お知らせ

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東京教区ニュース第101号

1993年04月01日

復活者キリストが私たちの生命
白柳大司教復活祭メッセージ

主のご復活 アレルヤ

時の流れは絶えることなく進み、 20世紀の終わりが近づいているこの地球では、 全世界の人の祈りにもかかわらず、 いまだ最新兵器による戦争の嵐が吹きすさんでいます。 私たち人類は果たしてこの戦争と平和という課題の解決をみることなく、 新しい世紀を迎えることになるのでしょうか。

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私は、 毎年この復活祭に皆さまにメッセージをお伝えするにあたって、 一方では移り行く現実の世界のニュースに耳を集中させ、 世界の人々の希望と喜び、 悲しみと苦しみに少しでも深く心を一致させる日々の努力を強めます。

他方ではキリストの死と復活の出来事が2000年前のことではなく、 常に最も厳密な意味で現実的なものとして永続しているということに、 私のキリスト者としての全神経を集中させて、 この偉大な神秘の一面をとらえ直そうと努力をいたします。 この2つの精神的な努力が一つとなって、 私から皆さまへのメッセージというよりは、 私の心からの信仰宣言が生まれるといっても過言ではありません。

現代を生き抜くカトリック教会を構成する皆さまお一人おひとりと共に、 この偉大な神秘、 ミステリウム・パスカーレ (「復活の秘儀」) を私たちの希望の根源としてとらえなおし、 真に心から主のご復活をお祝いしたいと祈ります。

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聖書の中で、 復活の神秘を最も深く観照し文字に記したのは聖パウロです。

「キリストが復活しなかったならば、 あなたがたの信仰はむなしく、 あなたがたは今もなお罪の中にいるのである」 (一コリント15・14)

パウロはこの過激とも言える断言をもって、 私たちにこの出来事の迫力を伝えようとしています。

「キリストが復活しなかったのなら、 わたしたちの宣教は無駄であるし、 あなたがたの信仰も無駄です」 (一コリント15・17)

そして結論として、 「もしキリストに望みをかけているだけならば、 わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」 と強い調子で、 挑戦的ともいえる言葉を書きしるした後、 高らかに、 「キリストは死者の中から復活し、 眠りについた人たちの初穂となられました」 (一コリント15・20) と宣言するのです。

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復活の神秘に真剣な神学者たちのまなざしが向けられたのは、 実はそれほど昔のことではないのです。 昔の公教要理では、 救いのわざは十字架上の死によって完成された 「なり終おわれり」 として、 復活の救いのわざの根本的要素とはとらえていませんでした。 また、 キリストが十字架上で耐え忍んだ屈辱に対する報いであるとか、 キリストの神性の証明であるとか考えられていたのです。

しかしこれでは、 パウロが全精神を集中して証言したあの言葉の迫力は、 どこかに消えてしまったといえるでしょう。

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近年になって神学者たちの努力を通して、 第2バチカン公会議は、 その最初の実りである 「典礼憲章」 において、 復活の秘儀というひと言の中に、 キリストの受難、 死者からの復活、 光栄ある昇天を人類のあがないの神の偉業としてとらえ直したのです。

「十字架上に眠るキリストの脇腹から、 すばらしい秘跡である全教会が生まれたのです」 (典礼憲章第1章5)

ここで身近な例をもって、 教会と復活者キリストがただ一つの体として一致していることを説明してみます。

それはちょうど山の中のダムに、 満々とみちた水が水力発電を通して電力となり、 私たちの家庭のすみずみまで光と電力を送っているようなものでしょう。

地上の生活の中では、 イエス・キリストという一人の人間の中に満ちみちていた神の恵みと力は、 十字架上の死によって、 その御体が引きさかれ死を体験することによって復活し、 新しい生命の源となったのです。

復活者キリストが私たちの生命なのですから、 教会はまさに、 私たちはキリストと共に死に、 キリストと共に復活したと歌うのです。

復活の美しい典礼にあずかりながら、 今ここに生きる私を生かしているその生命は、 復活のキリストと一体の生命であるということを深く考えましょう。 そこにこそ、 すべての困難を乗り越えるキリストの光と希望が輝いているのです。

インドネシア災害援助のお礼

東京教区の皆様
ご協力いただいた皆様

昨年、 12月15日付けの書簡による呼びかけに対して、 多くの方々の善意が寄せられましたことに御礼申し上げたいと思います。

教区民の皆様はもちろんの事、 クリスマスに教会を訪れてくださった多くの皆様が、 突然の大災害に苦しむインドネシアの人々と痛みを分かち合うためにご寄付くださったと聞き、 感謝の念にたえません。 どうもありがとうございました。

教皇様の呼びかけもありましたので、 駐日教皇庁大使カルー大司教様とも相談し、 駐インドネシア教皇庁大使サンビ大司教様を通して、 フローレス島を担当しているエンデ教区のデイヤゴム大司教様に皆様方の義援金を送金いたしました。

緊急のこともあろうかと、 1月13日に700万円を早速送金し、 この度2月18日に残りの530万円を送金することができました。 皆様の善意の総額1200万円を越えるものとなり、 改めて、 心から感謝申し上げる次第でございます。

また、 同時に、 飢餓に苦しむアフリカのソマリアのためにと、 特別な意向で義援金をお寄せくださった小教区等もありました。 これも平和の祭りともいえるクリスマスに、 世界の困窮の中で苦しむ兄弟に援助の手を差しのべたいという、 キリスト者としての皆様の暖かいお気持ちの果実であると、 とても嬉しく思っております。

