お知らせ

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東京教区ニュース第111号

1994年04月01日

東京教区司祭叙階式

喜びのうちに新司祭誕生 ~猪熊師と油谷師~

東京教区の司祭叙階式が3月6日 (日) 東京カテドラルで行われ、 東京教区2人とレデンプトール会1人の、 合わせて3人の新司祭が誕生した。 教区司祭に叙階されたのは猪熊太郎助祭と油谷弘幸助祭、 レデンプトール会は瀬戸高志助祭。 3司祭の誕生とあって、 大聖堂は喜びの声に沸き返った。 

☆ ☆

穏やかな暖かさに恵まれた当日は、 3司祭の誕生を祝福しようと、 およそ1500人の会衆が見守る中、 午後2時より白柳誠一大司教の司式で厳かに式は始まった。 

白柳大司教は、 訓話の中で新司祭への心構えについて、 「キリストは死に至るまで徹底して父のみ旨を生きた。 世間の常識よりキリストの生き方を優先させて、 キリストが人々に仕えたように、 自分を奉献し秘跡を執行することは、 崇高なことであり大変なことである。 でも恐れることはない。 この叙階の恵みの中で与えられるものであり、 聖母マリアのご保護を願って歩んで下さい」 と励ましの言葉を贈った。 

なお、 猪熊新司祭は高円寺教会、 油谷新司祭は洗足教会と任地が発表された。 

東京教区 新司祭の横顔

フランシスコ・アシジ 猪熊太郎さん

幼児洗礼だけれど、 中学・高校と教会に行かなかった。 「親と一緒に教会に行くなんてまっぴらだ」。 そんな反骨精神が足を教会から遠ざけた。 浪人生活におさらばというある日、 両親と一緒にミサに行った。 主任神父が 「大学生になったんだから、 キャンプでも手伝え」。 この一言が教会にのめり込むきっかけになった。 改めて聖書を読んだ。 とても面白い。 「人と人との関わりの中で、 生活の中で、 み言葉が生きるものとして感じ取れて、 読んで面白かった」。 

大学を卒業して、 さて何をしようか。 父を見てサラリーマン、 母を見て学者、 祖父を見て医者、 祖母を見て芸術家のどれにもになりたくはなかった。 学生時代に休みのたびに借金して聖地などへ旅行してたので、 お金の返済に迫られ、 てっとり早く稼げるトラック運転手になった。 でも、 「ただ稼ぐだけではつまらない」。 決断すると早い。 司祭職を目指す長い道程が始まった。 

神学生時代、 思い通りにならないことが多かった。 聖体奉仕者、 助祭、 司祭になるのに随分と待たされた。 でも今は、 それが恵みだったとわかる。 「自分にふさわしい時に、 ふさわしい方法でわからせてくれた、 それがイエスなのだ」 と。 だから、 「打ちのめされたり、 傷つけられた時に、 まっ先にイエスが来てくれる」 という確信がある。 

猪熊さんにとって、 親は重く、 乗り越えなくてはならない存在だった。 しかし今、 司祭職というまったく異なる道を歩み始めたことで、 親を乗り越えねばという意識はなくなったという。 家族という巣から独り立ちの時を迎えたのだろうか。 叙階式の終わりに、 号泣されていたお父さんと妹さんの姿が印象的だった。 

趣味は、 ステーショナリーを集めること。 教区ニュース 「VIVID」 の編集用にと購入したマッキントッシュに今は凝っている。 32歳、 東京生まれ。 

イシドロ・ドミニコ 油谷 弘幸さん

かつて一世を風靡した青春TV映画があった。 主人公の青年教師はいつも全力疾走、 立ち止まることはない。 生徒と一緒に悩み苦しみ、 毎日を懸命に走りながら、 その先に希望や喜びを見出していく、 そんな熱血漢だった。 

