お知らせ

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東京教区ニュース第103号

1993年06月01日

「相互理解」 の大切さを深め合った
第3回インターナショナル・デー

すべてのキリスト者が国境や民族を越えて集い、 愛と喜びを分かち合う東京教区のインターナショナルデーが、 4月29日 (木・祝) に東京カテドラルで開催された。 第3回目となる今回は、 「理解されるよりも理解されることを」 をスローガンに、 午前中は体験発表と分かち合い、 正午からのインターナショナルミサでは 「誤解」 をテーマにミニドラマが演じられるなど、 「相互理解」 を軸とした多彩なプログラムが展開され、 小雨が降りしきるあいにくの天候にもかかわらず、 のべ1600人の参加者は 「相互理解」 の大切さを深め合い、 充実したひと時を過ごした。 

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「相互理解」 とは自分を知り、 相手をありのままに受け入れること

日本人は、 もっと心を開いて受け入れて欲しい

7人のパネラーによる体験発表と活発な分かち合い

午前10時からの 「体験発表と分かち合い」 では冒頭、 リバス神父 (麹町教会) がこの企画のねらいと進め方について説明した後、 さっそく7人のパネラー (マレーシア、 フィリピン、 ナイジェリア、 アメリカ、 メキシコ、 韓国、 そして日本) によって、 自分がどのようにしてまわりの日本人と 「相互理解」 を築こうとしてきたか、 その体験が報告された。 

そこでは、 日本で直面した困難や問題点は、 仕事上のこと、 国際結婚、 文化や言葉の違いとさまざまだったが、 「相互理解」 をめざして各自が体験してきたプロセスには、 驚くほどに共通するものが語られていた。 それは、 「相手とのあまりの違いに挫折した後、 自分を見つめ直すことで初めて相手をよりよく理解することができ、 ありのままに受け入れられるようになった」 という心の葛藤のプロセスであり、 「相互理解」 とはまさに自己発見、 自己成長の豊かな結実なのだということがはっきりと感じ取れた。 

パネラーたちの報告

パネラーたちが日本にやって来てまず感じたのは、 「技術や物質的には豊かだが、 人間愛はとても貧しい国」 「文化や言葉が違って住みにくい」 「単一民族社会で溶け込むことは容易でない」 「日本人は相手にあまり自分の心をみせない」 などだった。 本国と同じ状況だと思い込んでいたので 「毎日毎晩落ち込んでいた」 という程に挫折感を味わう。 

しかしやがて、 「日本人は彼ら自身の伝統・文化・生活様式をもち、 同じように問題や困難を抱えているのだ」 ということに気づくようになった。 

そして、 文化の違いを感じた時に初めて自分を見つめ直すことで、 自分たちの文化をより客観的に理解でき、 この経験によって、 自分自身と現在自分が生活する国への理解が深まり、 すべての人々は表面上違うように見えても、 実は内面は同じであると理解できるようになった、 と語る。 このような過程を経て、 「この国で起こること、 この国の人々をあるがままに受け入れること」 ができるようになったという。 

教会の果たす役割も大きい。 困難や挫折のただ中にいる時、 教会共同体に身を置くことで、 「第2の家庭を見つけた、 精神的に本当に助けられている」 と語り、 また 「さまざまな国の人とミサに集うことで、 信仰が普遍的なものであることがわかった。 だから、 国籍や言葉のちがいは信仰によって乗り越えられる」 とも語る。 

日本人に対しては 「まるで世界の家族のように、 外国人と日本人の間に共同体を作って欲しい」 「自分の国から離れて外国に住む寂しさを慰めるために日本人と友達になりたい。 だから、 日本人はもっと主人意識をもって心を開いて、 寂しさを感じている外国人を積極的に受け入れて欲しい」 との願いが強く訴えられた。 

言葉別に分かれて分かち合い

体験発表の後は、 参加者がスペイン語3グループ、 英語4グループ、 日本語7グループに分かれて、 「相互理解とそれをさまたげる誤解」 について体験談や感想を分かち合った。 

午前中ということもあってこのコーナーの参加者は130名ほどだったが、 日本人が参加者の半分を占めて関心の高さをうかがわせる一方、 お坊さんの参加も見られるなど多彩な顔ぶれで、 会場は活気に満ちあふれていた。 

