お知らせ

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東京教区ニュース第107号

1993年11月01日

第2回福音宣教推進全国会議

最終答申ようやく採択
「展望」から「家庭」消える

第2回福音宣教推進全国会議 (NICE・2) が21日、 長崎市における浦上天主堂の開会ミサで幕を開け、 24日まで4日間にわたって、 隣接する長崎大司教館を主会場に行われた。 NICE・1から6年を経て2回目となる今回は、 「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」 をテーマに、 全国16教区から集まった約3百人が教会の刷新を求めて熱心に議論を重ねた。 第1日目は基調考察、 2日目からは全体会と30グループの分団会が繰り返され、 この会議の成果として最終日の全体会で 「展望」 が採択されて、 浦上天主堂での閉会ミサで司教団に手渡された。

第1日 (10月21日)

開会のミサ

1時間の飛行機の遅れで、 ミサへの参列者を定刻に迎えられない事務局は、 30分遅れでNICE・2開会ミサを挙行することを決断。 各教区の司教とミサの入堂行列をする教区代表の司祭、 信徒各1名を特別のリムジンで空港から浦上天主堂へ直行させた。 濱尾司教、 地主司教、 石神司教を主司式団として計17名の司教、 160名の司祭、 1800名の信徒が参列した。

平本神父の指揮による150名の聖歌隊は、 地元のカトリック合唱団、 修道会の有志、 小教区の聖歌隊で構成され、 賛美の歌声が大聖堂内に響いた。

暖かい午後の日差しがステンドグラスを通して、 美しく祭壇を飾っていた。

午後からは基調考察

場所を隣接する長崎大司教館の主会場に移し、 事務局からのオリエンテーション、 議長団選出、 三末司教の趣旨説明に続いて、 島本大司教と濱尾司教による導入の基調考察があった。

多彩な参加者の顔ぶれ、 東京教区から11名の代表者

16教区から186名の代表者と司教、 諸団体、 オブザーバー、 広報関係者ら106名を含む2百92名が参加した。

教区代表者の最年少は大阪教区の21歳の男性、 最年長は高松教区と浦和教区の68歳の男女が1名ずつだった。

東京教区からは加藤正仁、 黒川恒雄、 西勝敬夫、 稲留敦子、 織田智恵、 中村紀子 (以上信徒)、 成瀬環、 佐久間陽子 (以上修道女)、 稲川保明、 ユージン・グリフィン、 立花昌和 (以上司祭) の11名の皆さんが教区の代表として参加した。

第2日 (10月22日)

各教区のこれまでの取り組みについて報告し合う

「課題」 の要素1 「共感と共有を求めて家庭の現状を見つめる」、 要素2 「一人ひとりを大切にしておられるキリストとの出会いを深め、 愛の共同体を育てる」 にどのように取り組んできたか、 各教区が報告し合った。

その後、 参加者は30の分団に分かれて、 各教区の報告を聞いた印象や感想、 今までの取り組みの中で心に残ったことの発表を、 自己紹介を兼ねて行った。

午後の分団会では、 要素1、 要素2に取り組んでみて、 積極的に取り組めた面、 よく取り組めなかった面、 それぞれの要因とその事情について分かち合った。

夕方からのまとめの全体会では、 いくつかの分団が分かち合いの内容を報告した。 早くもその時点で、 各教区の取り組み方のばらつきが見えてきた。 例えば、 家庭の問題に取り組んだ教区と分かち合いをすることがNICE・2の目的のようになった教区があった。

第3日 (10月23日)

今後取り組むべき優先課題について、 分団会で討議する

まず冒頭の全体会で、 前日に挙げられた諸点を事務局がまとめた文書が配付された。 これに対して、 神学者オブザーバー岩島師が 「NICEの方向性から言って、 社会の現実から出発して家庭を考えるという方向性を忘れないように」 とのコメントがあった。

それを受けて分団会では、 「課題」 の要素3にあるような 「すべての家庭にキリストを伝え、 キリストをあかしする」 信仰共同体になるために、 現時点で最優先する事柄を選択し、 どのように取り組むかを討議した。

各分団会で最高4つの優先課題を出し合った。 その数は、 97にのぼった。

これを事務局側は2時間の昼食・休憩時間に整理し、 19項目に分類し、 さらにその分類に基づいた展望案を全体会で発表し、 その直後の各分団会でこれを討議した。

そこではさまざまな意見が出されたが、 あまりにも事務局サイドの見方でまとめすぎている、 数量的に処理されている、 NICEの精神に逆行しているような表現項目が上位にきていて内容の重みの分析がされていない、 など多くの批判が出された。

このように紛糾した背景には、 分団会には参加していない事務局がペーパー資料の分析だけでまとめを作ったことがある。

これらの意見が直後の全体会で発表されたが、 事務局側は自分たちの作った展望案を認めて、 あとは事務局に文面作成を一任するように求め、 時間がないことから討議を打ち切り、 採決に持ち込もうとした。 しかし代表者は、 まだ採決できる状態ではないと反対意見が続出した。

この事態を収拾するために、 司教の提案により、 各分団から代表者1名と事務局が集まり、 夕食後改めて優先事項の骨子作りを行った。 事務局はこの骨子を基に 「展望」 (答申案) を作成することになった。

第4日 (10月24日)

難航の上、 ようやく答申案 「展望」 を採択する

全体会で事務局は 「展望」 案を説明し、 採決に入ろうとした。 ところがこの案に対しても、 「分析が浅く、 特に社会・家庭の項目について内容が平板」 「展望という名前は不適切、 むしろレポートとすべき程度のもの (東京教区)」 などの意見が続出した。 このような状況の中で短時間に報告をまとめるのは無理ではないかという意見も出されたが、 事務局側は今後の作業の難しさから、 この文書を最低合意文書として認めるよう了解を求め、 採決に入った。