お話しを伺って、 油谷さんにその主人公を重ねていた。 

油谷さんも、 いつも人生を力いっぱい走ってきた。 生きるって何だろうと悩んでいた青春時代、 朝のジョギングでふと見つけたプロテスタント教会。 「もし自分が救われるなら、 キリストしかない」 と受洗。 でも、 また悩み始める。 キリストの姿が見えなくなったのだ。 そんな時、 友人に連れられて麹町教会のミサに出る。 体に電流が流れた。 「ここにキリストがいる!」。 4年後に麹町教会で改宗。 そこでもう一つ大きな発見をする。 神と人に仕えるために独身を通して生きる人たちがいる。 「自分も司祭になるんだ!」。 司祭職という目標に向けて、 再び走り始めた。 

神学生として最後の2年間は、 関口教会で教会学校を担当した。 子供たちやリーダーとの関わりは、 TV映画の青年教師そのものだった。 

今、 司祭職というスタート地点に立って、 「不安、 不安、 不安。 こんな私でやっていけるのか」 との思いでいっぱいと語る。 神学生時代の6年間は、 場所や仲間に恵まれ、 初めての 「安住した生活」 だった。 だから、 独り立ちする不安がある。 「どこまで自分ができるか、 どこまで徹して働けるか」。 

でも、 人生を走り出す前に、 立ち止まる瞬間があるものだ。 力いっぱいのスタートを前にして、 はるか先のゴールを見すえ、 呼吸を整え、 そして静かに神に祈る。 きっと今は、 そういう時なのだろう。 遠くを見つめるまなざしの奥に、 これからの司祭生活の厳しさを神は恵みをもって支えてくれるという確信に裏打ちされた柔和さが宿る。 38歳、 桐生市生まれ。 

NICE・2 報告会 各地で開かれる

昨秋長崎で開かれた第2回福音宣教推進全国会議 (ナイス2) の報告会が、 1月9日の恒例の教区教会委員連合会のプログラムに組み入れられたのをはじめ、 教区内各方面で持たれ始めている。 

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2月6日午後、 浅草教会において、 城東ブロック会議主催の報告会 『第2回ナイスを開き、 東京教区のこれからを考える集い』 が開かれた。 

はじめに黒川恒雄、 稲留敦子の両氏から教区代表としての感想を、 塚本伊和男師が全国会議拡大事務局員の立場で運営上の功罪など、 そして森司教からナイス後の司教団の動きなどが報告された。 

その後、 「今後の方向として、 祈る・学ぶ・分かち合う・助け合うなど、 核にキリストをしっかり据えた、 活動グループのネットワーク作りを目標に…」 といった森司教の提案を軸に、 参加者60数名が活発な意見を交わし、 報告会が盛り上がった。 

城東ブロックは、 過去3年続けて9月に 『家庭を考える集い』 を開催し、 ナイス2の課題 「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」 の浸透を図ってきた。 特に昨年のそれは教区代表の大半の参加を得て、 励ます会的な要素を加え、 ナイスが終わると必ず独自の報告会でひと区切りをつけるのが、 ナイス1以来の城東ブロックのスタイルと聞く。 

しかし、 今回のナイスの報告は、 そうさせてくれない問題含みの模様だった。 

ずーむあっぷ

25周年を迎えるジュリア祭

朝鮮の役により3歳のとき日本に連れて来られ、 キリシタン大名小西行長の養女となり、 後に徳川幕府の弾圧により神津島に流刑の身となったおたあジュリアを偲ぶために行われるジュリア祭が、 今年で25年目を迎える。 

ここ数年は韓国からの参加者も加わり、 ますます盛大になっている。 

今年は5月14日より16日。 団長は下山神父。 

東京大司教区司祭人事異動

申し込み、

問い合わせは本所・八王子・洗足各教会と大司教館まで。 1994年3月6日付で東京大司教区人事異動が発表された。 なお実際の異動は原則として復活祭後1ヵ月以内に行われる。 

  新任地 旧任地
森 一弘司教 中央協議会事務局長兼務 補佐司教  
杉田栄次郎師 本所教会主任 上野教会主任
下山正義師 本所教会付 本所教会主任
青山和美師 上野教会主任 小平教会主任
市川 裕師 小平教会主任 浅草教会主任
沢田和夫師 浅草教会主任 関口教会助任
田中隆弘師 高円寺教会主任 秋津教会主任
猪熊太郎師 高円寺教会助任新司祭  
加藤英雄師 秋津教会主任 関口教会助任
岩崎 尚師 豊四季教会主任 高輪教会主任
ハクシャー師 高輪教会主任 豊四季教会主任
ボルジャー師 高輪教会助任 青梅教会主任
晴佐久昌英師 青梅教会主任  