インターナショナルミサ

感動を呼んだミニドラマ~ 「誤解」 をテーマに~

正午からのインターナショナルミサは、 聖堂を埋めつくしたさまざまな国の参列者が見守る中、 白柳大司教、 森司教および35名の司祭団によって挙行された。 式文は英語、 そして各国語による聖歌といつもながらの国際色あふれるミサだったが、 その中でひときわ注目をひいたのが、 福音書の朗読の後に演じられたミニドラマだ。 

演じたのは麹町教会の 「国際青年の集い」 の若者たち。 「カインとアベル」 の場面から現代戦争の場面へと続き、 「人はなぜ殺し合うのか?-それは小さな誤解から生じているのでは」 と問いかけ、 「誤解」

の身近な例として(1)外国人と日本人の問題(2)家族の問題(3)マルタとマリアの3場面が演じられた。 そしてひとりの女性が 「キリストの平和」 のシンボルとして、 いがみ合っている人間の間を踊りめぐっていくうちに、 次第に人々は 「誤解」 に気づき始め、 最後は出演者全員が手話で 「平和の祈り」 を演じて感動的なフィナーレとなった。

このドラマに引き続いて行なわれた説教で白柳大司教は、 「すべての問題の根幹に相互理解の欠如-誤解があることをこのドラマは示しています。 しかし大事なのは、 このドラマで演じられたようには”キリストの平和”が対立する人々の間に、 平和と理解をまだもたらしてはいないということです。 対立する世界と”キリストの平和”との間には大きなギャップがありますが、 どうすれば懸け橋でその間をつなぐことができるかを私たちは知りません。 今こそ私たちは、 もう一度イエスに立ち帰って、 この困難な道にあってどうすればイエスにつき従っていくことができるかを問いかけたいと思います。 イエスはこう答えるでしょう-行って私がしたように行ないなさいと。 これは私たちすべての者への呼びかけなのです」 と語り、 私たちがいま一度信仰の原点に立ち戻り、 対立する所にキリストの平和と理解をもたらす者となるように会衆を強く励まされた。 

ミサの後は、 構内で食べ物や民芸品の模擬店や踊り等のパーフォーマンスで参加者は楽しんだり、 弁護士などによる相談コーナーで悩みごとの相談にあずかったりして、 楽しく充実したふれあいのひと時を過ごした。 

神学生はどのように養成されるか?

4月18日 (日)、 関口教会信徒会館ホールにおいて、 東京大司教区一粒会総会が開催された。 

一粒会は、 東京教区の信徒全員を会員として、 神学生養成の経済的援助を目的として設立された。 

現在、 神学生はどのように養成されているのであろうか。 長い間、 モデラトールとして神学生養成を担当していた門馬邦男神父 (関口教会) に現状を伺った。 

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ガリラヤの家

神学校に入学した新入生は1年間、 那須にあるガリラヤの家で養成を受けます。 この養成の目的は、 2年目からの練馬の関町にある神学校での哲学、 神学の勉強中心の生活の前に、 カトリック教会の司祭召命や司祭の養成についての基本的な考えとカトリック教会の教えを学ぶこと、 また共同生活を体験し、 奉仕の精神を養うことにあります。 

新入生は、 それまで信徒として異なった環境の中でそれぞれ信仰生活をしてきているので、 信仰の知識や体験に大きな違いがあります。 また、 ほとんど全員が核家族で個室生活で育っているために一つの部屋での共同生活の体験がありません。 

そのために、 司祭召命の中心である日々の祈りとミサを体験し、 カトリックの信仰の基礎的な知識を学び、 お互いを受け入れる共同生活を体験しながら障害を持った人びとに奉仕をする生活をしています。 

生活の時間割りは、 朝6時に起床し、 6時半まで個人の黙想、 6時半から共同の朝の祈り、 7時からミサ、 7時半朝食、 朝食のかたづけ後、 8時半から3時間の授業があります。 12時の昼食後、 月、 水、 金曜は光星学園の園生と一緒の作業が4時まであります。 火、 木、 土曜は、 自習時間や自由時間になっています。 夕方6時に夕食をし、 その後は、 日によって特別講話や分かち合い等の時間があります。 日曜日は、 朝のミサと朝食後は全く自由に各自過ごします。 

関町神学校での生活

ガリラヤの家での養成を終えた神学生は2年目から5年間、 練馬にある大神学院で生活します。 ここでの生活の中心は、 司祭職を果たす上に必要な知識を獲得し、 物事や出来事を適格に判断したり考えたりすることが出来る力を養うために聖書学、 哲学、 神学などを学ぶことにあります。 