その結果、 賛成172、 反対4、 棄権9で 「展望」 案を司教団への答申として可決した。

この可決された答申は、 閉会ミサ (関連4面) の中で、 長崎教区代表の青年によって朗読され、 司教団に手渡された。

☆ ☆

NICE事務局長
小田武彦神父に聞く

-全体的に運営はスムースにいっていますか。

分団会の人数をNICE・1の20人近くから、 今回は7、 8人にしました。 それで雰囲気がずいぶん違うみたいですね。 休憩時間に笑い声があちこちに聞こえて、 いい雰囲気でした。 言い足りないという不満が少しは解消されていると思います。

その代わり、 司会者の人選が大変でした。 30の分団会がありますから、 なかなか質の均一化ができなかった。 ずいぶん混乱したグループもあったようです。 事務局が助けになればと思って渡したシナリオ通りに一生懸命やって、 事務局に牛耳られているという批判が出たところもあったみたいですね。

-答申は出るのですか。

たぶん出ると思います。 優先課題に順位をつけることになるかもしれないし、 会議でピックアップされたものに順位をつけないで、 全部を教区に持ち帰ってみんなで検討したいということもあるでしょう。

資料となっている各教区から出された報告書に基づいて話し合っているので、 だいたいどんなものが出るかはわかりますけど。

-今はまだNICEが教会行事の一つのような理解が多いと思いますが。

そうですね。 確かにNICEは教会行事の一つのようになっています。

しかし教会の回心、 刷新の必要性はみんな感じているので、 それをコンセンサスとしてみんなが受け止められるようにしてほしいと思います。

(10月23日早朝にインタビューしたものです)

インタビュー特集
いろんな人に聞きました
NICE・2に参加してどのような感想をお持ちですか?

NICE・2に参加してどのような感想をお持ちですか?

東京教区の代表者のみなさん

加藤正仁さん

地域を越えて話し合えるのはすばらしい。 教会の刷新がNICE・2をきっかけにさらに沸き上がり、 信徒にも広がっているうねりを感じる。 「家庭」 から 「分かち合い」 に傾いた感があるが、 背後に信仰の土台もあるのだから、 この方向で良いと思う。 東京教区の取り組みは、 事務局主導で信徒のかかわりが少なかったかなとは思います。

黒川恒雄さん

いろんな意見がまとまるまでの過程が大事。 城東ブロックでいろいろな意見を出してくださったのは、 とてもありがたかった。 東京に帰ってからどう取り組むかが大切だと思う。

西勝敬夫さん

意見の整理の仕方など実行委員会がよく考えていると思った。 自分は企業人なので、 このようなやり方は慣れているが、 教会で同じ方法が取り入れられたことが驚きだった。 他の人にもこのような体験をしてもらうとよいと思う。

中村紀子さん

いちばん感じるのは、 司教、 司祭、 修道女が同じ線で話したのが印象的だった。
男性の信徒の方たちが、 家庭でよきパートナーシップを示しておられる人が多かった。

グリフィン神父

長崎の町がきれい、 空も青い。 日本の司教さまが司祭、 信徒と一緒に分かち合い、 話し合えたことが印象的だった。 司教さまのご苦労を肌で感じた。 また成功させるための準備や書記の人、 影で働いた人のチームワーク、 長崎の信者さんたちのかゆいところに手が届くような親切に感心した。

立花昌和神父

濱尾司教の基調講演は、 家庭そのものではなく、 アジアのこと、 政治、 経済についてで、 NICEそのものとの関係は薄いが、 教会が置かれている環境を知るためには必要だったと思う。 分団会ではわりとフランクに話せた。 マイナス面ばかり見てもしようがないのでプラスに考えたい。

白柳誠一大司教

参加者一人ひとりの上に聖霊が働き、 神さまに導かれていることを感じます。 また分かち合いを重ねてきたことで、 話し合いに積極的な面が出てきていることも感じます。

キリスト教の価値観が家庭の中に十分に入り込んでいないという指摘がありました。 家庭が福音化され、 あかしとなること、 つまり一人ひとりが福音化されることで初めて宣教できるようになると思います。 そのような家庭作りのために教会として何ができるか、 それを考えていかなければならないと思います。

NICE・2の歩みの中で、 確かに光だけではなかったと思います。 プロセスにおいても、 基本方針を理解しそれを実行することにおいても、 徹底していたか問題です。 「司祭がもっと強い関心と協力を持ってほしかった」 の声に、 反省しなければならない点もあったと思います。

東京教区の取り組みは、 よくやってきたと思います。 人材や交通の便に恵まれているので活動がやりやすく、 他の教区より少し進んでいたのではと思います。

印象に残ったのは、 分かち合いを盛んにやってきたけれど、 ついてこれない人も多かったということです。 初代教会の分かち合いは、 皆が集まり、 祈りや物や経験・知識を分かち合っていました。

時間がないとか話し合いが苦手とかで参加しないのではなく、 初代教会のように 「分かち合い」 をもっと大きくとらえて、 みんなが参加していく、 そのような教会刷新運動を進めていくことが大切だと思います。
そしてできれば、 そこにもっと弱い立場の人-身障者や離婚など家庭で苦しんでいる人、 外国人労働者などが入っていく、 そのような疎外されている人々との教会共同体作りが大事だと思います。

他教区の代表者

★テーマが取り上げにくい内容だったので、 準備段階が非常にむずかしかった。 会議では、 下の意見を吸い上げたという感じがしない。 問いかけられる質問が、 何か目標を決めたり、 すでに決まった答えを出すという感じだった。 「探る」 と言われているのに、 そしてそのことを今まで一生懸命やってきたのに、 この方法論が使われていない。 「探る」 という姿勢がまだまだ弱い。

★各メンバーの参加者の教区での準備状況が違うので話し合いをまとめるのが難しい。 司教が自分の描く家庭の理想型を打ち出しそれに皆が合わせるように主張するので話が進まない。 それに議長がいらいらしているようである。 それでもNICE・1の時よりも準備ができていてよいと思う。 前回の時の分団会は、 何か待ちかまえたように、 参加者が不満を爆発させていたような印象があったが、 今回は話し合っていこうという姿勢がみられる。