教区会計室によりますと、 このソマリアへの義援金は180万円ほどになっているとのことで、 早速、 司祭評議会や教区福祉委員会とも相談し、 送金先を検討したいと存じます。

ここに、 私の感謝の思いを込めて、 皆様方の上に神様の豊かな祝福を祈り求めつつ、 ご報告かたがた、 ごあいさつ申し上げます。

1993年2月19日 東京大司教 白柳 誠一

第2回福音宣教推進全国会議にむけて 
ブロック・小教区で勉強会

中央ブロック勉強会 「今家庭は……」 -2月21日-

2月21日、 関口教会新館ホールで、 NICE・2にむけ、 「今、 家庭は……」 というテーマで中央ブロック主催の勉強会が開催された。

110余名が参加し、 松尾降枝氏 (ホームカミング主宰) と前田千恵子氏 (カリタスの家スタッフ) の講演を熱心に聞き入った。 活発な質疑応答の後、 森司教が次のようにまとめた。

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森司教のまとめ

「家族のあり方」 「家族の問題」 をとりあげていくことは、 極めて総合的なことであります。 それは、 一人ひとりの生き方のすべてを問うことであると同時に、 社会のあり方を問うことでもあります。

まず、 家庭が社会の影響の下にあるという事も忘れてはならないことだと思います。

「家庭は社会の縮図」 といわれますように、 現代日本の家族が直面している問題は、 個人の力ではどうしようもない部分があります。 社会の流れ、 変化を無視しては解決できないような側面、 社会の影響をもろにかぶってしまっている部分があります。

ここ数年、 教区のさまざまなところで家庭をテーマとした集まりが開催されましたが、 どのような集まりでも同じように指摘される家庭の問題がいくつかあります。 その一つは家族のコミュニケーションができにくくなったということであります。

「コミュニケーションを深める」 ということは、 本質的には一人ひとりの気持ち、 意思の問題です。 一緒に生活する者に対する愛情の問題であります。 本人がその気になれば、 どうともなる事柄であると言い切ってしまうこともできるものです、 しかし、 日本の今の社会では、 本人たちがいくらその気になっても、 思い通りにならないような状況があります。

ここに参加しておられる方々の中でも、 家族とゆっくりと談笑したい、 たまには子どもたちと遊んでみたいと切に望みながら、 しかし、 思い通りにいかない現実に悩んでおられる方がきっといらっしゃると思います。

会社から利益追求のために厳しいノルマを課せられ、 その目標達成のために残業を余儀なくされる。 いくら家に早く帰りたいと願ってもゆるされない。 また、 帰宅しても、 疲れ切っているので、 余力がない。

父親だけではありません。 購入した住宅の支払いや子どもの教育費のために、 働かざるをえないという母親の方もここにおいでだと思います。

子どもたちも同じです。 学歴が高く評価される日本社会で生きて行くためには、 できるだけレベルの高い学校に入学しなければならない。 激しい受験・進学競争においやられる。 そのために、 家族とのだんらんを犠牲にして塾に通わなければならなくなる。

高度に発展した経済社会、 消費社会は、 家族の大きな犠牲の上に成り立っているといっても過言ではありません。

「家庭」 をキリスト教的な観点からとりあげていくことは、 同時に、 家族のあり方に大きな影響を与えてしまっている現代日本社会の構造や価値観に、 挑戦することでもあることを忘れてはならないことだと思います。

しかし、 私はすべてを社会構造の責任に転嫁して、 それで家庭の問題が片づくというつもりもありません。 一人ひとりの生き方が問われていることも確かであります。 このような状況の中で、 自分はキリストが呼びかけられた生き方を大事にしてみたい、 という明確な自覚が求められます。 社会に流されないような価値観、 複雑な現実社会の中でゆるがない信仰生活を育てなければならないのです。 難しいことですが、 日本の教会に課せられた大きな課題です。

家族の一人が重い病に倒れたとか、 介護が必要になったとかあるいは子どもにさまざまな問題が生じたとか、 などなどで家族全体が揺さぶられる時は、 何を大事にして生きようとしているのか、 家族の生きる姿勢、 人生観が否応なしに問われます。 福音的な光でみるならば、 経済的に恵まれ表面上何もかも順調な家族より、 試練に直面し、 重い十字架を背負う家族の方が、 救いに近いといえるかもしれません。

人間の問題は、 「家庭に始まり、 家庭で終わる」 といわれます。 「家庭」 をテーマとして選択した現代日本の教会は、 現代社会を生きる人間に真の希望を与えようと望むだけでなく、 日本社会の現実にしっかりと根ざした信仰生活の確立を願っているのだと思います。

小平教会で 第2回全国会議事務局長 小田武彦師講演会
「初代教会に学ぶ福音宣教のプロセス」 -2月21日-

私たちが福音宣教について考え、 また何かを実行しようとする時、 いつも現実の困難な問題に直面し途方にくれることが少なくありません。

しかし、 2000年前、 初代教会において激動の社会背景の中で展開された使徒たちの宣教活動の足跡は私たちに多くのことを教えてくれます。

まず、 使徒言行録6章に書かれていることからお話しします。 イエスを始め、 ペトロその他の弟子たちはヘブライ語を話すユダヤ人でした。 使徒たちはユダヤ教の神殿に行って祈り、 また熱心に律法を守っていたと書かれています。 ユダヤ教の一派的な存在から、 キリスト教にドンと突出る新しい動きを始めるところです。