また、 司祭として信徒を霊的に指導していくことが出来るために、 自ら霊的な生活について考えたり、 実践したり、 そのための指導を受けたりします。 

生活の時間割りは、 朝6時半起床、 各自の黙想、 7時にミサ、 7時半朝食、 後かたづけや掃除をして、 9時から昼食をはさんで授業があります。 木曜日は授業がなく休日です。 夕方6時半に夕食をし、 その後は水曜日だけ、 講話があります。 後の夜の時間は各自が自由に過ごします。 しかし学生会の会議や種々の集いが夜にあるので結構忙しい生活です。 土曜の午後から日曜日にかけては、 様々な使徒職の体験に時間をさいています。 

その上に、 神学生は、 毎月1回、 静修といって1日の黙想日があります。 

一粒会

教区神学生の養成のために経済的援助をする目的で設立されたのが一粒会です。 しかし、 ただ援助だけを目的とするだけでなく、 司祭召命とその養成について教会全体の問題として信徒も積極的に考え協力するという役割も持っています。 司祭の養成は教区民全体の責任であることを知らせる活動も行っています。 

ずーむあっぷ
看護職50年の島田一枝さん

現在、 聖母病院で夜勤婦長を務める島田さんは奈良県の出身で、 看護職につかれてから50年を迎えた。 

戦争と民族紛争が一番嫌いなことだったため、 平和を求めて上海の日本大使館で働いた経歴もある。 

昭和21年帰国し、 第1回看護婦国家試験に合格。 

カトリックになったのは神戸海星病院に就職した折りであった。 

その後、 聖母病院に勤務して今年で29年、 そのうちの27年は夜勤婦長として働いている。 

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島田さんはこの50年を振り返って

「私の人生の中で、 私をより豊かにしてくださった方々、 すでに故人となった恩師や家族も含め、 職場におけるシスター方、 看護婦の方々に感謝したいと思っています。 

また、 生と死を共に分かち合った患者さんや家族の方々は数えきれないほどいます。 その一人ひとりから多くのことを学ばせていただきました。 

患者さんはありのままの姿を見せてくれます。 死と向かい合っている状態で 『美・苦もん・ユーモア・恐怖』 を素直に表してくれました。 これらの方々にどれ程感謝していることでしょう。 また、 影で私を勇気づけ、 祈っていてくださる友人にも感謝したいと思います。 これからも健康の続く限り、 聖母病院で病む人々を通して神さまに奉仕をしていきたいと思っております。 

-惜しみ 惜しまれつつ 花吹雪-」 

と趣味の俳句一句を添えて謙虚に心境を語った。 

町屋教会
念願の独立した聖堂完成

4月25日、 町屋教会の新しい聖堂・信徒集会室の落成記念祝賀会が行われた。 

昭和6年イエズス会ラサール神父によって蒔かれた種はミエル神父に引き継がれカトリック社会事業として地域に根を下ろし、 上智社会事業団となった。 社会事業団と共に歩んできた教会も、 信徒の長年の念願がみのり、 このたび独立した聖堂・信徒集会室の完成をみることとなった。 

主任の塚本伊和男神父は 「1階に聖堂、 2階に集会室としたのは、 高齢化社会の進んでいる日本の現状からの配慮で、 そもそも旧聖堂の明け渡しも、 地域社会のためのデイケアセンターを設けたいとの意向によるものなのです」 と語っている。 

扇形プランの聖堂を設計したのは、 佐々木繁さん。 

佐々木さんは、 「自分は、 冠婚葬祭とカトリック作家の著作を読む以外には宗教との接点がなかった人間だが」 と前置きして、 「塚本神父様や信者の方々の教会に対する希望の中で、 特に印象に残ったのは、 聖堂は祭だんを信者席で取り囲む形にしたいということでした。 これを素直にプランすると扇形プランになります。 扇形プランは中心の集中度が非常に高い形式で、 また小振りなヒューマンスケールでつくった場合、 大変親密な空間にもなります。 

私は、 扇形プランの聖堂なら下町の分教会としてまさに相応しいものになると直感しました。」 と述べている。 

「ふだん着の材料で作り」 「町角のたいまつ」 となるように、 夜間には教会全体が照明器具のようになって輝くことも意図したそうで、 東側の駐車スペースには、 車止めを兼ねて、 シンボル・ツリーを植える場所を予定しているとのことである。