五日市教会主任代行兼務高円寺教会助任木村公治師関口教会助任洗足教会助任レオ師関口教会助任      高円寺教会主任代行油谷弘幸師洗足教会助任新司祭 古賀正典師八王子教会兼務大司教区事務局会計余語久則師 真生会館豊四季教会助任吉池好高師新潟教区へ出向継続勤務藤井泰定師ケルン教区へ出向 継続勤務後藤文雄師吉祥寺教会主任神言会宮崎保司師吉祥寺教会助任吉祥寺教会主任代行伴 八郎師 吉祥寺教会助任 神言会古川政孝師赤羽教会助任コンベンツアル会

東京教区決算と予算報告

教区本部は2月23日、 教区一般会計分野の93年度決算を終了し、 昨年末に編成した94年度予算とともに、 3月21日の教区総会で報告をおこなった。

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教区本部事務局次長で教区会計担当の古賀正典師に今回の会計報告についてお話を聞いた。 

教区は、 会計年度を毎年1月1日から12月31日までとしている。 小教区、 各委員会等も、 この会計年度に併せて会計を管理している。 1月31日締め切りの報告書の提出を待って、 教区会計室は決算作業にはいる。 翌月の司祭評議会で決算の報告を行い、 その承認を経て、 経済問題評議会 (財政評議会) において教会法上の承認手続きが行われる。 

この時期、 他の教勢統計、 教区総会の準備なども同時に進行しているため、 教区本部は1年のうち、 最も忙しい日々を迎える。 

「やはり、 締め切り日を厳守していただきたいですね。 今年はナイス2以降の司教団の対応が押せ押せになって、 総会の準備が遅れた分、 2月の会議で諮問できましたが、 締め切りが遅れると、 2週間後の司祭評に間に合わすことができずに大抵は3月の会議で諮問するのです」 と古賀師は語る。 

予 算

予算の方は、 執行年度の前に成立させるので、 11月には仮決算を終了し、 12月に前記の2評議会で、 審議が行われる。 特に重要視されるのは、 人件費の問題。 司祭の生活補助金の改定、 職員のベースアップについて、 財源の問題からも、 熱い審議が行われるようだ。 

「ここ数年、 司祭は大卒者の初任給に近づけるように、 また、 職員は公務員並みの昇給に努力しています。 本年もかろうじて昇給できたのも、 信徒の皆さんのご理解のおかげです」 

決 算

決算は、 緊縮に努めているらしく、 予算より5000万円程度の節約ができた。 人件費が全体の半分以上を占めるのは、 どの企業も同じだろうが、 一般にいう経費面での節約で、 昨今の経済情勢に対応している。 

「確かに、 不況と経済停滞は影響を与えていますね。 利子収入に頼っている部分が大きいので、 今年度の予算編成は頭が痛い毎日でした。 人件費を上げた分は仕方がない、 といってあまり緊縮で活動を停滞させる訳にはいかない。 5億円台の予算に突入しました。 予備費は関口新会館 (仮称) に教区のスペースがありますので、 最低の備品は準備したいし。 

特定献金

また、 特定献金の状況を見てみると、 93年後期の献金日の収入は前年度を下回るようになりました。 前期がよかった分、 決算上は黒字になっていますが、 献金としていただく分ですので、 予算はいつも少な目に見込みます」 

一粒会会計

一粒会会計は、 経常費以上の実績を上げ、 養成基金を増やすことができた。 来年は、 司祭叙階がないと聞くが、 いつでも多くの司祭志願者を迎えることができるよう努力している。 

東京国際センター会計

また、 東京国際センター会計は、 同センターの渋谷への移転後、 本部からは基金利息のみを送金し、 小教区と同じように会計面でも、 賛助会の献金で自立しようとしている。 