★分団会ではよい分かち合いができる。 しかし、 30の分団会のまとめをする時には、 混乱してしまう。
沖縄では、 NICEの実現のために担当司祭を2人決め、 各小教区からも信徒が2人ずつとシスターが2人出て実行委員会をつくった。 月1回の集まりをし、 準備をした。 この期間を通して分かち合いの大切さを学んだ。

地元長崎の人たち

★ご立派なミサでした。 分かち合いには一度も出たことがありません。 (信徒)

★NICEのために教会でとくに準備をしているようには思えない。 教会での話し合いには出ました。 (信徒)

★長崎地区ではNICEの意識は低いと思いますね。 代表者たちだけでやっているという感じです。 司祭も関心が薄い。 盛り上がっていませんね。 まず司祭同士の考えが一致していない。 (司祭)

★事務局の近くにいますと、 NICEのことがよく伝わってきます。 でも、 小教区には伝わっていないでしょうね。 広げていく方法論が問題と思います。 これで終わってしまうのは残念です。 (修道女)

岩橋淳一神父 (中央協事務局長、 前NICE・1事務局長)

組織的に事務局があるといっても専属スタッフはいないのだから、 事務局長の小田師は苦労したと思う。 今後の課題として専任のスタッフを抱えた常設の事務局が必要ではないか。

NICEについて考えるとき、 「日本の教会」 というが多様性についてどう考えるか。 自分のところはでこぼこにしたいと思っていても、 重たいブルドーザーでむりやりならしてしまう、 どこか都市型発想がありはしないか。

これまで 「日本の教会」 として取り組んできたわけだけど、 司教さま方が 「もう一度待てよ、 これから各教区の実情に合わせてどうしていこうか」 とじっくり分かち合う時期にきていると思う。 前回の会議との間隔が短いとの意見については、 会議の性格にもよるので評価はしにくい。

ただ、 NICE・1で多くの提案が出されて、 教区に一任されたものもたくさんあるので、 各教区でどう取り組んできたか検証、 評価するフォローの会議が必要だったと思う。

会議の名称は、 もう少し性格付けしやすいものがよかったかな。 会議なのか大会なのか拡大事務局なのはっきりしないので、 どう関わってよいかとまどったと思う。

でもNICEのようなものがなくなると、 教区はタコツボに陥ってしまうと思う。 教会が開かれるにはNICEは必要だ。 その時には、 信徒の声を吸い上げる道筋をつくってほしいと思う。

寺西英夫師東京カトリック神学院院長に内定

10月5日に開催された東京カトリック神学院常任司教委員会の席上、 浜尾委員長より、 ローマから同神学院の新院長として寺西師 (現高円寺教会主任) が任命されたと報告がなされ、 翌朝のミサで神学生たちに伝えられた。

正式の赴任は1994年の4月1日。

かねてからサバティカル・イヤーを希望していた同師は、 10月17日 (日) を最後に高円寺教会を去り、 4月までの間に 「これまで東京の教会しか知らなかったので、 神学生が将来どのような状況の中で働かなければならないのか、 その現状を知るために」 休みがてら日本各地の教会を訪ねてみたいという。
1929年生まれ。 64歳。

尚、 白柳大司教は、 高円寺教会主任代行にレオ師 (コロンバン会) を任命した。

展望
―福音宣教する日本の教会の刷新のために―

司教団の皆様

はじめに

このたび、 殉教の地、 長崎に集い、 福音宣教のあり方を探る機会を与えられたことを神に感謝いたします。

1987年第1回福音宣教推進全国会議において、 生活から信仰の見直しをすることが確認されました。 「信仰を掟や教義を中心としたとらえ方から、 『生きること、 しかも、 ともに喜びをもって生きること』 を中心としたとらえかたに転換したいと思います。」 これが第1回福音宣教推進全国会議の答申に対する皆様のメッセージの中心理念でした。 私たちは、 このメッセージに心から共感し、 思いを共有して、 不十分ながらここまで歩みを進めて参りました。

1990年の司教総会で第2回福音宣教推進全国会議のテーマが 「家庭」 と決まり、 さらに昨年の7月に、 全国から寄せられた各教区の課題案をもとにして 「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」 という課題が司教団から出されました。 これに基づき、 私たちは、 教会、 家庭、 社会におけるさまざまな現実の中にキリストを見いだすために、 種々の分かち合いを通して、 信仰のうちに家族の喜びや苦しみ、 悲しみに共感し、 問題を共有することのできる実りを祈り求めてまいりました。

この4日間、 私たち参加者一同は、 試行錯誤を繰り返しながらも、 真剣に分かち合いを重ねました。 その中で、 とかく自分の所属している教区、 小教区にしか思いがとどかない者にとって、 全国的視野で教会共同体を眺めることの大切さと、 聖霊の照らしなしには福音宣教の行方を見定めることができない、 ということに改めて気づきました。

社会

私たちの社会には、 お金や学歴を中心とした見方、 経済優先や学歴偏重、 行き過ぎた管理体制、 能力主義、 利己主義の傾向が目立ちます。 それは日本さえ良ければ他の国はどうでも良いという考えになります。 個性や多様性が認められず、 画一化の傾向もあります。 私たちは、 このような日本の社会構造のゆがみが、 家庭にとって重荷となっている現実も見ています。 しかし、 私たちは、 社会の現実そのものを悪とみなすのではなく、 福音の芽生えもあることを認めています。 例えば、 身の危険を侵してまでも他者に関わる海外へのボランティア活動、 病者・高齢者の介護、 弱い立場に置かれている人々とともに歩むなど、 多くの姿を見いだします。 このように、 社会の中に働いている福音の光をけっして見落とさないようにしたいものです。