東京教区
受洗者数を下回る信者数の増加

教会現勢調査報告

1992年の教会現勢調査報告=統計が発表された。 

これは毎年1回、 12月31日現在で調査され、 集計されている。 

調査方法は、 カトリック中央協議会がまとめる 「日本カトリック教会の統計」 のための調査用紙を用いているが、 教皇庁への各司教区ごとの報告書、 宗教法人としての現勢調査とも密接な関係があり、 一枚の報告書のデータが5種類の膨大な報告書となって誕生する。 

また、 調査箇所は東京教区が一番多く、 500件を超えているので、 同時に小教区の会計報告を受ける教区本部事務局は新年早々より多忙な日々が復活祭頃まで続く。 

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本紙に掲載したのは、 聖木曜日に小教区宛に発表されたダイジェスト版。 おもに、 小教区の宣教活動のために、 また諸委員会の活動のために用いられる。 

信者に関する事項

信者に関する事項は、 大きな変化はなく、 毎年、 信者数は増えてはいる。 しかし、 受洗者数を下回っているので、 手放しでは喜べない。 ちなみに死亡者の数は500人程度。 

あとの増減は東京都と千葉県の教会に転出入する信徒の移動によって発生している。 しかし、 東京圏に住所がありながら、 受洗した教会に通ったり、 あるいは近郊他県に転居しても、 所属教会は交通機関の便が良い東京教区内の教会に転出する場合があるので統計の面からも小教区制度について再考を要する事が判明する。 

聖職者について

聖職者に関するデータでは、 教区司祭団には大きな変化はないが、 神学生の数はここ数年減少気味である。 また、 修道会司祭については、 直接教区では分析できないが、 学校関係での異動、 引退者の東京教区内での静養等の理由で増減が不安定である。 

同様のことが修道女数の変動についても言える。 

修道院数の変動

さらに女子修道院の場合には、 生涯養成のために都内で研修する数人のコミュニティを正式修道院として届けるかどうか、 また、 一つの修道院が2つ3つと小人数制をとりそれぞれが修道院として届けられたりと修道院の変動が多いのが近年の傾向である。 数字上は修道院数減一であるが、 実際は8の変動があった。 

ちなみに、 教区本部では教会法に従って届けられない限り修道院として取り扱っていない。 帰属する修道院の所在教区に数としては報告されてはいるだろうが、 就学のため、 あるいは入院のための修道女の東京教区内の在留はかなりあると思われる。 

(教区事務局・古賀正典神父) 

茂原教会40周年、船橋教会25周年を迎える

去る4月25日、 千葉県茂原教会は、 森司教による8名の堅信式と同時に、 献堂40周年記念を祝った。 近隣の千葉ブロックの信徒たちも数多く参列した。 

喜びに沸く銀祝の船橋教会

1968 (昭和43) 年の春、

ケルン教区などの援助のもと初代主任司祭に染宮三郎神父を迎えて設立された船橋教会が、 4月25日午前9時半から白柳大司教らを囲み創立25周年を盛大に祝った。 

設立当初132名の在籍者数が昨年末で1891名という統計が示すようにベッドタウンの教会の典型で、 2度目の現在の聖堂の狭いのが悩み。 数年後の改築を目標に、 既に積み立てを始めて張り切っている。 

また8市以上にまたがる司牧地域の広さも特徴。 創立2年目に自然発生的に始められたという地区活動も現在15地区に成長、 大司教も説教の中で高く評価しておられた。 

いろいろな困難を抱えながら皆が協力的で、 子どもも多く、 ともかく 「明るい」 が自慢のような小教区だ。 

なお13年間にわたり第3代主任司祭を務められた岸忠雄神父は5月、 惜しまれながら清瀬教会主任の辻茂神父と入れ替わった。 

5.18%の決算利息

-相互扶助貯蓄制度の92年度の利息-

このたび、 教区の相互扶助貯蓄制度の決算が発表された。 それによると、 運用利息は金利低下による影響は受けているものの、 それでも5.18%の決算利息となっており、 昨年度の一般金利水準からみれば有利な資産運用ができたといえる。 