「やはり、 皆さんのご支援に感謝することが第一ですね。 大司教も、 特に一昨年末のソマリア・インドネシアのための臨時の献金に皆さんが迅速に対応してくださったことをとても喜んでおられました。 この種の災害援助への対応について、 福祉委員会等へも諮問をしておられます」 

今年の聖金曜日の聖地への献金は、 今またキナ臭い状況のイスラエルの真の平和のためになればと願っている。 

超高齢化社会の到来に対して教会はどう対処するのか
東京教区福祉委員会
塚本伊和男神父

1、 超高齢化社会は目の前

65歳以上の老人人口が総人口の7%を越えると、 高齢化社会と一般に言われる。 それが14%に達すると超高齢化社会ということになる。 別表で示したように、 日本は1970年に高齢化社会の仲間入りをしたが、 わずか25年後の1995年には超高齢化社会に突入するとされている。 

2、 教会とて例外でない

東京教区福祉委員会の調査 (1994・1月末現在) によると概数ではあるが、 

東京教区内の65歳以上の信徒数は、 約6600名で、 全信徒数の11%に当たる。 年々、 その比率は上がるので、 教会内でも超高齢化に移行するのもここ数年後と考えられる。 

3、 司祭の高齢化

東京教区の司祭の平均年齢は55・7歳で、 年齢別教区司祭数の一覧が別表である。 いずれにしても、 教区司祭の高齢化も、 これからの東京教区全体を考えるとき、 重要な要素として頭に置く必要があろう。 

4、 悲観論より楽観論を

どこの小教区へ行っても、 年配の方が多く、 若者が少ないと嘆く向きがある。 かつて信徒数を見ると女性が多く、 このままではカトリック教会は女性ばかりの教会になってしまうとの嘆きに対して、 あるベテラン宣教師が 『神様は長い目で見ておられるので、 いつか男女の釣り合いが取れるようになるよ』 と答えておられたことを思い出す。 高齢信徒数が増え、 高齢教区司祭が多くなったからと言って嘆くより、 楽観的に未来を眺めたい。 

5、 意識を変える必要

従来、 一般社会でも60を過ぎると年寄り扱いされたものだが、 現代では70歳以上の方でも、 元気発らつとしておられる方が多い。 

75歳以上になって老人の仲間入りをするというように一般社会の通念が変わりつつある。 

もう一つは、 共同体の一員として高齢者を考えるべきであろう。 赤ちゃんがいて青少年がいて、 壮年・熟年の男女がいて、 そして年寄りがいる共同体として高齢者問題を考える必要がある。 すべての年齢層に関わる問題をはらんでいるからである。 

6、 様々な課題

信徒・司祭・司教を含めて超高齢化時代に入る東京教区として、 今後どんな課題を抱えているか、 思いつくままに書き出してみた。 

(1) 小教区のあり方

イ、 司祭の掛け持ち

ロ、 共同司牧

ハ、 助祭制度等の検討

ニ、 小教区共同体奉仕者の養成・任命

(2) 関連する諸課題

イ、 教会文書の文字の拡大

ロ、 教会委員会等教区・小教区の委員の定年制

ハ、 信徒を含めて地域の高齢者に対する奉仕活動のあり方

ニ、 高齢司祭・ひとり暮らしの旧教会職員の処遇

ホ、 信徒として生きがいのある人生を全うするための心得

等々である。 

ちょっとおたずねします

洗礼を受けても、 少しも変われません

Q 洗礼を受けて1年になります。 最近、 祈りにも余り身が入らず、 とかく怠りがちです。 相変わらず腹をたてたり、 人を恨んだり、 以前と少しも変わっていない自分を見い出して、 洗礼の効果とは何なんだろうと、 信仰も揺らぐ気持ちです。 

A 確かに、 洗礼の秘跡の恵みによって、 霊魂は浄められ、 神の子にされ、 あなた自身は神の聖なる霊のお住みになる神殿になったのです。 しかし、 洗礼は信仰生活のスタートに過ぎません。 洗礼を受けても、 神の子にされても、 人間の弱さと悪い習慣は残っています。 

信仰のために最後には殉教した使徒たちでさえ、 主キリストが十字架につけられた時、 主を見捨てて、 逃げてしまったほど弱い者でした。 聖パウロも、 そういう人間の惨めさを嘆いています (ローマ7・15~19)。 