家庭

現代の家庭は、 社会のいろいろな影響を受けています。 たとえば生命を大切にし、 親子・夫婦で対話をし、 交わりのある家庭でありたいと願ってはいても、 その実現は容易ではありません。 それらの家庭の願いが実現されるには、 社会の風潮に流されない努力と、 それを支える神の恵みが不可欠です。 ところがその神の恵みを仲介する教会そのものが、 家庭と家庭を取り巻く困難な状況とあまりかかわってこなかった事実を認めないわけにはいきません。

現代社会のただ中で生きる家庭を受け入れ、 支えることができるようになるためには教会共同体の刷新が不可欠です。 教会共同体が刷新されるならば、 さまざまな状況にある家庭や人々の中にキリストの現存を見いだすことができるでしょう。 いろいろなことで悩んでいる家庭には、 十字架を担っておられるキリストを、 そしてゆるし合い支え合う家庭には、 復活したキリストを見いだすことができます。 また、 教会共同体が刷新されれば、 教会は、 どのような人にとっても心暖まる家庭となれることでしょう。

教会共同体

この教会共同体のために必要な優先課題として、 以下の5項目が参加者の総意として浮かび上がってきました。 また、 相互に養成し合うこと、 結果を焦らず継続的に取り組むこと、 すでに一部では始まっていますが、 教区を越えた協力が求められています。

(1) 分かち合いの理解と促進

ことばによる分かち合いにとどまらず、 物や時間やお金などを含めて自分自身の痛みをも伴う生き方を分かち合う、 このような生き方が福音宣教の重要な柱として定着していくことが大切であり、 さらに 「福音宣教」 と 「分かち合い」 との関係をより明確にしていくことが求められています。

・きめ細かな準備、 対象や趣旨に応じたよいプログラム・手引きの作成、 聴くことの訓練。

・技術だけでなく霊的な奉仕を担うことのできる進行役
(リーダー) の養成。

・信徒間のみでなく、 司祭相互、 司祭-信徒間での分かち合いの必要。

(2) 共感・共有ができる共同体をめざして

今回の第2回福音宣教推進全国会議への取り組みにおいて、 「共感と共有を求めて家庭の現状を見つめ」 て歩んできましたが、 それを更に進めるために以下の事柄を優先すべきと考えます。

・弱い立場に置かれている人々 (滞日・在日外国人、 難民、 少数民族、 被差別部落の人々、 障害者、 病者、 高齢者、 子供等) を大切にし、 ともに歩む。

・行事中心の運営から脱皮し、 福音宣教を優先する小教区共同体へ。

・未だ定着していない女性の参画の場を更に広げる。

・現在の刷新の動きを理解しきれずにいる人々を受け入れ、 さまざまな事情で教会から足が遠のいている人々との交わりを回復する。

・共同体づくりの方針作成、 プログラム作り (司教団、 宣教研究所、 蓄積のある団体の経験を提供)。

(3) 現実を識別して生きる信仰者の養成

他者の痛みを感じる心を育て、 個人的信仰からともに歩む信仰へと成長していくためにはより深い信仰を求めて生涯にわたって継続的に養成される必要があります。 また、 司教・司祭・修道者・信徒が協働できるようになるための養成も必要であると思われます。

・研修センター等の活用。

・小教区の現場へ出向く研修チームの養成。

・教区に恒常的養成期間を設置する。

(4) 典礼の工夫

互いの交わりを深め、 生活に根ざした信仰者を養成するために、 典礼の刷新は欠かせません。 特に主日のミサを生き生きとしたものにするために更なる工夫を求めます。

(5) 青少年の信仰養成

青少年に対する教会の姿勢を抜本的に刷新する必要があります。 青少年がありのままに受け入れられ信頼される環境と、 具体的な場をつくることは急務です。 特に、 指導者の養成、 教会学校の充実 (カリキュラム、 専従職員の配置) 等が求められます。

刷新運動の継続

今回の第2回福音宣教推進全国会議への歩みの過程で、 私たちは、 その準備の一つひとつが、 単なる 「会議」 のための準備という種類のものではなく、 日本の教会全体を刷新する「運動」 そのものであるという確信を持つことができました。

この 「NICE運動」 と呼ぶこともできる教会刷新の動きが聖霊の導きによるものであることを信じて、 これからも日本の信者全員が一丸となって、 これを継続・促進していくことができるよう、 司教団の優先課題として受け止めていただきたいと願っております。

結び

この答申を結ぶにあたり、 会議の間、 そしてその前後、 全国の善意の方々から寄せられた数多くのお祈りに対して、 心から感謝の意を表します。 もし、 私たちが少しでも自分たちの任務を果たしえたとすれば、 それは、 この方々の祈りによるものです。

この会議が目指した共感・共有は、 体験の領域に属するもので言葉による表現をこえるものであり、 同時に会議である以上、 何らかの言葉で表現せざるをえないものでもあります。 参加者一同、 この点でとまどいました。 この答申の背後には、 言葉にならない無数の共感や共有をめざした実践の積み重ねがあり、 むしろこのことこそ真実の答申であることを申し添えさせていただきます。

日本におけるカトリック信仰の故郷といわれる長崎でこの会議に参加できたことは、 なにものにもまさる喜びでありました。

最後に、 この会議のために誠心誠意ご奉仕くださった方々、 特に地元長崎大司教区の皆様に心からお礼を申し上げ、 これからの日本の教会の 「展望」 として答申いたします。

1993年10月24日
第2回福音宣教推進全国会議参加者一同

会議を支えた長崎地区の家庭

全国会議長崎実行委員会

全国会議をスムーズに運営するために、 事務局とは別に長崎実行委員会が設けられている。
広報責任者・前田万葉師によると、 この委員会は3年前に設置され、 着々と準備を重ね今日を迎えたとのこと。 京都でのNICE・1に実際に参加した体験を持つ人がそれを生かして、 参加する人の気持ちになって準備したという。

