、藤岡和滋、西川哲弥

法人役員会 代表役員 白柳誠一
責任役員 森一弘 稲川保明、塚本伊和男、深水正勝、古賀正典

教区本部事務局 事務局長 稲川保明、事務局次長 古賀正典(教区会計兼務)
深水正勝(非常勤)

東京ナイス事務局 (教区本部内)稲川保明、古賀正典、 塚本伊和男(非常勤)、Sr.岩野澪子

移動信徒事務所 油谷弘幸、Sr.渡辺多賀子

神学生養成担当 吉川敦、辻茂、小川拓郎、髙木賢一、古賀正典

神学生志願者担当 酒井俊雛、古川正弘、辻茂、幸田和生

一粒会運営委員会 市川嘉男、内山賢次郎、酒井俊雄

教区立幼稚園運営委員会 青山謙徳、市川嘉男

儀式係 稲川保明、門馬邦男、宮下良平、古賀正典

東京国際センター 粕谷甲一、秋保真理夫

広報委員会 門馬邦男、泉富士男、余語久則、猪熊太郎

典礼委員会 佐久間彪、関根英雄、金井久、古川正弘、江郡純一

教会学校委員会 立花呂和、江部純一、デイン

青少年委員会 晴佐久昌英、小林祥二、岸忠雄、宮下良平、シュガレ、猪熊太郎

生涯養成委員会 森一弘、門馬邦男、川原謙三、髙木賢一、余語久則

女性と教会委員会 森一弘、満留功次、晴佐久昌英

正義と平和委員会 大倉二美、大原猛、ルイ

部落問題委員会 粕谷甲一、坂倉恵二

平和旬間委員会 金井久、杉田栄次郎、吉田善吾、藤岡和滋、

インターナショナルデー委員会 余語久則、五十嵐秀和、デイン、レオ

難民定住推進委員会 粕谷甲一、田中隆弘

靖国問題委員会 青木静男、国枝夏男

福祉委員会運営委員会 塚本伊和男、三好満、加藤英雄

聴覚障害者会 木村公治、坂倉恵二

カリタスジャパン担当 加藤英雄、木村公治

地域福祉担当 加藤英雄、五十嵐秀和、マーフィ、坂倉恵二、木村公治、高木賢一
福島健一、久富達雄、スメット

エクメニズム委員会 小林敬三、吉川敦

ミャンマー委員会 余語久則、深水正勝

イエズス探求会 山根克則、加藤英雄

信徒使徒職コース 川原謙二、杉田稔、小沢茂

青年ネットワーク事務局だより
スピリットソングフェスティバルって何?

「スピリット」 の語源は、ラテン語のスビリトウスで、聖・息吹・命・魂という意味があり、「スピリット・ソング」はいわば現代の霊歌のことです。教会には賛美歌や典礼聖歌などのすばらしい伝統がありますか、その幅をい層広げて、私たちの生きた現実にひびくような祈りの歌を生み出し、世に広めたい。またそれらを通して、特に青年たちに協会の魅力を再発見してほしいというのがスピリット・ソング・フェスティバル(SSF)の目的です。

SSFの具体的なプロセスは、以下の3段階になります。

1、全国からスピリット・ソングを募集してフェスティバル出場曲を選ぶ―自分の信仰を込めて歌を作り、歌うことで神とのかかわりを深めるという企画意図があります。

2、コンクールによって優れた曲を選び、表彰する。―自分の歌を発表することで、多くの仲間と出会ってほしいと思います。

3、曲を広く普及するー信仰の歌をCD、VTR、その他で広めることは、教会活動の活性化に貢献するでしょう。

教会を愛する多くの青年たちが、自分たちの生きる現場から生まれた祈りの歌や、心から共感できるメロディーによる成果を求めていますし、またそれを生み出す力を持っています。

スピリット・ソング・フェスティバル実行委員会のスタッフ一同は、明日の教会を生きる青年たちがスピリット・ソングによって一致の輪を強め、信仰を深め合い、福音を広めてうくことを夢見ています。

投稿
NICE・2「展望」に満足しています

第2回NICEの答申について、私も一言述べさせていただきたく、ペンをとりました。

教区ニュースや、カトリック新聞には、多くの方々が、この答申に対して、不満の声をあげておられるようですが、私はこの答申に十分満足しています。それは、これからの日本の教会がどのように歩むべきかを具体的に示してくれているからです。

もちろん、家庭の諸問題についての具体的な解決方法などを期待しておられた方にとっては、納得のいかないもの、空振りのような感じを受けられたとは思いますが…。しかし、この答申をそのような期待や先入感を捨てて、神の望みが何かを問い続けながら読む時、私にはこれは神からのすばらしい答えとして読むことができたのです。