それは、 ヘブライ語社会であるエルサレムで、 ある弟子がギリシャ語を話すユダヤ人たちに出会い、 仲間の未亡人が日々の食物がなく本当に苦しんでいると聞いた事が発端でした。 かつて、 外国に出て行ったユダヤ人の2世3世がエルサレムに戻ってきた。 この人々はギリシャ語を話すユダヤ人といわれ社会的に弱い立場でした。 当時、 貧民救済金庫や炊出し組織もありましたが、 それはヘブライ語を話すユダヤ人のためのもので、 外国から戻ってきたギリシャ語を話すユダヤ人には適用されていなかったようです。 12使徒はキリストの弟子全員を集めて協議した。 そして新しい組織を作って、 ステファノ、 フィリポほか霊と知恵に満ちた7人を選び出し、 困っている人たちの食事の世話をさせるために派遣しました。 新約聖書がすばらしいと思うことは、 正直に全部書いてあることです。 この7人の活動が軌道にのった頃、 なにが起こったか。 食事の世話をするはずのステファノが逮捕され、 大説教をします。 (使徒言行録7-8章) そして最後には教会第1号の殉教者となります。 ステファノは食事の世話係でしたが聖書には 「神を証しした」 と書いてあります。 ステファノの殉教後、 同じく食事の世話をしたフィリポがサマリアで説教活動をして、 大きな実りをあげました。

ここで学ばなければならない事がいくつかあると思います。

新しい組織を作って動き始めた時に大きな問題にぶつかります。 中から犠牲者が出てしまう。 ステファノが殺され、 大迫害が起こる。 12使徒以外は皆エルサレムから追い出された。 それでも彼らは生き方を変えなかった。 初代教会の動きを見ると、 活動を進める上で大事なプロセスを踏まえていることがわかります。

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1、 現実との出会い、 そして分かち合う

最初にギリシャ語を話すユダヤ人の未亡人が食事の世話がなく苦しんでいる現実を知った弟子はリーダーである12使徒に話して分かち合う。 12使徒は 「これは外国人の問題ではなく、 私たちの問題だ」 と認めた。

2、 交わりの体験、 そして支え合う

兄弟の問題は、 即ち、 私たちの問題と認め、 互いに交わりの体験が出てきます。 そこで、 互いに支え合おうと新しい組織を作ります。

3、 識別、 みことばで照らし合う

新しい組織を作る時に大事な事は、 単なるヒューマニズムや社会運動ではなくて、 みことばで照らし合って識別をしていきます。 キリストなら何をなさるか、 どちらを選ぶか、 イエス様がなさったこと、 おっしゃったことに照らして識別するわけです。 そこで、 今までのユダヤ教の一派的なこだわりから方向転換して、 ギリシャ語を話すユダヤ人のために新しい組織を作ります。

4、 回心 チャレンジする

新しいことを始めると、 自分たち自身の内部と社会的な面でチャレンジが発生します。 自分たち自身のチャレンジとは回心であり、 社会へのチャレンジとは社会に対する私たちの使命といえます。 使徒たちはステファノの逮捕・殉教にあいながらもひるまずチャレンジを続けました。

5、 宣教 (信仰を生きる) 派遣し合い

弟子たちが社会の中で現実に出会って、 交わりの体験をし、 識別をし、 回心をして信仰を生き始めたとき周りの人々が 「なるほど、 あの人たちはキリスト者だ」 というようになり、 人々に影響をもたらして結果としてそれを宣教と受け止めた。

教会にいる時の顔と自分の生活とピッタリ来ない、 誰もが感じていることでしょう。 私たちが 「他はどうでも構わない、 私はこうしていればいい」 で留まっていては何も発展はない。 たとえば、 家庭の現実を把握するために、 学者や専門家を集め分析究明して司教にインプットしてもなにも起こらない。 大事なことは、 私たち一人ひとりが個々の問題を共通の課題・痛みとして分かち合い、 互いに支え合い、 みことばに照らし合う、 そして自身も改めて回心する、 社会に対する使命として現れてくるチャレンジを共に行い合う、 といった一連のプロセスを、 キリストの名のもとに集まり、 地道に積み重ねていくことです。

今、 教会に欠けていることはお互いの分かち合いがなさすぎることです。 共に語り祈った内容で、 個人的な秘密は絶対守られるという信頼関係が必要です。 すべての原点となるよりよい分かち合いのために共に祈りましょう。

「教会の望むことはただひとつ、 即ち、 真理を証明するために、 裁くためでなく、 救うために、 奉仕されるためでなく、 奉仕するために、 この世に来られたキリスト自身の仕事を霊の導きのもとに続けることです。」 (現代世界憲章)

(白浜鷹志)

NICE・2東京教区代表決まる

本年10月に開催される第2回福音宣教推進全国会議に出席する東京教区代表が次のように決定した。

代表のプロフィールは次号に掲載予定。

●司 祭
稲川 保明師
立花 昌和師
E・グリフイン師

●修道女
Sr.佐久間陽子
Sr.成瀬 環

●信 徒
黒川 恒雄さん
加藤 正仁さん
西勝 敬夫さん
稲留 敦子さん
織田 知恵さん
中村 紀子さん

ずーむあっぷ
平和祈願有志の会久保九市さん(92歳)