会議を支える婦人たち

全国会議を支えているのは、 長崎教区の延べ650人を越える婦人たちとその家族。 長崎実行委員会の林絹子さんを中心に地区連合婦人会の会長たちが綿密な打ち合わせをして、 朝7時から夜10時まですべての雑事を一手にこなしている。 1人が手伝う時間は長くても4時間程度、 そして4日間通して奉仕する人が各パートの責任者7人だけというのは驚きだが、 スタッフの人数の多さと連係プレーで、 大会の運営は極めてスムーズ。

今年6月に全国会議の事務局長・小田武彦師を迎えて教区婦人の集いを催したところ、 参加者が350名にものぼり、 いっきに婦人たちの意識が盛り上がったという。 今回もボランティアを募集したらあっという間に650人集まり、 みんな喜んで奉仕していると口々に語ってくれた。 会場のそこここ、 トイレに至るまで飾られた野の花、 段ボール箱を利用したごみ箱も手作りだし、 受付、 案内、 食事、 お茶のサービス、 会議終了後の掃除などなど・・・。

食事の後片付けは若い人たち、 清掃などは熟年の方が多いなど、 それぞれ 「できる時にできることを」 の協力が自然に行われていた。 各教区の参加者も 「あの婦人部隊の働きはすごい」 と異口同音に称賛していた。

市も協力!大司教館とセンターを結ぶ地下道を新装

全国会議の会場には、 大司教館 (全体会) とカトリックセンター (分団会) の2か所が使用された。 この2つの建物の間には交通が激しい道路があり、 信号もなく、 歩行者にとって危険きわまりない。

この2つの建物を結ぶ地下道は、 落書きもひどく使用されていなかったが、 全国会議を機に長崎市が新装し、 21日から使用可能となった。 私たち広報委員とともに地下道を通った平山司教 (大分教区長) は、 「落書きも2千年すれば価値が出ますかねー・・・きれいになりましたね」 と語っておられた。

閉会・派遣ミサ島本要大司教説教

司教様方、 司祭団、 男女修道者、 信徒の皆さん、

人間に対する愛の証しとして、 ご自分の御独り子を世に遣わされた神は、 日本の教会を第2回福音宣教推進全国会議に、 その代表者とオブザーバーを通してお集めになられ、 今日、 「世界宣教の日」 に再び、 日本の社会と家庭に派遣されます。

「全世界に行って、 すべての人に福音をのべ伝えなさい。」

これが、 その派遣の言葉であります。

主は、 わたしたちを 「世界」 に派遣されますが、 わたしたち人間にとって最も身近な、 そして最も親密な世界は家庭であります。 今回の全国会議は 「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」 ため、 そしてまた、 「神のみ旨に基づく家庭を育てるために」 開かれました。家庭を取り巻く日本の社会の現実の1つとして、 「物質的豊かさの中でのゆとりのなさ」 があげられます。 日本の多くの家庭は物的には豊かですが、 時間的ゆとりもなければ、 また精神的、 文化的ゆとりのない、 何かに追い立てられているような生活を強いられている現実があります。 それがために、 親 (特に父親) は、 子どもとゆっくり心から歓談し、 子どもに充分の愛情を注ぐ時間を持つことができず、 親子間の断絶をきたしている家庭があります。 また、 夫婦間の暖かい対話の不足のため、 家庭でのあらゆる人間関係の基盤である夫婦間の愛情の亀裂が見られます。 また、 高齢者に対する暖かい配慮ができない、 あるいは難しいのも、 その原因は主として心のゆとりのなさにあるように思われます。

このような現実の中で、 「神のみ旨に基づく家庭を育てるために」 何が最も必要なのでしょうか。 それはわたしたちの価値観の転換です。 日本の多くの家庭をむしばんでいる価値観はあまりにも唯物主義的価値観です。 物、 金が豊かにあれば人間は幸せになれる、 といったいたって幼稚な拝金思想です。 唯物主義的価値観からの脱皮が心のゆとりを取り戻す大きな手段の1つだと考えられます。

1人の男性の証言を聞いてください。

「わたしは、 会社に勤めていたとき、 妻の不足、 欠点だけが目について、 妻の良い点はほとんど何も目に入りませんでした。 一サラリーマンであったわたしは会社での出世と金もうけ以外に、 何も眼中になかったからです。 ところが会社を退職し、 会社人間的発想、 価値観から自由になった今、 妻の良い面がよく目に入るようになりました。」

唯物主義的価値観から脱皮して、 精神的価値観、 神を軸として作られる価値観に根ざした生活の営み、 それが家族の一人ひとりを大切に思う心の豊かさにつながるのではないでしょうか。

ところで、 唯物主義的価値観の犠牲になっているのは、 カトリック者の家庭だけではありません。 多くの非キリスト者の家庭も、 唯物主義的価値観の犠牲になっています。 彼らと苦しみを共有することは、 十字架上のキリストの痛みに共感することになります。 事実、 キリストは当時の社会の価値観の転換を呼びかけたがために、 社会の指導者たちの憎しみをかい、 十字架の刑に処せられました。 唯物主義的価値観の犠牲になっている多くの家庭の痛みに共感し、 その痛みの原因となっている偏った価値観の克服という問題を共有し、 行動をともにする連帯性の中に、 「家庭の現実から」 探り出すことのできる福音宣教の新しいあり方の1つを見い出だすことができるのではないでしょうか。

わたしたちを福音宣教に派遣される神は、 絶えずわたしたちとともにおられます。 この神とともに働くとき、 実りある働きができると、 わたしたちは信じています。 この信仰に支えられて、 福音の業を行うために、 みなさん出かけましょう。

編集部から 長崎現地取材団発

幻滅だけが残った全国会議

★最終日、 事務局から提出された答申案 「展望」 には、 「家庭」 のことはさらっと軽く触れられているだけ。 読んで唖然とする。 夫婦のこと、 離婚のこと、 家族計画のこと、 高齢化社会を迎えたときの家庭のあり方、 子供の教育のこと、 経済のこと、 仕事のことなどなど、 難しい問題が山積している家庭に、 教会がどのような姿勢でかかわっていこうとするのか、 また、 どのようなメッセージを与えようとするのか、 この答申から何1つ見えてこない。