この 「相互扶助貯蓄制度」 は、 1975年7月1日に発足、 今年で18年を迎えようとしている。 

これは小教区及びその付属施設を対象としたもので、 小教区等が個々に保有する資金を集めて集中的に管理運用することにより、 より有利、 より安全な資金運用をはかろうとするものであり、 またこの制度により集積された資金を裏付けとして、 教会及び付属施設の新築、 増改築、 修理等の貸付資金を融通活用することを目的としたものである。 

92年度には新たに3教会が加入。 93年4月現在の加入教会は54。 期末残高は19億8000万円と大きく成長している。 

担当者は、 未加入の小教区には本制度加入を検討するよう、 またすでに加入している小教区には随時積み立てを行うなどして、 有利な資金運用をはかると同時に建設等の資金のためにこの制度を活用するようよびかけている。 

C-TIC (カトリック東京国際センター) リポート<5月>

複眼の祈り

多くの方の祈りと協力に支えられ、 3月21日午後、 C-TIC新事務所の開所式が行われ、 森司教のミサと予想以上の参加者の語らいのうちに第2期はスタートをきった。 公募公選の職員とボランティアは、 ほとんど初対面の仲にもかかわらず、 心の一致を感じつつ4月1日より活動に入った。 

4月は試運転の内部調整期とし、 職員が事務所業務を固めつつ、 ボランティアとともに面接、 応答、 同行等に動き始め、 運営委員会の協力の下に次のステップをめざしている。 

4月23、 24日には、 名古屋の全国会議で全国の同志に多く学び、 29日のインターナショナルデーにおいて力強い励ましを感じつつ自己紹介のチラシを配布し、 “理解されるより理解することを”求める一人の友として門出した。 

5月からは内外の先輩グループに学びつつ自らの研修につとめる。 

終わりに私がショックを受けた一信徒の方の言葉を記したい。 彼が 「国境をこえた教会の愛」 を説いたのに対し、 ボリビア人労働者が次のように答えた由。 「昔、 我々の祖先が平和に暮らしていた所にカトリック教会の征服者が来て伝来の宗教を禁じ、 そして土地を奪い取りました。 そこから今日の不幸が始まったのです」 と。 一方において、 このような歴史的現実に目を向け、 その根本的解決を求めつつ、 他方、 同時に眼前に苦しむ一人の異郷の友に涙するもう一つの眼を大切にしたい。 この複眼の祈りを心の軌道にと念じつつ…。 

(粕谷甲一神父) 

訃報

岩子龍男神父 (東京教区) 

4月21日帰天。 69歳。 

1923年12月9日東京生まれ。 1953年大阪・六甲教会にて受洗。 1974年10月12日司祭叙階。 

高円寺・徳間・五日市・築地・八王子泉町教会にて司牧に従事された。 

永井ウラさん (元東京カトリック神学院職員) 

5月3日帰天。 

1967年10月1日から、 82年4月30日まで15年間、 東京カトリック神学院の受付として勤務された。

教区生涯養成委員会主催
家庭をテーマに一泊黙想会行われる!

5月1日~2日、 丹沢の聖心学舎を借りて、 教区生涯養成委員会の主催で黙想会が開催された。 テーマは 「家庭」。 

今秋、 長崎で開催される全国会議のテーマを黙想という形でとりあげてみようと企画されたものである。 

企画発表と同時に申し込みが殺到、 予定の人数をはるかに越え、 最終的な参加者は36名であった。 

講師は森一弘補佐司教。 聖書と家庭の現実に光をあてた3回の講話を中心に、 各自が祈りと黙想し、 夜にはグループの分かち合いを行った。 最終日の全体での分かち合いは、 離婚問題が取り上げられて、 参加者たちは本音で意見交換を行った。 

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第1講話

『過去にゆるしと感謝を、 今を誠実に、 未来に希望を』 

-家族と共に生きる心-

まず初めに家族と共に明るく信頼をもって生きていくための心についてお話しいたしましょう。 

家族は今ある私を育ててくれたものです。 今、 ここにおられる方々の中で 「自分は家族の世話にならなかった」 と主張される方がおられるかもしれません。 そういう方々にとって 「今あるのは家族のおかげである、 だから感謝しなさい」 といわれてもピンとこないかもしれません。 私は、 家庭的には恵まれなかった方々が数多くおいでになることを知っておりますが、 そういう方々にも、 その過去にはその成長のために無償で関わってくださった人間が必ずおいでになったと思います。 誰の世話にもならなかった、 自分の力で生きてきたのだと豪語する人は、 むしろ偉大な錯覚の中にいるといった方がよいと思います。 