久保九市さんを代表とする、 「平和祈願」 有志の会の方たちは、 毎年2回 「祈りの会」 を行っています。

第2次世界大戦・大正12年の大震災、 この2災で生命を失われた方たちのため、 また大きな災害が起きないようにと平和を願い、 今年で18回を迎えました。

場所は、 墨田区横網の東京慰霊堂で、 3月10日と9月1日です。 主義主張を越えて平和のためにロザリオの祈り、 聖歌を捧げています。

「カトリック会館」は 皆のもの
浜尾担当司教に聞く

潮見に新しく建った 『カトリック会館』 の開所式が2月11日行われた。 12日から14日までの3日間は、 一般に公開され、 たくさんの人が新会館を訪れた。

見学者へのインタビューの内容を紹介しながら、 今後のカトリック会館の運営の仕方について浜尾司教 (横浜教区) に伺った。

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見学者の声

(1)フランシスコ・ザビエルから現在までという、 エントランスホールの芸術的なリボンに殉教者を土台にした歴史を感じた。

(2)大きいなと思った。 21世紀、 将来を見通しての建物で、 いろいろな可能性を含んでいる。

(3)見学した人の話を聞いて来たが、 思っていたよりもすばらしい。 実際に見に来て、 肌で感じてよかった。

(4)これからのシステムを開発して、 福音宣教のために中央の機能としての役割を果たしていただきたい。

(5)インテリジェント・ビルと聞いてきたが、 そうでもないと思った。 分散していた組織が、 一つに集められたことはとてもいいことだ。

(6)宿泊施設は高級ホテル並みで、 とても贅沢。 カトリックってこんなにお金があるんですね。

(7)贅沢。

(8)将来を見通してできた建物。 想像していたよりもいい。

(9)一つにまとめられ機能的であるが、 倉庫、 資料室が狭く、 すぐにいっぱいになるのではないか。

(10)貧しい小さな教会の信徒はこの建物を見て驚くのではないだろうか。 すべての機能が100パーセント稼動したときに、 できてよかったと思うのではないか。

(11)司教様たちの宿泊室ができたことは、 とてもいいことだと思う。

(12)人手不足の折り、 お掃除等を含め、 あらゆる面で維持できるのか心配です。

(13)ハードウェアは揃っているようなので、 ソフトウェアの方 (人とか) を揃えてはいかがでしょうか。

(14)ここで働きたいですね。

(15)神のみ旨が行われますように。

(16)各小教区との距離感が少なくなるように、 ここでの人的交わりが全国的なシェアで生かされる交流の場となることを期待している。

(17)館内の方たちには、 外部の人が気楽に入れるような雰囲気づくりをしていただきたい。

(18)持っている機能を十分に活用できるようにしていただきたい。

(19)思ったよりすばらしい。

(20)機能的であるが、 まあこんなものだろう。 フルに使いこなせるかどうかが問題。 何年かかるだろうか。

(21)豪華だと聞いて来たがそれほどでもない。 宿泊施設もビジネスホテル並み。 このくらいは当然と思う。

(22)日本のカトリック教会全体の中心になる会館だから、 このくらい当然ではないかと思う。

(23)気軽に出入りできる会館にしていただきたい。

浜尾司教にインタビュー

●確かに少し贅沢と思える所もあると思う。 しかし、 司教団の全国的レベルの事務局、 事業体が一つになったということは、 とてもいいことだと思う。 今まではあちこちに分散していたので、 お互いの連絡・交流も難しく、 ロスも多かった。 今は食堂などで顔を合わせ、 お互いに知り合うようになったので、 関連のある事務局どおし協力し合える。

分散していたことによって起こっている弊害、 例えば給与・待遇などについては、 これから徐々に整理し、 統一していきたいと思っている。

●中央協議会の第一の任務は、 教区・小教区への奉仕だと思う。 『カトリック会館』 は皆んなのものなので、 おおいに活用してもらいたいし、 できるだけの奉仕をしたい。 だれでもが気軽に利用でき、 サービスを受けられるよう、 対応の心構えについて、 スタッフに話している。

●この会館の運営については今のところ私が担当し、 経済的なことは札幌教区の地主司教が、 宿舎などのサービス対応については仙台教区の佐藤司教がそれぞれ、 考えることになっている。

会館を、 カトリック教会内部のためだけでなく、 他宗教の人たちや、 外部機関への対応のためにも開いていけたらと思う。

●会館を建てるにあたっての費用は、 四谷の土地を売り、 東京教区のこの土地を、 普通の値段よりは安い値段でわけていただいたことでまかなわれている。 ちょうどバブルの崩壊の前に、 土地の売買が行われたので、 運転資金のためにもある程度残すことができた。 しかし、 これだけの建物を維持管理するには、 相当の費用がかかるので、 残金の利息だけでそれがまかなえるかどうか、 今はわからない。 各教区、 小教区、 修道会には、 今までのように分担金をお願いするつもりである。 『カトリック会館』 が皆んなのものである、 という意識を持つためにもそれは必要だと思う。

●残金の活用についてはまだはっきりと方針は立てていないが、 日本はまだ外国から援助をもらっている教区もあるし、 海外の必要なところに援助もできたらと思う。 日本のカトリック教会の独立のため、 海外援助のためにも活用できたらと思う。

三河島教会 60周年、鴨川教会 40周年を祝う

三河島教会60周年を祝う

サレジオ会、 扶助者聖母会の創立者で青少年の保護の聖人、 ドン・ボスコの記念日の1月31日、 荒川区にある三河島教会 (主任・恵美漸吉神父) では創立60周年を記念した。