洗礼後も、 あなたに弱さや罪深さを残してくださったのは、 主の憐れみによるものです。 高慢のため、 サタンは天使から堕落し、 アダムは特別の恩恵を失い、 楽園を追放されました。 

聖パウロは、 天国を見る特別な恩恵を受けました。 しかし、 神はかれが思い上がらないようにと、 大変な苦しみを与えられました。 余りの苦しみに、 取り去ってくださるよう3度も主に祈ると、 主は 「わたしの恵みはあなたに十分である。 力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」 と言われました。 だから、 キリストの力がわたしの内に宿るように、 むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 なぜなら、 わたしは弱いときにこそ強いからですと、 告白しています (2コリント12章)。 

信仰生活は、 ある意味で 『戦い』 です。 勝つこともあれば、 負けることもあり、 傷つくこともあります。 勝利の喜びを持つこともあれば、 敗北の涙を流すときもあります。 

試練の中で信仰は強められ、 霊魂は浄められ、 徳を積むことができます (ロマ5・1~5、 黙7・14)。 

勝つことができるのは 「わたしたちに与えられた聖霊によって、 神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」 (ロマ5・5)。 負けるときは、 きつと自分に慢心したり、 祈りを怠っていたからです。 

主ご自身ゲッセマニでは、 必死の祈りで誘惑を退けられました。 主は気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えておられます (ルカ18・1)。 そして 「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」 (ルカ11・13) と約束もしてくださいました。 

あなたは、 数10年変わらず忠実に日曜日ごとにミサに来られる信者の人たちを見ておられるでしょう。 実はかれらもかつては、 あなたと同じ悩みや苦しみを持ちながら頑張ってきたのです。 

かれらを支え、 立ち上がらせ、 歩み続けさせたのは、 信者の友だち、 その人自身の祈りであり、 特に聖体拝領であり、 赦しの秘跡だったのです。 

信仰は希望の中にあります。 これからも、 あなたが教会の兄弟、 姉妹らとともに祈り、 活動しながら互いに助けあって行くなかに、 信仰の本当の味を楽しめる日の来ることを祈っています。

(泉 富士男神父)

エイズに関する理解 ~正しい情報と自己選択で~

一人ひとりの問題としてエイズを正しく理解するために真生会館の学習センターにおいて5回の講座が設けられた。 2月19日の最終回の座談会で、 講師を通してエイズの予防、

更に感染者が背負う病気と社会の中の差別による二重の苦しみを聞き、 今日本におけるエイズは、 医療上の支援、 人権の保護と緊急の重い問題を抱えていることを痛感した。 

司 会

森 一弘 東京教区補佐司教

講師略歴

山田兼雄 聖マリアンナ医科大学難病治療研究センター社会医療部

厚生省AIDSサーベイランス委員

厚生省HIV感染者発症予防・治療に関する研究班長

横川和夫 共同通信社論説委員 ルポ 「仮面の家」 の取材で昨年日本新聞協会賞受賞

山下柚実 ルポライター・TBSラジオ、 エイズキャンペーンのブレーン

森司教 (司会) ―これまで4回に分けてそれぞれの分野でエイズのことに深く関わっておられる方々を講師としてお招きし、 講座が開かれてきました。 

今回は座談会ということで、 どのような問題が背後に隠されているのかを山田さん、 横川さん、 山下さんの3人の方々にお話しを伺い、 我々のエイズとの関わり方を考えていきたいと思います。 

エイズに関わるようになったいきさつからお話しください。 

山田 私は小児科の医者です。 エイズ感染者に母子感染が9例ありますが、 日本のエイズ感染者の60%は血友病の人達です。 これは、 エイズ感染の激しい地域から輸入した凝固因子製剤による治療で感染したものです。 

現在、 厚生省HIV感染者発症予防・治療に関する研究班の班長です。 

横川 血友病のエイズ感染者が特に子供達が多いのですが、 感染から発症まで10年と言われ、 家族への告知など様々な問題を抱えて、 今どのように生活しているのか、 その生の声の代弁者として事実を伝えるのは記者としての役割と思っています。 東京新聞に掲載中です。 