それは、家庭という大きな問題にとりくむには教会はまだまだ器が小さいということ、基礎が、つまり、家庭問題を受け止める十分な信仰と祈りとみことばに支えられた基礎ができていないということがひしひしと伝わってきました。

その基礎工事をどのようにしたらよいのか、それが、この答申の中心を貫く神からの答ええだと思ったのです。何よりもまず教会の基礎づくりが前提とされていると。

しかし、これはけして教会だけがよくなればよいというのではありません。刷新の目的はあくまでも家庭の救いであり社会の福音化にほかならないからです。ただ、そのための第1段階としてまず数人教会の現状見直し、回心しようということなのです。

このNICE・2のために多くの祈りと犠牲が捧げられたことは周知の通りです。また、歓迎会場となった浦上教会の信徒会館で、楽しいレセプションが行われている間もずっと、横の聖堂ではロザリオの祈りを多くの信者が捧げておられたとも聞いています。

数知れない祈りに、神様は答申をもって答え、溢れる恵みを私達に注いで下さることはいうまでもないこと。このNICE・2が成功か否かは、これからの私達の生きざまにかかっているはずです。一滴のしずくがまわりに大きな波紋をつくるように、私達、教会共同体のこれからの回心の歩み、刷新の止少みが、社会に、家庭に多くの波紋をひろげていくことを信じて、これからも祈り、努力を続けたいと願うしだいです。

(師イエズス修道女会 Sr.戸村晴美)

あなたの信仰があなたを救った(マルコ5・34)
―癒しの旅に同行して―(1)

東京正義と平和委員会は、韓国から元「従軍慰安婦」だったエリザベト崔明順(チェミョンスン)さんを迎えて、4月22日(金)、真正会館で「ハルモニの証言を聴く夕べ」を開きました。

その日、〝韓国「新しい世界」をめざすカトリック女性の会″の代表に案内されて日本についたばかりのハルモニは、集まった人々に辛かった過去の体験と、自分の信仰について力強く次のように証言されました。

☆ ☆

「皆さん、一生懸命主イエスに祈りましょう。主は必ず解決してくださいます」彼女の顔の輝きは、聴く人の心を照らし、ハルモニが真実生まれ変わったことを証ししているようでした。

「私は、洗礼名をエリザベトと言います。私は18才の花のような時に騙されて日本に連行されました。2人の兄と姉がいました。8つ違いの姉は15才の時、学校帰りに行方不明となり、3年後に帰ってきましたが病気で死にました。近所の人の話では姉は日本人に連れて行かれたそうです。長兄は満洲に行っていましたし、下の兄も広島に徴用されていたので、両親と私の3人暮しでした。1945年の正月に京城(現在のソウル)から釜山に行き、釜山港から船に乗せられました。下関に着くと私を連れてきた韓国人と日本人は姿を消し、口髭を生やした男が私を出迎え〝きれいな娘だ″と喜びの声をあげました。何が何だかわからないまま、車に乗せられて男の家に連れて行かれ、その夜からスハラという口髭の男の相手になるように強要させられたのです。隣の部屋には病気の妻が寝ていました。彼の部屋に乗馬用の鞭と肩章が掛かっていました。

そのうちここが広島と分かったので、兄に会わせて欲しいと何度も頼んで兄が働いているところに連れて行ってもらいました。彼は広い畳の部屋の隅に毛布にくるまって寝ていました。私たちは抱き合って泣きました。けれども一緒に逃げることもできず、またスハラの家に連れ戻されました。スハラは鍵をかけて外出していました。私は毎日息子のジローと病気の妻に逃がしてくれるように頼みました。トイレに行くときも彼に付きまとって頼んだので、うるさいと思ったらしく、2ヶ月ぐらいたったある日、ジローは、”下関に行こう”と言い出しました。

私はやっと帰れると思ってジローに付いて汽車に乗りました。

しかし夜中に着いたところは下関ではなくて大阪だったのです。知らない問にジローはいなくなって、2人の日本人に両腕を掴まれて、大きな倉庫のような場所に連れ込まれてしまいました。中は小さな部屋に仕切られていて私は10番という札の掛かった部屋に入れられました。毛布が一枚敷かれていて、汚い羽織のようなものを渡されました。次々に軍人が入ってきて、靴を履いたまま私に性行為を強要したのです。泣き叫ぶとひどく殴られました。毎日死ぬことだけを考えていました。