「事例研究」 などを中心に 「家庭」 についてかなり踏み込んで準備してきた教区にとってこの 「答申案」 は、 幻滅を与えるだけである。 それが、 全国会議に対する不信感につながっていくのではないかという不安が先に立つ。

「家庭が消えましたね」 という、 この会議に関心を持った一般紙の記者のひと言が鉛のように重かった。

★NICE・2の取材は、 各教区1名と事務局から限定されたが、 東京教区はNICEの精神が 「教会の刷新運動である」 ことを考えて、 5人を長崎に派遣した。

パソコン2台を持ち込み、 取材した記事を即刻原稿として打ち込む姿は、 他教区の広報委員を少なからず刺激したようである。 お下げ渡しのプリントだけでなく、 足で集めた記事、 写真取材の強みを紙面に盛り込みたいと思った。

★足かけ4日間の会期ではあったが、 果たして司教団に提供できる答申を出すために充分な時間割りだったろうかと疑問に思う。 審議の時間はわずかに1日に満たない。

代表者の話を聞くと、 準備段階で、 教区の意見を十分聞いていなかったとか、 地区からの代表として行けと言われたから来たとか、 代表者の意識の低さが気になった。

NICEを意識化するためには司教、 司祭が一丸となる必要があるのでは・・・。

★参加者へのインタビューに対し、 積極的に応じてくれる人は、 案外と少なかった。 笑いだけで語らない人、 勘弁してほしいと逃げ腰の人。 しかし、 からし種、 パン種になれそうな人にも巡り会い、 神の恵みに期待したい。

★教区ニュース取材班は、 以下の事柄や対象を取材した。

1 会議などメインテーマ
2 東京教区代表者
3 他教区の代表者
4 主催者 (事務局)
5 長崎実行委員会
6 会場・設備
7 長崎教区の信徒、 修道者、 司祭
8 外国人宣教者の目

★東京と浦和の参加者が乗ったJALは、 羽田管制塔の故障で1時間近く遅れて到着。 どうした手違いか、 どの代表団も出迎えの関係者を見つけられず、 重い荷物を持ってロビーをウロウロ。 取材で待機していた私たちは、 バスへの案内に大わらわなのだった。 「はりきっていますよ」 「ううーん・・・」 「1時間の遅れ、 みなさんへのプレゼントですね」。 さまざまな表情で、 東京教区の代表者は会場へ向かったのだった。

こぼればなし

子どもたちも祈りで参加

「家庭」 をテーマとした、 NICE・2の成功のために、 浦上教会では子どもたちも祈りで参加することになった。 家族と一緒に祈ったら、 折り鶴を1つ作って 「祈りの花束」 を飾る。

開催当日、 NICEの会場には見事な千羽鶴が届けられた。

看護婦さんが大奮闘!救護班

大会参加者の健康管理を一手に引き受けたのが救護班。 聖フランシスコ病院の看護婦10人が朝8時30分から夜8時まで会場の救護室に二交代で詰め、 医師は病院でスタンバイして、 非常時に備えてくれました。 大会も終わりになるにつれて、 疲労や食欲減退を訴える人が増えてきたとか。 看護婦の皆さん、 本当にお世話になりました!

ビデオ作成班の活躍

NICE・2のようすを全国の参加できない信徒に伝えるため、 NICE事務局ではビデオ作成班を組織した。

制作を受け持ったのは 「テレビ長崎」 のプロダクションの1つ [KTNソサエティ」 である。
レポーター、 カメラマンに信者が活躍している。

ビデオ制作の予算は、 200万円。 各教区には5本を無料で配布の予定。

各小教区で必要なところは購入し、 視聴しながらぜひ、 NICE・2を味わってほしい。 1本1500円とのこと。

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「教区広報担当者」 の集い

毎年秋に開かれる 「全国広報担当者の集い」 が、 今年はNICE・2が開催されるため取り止めになっていたが、 NICE・2開催地の長崎でその集いを持つことができた。

参加者は14教区の広報担当者と中央協議会、 カトリック新聞から合わせて27人。 長崎教区の広報委員会の招待で、 盛大な宴会となった。 NICE・2を教会の刷新運動とするためには、 教区広報担当者の役割が大きいことを確認し合い、 これからの活躍をお互いに励まし合った。

分団会で書記団が大活躍

書記団が今回も青年たちによって編成された。 長崎地区の青年とサン・スルピスの大神学生が予備群を入れて70名。 その中には、 未受洗者が2人いるという。

各教区、 各団体からありがた~い差し入れ

ふくれまんじゅう、 マドレーヌ、 レーズン、 コーヒーゼリー、 竹の子、 野の花、 おにぎり、 かまぼこ、 みかんなど。

ふくれまんじゅうは、 被昇天のお祝い日に作るそうだが、 各地区で特別の味があるとのこと。

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新しく建った大司教館は、 司教館関係者専用館。

2階の体育館は、 神学生には無料で開放するとのこと。

三末司教 (広島教区長)
ミミ萩原妙美さんの 「聖母出現」 とその共同体に関して警告

先日来 「聖母マリアの出現を受けた」 としてテレビ・週刊誌等のマスコミで大きく取り上げられた、 元女子プロレスラーミミ萩原さんとその共同体に関して、 三末篤實司教は、 慎重な調査の末、 広島教区民宛に次のような宣言と警告を9月20日付けで発表した。