山下 私がエイズと関わるようになったのは、 ハワイに行きました時、 日本の観光客にコンドームを配っていたエイズ感染症のフィリピンの男性と知り合ったのが、 きっかけでした。 

彼は1988年に発症したそうですが、 初めは彼がエイズと知らされた時、 私は驚き怖れました。 末期に近い方ですが、 社会に貢献したいために働きかけ、 情報を渡すという目的でエイズに関するパンフレットも配っていました。 

日本にも来たいと言うので翌年の92年9月に呼びましたが、 ホテルに拒否されるという事態が起こり、 マスコミにも取り上げられました。

―3人の方々は、 病んでいる人を前にしたところから出発しているのですが、 現在日本のエイズの状況はどのようになっているのでしょうか。 

山田 厚生省AIDSサーベイランスから2ヶ月ごとに感染者の発表がありますが、 1月末の報告では、 感染者は2838人で外国人が652人含まれています。 そのうち異性間によるもの153人、 同性愛196人、 血友病の凝固因子製剤によるもの1728人、 残数はその他・不明。 

発症は621人で外国人が77人含まれています。 異性間によるもの79人、 同性愛8人、 血友病の凝固因子製剤によるもの375人、 残数はその他・不明。 

年齢順では、 1位・20~29歳、 2位・30~39歳、 3位・40~49歳・4位・20歳未満で84人となります。 

山下 タイから2、 3日前に帰ったのですが、 タイの93年末のデータでは、 感染者は50万人となっています。 

75%は性行為による感染、 8・6%は麻薬によるもの、 残りは母子感染。 

売春婦の5万人が陽性といわれていますから、 一晩にかなりの数の人々が感染しているわけです。 

日本の男性の中にも感染者がいるのではないかと思われます。 日本の男性から感染した女性もいます。 

横川 4分の1は血友病の治療による感染、 これは日本の特徴であり、 日本のエイズ問題は、 医療行政、 製薬会社が影を落としていると言えます。 

ニュースソースもクラブ制度に縛られ、 厚生省発表の意図しているところに乗せられている傾向もあって、 実態が伝わっていない。 

―日本とタイでは感染の背景が異なるようですが、 日本で血友病患者に歯止めができずにこれほど広がったのはなぜでしょうか。 

山田 1983年、 17歳以下の血友病の子供の56%が感染したのですが、 原因はアメリカから輸入した濃縮製剤で、 血液行政にあったんです。 

商業ベースで安く手に入る売血制度の血液を輸入していたのです。 その血液にはHIVの感染者が多く、 多くの国の血友病患者が感染しました。 

―生の声を聞いて記者の立場からいかがですか。 

横川 血友病は、 一旦出血したら、 血液製剤がないと止まらないのです。 それだけで家族はたいへん苦しんでいるのに、 更にエイズという2重の苦しみを与えられてしまったのです。 

感染したら誰にも知られないように神経を使って生きている、 隠遁者のような生活を強いられる、 10年後の死。 これまで私はいろいろな取材をしてきましたが、 そこで涙を流すということはあまりありませんでしたが、 エイズ感染者の取材では涙がとまらなくなることがありました。 