白柳大司教はじめ歴代主任司祭・出身司祭ら10数名の共同司式による記念ミサは、 近隣教会の来賓、 そしてこの教会らしくボーイスカウト、 ガールスカウトの子どもらを交え、 記念事業の一つとして改装された明るい聖堂を埋めつくして午前11時より始められた。

大司教は説教で、 サレジオ会の日本における働きに感謝するとともに尊者チマッチ神父が早く福者に上げられることを願い、 続いて30数名の信徒に堅信の秘跡を授けられた。

鴨川教会創立40周年記念祭、および堅信式を終えて

昨年の12月13日、 千葉ブロックの鴨川教会では、 白柳大司教を迎えて創立40周年の記念祭と堅信式が行われた。

鴨川教会は、 昭和23年に来日した聖コロンバン会の管区長ジム・ドイル師が現在の地に古家付きで土地を求め開いた英語塾に始まる。

日本家屋の和室でミサが行われていたが、 同27年10月19日に現在の聖堂が完成した。

昭和37年2月に司祭館は焼失し、 再建されるなどの苦労もあったが、 聖コロンバン会は、 一昨年教区司祭が派遣されるまでの36年間、 鴨川の人々に愛されて司牧を続けてきた。

当日は、 10時から大司教司式のグレゴリアン聖歌を取り入れたミサと堅信式が行われた後、 信徒の手作り料理などを囲んでのパーティーが開かれた。

日頃、 10数人の礼拝が行われている教会で、 97人の信徒たちでいっぱいとなり、 参加したすべての人が感銘を受けたミサとなった。

3、 40年ぶりに教会を訪れる人もあり、 遠路駆けつけた当時のカテキスタ等と再会を喜び合った。

昨年から、 敷地内の幼稚園の教育を担当している宮崎カリタス修道女会の10人のシスター方によるコーラスも披露され、 地域における小教区の使命を再認識する、 恵みと感謝に満ちた1日であった。

記念祭に当たり、 40周年の歩みを語るアルバムと記念誌が編集され、 これまでの宣教の歴史をしのぶことができる。

(安次嶺晴実神父)

セントメリー保育園 閉園 歴代園長は語る

セントメリーの灯が消える、 予想はしていたもののその日が近づくにつれ、 何とも表現しがたい感無量という気持ちとなりました。

創立以来21年務められた故塚本金明師の後を受けて12年間、 なんとか努力して園長の務めを果たし、 現ベタニア修道女会に後を託してお別れした私としては、 セントメリー保育園の現状は心にかかる事でした。

多くの地で、 社会の必要から幼稚園、 保育園が教会の付属施設として開かれ、 地域社会に大きな貢献をしてきた事は明らかな事ですが、 公立、 私立の施設の増加等の社会事情、 また教会活動の方向の見直し等により教会のその面における使命を果たし終えたとの認識から、 閉園が行われるのは、 いたしかたのない事ですが、 なんとなく淋しい心にかかる事です。

とかく教会の敷居が高い、 扉をたたくに勇気がいるという声がありますが、 付属の園は自然に開かれた教会の門といえることも事実です。

洗礼等、 目に見える成果は別として、 教会に好意を持つ、 地域社会に溶けこむという点で、 すぐれた効果をあげています。

それらを考える時、 今後は今までと違った努力が必要とされるでしょう。

立川教会は多摩地区のあらゆる面で中心的な存在です。 保育園がなくなってもセンター的発展を遂げる事により、 閉園の意義が生かされるものと期待しています。

(藤岡和滋神父)

★ ★

神様のみ摂理に導かれて、 平成2年4月、 ここセントメリー保育園に就任致しました。

その年の秋には、 教区の方で閉園が決まり3年間があっという間に過ぎてしまいました。
創立以来38年、 故塚本金明神父様を始め、 歴代の園長先生、 教会の方々、 立川市、 職員とご父兄のご指導に支えられ閉園の時を迎えることができますことを神様に感謝致しております。

とくに立川教会の皆様には暖かいご援助をいただきました。

保育の仕事にたずさわってから、 いつも子どもたちに支えられ、 教えられ楽しい日々を過ごしてまいりましたが、 事業の閉鎖を迎えるのは初めてでございます。

事業が所期の目的を達したとはいえ寂しい事です。

神様は、 私の地上での終末を迎える準備をさせてくださるおつもりなのかもしれません。 修道者として社会に疎いだけでなく、 自分の能力の不足もあり、 まわりの方々にもご迷惑をおかけしたことを反省しております。 どうか皆様の上に神様の祝福が豊かにそそがれますようにお祈り申し上げます。

(Sr.増子トミ)

すべてのキリスト者が国境を越えて集う インターナショナルデー

分かち合い、 インターナショナルミサ、 フェスティバルなど多彩な催し物
4月29日 東京カテドラル

91年秋に教区100周年記念行事の一つとして始まったインターナショナルデーも第3回目を迎え、 4月29日 (木・祝) に東京カテドラルで開催される。 当日は 「理解されるよりも理解することを」 をメインテーマに多彩なプログラムが予定されているが、 今回の集いのあらましを実行委員会スタッフへの取材をもとにご紹介しよう。

☆ ☆

「互いに理解し合う」を基本 テーマに多彩なプログラム

今回の集いを企画するにあたって、 「祭り=フェスティバル」 という要素を継続しつつも、 さらに一歩踏み込んで 「互いに理解し合う」 ことの大切さを深め合うとともに、 さまざまな困難を乗り越えて生きていく喜びや希望を感じ取って、 参加者が今後の生活の中で生かし伝えていけるような集いを目指したいと、 実行委員長の余語神父 (豊4季教会) は語る。 そのために今回は、 メインテーマを 「理解されるよりも理解することを」 に設定するとともに、 相互理解を深める試みとして、 「分かち合い」 と 「パントマイム」 が新たに企画された。