『1 萩原妙美さんが聖母から受けたというメッセージは、 カトリック教会として真実なものとは認められない。

2 萩原妙美さんを中心とした共同体の活動や言動や礼拝は、 カトリック教会の活動や言動や礼拝ではない。

3 この共同体が、 今後巡礼地、 礼拝所、 聖地などを造ったとしても、 それらはカトリック教会とは無関係なものである。

4 それらの場所では、 いかなる者であっても、 聖なる典礼を執り行ってはならない。 また、 カトリック教会のメンバーとしてそれに参加してはならない。』

萩原妙美さんは、 昨年の9月頃から聖母マリアの出現を受けていると主張しており、 今年の4月にはオーストラリアに行き、 リトル・ベプル氏と関係のある司祭から洗礼を受けたという。 聖母のお告げを受けて広島に移り、 そこで 「共同生活」 を始めていた。

ちなみに、 リトル・ベプル氏が属する教区のウイリアム司教は、

1、 彼のメッセージは、 人々がますます神を知り愛するよう励ますことより、 むしろ恐ろしい予言などで恐怖をかき立てている。

2、 そのメッセージには、 矛盾があり、 成就しなかったものがある。

3、 カトリック教会は、 手で聖体拝領することをはっきりと認めているにもかかわらず、 手で聖体拝領することを断罪している等の理由から氏のメッセージは真実ではない、 と宣言し、 教皇ヨハネ・パウロ2世も司教に従うよう氏に命じていた。

C・TICレポート

7月から粕谷所長の代行に任命され、 渋谷教会地下のオフィスに通いながらいろいろなことを思うようになった。 C・TICの存在の裏表の意味のようなことについてである。

例えば、 C・TICが教会から社会にむけて設けた具体的な窓口であること。 外国人労働者にまつわるトラブルあれこれ、 離婚の相談、 出産に関して、 病死や事故死のあとの遺体本国送還について、 等々。

数少ないスタッフが成田空港やら病院、 入管を走り回ることもある。 相談は東京以外からも入ってくる。

またオフィスにいて気がつくのは、 私たちと同じような活動を展開しているNGOや市民グループの多いことである。 私たちよりも経験豊富でしかも無報酬であることが少なくない。 そのようなグループからの通信がどんどん送られてくる。

教会が社会に対してひとつのかたちで窓口を設けたのはよいことである。

しかし問題は、 その窓口に何でもかんでも任せてしまうことである。 一人ひとりのキリスト者こそ窓口だ。 また教会活動の最も見えるかたちである小教区との協力体制が必要であるのに、 名称が国際センターという万能薬のようなイメージのせいか、 時として過大な期待を負わされているなと感じることもある。

オフィスといっても、 2~3人のスタッフが自宅や修道院から交替で通い、 がんばっているのだ。 小教区内の外国人問題は、 主任司祭と信徒が一丸となって解決に至るまでかかわるべきか、 もしくはそのようなグループを小教区内に発足させて信徒の意識を変革するのが先決である。 C・TICはそのお手伝いにすぎない。 こちらが外国人の司牧について指示を出すのは不そんである。

一人ひとりのキリスト者が、 社会の窓口どころか、 その只中に暮しているのだから、 小教区の意識の度合も問われているのである。

市民グループと実際の交流はないが、 こちらからできる限り多くの団体とつながるため、 賛助会費を払ってきちんと連絡を取り、 情報交換をしたいと願っている。

鳴りものいりの1億円基金だってあるし、 お金と人と信頼は相互に流れるべきだろう。 相談ケースで特にけが、 病気、 入院手術などの場合は、 身分の不安定な外国人にとって、 その支払い額は、 私たちの感覚の何10倍にもなる。 それを無料で、 または少額の費用で済むようにと、 最近は医師たちやNGOの中にも、 外国人向けのクリニックを開設する動きが出ている。 そのようなグループやクリニックに手をさしのべるのもC・TICの使命である。

個人で背負う、 例えば労災 (会社から放り出されること多し)、 の医療費、 または裁判のケースもこちらからできるかぎり金銭的な支えも辞さないつもりである。

以前の名称から、”司牧”の2文字を外して再出発したC・TICはこれからもさまざまなケースを受けていくことになるだろう。

教会に関係ないからお断りしますと言えば簡単なのだが、 教会も市民運動の外ではなく中にいるわけで、 ケースの選択はデリケートな課題である。 先にもふれたが、 スタッフもそれぞれの生活の場があり、 それをやりくりしながらオフィスに詰めたり現場に駆けつけたりする。 そんな現状を理解して頂きたいと思う。

小教区全体の意識、 つまり福音とは今、 何なのか、 そして小教区だけでなく各修道会にも重い問いかけがなされているように感じる。

外国人が日本に流入しているのは歴史的な要請である。 それぞれの共同体が守りの体制に入り、 共同体の内側に目が向けられがちななかにおいて、 外国人を最低限教会全体の刷新のパートナーとして受けいれる発想の転換がなければ、 いつまでたっても彼らはあわれみの対象でしかない。

市民グループやNGOの理念の中には、 外国人とともによりよい日本社会を築いていくパートナーとして接していきたいという思いが含まれている。

C・TICはそのような流れのなかでアイデンティティをいつも捜している。

(所長代行 秋保真理夫神父)

生涯養成第4回 一泊交流会

テーマ
「童話の王さまアンデルセンに見られる家族」

9月25日~26日の2日間、 全国交通共済東高円寺会館に於いて童話作家横山麗子先生をお迎えして一泊交流会をいたしました。

今回はナイス2のテーマ 「家族」 をふまえて、 横山先生にアンデルセンの童話から 「アンデルセンに見られる家族」 というテーマでお話をして頂きそれをもとに分かち合いをしました。

お話の内容

1日目 「アンデルセンの童話に見る信仰と家族」
2日目 「絵本に見る人間の生涯」

アンデルセンは貧しいながら家族の信仰と愛に包まれて育ちました。 祖母は病院の庭掃除をしていて一緒に連れていかれておじいさんやおばあさんの民話をよく聞いていたということで、 それが後の童話に役立ったということです。