山下 血友病のエイズ感染者の方は病気と社会の中の不当な差別で苦しむ、 更に医療機関でも診療を拒否されるという2重の仕打ちを受けています。 

日常生活の中で感染しないと言われているのに、 ホテルの従業員も逃げ出す。 厚生省もホテルに通達したが受け入れない。 学校、 職場でも同様なことが起こっています。 

知識と行動がつながっていない。 情報を流すというだけではだめですね。 経験的に理解できるよう、 同じ場を共有するということも考えられるのではないでしょうか。 

―予防についてお願いします。 

山下 タイでは、 アジアの文化の中で相手にノーと言えるような自己の行動をはっきりさせるという教育をしています。 

日本は、 10代の中絶が増えています。 HIVの裏付けができてないということです。 純潔教育よりも自己選択できる教育が望ましいのではないかと思います。 

国によって違いがありますが、 アメリカでは情報は正しく渡し、 あとは自己選択。 

日本は、 具体的な情報が少ないので、 人ごとでしかないのです。 どの国も具体的に教えています。 そうでなければ予防できないのです。 

山田 血液、 唾液が飛んで感染したという例は一例もない。 食器、 洗面所、 トイレ、 ワープロの共有も問題ない。 

こういうことは大丈夫と認識する教育が必要。 気をつけるところは、 はっきりと指示することです。 

横川 正しい情報を渡し、 自己決定していくことが一番大切なこと。 高校の生徒達が 「エイズに関する研究をしたい」 というのもいいことではないでしょうか。 

―ありがとうございました。 我々がこれをきっかけにエイズ問題を正しく理解し深めていくことができますように。 

教会・修道院巡り (31)
『三河島教会』

1933年、シャンボン大司教は東京の下町のひとつである三河島地区で働くよう、 サレジオ会を招いた。 サレジオ会は1925年に来日し、 宮崎、 大分で宣教活動に従事していた。 

当時、三河島教会周辺には教会はなく、 浅草、 本所、 本郷教会が一番近い教会であった。 ただ一つ、 町屋に上智大学の学生たちによるボランティア活動があり、 彼らとともにイエズス会の司祭が働いていた。 

この三河島地区には町工場が多く、 小さな家にはたくさんの子供たちがいた。 青少年の教育をモットーとするサレジオ会にとって願ってもない働きの場であった。 

シャンボン大司教は土地をサレジオ会に寄贈され、 サレジオ会の精神に従って自由に会員が働けるよう配慮された。 

教会の最初の活動は、 日曜礼拝と子供たちのための日曜学校であった。 わずか1年のうちに、 300人の子供たちが日曜学校に通うようになった。 また、 地域の必要のために作られた託児所、 学習塾、 そろばん塾、 診療所などの事業はつぎつぎに発展していった。 これらの社会福祉事業は、 多くの人々に利益をもたらした。 特に子供たちのための日曜学校は 「ドン・ボスコ」 と呼ばれ、 子供たちには 「ドン・ボスコへ行こう」 と言えば全てが通じ合っていた。 

1939年6月29日、

三河島小教区は正式にサレジオ会所属の小教区となった。 

1941年に第2次世界大戦が勃発すると、 教会の活動は大幅に制限された。 空襲で多くの施設を失い多難な時を過ごした。 しかし終戦後宣教活動は再び活気を取り戻した。 当時の担当宣教師の活躍には目ざましいものがある。 扶助者聖母会のシスター、 宮崎カリタス会のシスターとともに家庭訪問、 家庭集会、 聖書研究会を行い、 孤児院、 寄宿舎寮などの施設が新たに建築された。 

また、 信者は貧しい中から恵まれない人たちへの援助に全力を尽くした。 ゼノ修道士と北原怜子さんとともに、 心を一つにして古雑誌、 ダンボール集めなど献身的に 「蟻の町」 を援助した。 

経済的困難から一時は廃園寸前まで行ったドン・ボスコ保育園もよみがえった。 子供の多いこの地区でのボーイスカウトは、 400名の団員をもち、 日本には数少ないガールスカウトも結団した。 

三河島教会は庶民的で、 家庭的な雰囲気をもち、 子供好きのサレジオ会員によって育まれた教会ということができるだろう。 

〒116 荒川区荒川3-11-1

ミサ (土) 19時 (日) 10時

司祭不在の小教区はどうなる?

司祭たちの研修視察旅行

1月11日より21日にかけて、 「制度を考えるチーム」 の呼び掛けで、 10教区からなる19名の司祭たちが、 ケルン教区とフランスの教会の視察研修旅行を行った。 召命の減少、 司祭の高齢化にともなって、 小教区の教会がどうなっているか、 新しい試みがどのようになされているのか、 同じような現実に直面しつつある日本の教会のための参考となる光を求めての研修だった。 

フランスでは、 ワレー神父 (在パリ) を中心に、 ケルンでは藤井神父 (在独) を中心に準備されたかなりハードな日程に沿った研修であったが、 参加した司祭たちには、 刺激ある実り豊かなものであった。 