体験発表をもとに分かち合い -「理解し合う」がテーマ-

午前1時からの 「分かち合い」 では、 まず各国の人たちによる体験発表が行われる。 「理解されるよりも理解することを」 をテーマに、 仕事上のこと、 国際結婚、 教会がどのような支えになっているかなどの問題について、 直面し乗り越えてきた体験を語ってもらうのだ。 それを受けて、 参加者がグループに分かれて話し合う構成になるようだ。 このコーナーの担当者リバス神父 (麹町教会) は、 「日本にいる外国人が直面する困難や問題点だけを話し合うのでなく、 それを乗り越えて相互理解できた例を分かち合えればすばらしい」 と期待する。

パントマイムが描き出す、 相互理解を妨げる- 「誤解」

今回のもうひとつの目玉がパントマイムだ。 企画は麹町教会の 「国際青年の集い」 の若者たち。 構成はおおよそ次のようだ。 「カインとアベル」 の場面から現代戦争の場面へと続き、 「なぜ、 人は殺し合うのか?-それは小さな誤解から生じているのでは」 と問いかける。 そして 「誤解」 の身近な例として(1)外国人と日本人の問題(2)家族の問題(3)マルタとマリアの3場面が演じられ、 「平和の祈り」 でフィナーレとなる。 スタッフのロミさんは、 「正しいと思っている自分たち、 それなのになぜ理解し合えないのか?それを誤解というキーワードで考えてみたかった」 と語る。 このパントマイム、 インターナショナルミサの中で上演されることになっている。

「神のもとに一つ」 を実感するインターナショナルミサ

午前12時からは、 白柳大司教司式によるインターナショナルミサが行なわれる。 式文は英語で唱えられ、 聖歌は各国語で歌われる国際色あふれるミサだ。 担当の高田神父 (マリア会) は、 「前回までの流れを基本に、 今年は聖歌の伴奏も各国の人たちに任せて、 また奉納では各国の特産品を捧げるなど、 より民族色を出したい」 と抱負を語る。

外国人のための相談窓口-インフォメーションコーナー

オーバースティなどの法律問題や、 日常生活上の困っている問題に関して、 弁護士や日本人の主婦、 滞日経験豊富な外国人スタッフが対応してアドバイスする。 担当の五十嵐神父 (松戸教会) は 「日本の生活習慣がわからなくて一人で悩んでいる人は多い。 ぜひ利用して欲しい」 と語る。

この他に、 各国の民族色あふれる模擬店や民芸品、 ダンスなど楽しさいっぱいの 「ワールドフェスティバル」 もある。 「いつもは互いに通りすぎるだけのさまざまな国の人々が聖堂の中に一つに集まって、 神さまの下で理解することを目指して語り合ってみませんか。 とりわけ多くの日本人が参加して下さることを期待しています」 と余語神父は呼びかけている。 (6面のお知らせをご覧下さい)

訃報

伊藤庄治郎司教 (新潟教区の前教区長)

3月13日、 入院先の御薗病院で肺炎のため帰天。 84歳。 1909年秋田市生まれ。 1938年3月21日、 北一条教会 (当時札幌代牧区) でキノルド司教より叙階。

1962年4月6日、 司教任命。 1962年6月14日、 叙階着座。 1985年3月、 教区長引退。

伊藤司教は、 新潟知牧区から司教区に昇格された折り第1代の新潟司教として活躍されるとともに、 また第2バチカン公会議後、 創設されたエキュメニズム委員会の委員長として、 教会一致に尽力されました。

ミャンマーデーを覚えていますか?

戦後、 苦しい中から東京の教会に援助してくださったケルン教区の精神にならって、 私たちがミャンマー (ビルマ) の教会のために祈り、 献金するようになってから10年以上がたつ。

そのミャンマーに、 ミャンマー委員会の委員2名が2月に行ってきた。 ミャンマーの司教様方から大歓迎されて、 いろいろなところを回ってきたが、 とりあえず、 ホットなうちに印象を報告する。 詳しい報告と宣伝は、 今後いろいろな形でしていく予定である。

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多民族国家であることと、 政治が不安定であることから、 ミャンマーの状況や人々の生活の様子をひとことで説明することは難しいが、 極端に言えば、 物がない。 とてもシンプル (質素) な生活をしている。 人々は暖かく、 信仰心は厚い。 文化的には、 中国とインドの間にあって、 両者の文化が混じっているような感じがする。

カトリック信徒は、 仏教徒が国民の大多数を占める中にあってごく少数 (人口4200万人中50万人あまり) である。 しかも、 多数派のミャンマー族には少なく、 少数民族の中に多い。 仏教徒、 キリスト教徒共に信心深い。 よく道端で、 喜捨を募っている。 皆よく寄付している。 もちろん、 僧侶は大変尊敬されている。 托鉢にもよく応じる。 神父もまたとても尊敬されているようである。 全体として慈悲の心が豊かな国民であるという印象が強い。

召命はとても多い。 小神学校にも大神学校にも多くの神学生がいる。 今年も全国で46名の新司祭が誕生する予定である。 神学校自体は、 とても質素であり、 自給自足とまでいかなくても、 神学生達も畑を耕したり、 牛、 豚、 養殖池などの世話をしたりしている。 それは神学校運営上の必要性によるものであると同時に、 就業人口の90%が農業に従事している国らしさを示してもいる。