そのうち私はひどい梅毒に罹ってしまいました。ときどき気絶したり、小水を垂れ流してしまう私を、日本人の年配の女性が親切に面倒を見てくれました。日本人の中にも善い人はいました。部屋によく来たある将校が私を朝鮮に連れて帰ってくれると言ってくれました。

けれど私はもう人を信じることができなくなっていました。病気になった慰安婦は銃殺されると聞いていたので、また騙されると思い込んでいました。
ました。

ところがその将校は意識も殆どなくなっていた私を、本当に挑戦へ連れて帰ってくれたのです。どのようにして両親のもとに帰ったのか全く覚えていません。両親と再開し、喜んだのもつかのま、私は妊娠しており5ヶ月の男の子を死産しました。

人目を忍んで引っ越したのに、ある日、私を騙して日本に誘った男にまた見つかってしまいました。この男から挺身隊として日本に行けと脅追されました。彼から逃れるために、母は急いで近所の男と私を結婚させました。

そして、3日後に挑戦は解放の日を迎えたのですが……。私の梅毒が夫に感染し、怒った夫に殴られ、家を追い出されてしまったのです。

母親のもとに戻ってみると、また妊娠していることに気付きました。やがて子供が生まれました。私は生まれた子供を穴のあくほど見つめ、健康な男の子であることを確認したはずだったのですが、2ヶ月もするとその子は耳から膿を出すようになりました。

息子は今48歳になります。彼は私の梅毒が原因で精神に異常をきたし、今でも時々発作を起こします。そして私に対してひどく暴力をふるうので、なかなか合うことができません。

この子が、4歳になったころ、気が進まなかったのですが、人の勧めで今の夫と再婚しました。やがて広島に行っていた兄も帰ってきましたが、被爆していて、葉も骨もぼろぼろになって治療の甲斐もなく死にました。満洲に行っていた兄は朝鮮戦争で死にました。再婚した夫のと間に4人の子供ができたのですが、私の体の中からわきあがってくる得体の知れない恐怖からとうとうたって歩くこともできなくなりました。

(大倉一美神父)

次号に続く

ちょっとおたずねします

6月はなぜ聖心(みこころ)の月といわれるのですか

Q、教会では、ある月に特別に呼び名をつけています。どうして6月は聖心(みこころ)の月と言われるのですか

A、世界中の教会で、毎月の第一金曜を初金曜と呼んで、ミサにあずかります。また、教会、修道院の聖堂や庭、信者の家庭にも、イエスの心臓を示した御像や御絵が飾ってあります。そして、6月を聖心の月と呼んでいます。

実は、イエスの聖心に対する信心から来ているのです。

心臓は人間の愛情のシンボルと言われます。受肉の奥義の信仰と深い関係を持っています。イエスは一人の人間として、貧しい、病める人を見ては、心を傷め、不正や不当な仕打ちを見て心を義憤の炎で燃やしました。各時代の信者たちが、主の愛を崇め、倣うために、イエスの心臓を信心の対象に選んだのも自然の気持ちからでした。 聖心の信心は大変古いものですが、今日の聖心の信心は、聖マルガリタ・マリア・アラコクに始まります。17世紀、信者たちは異端者の影響を受けて聖体から遠ざかり、信仰も冷ややかになっていました。

聖女は1671年に訪問会修道院に入会しますが、数多くの試練で浄化された聖女に主キリストは度々お現れになりました。1673年12月27日から『聖心の啓示』は始まります。

ついに1675年6月16日、聖体の祝日の週の金曜日にいわゆる『大出現』がありました。主は彼女に、『これはど人々を愛したこの心は、返礼として忘恩しか受けない』とおおせられて、炎で燃え、いばらの環に包まれ、血を流している心臓を示されました。主は聖女に、世の人々に罪の償いをするように、イエスのみ心の祝日の制定のために働くよう命じられたのです。

それからは、長上や司教たちの疑惑、無理解、冷遇に一層の苦しみと悩みの日々は続きました。彼女の精神や信仰が異常でないか、啓示は真実であるか、あらゆる面からの調香が開始されました。

幸い、み心の信心に理解のある、熱心なイエズス会のコロンビエール師の助力もあって、その時から10余年後に、限定的ながら修道院で初めて『聖心の祝日』が行われました。教会はこういうことには、極めて慎重です。教会当局はじめ無視の態度を示しました。しかし、聖心の信心は、さまざまな妨害や誤解を受けながらも、世界中の教会と家庭に広められていきました。

度重なる嘆願を受けて、ついに1865年ピオ9世教皇が、全教会のために『大出現』のあった6月を『イエスの聖心の月』とし、聖心の祝日の週の金曜を聖体の祝日と制定されたのは、聖女への啓示から実に200年後でした。