☆ ☆

A神父 ケルン、 フランスと事情が違うが、 召命の減少、 司祭の高齢化、 そして人々の教会離れという厳しい現実に直面し、 その重い壁を乗り越えるために、 懸命に模索している姿に直接触れることができたことは、 私にとっては何よりも収穫だった。 日本を立つ前に本を読めば分かることではないか、 と言われていたからね。 

B神父 我々の中に、 伝えられてきたものを守らなければならないという意識がどこかにあり、 それが新しい試みに対する潜在的なブレーキになっていたが、 チャレンジしていこうとする人々に実際出会えたということは、 励ましになったね。 

C神父 新しい試みの形が、 ケルンとフランスでは異なっていたし、 またフランスの中でも地域によって異なっていたが、 共通するものがあったね。 それは、 カトリック教会に対する誠実な愛だ。 カトリック教会に対する愛、 その根っこには勿論キリストに対する忠誠。 それが、 難しい状況の中にある 「制度としての教会」 を建て直していくためのエネルギーになっているのだなあ、 と思ったよ。 

D神父 教会が置かれている今の状況を危機としてではなく、 一つの過程・プロセスとして受け取っているというケルンのマイスナー枢機卿の発言が印象的だったね。 今の状況を克服していくことによって、 教会が新たに生まれ変わっていく、 新しい脱皮へのプロセスというとらえ方だね。 問題は、 何に向かっての脱皮かということだがね。 

E神父 たとえば、 4つの小教区を養成された信徒、 永久助祭、 司祭からなるチームによって宣教司牧しようとする試みも、 これからの教会の一つの姿かも知れないね。 主任司祭が殿さまのように絶対的な権限をもったこれまでの小教区の教会の在り方を根本から変えるものだ。 

F神父 フランスではこんな形もあった。 先に信徒を中心にして誕生し、 後になって司祭たちが徐々に加わっていった共同体に任せられていた小教区がパリにあったね。 その共同体の責任者は信徒。 信徒たちが育てたカリスマをもつ共同体の中で司祭が活かされるということ。 司祭たちが前面に立ってリードして来たこれまでの教会の姿とは異なるね。 

G神父 ケルンでもフランスでも、 信徒養成に力をいれていたね。 信徒が力をつけ、 小教区共同体が信徒たちに任せられるようになって、 信徒たちが積極的に教会のあり方に参加するようになると、 司祭の本来の存在意義がどこにあるのか、 問われてくるね。

17の教会を1人の司祭、 33の教会を2人の司祭が宣教司牧しているところもあったね。 司祭がいないから、 日曜日の集まりは信徒たちが行う。 それはやむをえないことだけど、 司祭不在の共同体はカトリック教会本来のあるべき姿なのか、 という問いもでてきていたね。 

H神父 いろいろな意味で勉強になったし、 面白かった。 日頃、 全く別の地域で1人で働いている我々が、 一緒に研修できたということも大変嬉しいことだったね。 

I 神父 また是非行きたいね。 

編集部から

●いよいよカトリック教会の最大の季節 「復活祭」 を迎えます。 

お米が店頭から消えたなどと世間は騒々しいのですが、 お米がなくても人は生きられるのですから、 世の動きに巻き込まれず私達の信仰を大いに豊かにできるよう復活祭を過ごしたいものです。 東京教区も新たに2人の新司祭を得て、 新しいエネルギーが注がれるでしょう。 我々のスタッフにもそのうちの1人猪熊神父さんが加わっています。 

これからも皆さんがこの教区ニュースを育てていくのにご協力をお願いいたします。 

●しばらくの間お休みしていた”Q&A”が今号から再開します。 みなさんが信仰生活を送られる上でわからないこと、 聞いてみたいことにわかりやすくお答えします。 質問をお待ちしています。 

5月8日は 「広報の日」。 そこで、 同日に 「カトリックの広報は日本の社会に十分か」 をテーマに集いを開催します。 ともすると内向きになりがちな私たちの信仰がもっと外へ向かうにはどうすればよいかを、”広報”というメディアを軸に考えてみたいと思います。 みなさんの参加をお待ちしています。