教会では、 シスター、 ブラザー、 カテキスタ等の活躍も目立っている。 貧しい国の教会、 苦境にある教会は活発になることが多いがこの国の教会もまた例にもれない。 とくに、 外国人宣教師が働くことが許されない現実が、 教会の自立をうながしていると言えよう。

(余語久則神父)

ちょっとおたずねします
十字架のしるしの起源

Q、わたしは子どものころから信者の家庭で育ち、 お祈りの前などに十字架のしるしをするのは当然のことと思ってきましたが、 最近とみに理屈っぽくなった息子から、 なぜ十字架のしるしをしなければいけないのかと言われ、 信者はそうするものだとしか答えられず、 納得してもらえませんでした。 また機会をみつけて説明したいと思うのですが、 教えていただければ幸いです。

A、十字架のしるしの起源をたどってみると、 そのいちばん古い形は、 自分で自分にする十字架のしるしではなく、 ある人が別の人にする十字架のしるしだったようです。 具体的には、 洗礼式のような場面が考えられます。 現在でも幼児洗礼式や成人の入門式のときに行われる十字架のしるしです。 そこでは、 司祭あるいは教会共同体を代表する人が、 洗礼を受ける子ども、 あるいは求道者となる人の額の上に小さな十字架のしるしをしますが、 このような形が一番古いものなのです。

十字架のしるしは、 いうまでもなくキリストのしるし。 そのキリストのしるしをつけられた人は、 キリストのものになります。 幼児洗礼の場合は覚えていないかもしれませんが、 わたしたちキリスト者はみな十字架のしるし、 キリストのしるしをつけられた者なのです。

自分はキリスト者である、 自分はかつて十字架のしるしをつけられてキリストのものになっているということを毎日意識して生きたい、 これはキリスト者として当然の思いでしょう。 こうして、 自分が自分に十字架のしるしをしてキリスト者としての自覚を日々新たにするというよい習慣が古くから教会の中で広まったのではないかと考えられます。 ですから、 初めは幼児洗礼式のときのように自分の額に小さな十字架のしるしをしていたかもしれません。 でも同じ十字架のしるしなら大きなほうが一層自覚が深まるということなのでしょうか。 理由ははっきりしませんが、 中世以来、 わたしたちが通常している大きな十字架のしるしが一般的になりました。 もっとも、 この大きな十字架のしるしは東方の教会からわたしたちの属している西方のカトリック教会に伝えられたものなので、 このことに関しては本家はあちらです。

十字架のしるしをするとき 「父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン」 と唱える習慣もあります。 この言い回しは聖書の中でマタイ28章のキリストのおことば 「父と子と聖霊のみ名によって洗礼を授けなさい」 という箇所だけに出てくるものですから、 父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受けキリストのものとなっている自分であることを強く意識することになるのではないでしょうか。

また聖堂などに入るとき、 聖水に指を浸してから十字架のしるしをするという習慣もあります。 聖水もやはり洗礼のことを思い起こさせるシンボルですから、 聖水を額に感じながら十字架のしるしをするとき、 洗礼を受けている自分を強く意識することになるのです。

いずれにしても、 キリスト者としての自覚を新たにするためにこそ、 十字架のしるしをします。 お祈りを始めるとき、 聖堂に入るときなど、 キリスト者としての自覚をぜひもってほしい場合に教会は十字架のしるしを勧めます。 自覚のしるしである十字架のしるしが、 惰性のしるしになってしまわないように、 間違っても、 おまじないのようにとられてしまうことのないように、 気をつけたいものです。

(山本量太郎神父)

教会・修道院巡り (23)
『高円寺教会』

東京の人口移動が、 関東大震災を契機に西郊外に動き始めたことに合わせて、 聖ビアンネ高円寺教会は、 1928年東京府下豊多摩郡杉並村字高円寺に出発した。

パリ外国宣教会のギュスターブ・マイエ神父は、 当時の東京教区長シャンボン大司教より任命され、 1928年1月15日、 高円寺教会主任司祭として着任した。

当時の高円寺はまだ農村の名残りをとどめ、 教会のまわりは一面畑で、 青梅街道はケヤキ並木が続き、 のんびりした所だったという。

マイエ神父は、 着任後直ちに仮聖堂の建設に着手。 同年11月に都下10番目の聖堂として完成。

日本公教会の年度統計によると、 1928年8月1日調査で、 高円寺教会信徒数は298人となっている。 ちなみに東京教区 (当時は1府9県) は11、 240人であった。

1931年に本格的な聖堂が地下聖堂として建てられたが、 第2次世界大戦の時焼失したため、 49年にこの地下聖堂の上に現在の聖堂が建てられた。

1937年、 国内外情勢激変の中で東京教区長に土井辰雄司教が誕生し、 高円寺教会も39年10月に初代日本人主任司祭として、 西田佐市師が着任。 その2年後の41年9月に野口由松師 (のち、 広島教区長) が着任。 野口師は大戦中の信仰殉教時代を耐え、 戦後の教会復興と宣教司牧に寝食を忘れて走り回った。

教会が誕生して今年で65年目。 この間、 多くの外国人宣教師、 司祭、 修道者、 先輩信徒が高円寺教会で福音のために働かれた。 そしてこの中から、 3人の司教 (野口司教、 相馬司教、 岡田司教) を輩出し、 さらに吉祥寺、 荻窪の分教会がそれぞれ独立し、 立派な小教区に成長していった。