このことは、かえって聖心の信心が真実の信仰であったことの証明になります。偽りの啓示であったり、信心であったならば、それほどの試練の前にすでに消えてしまっていたでしょう。教会が宣言するまえに、すでに世界的なものになっていたのです。

主は聖女を通して、信者が度々聖体を拝領すること、特に毎月第一の金曜日に聖体を拝領すること、各家庭にはイエスの聖心の御絵を飾り、自分の罪と世の人の罪の償いをすることを命じられたのが聖心の信心の始まりなのです。

聖心の信心は、今日の信者にも大きな示唆を与えていると思います。教皇様も6月の祈りの意向に『キリストの聖心の霊性が、司祭・修道者・信徒に与えられる教育の中心となるように』と希望しておられます。

(泉富士男神父)

教会・修道院巡り(33)
『メリノール教会』

メリノール会は1911年、ニューヨーク市の郊外の丘、「マリアの丘(メリノール)」に外国に行って宣教するアメリカ人の司祭を養成する神学校を設立した時に始まる。

当時のアメリカの教会は現在と同じように司祭不足であったが、もっと司祭が不足している他の国の教会のために、人とお金を送れば送るほどアメリカの教会は恵まれるとの信念を持っていた。「神様より、私たちの気前がよくなることばあり得ない」というのが彼らの考えであった。

1933年、3人の神父が横浜に到着し、35年8月滋賀県で宣教を開始した。1937年には大阪教区の一部が司牧地としてメリノール会に委託された。

戦争中一人目本に残ったバーン神父は、敵国人として苦しんだが、終戦とともに日本国民の動揺を静めるため、報道人の依頼で米軍向けと日本人向け放送に活躍した。

1946年新しい会員の派遣で活発な宣教活動が再開した。京都での福祉活動、『東星ニュース』 の発行、6番町に日本カトリック中央協議会の建設など。

1952年、ハヤット神父は良き牧者運動(YBU)をおこし、日本のカトリック教会ではじめてのマスメディアによる宣教を開始した。

1970年代、メリノール会は、各小教区が自立できる共同体になるという宣教方針を採択した。それは各小教区が「自身で」共同体の方向性を決め、「自身で」共同体生活の維持ができ、「自身で」福音の発展を計るという「三自」の方針である。

1973年、宣教司牧や信徒養成を推進するため、京都教区教理センターを設立。1975年からは司祭不在の場合信徒が典礼を行うように、「集会の祭儀」を取り入れた。またアジアの兄弟との連帯感や国際視野を養成するため、フィリピンでの体験学習プログラムや、信徒の霊性の深化を計り、祈りの指導者を養成するための黙想の家の開設、大学、高校、幼稚園での指導と学年寮、福祉施設も多数設立された。

メリノール会の宣教のビジョンは、「人々が宣教に参加する機会を提供し、参加を励まし、教会や社会の中にその人々の積極的参加を妨げるものがあれば、そのような組織に意義を唱える」ということである。

メリノールの会員は殉教の精神をもって活動する。どこに、どんな状態で生きるかを神に任せる。

本部 〒102千代田区紀尾井町6-2

カトリックの広報は日本の社会に対して十分か
―東京教区広報の集い―

第38回「世界広報の日」にあたる5月8日(日曜日)、江東区潮見の日本カトリック会館・マレラホールにおいて、「カトリックの広報は日本の社会に十分か」と適するパネルディスカッションが、東京教区広報の日の集いとして開催された。教区内の各小教区、修道会から85人が参加し、パネリストの横川和夫(共同通信論説委員)、高嶋哲夫(博報堂)、山谷えり子(サンケイリビング編集長)各氏の講演を聞き、森一弘司教の司会で、午後1時半から5時まで、カトリック教会の広報について集中して熱心な討議をおこなった。

(パネリストの講演の詳細は次号に)

☆ ☆

広報とは

森司教は、あいさつをかねて、「『広報の日』とは、原語で『コミュニケーションの日』と言う。コミュニケーションの理想は三位一体の愛の交わりである。

第2バチカン公会議によって、教会は世界に開かれた存在になろうとした。コミュニケーションの面でも一方的に伝達するのでなく、相互にコミュニケーションしていく姿勢をもたなければならない。

日本の教会が、日本の社会に十分コミュニケーションしているかどうかを、このパネルディスカッションを通して考えていきたい」と導入。

教団本体の硬直化か問題

横川氏は協同通信社に入社してからの記者生活の休験を振り返りながら、記事を読む人の心をつかんで記事を書くことの大切さを訴えた。さらに、教会の広報紙を見ると、仲間内の交流紙にすぎないのではないかと指摘し、教団本体が硬直化している時、広報は活発ではない、ということをもっと考えるべきだと示唆した。