生涯156編の作品の中心思想はキリスト教の精神が生きていて、 これを読む大人も子どもも魂をゆさぶられるような感動を味わいます。

童話の特色は

1、 この地上ではハッピーエ ンドにならず、 天国で幸せになる。
2、 永遠の命に憧れ、 それを求め続ける。
3、 天に至るには回り道があるが主に導かれて目指す方向に進んでいく。
4、 幼子のようにならなければ天国に入ることは出来ないというキリストのみ言葉がアンデルセン童話を解く鍵である。
5、 これらがユーモアをまじえて語られている。

横山先生はこれらの作品を読みながら説明をしてくださいました。

参加者は比較的高齢者が多く、 子育ての終わった方が大半でしたが分かち合いでは、 孫や夫にも聞かせてあげたいという声が多く、 信仰に養われた家庭をつくる努力が必要であることを改めて考えさせられました。

参加者が20名ということで、 少なかったのですが、 横山先生はプロテスタントの信者でいらっしゃいますが、 ご自分の豊富な人生経験を通して、 信仰を証しなさりながらお話をしてくださり、 今までとは少し毛色の変わった交流会だったと思い、 よい成果があがったと思います。

(伊藤雅子)

主の祈り、 天使祝詞の口語文ができました。

-新しい祈祷書 発行-

司牧司教委員会の編集で、 日常的に使用される祈祷書が 「日々の祈り」 という標題のもとに、 中央協議会から出版された。 その中に長い間懸案となっていた主の祈りと天使祝詞の口語文が載せられている。

主の祈り

「天の父よ、 み名が尊まれますように。 み国が来ますように。 み旨が天と同じく地でも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧をきょうお与えください。 わたしたちが人をゆるすように、 わたしたちの罪をおゆるしください。 わたしたちを誘惑に陥らせず、 悪からお救いください。 アーメン」

聖母マリアへの祈り (天使祝詞)

「恵みあふれる聖マリア、 主はあなたとともにおられます。 主はあなたを選び、 祝福し、 あなたの子イエスも祝福されました。

神の母聖マリア、 罪深いわたしたちのために、 今も、 死を迎える時も、 祈ってください。 アーメン」

改定版 「葬儀」 の儀式書発行
日本カトリック典礼委員会

中央協議会カトリック典礼委員会 (委員長地主敏夫司教) はこれまでの 「葬儀」 の儀式書に改定を加えた改定版を発行した。

これまでの儀式書は、 1969年に交付されたローマ儀式書 「葬儀」 のラテン語規範版に基づき、 日本の特色を考慮した儀式書として作成され1971年に全国共通の正式儀式書として発行されたが、 数年前から絶版となり、 本儀式書の再版が要望されていたため、 22年の実践を踏まえさまざまな経験を取り入れて改定版として発行されることになった。

改定版では、 日本の教会の現状から、 葬儀に参列する者の多くが信者でないことをふまえ、 一般に理解しにくい教会固有な表現や用語はできるだけ避けられており、 また儀式の流れの中で、 司式者が遺族や参列者の心情を考慮して式文を自由に選択出来るよう配慮されている。 また司祭不在の場合、 信徒が司式できるようにも工夫されている。

本儀式書は、 92年の定例司教総会で認可され、 使徒座認証の手続きがとられることになっている。

この儀式書の普及版はドンボスコ社から泉富士男師 (神田教会主任) の編集のもとに発行されている。 (注)

教区として独自なものが必要ではないかと多くの司祭から要望があったが、 司祭評議会では、 ドンボスコ社から発行されていることから、 教区独自の発行は見合わせることにした。

(注) 「葬儀のしおり」A5判64頁600円ドンボスコ社

白柳大司教元 「従軍慰安婦」 の理解と支援を求める

私は3月20日、 皆さんに元 「従軍慰安婦」 裁判を支援してくださるよう呼びかけました。

また8月7日に行なわれた東京教区の平和祈願ミサにおいて、 「戦争の責任を感じ、 許しを請うならば、 それにふさわしい償いをしなければなりません。 私たちは、 あまりにも簡単に加害者であったことを忘れようとしております。 今社会では、 戦争中の従軍慰安婦の問題が公けにされ、 どれほどわが国が組織的にそして公けに罪なき人々の尊い人権を蹂りんしてきたかが明らかにされつつあります。 人間にとって耐えがたいことを重ねてきた、 そのことに対して私たちは心から痛悔するとともに、 それにふさわしい補償を準備しなければならないと思う」 と訴えました。

これらの言葉に、 皆さまは快く応えてくださり、 この半年間に団体・個人合わせて、 144名の方々が、 1、331、260円あまりを送ってくださいました。 集まった基金の中からフィリピン、 韓国、 在日、 関釜の裁判を支援している団体に送ることができました。

それだけではなく、 いくつかの修道会や宣教会は、 フィリピンより元 「従軍慰安婦」 の方々や、 支援の人たちが裁判のために来日するごとに、 宿舎や食事を提供して下さっています。

ご存知のように、 日本国政府は元 「従軍慰安婦」 の存在を認め、 日本軍がこれに深く関わっていたことは認めたものの、 謝罪はただ口先のみ、 国家間の補償は解決ずみであるとし、 何らかの基金を出すだけで、 この問題に決着を着けようとしています。

一方、 元 「従軍慰安婦」 の方々は苦しい生活を余儀なくされていますが、 真相究明がされないままに補償は受け取れないと、 裁判を通して事実を明らかにしようと頑張っています。 そのため、 裁判が長期化することも予想されます。 また、 今後も提訴という形で、 アジア諸国、 オランダ、 英国などの戦争被害者たちが次々に我が国に対して、 戦争責任を追求する動きを起してくると思います。

この方々を支援することが 「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、 また、 主イエスご自身が 『受けるよりは与える方が幸いである』 (使20・30)」 というみ言葉を実践することになると私は信じております。

本当にありがとうございました。 そして、 さらに引き続いての篤い支援を心よりお願い申しあげます。

1993年10月5日東京大司教 白柳誠一