高円寺教会の昨年末の信徒数は1505人。

今年の教会活動スローガンは、 NICE・2のテーマにちなんで 「キリストの家族をめざして」 である。

2月7日の小教区信徒総会では 「家庭の現実から福音のあり方を探る」 のテーマのもとで分かち合いを実施。 自分たちの体験している喜びや悲しみを語り、 耳を傾け、 共感し、 連帯を深めた。

高円寺教会の歴史を語る時忘れてならないことは、 メルセス宣教修道女会の動きである。 同会は高円寺教会の隣りに光塩女子学院を経営し、 教会の歴史と共に歩み、 教会と一体となって生徒、 父母会等にキリストの福音の光を照らし続け、 多くのシスター、 信徒を輩出している。

ケルン教区の現状
藤井泰定神父のレポート その3

失業者増大から外国人排斥

そんな中で、 「ドイツをドイツ人の手に!」 とか 「ドイツ人に仕事を返せ!」 と外国人排斥を叫ぶネオ・ナチをはじめとする各種の極右グループが人目をひくようになりました。 グループによっては森や林に集まり、 近くの商店の窓ガラスを壊し商品をかすめ取って共同生活を始めたりもしました。 この破壊と略奪行為から住民を守るために、 村長を先頭に村人が武装して警戒にあたる村もありました。 この時は村長の銃器不法所持が伝えられるほどのゆとりと笑いがありました。

1991年暮れに、 難民収容所に火炎瓶が投げ込まれ、 2人のレバノンの少女が大火傷をしました。 犯人は逮捕され裁判にかけられました。 主犯の3人の若者に 「殺意」 はなかったとして、 1992年5月の裁判で、 5年の刑が言い渡されました。

この頃のアンケート調査によると、 若者の外国人排斥意識への同調者は66%に達していました。 しかしながら、 夏頃から各地の極右グループによる収容所襲撃がエスカレートすると、 それに対抗するかのように、 市民の反極右抗議デモと極左の動きが見られるようになりました。 また、 感情的な外国人排斥の叫びに対して、 外国人労働者のドイツ貢献の実態に関するデータが、 大手鉄工メーカー就労実態、 納税、 失業保険や老齢年金保険等の分野で調査され発表されています。

現在、 ドイツには約550万人の外国人が住んでおり、 1992年1月から10月までの収容所に住む政治難民申請者は約40万人です。 その収容所は、 町の中にもあり、 しかも申請者は働けないので (労働許可がないので)、 生活保護によって生活しています。

全国会議で労働者達の連帯感広がる

ケルン教区では、 20余年にわたり、 外国人カトリック者司牧局担当のデック補佐司教が司教協議会の外国人司牧委員会委員長でもあったことから、 デック司教の 「教会に外国人はいない」 との持論が度々語られ、 2泊3日の全国会議 (ドイツ全教区の専門担当司祭と世界23地域代表者で構成) では、 よくも悪くも討論、 議論の場で 「外国人労働者と難民問題」 は話題にのぼり、 うまく自国労働者のための援助金引き出しに成功している担当責任者もいます。 しかし、 このことにより、 世界23地域から集まっている労働者たちの連帯感は、 カトリック者に限られてはいるものの、 基本的に大きく育てられていると思います。 また、 300万人のトルコ人労働者は子どもが多いこと、 貧しいこと、 モスレムであることから、 学校で行われる宗教教育への影響が大きいことから話題にのぼります。

教区内でも連絡が取られ、 難民問題を抱えているクロアチア人 (ユーゴスラビアのカトリックの多い民族) の外国人司牧の担当司祭たち (ドイツに約100人が滞在) が行う自国民援助を支援しています。

寄付物品の集配に奉仕する若者たちが増加しています。 彼らは6月17日から21日までのカールスルーエで開催された第91回カトリケンタークにも貸切りバスを連ねて参加しました。 また反極右抗議デモにも。

若者ばかりでなく、 かなり高齢のシスターたちが外国人労働者、 特にルール工業地帯を含むウエスト・ファーレン州では、 今も流入するポーランド人のための施設で、 生き生きと働いているのが目につきます。

このことは、 とくに関係はないでしょうが、 ケルン教区では1992年に2人の補佐司教が5月と9月に叙階され、 6月には28人の新司祭が叙階され、 14人 (既婚者12人、 独身者2人) の助祭が叙階されました。 この25年で、 ケルン教区の永久助祭は225名になります。 (完)

編集部から

●教区ニュース100号は題字も新しく、 読みやすいと大変好評で、 編集部一同支えられ励まされながら、 今年も皆様とともに歩んでいきたいと思っています。 ご意見、 情報等どしどしお寄せ下さい。

●高円寺教会の録音奉仕グループの方達が 「聖ルチア会」 と改名し、 教区ニュースを毎号心をこめて朗読し、 目の不自由な方達へ送っていただいています。 なお「聖ルチア会」のことは、 郵政省告示官報第1068号にも載っております。

テープご希望の方は、 編集部まで、 ご連絡下さい。

●昨年の 「東京教区広報の日」 には、 神田教会に集まられた各小教区の広報委員の方々と、 充実した研修会を持ちました。

今年は、 どのような内容で実施するかを、 小教区報担当者の方のお知恵を拝借することにしました。 3月中に皆様のもとにアンケートをお送りいたしますのでご協力をお願いいたします。