枝葉のことにこだわらず、 大きな目で過去を振り返って見るならば、 自分のために献身的に関わってくれた愛を見いだすことができるのではないでしょうか。 

誰かに支えられて生きてきたという事実を前にする時、 私たちが示さなければならないことは、 まず感謝です。 また身勝手な私たちは、 そうした人々の人生に重荷を与え、 その心をいろいろな形で傷つけている筈ですから、 それに対してはゆるしを願うべきであります。 感謝と謙虚にゆるしを願う心、 それが明るい信頼にみちた家族を育てる秘訣ではないかと思います。 

それにもう一つ、 今を誠実に生きようとする、 これも家族と共に生きるために大事な姿勢だと思います。 「今を誠実に生きてみよう」 とすることによって家族のこれまでの苦労が報われるからであります。 

それにまた家族の者が、 互いに感謝し、 ゆるし合いながら、 今を誠実に生きようとするところから、 どんな困難に遭遇しようとも、 それをくぐり抜けていくことが出来るという希望が湧いてきます。 

互いに感謝できない、 ゆるし合うことができないがために、 家庭に失望し、 暗く悩んでしまっている方々は多いのではないでしょうか。 

第2講話

『神からの贈り物としての家族』 

今度は、 夫となる、 妻となることは、 神さまの望み、 み旨であるということをお話しいたしましょう。 

創世記2章に人間と男女の創造の物語があります。 

まず聖書は 「土のちり」 からの 「人間」 の創造を語ることによって、 「人間」 は土にもどろうとする傾きをもつ弱くもろい存在であることを指摘します。 次に 「人間」 は 「神の息によって生きる者になった」 という言葉をもって人間が神に依存した存在であることも明らかにします。 

さて、 注目していただきたいことは、 「生きる者」 という言葉です。 ほとんどの邦訳聖書で 「生きる者」 と訳されているこの言葉には、 単に 「生きる者」 になったという以上の意味がある、 つまりその生の充実を求めて切に飢え渇く者になったという意味があると最近の何人かの聖書学者は指摘しています。 

そこで神は 「人は独りでいるのはよくない。 彼にあったふさわしい助け手を造ろう」 と考えます。 人間は、 独りでは、 その飢え渇きを満たしえない、 その人生を全うできない、 ということだろうと思います。 そのために神は男と女を造られるわけです。 

男と女はこうして父母を離れて一体となり、 家族共同体を形成することになります。 「2人は裸であったが恥ずかしいとは思わなかった」 と物語が結ばれますが、 「裸であった」 の 「裸」 は単なる身体の次元のことではなく、 人間としての未熟さ、 弱さ、 欠点、 貧しさなどのすべてをさらけだしても、 という意味だろうと思います。 

徹底してお互いを受け止めそのすべてを支え合い、 励ましあって、 人生を生きていくために共同体を形成するために男と女が造られた、 ととらえて間違いではありません。 男と女、 家族は、 弱い人間に希望を与えるための神からの贈り物と言い換えることもできます。 結婚の誓いは、 ふたりの愛にアクセントがおかれがちですが、 聖書の光のもとにみるならば、 互いにふさわしい助け手になるようにという神の望みに対する 「はい」 であると言い切ってしまってもおかしいことではないと思います。 

第3講話

「ふさわしい助け手としての責任感をもって」 

今でも結婚式場などに行きますと、 「○○家」 と 「△△家」 のご結婚という案内板が掲げてありますが、 最近の若い人たちの間では、 家と家との結びという意識は消え、 愛を中心にしたとらえ方が主流になってきているように思われます。

家に縛られた結婚より、 夫婦の人間としての主体性が強調されるようになったことは素晴らしいことですが、 そこにも落とし穴が隠れております。 あまり愛を強調しすぎますと、 愛が消えた時に夫婦の絆が簡単に崩壊してしまう恐れがあります。

アメリカで2家族に1家族は何らかの形で離婚を経験しているといわれるのも、 愛を中心にした結果だとも考えられます。 

互いに人生のふさわしい助け手になるように神から委託されて夫婦になるという創世記の物語は、 離婚を安易に肯定する現代社会に向けた貴重なメッセージになるのではないでしょうか。 

ちょっとおたずねします

神父様のご聖体はなぜ大きいの?