もっと相手に向かう姿勢を

高嶋氏は、アグレッシブに社会にかかわりたいという気持ちから、広告代理店に入社したという自己紹介の後、広告は「バイ・ミー(買ってください)」というコミュニケーションの方法をとるが、企業の広報は、「ラブ・ミー(愛してください)」という広報の仕方である。

「カトリックの広報は、コミュニケーションする相手をもっと知るべきだと思う。他の企業広報の担当者と比べ、自分の信条に反することをいえるということがないので、恵まれている。

開かれた市民社会に向かう世界の中にあって、教会がもっと相手に向かう姿勢をもってほしい」と期待を述べた。

今、社会、人々を念頭に

山谷氏は、出版社の編集者、ワイドショーのリポーターを経て、現在760万部をもつ新聞の編集長となった経歴を辿りながら、「おもしろくなくてもよいが、てぬかりなく、バランスよく伝えることを要求される総理府広報とカトリックの広報に類似点があるように思う」と指摘。

「今」「社会」「人々」という3つのキーワードを挙げ、今という意識をもったメッセージ、人の血を熱くさせるメッセージ、伝える情報が行動につながるようなものにする必要があると問題提起した。

広報は十分ではない

その後、開会直後にしたアンケートの集計結果が発表された。この結果をもとに、3人の講師が、以下の回答数に興味を示した。

「カトリックの広報は、社会の人々に十分伝わっているか」という問いには、65人が「いいえ」と答え、「信者には十分か」という問いには、58人が「いいえ」と回答した。

示唆に・冨んだ提言を受けて

引き続き、参加者との活発な意見交換に移り、「信仰が神と自分一人との関係になっている。社会と信仰を切り離した教えなど、信者の信仰理解に問題がある」「社会のニーズにどう対応してよいかわからない」「カトリック教会の広報はニュース性がない」「信仰の面でも自分のことで精いっぱいで、他のことにまで関心が及ばないのが実状ではないか」など、次々に意見が出された。

これらの意見に対し、「どうして教会はエイズ、臓器移植などの問題が出た時、すぐメッセージをださないのか」「カトリック新聞のありカが問題ではないか」「宗教の本質は生と死を究め、喜びに満ちる生き」力にある。カトリックは喜び、自由の宗教のはずである。それなのに、厳しさが前面にでている」「いのちと愛について、これからカトリックが話していく時である」「組織の整備が必要」「教会そのものが社会に開かれていないと、教会が存在し得ない状況になっていく」などの率直な提言がなされた。

継続的な討議を

「以上のような重要な課題は1回限りで結論が出されるものではなく、活発な討議を、今後も続けていきたい」という森司教の閉会の辞で、散会した。

なお、今回の集いは初めてビデオ録画され、教区広報担当者に手渡された。

聖ペトロ使徒座への献金とは?

Q いつ頃から、何のために

A 8世紀の終わりごろイギリスで起こった「教皇への献金」運動がきっかけになったと言われます。

その後、全世界の教会で『聖ペトロ献金』 の名で行われるようになりました。

一昨年からは、その献金の性格も、教皇個人のための活動資金から使徒座活動資金へと変わり、『聖ベトロ使徒座への献金』と呼ばれるようになりました。

Q 何に使われるのですか

A(1) 全世界の教会のために使われます。

聖ペトロ使徒座(教皇庁)は、3000人を超える職員を抱え、情報収集、頻繁な会議の世話、諸事務処理を行っています。その人件費、会議費、事務経費に使われます。

(2)地方教会の援助金としても使われます。

まだ自立できない各地の教区は、全体の3分の2ほどに及んでいます。その援助金として使われます。

(3)教皇個人の活動のためにも使われます。

現教皇は世界各地を訪れ困難な人々に援助の手を差し伸べられています。この旅行経費と援助資金として使われるのです。

Q バチカンはお金持ちではないのですか。

A 確かにすばらしい教会建造物を持ち、多くの貴重な美術品を所有していることから言えば世界の大資産家といえるでしょう。しかし、歴史的、文化的遺産であるこれらのものを売却、処分するわけにもいきません。その上、維持、補修、管理のために多大の費用を必要とします。現在でも歳入(約130億円)に対し歳出(約200億円)が大きく上回っています。今まで財政的に支えてきたアメリカ・ドイツの教会も経済状況の悪化で、援助が鈍り、使徒座(教皇庁)も苦しい財政状況に追い込まれています。

(塚本伊和男神父)