Q、先日、 子どもから、 「神父さんのご聖体はなぜぼくたちのより大きいの」 と質問されました。 このことは私自身も前から疑問に思っていましたので教えていただければ幸いです。 

A、ミサで用いる 「大きなパンと小さなパン」 について、 『ミサ典礼書の総則』 (以下、 『総則』) には次のように書かれています。 

「感謝の祭儀のパンは、 司祭がパンをいくつかの部分に実際に割って、 少なくとも幾人かの信者にそれを授与することができるようなものであることが望ましい。 ただし、 拝領者の数やその他の司牧上の理由によって小さなパンが必要な場合、 決してそれを排除するものではない。」(『総則』 283) 

ミサの時には、 大きめのパンを一つ用意することが勧められています。 実にそれは分割するためであり、 分割するのは、 いうまでもなく幾人かで分かち合うためですから、 それを司祭一人で拝領してしまうのは本来の趣旨ではない、 ということになります。 ですから、 大きめのパンのことを司祭用のパンとよくいいますが、 それは不正確で、 本来は 「分配用として分割するためのパン」 なのです。 

大きなパンを割くのが大変な場合、 割かなくてもよいパン (小さなパン) を併用することもできますが、 その場合でも、 大きめのパンを分割用に一つ用意し、 実際にミサの中で分割しなければなりません。 そのときの歌が平和の賛歌 (「神の小羊」) です。 

古代の人は、 ミサをしばしば 「パンを割くこと」 と呼んでいました。 ミサ全体の呼び名にするほど、 パンの分割を重要なものと考えていたに違いありません。 今一度このすばらしい伝統をよみがえらせたいものです。 『総則』 も次のように述べています。 「一つのパンにおける全員の一致のしるし、 ならびに一つのパンが兄弟たちの間で分けられることによる愛のしるしとしての効果と重要性を、 パンを割るという行為によってはっきりと表現することができる。」(『総則』 238)

(山本量太郎神父) 

教会・修道院巡り (25) 
『礼拝会』 

礼拝会の創立者マリア・ミカエラは、 1809年スペインの貴族の家庭に生まれた。 外交官の兄を助け、 華やかな社交の場で天性の素質を思う存分発揮していた。 

母の死は彼女にとって大きな痛手となった。 その傷を癒すためパリの生活に身を投じたが、 空虚な心は癒されることがなかった。 

波にもて遊ばれる小舟のような彼女に、 その人生を変える出会いが起こった。 慈善事業に熱心であった彼女は、 ある日施療病院を訪問した。 そこで一人の不幸な少女と出会った。 その身の上を聞くうち、 ミカエラはその胸に火花が燃え始めるのを感じた。 

「世の中にはこの少女と同じような犠牲者がたくさんいるだろうし、 またいつの時代にもきっといることだろう。 彼女はそれらの多くの哀しい女性たちの一人にすぎない。 彼女たちが過去を清算し、 再び人間として品位を取り戻して生きることができたなら…」 

ミカエラは少女たちの 「再教育センター」 を作った。 

センターでの教育の基礎は、 信仰に生きることを教えること、 また生活費を得ることができるよう手に職を持たせることであった。 

ミカエラは、 聖体に対する特別の信心を持っていた。 聖体こそ彼女の光、 力、 慰めであった。 彼女は自分が世話をする女性たちの中に、 聖別されたホスチアのキリストを観た。 ミカエラにとって彼女たちといっしょに生活することは、 イエズスとともに生きることであり、 彼に仕え、 彼を礼拝することであった。 

1856年、 センターは 「聖体と愛徳のはしため礼拝修道女会」 と名づけられた。 マドリッドに続いて、 スペイン各地に修道院とセンターが次々に創立された。 

日本には1930年、 最初の修道院が麹町にできた。 聖体の礼拝と共に、 若い女性のためのセンターが始められたが、 戦争で家は焼失した。 

1946年、 戦後の混乱した社会の中で、 心のよりどころを失った女性たちのために家を探していた時、 小田急電鉄の社長令嬢モニカ伊東氏と出会った。 伊東氏から現在本部修道院のある喜多見の土地と家屋を譲り受け、 女子寮と幼稚園を開設することができた。 1992年に幼稚園は廃園となり、 現在は喜多見教会として利用されている。 

創立後百30年余となった現在、 会員は創立者の精神を受け継ぎ、 昼夜聖体の御前で祈り、 若い女性の教育、 また教会への奉仕に励んでいる。 

礼拝会 本部
〒157 世田谷区喜多見9-7-10

NICE・2
司祭・修道女の代表を紹介します

今秋、 長崎で開催される第2回福音宣教推進全国会議 (NICE・2) に出席する信徒・修道女・司祭代表11名は、 3月20日の東京教区総会で、 白柳大司教から発表された。 

前号では、 信徒代表6名に抱負を伺ったが、 今回は司祭3名、 修道女2名の代表を紹介する。 

司祭代表

稲川保明(いながわやすあき)師

東京教区事務局長。 

東京教区裁判所の裁判官も務める。 

第2回ナイス東京準備会の塚本伊和男師は、 「全国会議では、 「家庭」 がテーマだから家族や婚姻の問題も出るので教会法の専門家である稲川師に、 代表として行ってもらうことになった」 と語っている。 

立花昌和(たちばなまさかず)師

豊田教会主任。 

東京教区NICE・2準備委員。 東京教区教会学校委員会担当司祭として、 青少年の指導に力を注いでいる。 

教会学校リーダー研修会、 新人リーダー研修会には、 多数の青年達が参加している。 

ユージン・グリフィン師

五井教会主任、 司祭評議会委員。 

インターナショナル・デーの日、五井教会のフィリピン人グループの人々の出店を手伝いながら、 「抱負といわれても、 特にないのです…。 今、 私は千葉ブロックの司祭評のメンバーなのです。 行かれそうな人物ということですね」 と語った後、 にこやかな笑顔で、 「長崎で会いましょう!」。 

修道女代表

シスター 佐久間 陽子(さくまようこ)(福音史家聖ヨハネ布教修道女会) 

1959年、 修道会に入会。 桜町病院に勤務している。 多くの家庭の問題、 老人や弱者の悩み、 青少年の教育などに関する社会の現実に直面。 人々と関わり、 奉仕していくことに心を燃やし、 生きがいを感じている。 

宣教司牧評議会のメンバーの代表としてNICE・2に参加する。 

シスター 成瀬 環(なるせたまき) (扶助者聖母会) 

1954年立誓願。 星美学園短期大学の講師として教鞭をとるかたわら、 カトリック教育公開講座を開き、 家庭の問題や家族のコミュニケーションなどについて話し合いをしている。 

また学校、 家庭、 夫婦、 親子の諸問題を 「人間」 と 「愛」 の原点に立って考える小冊子をシリーズで執筆。 多方面にわたって活躍中。 

名古屋教区長に野村純一師任命

5月4日、 教皇ヨハネ・パウロⅡ世は、 名古屋教区相馬信夫司教の定年退任に伴い、 名古屋教区の野村純一神父を新しく名古屋教区司教に任命された。 

野村被選司教の略歴は次の通り。 

1937年、 高知県で生まれ、 64年12月19日、 ローマで司祭叙階。 65年、 ローマ・プロパガンダ神学院卒業、 67年ローマ・ウルバノ大学神学部博士課程修了。 

67年9月~70年3月、 主税町教会、 70年4月~72年3月、 名古屋教区事務所、 72年4月~76年3月、 東京カトリック神学院、 76年4月~82年3月小牧教会を歴任の後、 82年4月から布池教会で司牧にあたり、 現在に至る。 

編集部から

◆今から22年前、 私が神学生の時にモデラトールであった神父さんが名古屋教区の司教に選ばれました。 そのニュースを聞いてあの頃の事を思い出しました。 どんな思いで被選司教はいるのだろうか。 深酒に気をつけて欲しいものです。 

◆最近時に感じるのは、 教会に全然関係のない会社や個人が、 キリスト教の題材をたびたび扱われることです。 出版、 映画、 演劇、 美術、 絵画の展覧会等。 実にたくさんの催し、 イベントがあります。 

単なるヨーロッパ指向とは思えません。 やはりキリスト教には深い心理、 人生の光、 希望、 励まし、 なぐさめがあると思われているのではないでしょうか?この人びとの要求に耳を傾け、 答えてゆきたいものです。 

◆ 「広報の日」 にちなみ、 小教区報担当者の方にアンケートをお願いしました。 どうぞご協力をお願いいたします。