お知らせ

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東京教区ニュース第98号

1992年12月01日

小教区等に対する建設支援制度実施へ

10月20日、白柳大司教は、司祭評議会、財政評議会の審議の答申を受けて、来る1993年度の「小教区等に対する建設支援制度」の支援先を決定した。3小教区へ融資1億1千万円、また3小教区へは、1300万円強の支給支援が実施される。

経済自立と支援

この制度は、昨年の大司教の「東京教区の財政の現状と展望」と題する教会財務連絡会での所信表明にも予告されていた(本誌昨年12月号)。教区民の1人ひとりが意識的に教区の財政を支えることの必要性とともに、教区本部でも体系的に、福音宣教活動の促進、司祭・職員の福利厚生の充実、会計制度の確立等の課題に取り組む必要を訴え、経済自立元年を呼びかけていたが、本制度は教区が土地売却、再開発で、定期的な収入源を確保できたので、基金を設け、小教区の建設・改築の際に一定期間無利子で融資し、小教区発展の一助にという趣旨によって制定された。

本年2月に公表された運営内規は、「小教区等の建設・増改築などは従来どおり、教会の発展を祈る信徒たちの善意の自助努力によって解決していくことを原則とする。しかしながら、近年の東京圏の地価・建設費の高騰などから、信徒たちの自助努力も大きな経済的困難を伴うことが多い。そのために、教区本部としても、こうした小教区等を最大限に支援し、併せて教区の発展に直接的・計画的に対応し得るように」この制度を発足するとうたっている。

融資を原則に

本制度は多くの小教区を支援するために、資金の融資を原則としている。3年据置き、その後3年で返済してもらう資金であるが、無利子で提供することによって小教区を支援しようという方法は、21世紀に向けて建設・増改築の必要に迫られる小教区の多さを物語っている。特に経済的な困難にある小教区等、また非常の事態には支給する資金を設けてはいるが、これは長期的な計画を立てられない、既存の老朽化があまりにもひどいという小教区に実施される予定。

予告制

本制度は、予告制を重要視している。多くの小教区が順序よく効率的に融資を受けられるように、融資希望年の前々年中に「予告書」を、前年9月末日までに「申込書」を提出するように規定している。これによって小教区に長期的な建設計画と資金繰りを促し、また、教区本部も実現に向けてアドバイスを早目に始められるという利点がある。

本年は実施開始年であるためこの予告が免除されたが、申込の中で2小教区は本年完了済の工事への支援申請であったためこの主旨との調整がつかず、今回の実施は見送られた。したがって、1994年度に支援を希望する小教区等は、本年12月末日までの「予告書」の提出が必要条件となるため、教区会計室では留意を呼びかけている。

教区プロジェクト

また本制度は、教区本部の直接的なプロジェクトのためにこの基金の運用を定めている。小教区の新設など教区本部としての直接的な建設計画を立案、実施する、つまり教区全体の発展のためという目的のために開かれている。

この方針のもとで、司祭評議会、財政評議会は、多摩小教区の移転新設のための土地購入を審議し、その答申に基づいて、大司教は土地の購入を決定した。本年5月5億円をかけて多摩市に用地を得たことを報告するとともに、聖堂を建設するために最大の努力を始めた多摩教会のために全教区民のお祈りをお願いしたい。

東金教会 支給2,735千円
鴨川教会 支給876千円
成田教会 融資50,000千円
茂原教会 〃 20,000千円
町屋教会 支給10,000千円
市川教会 融資40,000千円

1993年度支援総額123,611千円

(教区本部事務局)

教会経済について真剣に討議 第3回教会委員研修会

「小教区の教会奉仕に備えた信徒の養成」を目的として、教区生涯養成委員会が企画した教会委員研修会も第3回を迎えた。今回は「教会経済について」をテーマに、11月2日〜3日、五反田の東興ホテルで、217教会、51人の教会委員が出席して開催された。1日目、白柳大司教は、教会の経済について、イエスの時代から、現在の東京教区の現状までを、歴史的に展望し、東京教区だけでなく、それぞれの小教区に対しても、経済的に自立する姿勢をと訴えた。2日目、門馬邦男神父(関口教会主任)は、「小教区財政」について「キリスト教の教えの視点で、経済的負担をするべきであることを認識しなければならない」と1人ひとりの意識改革を求めた。

分かち合い

白柳大司教、門馬神父の講演の後、参加者は6グループにわかれて分かち合いを行った。分かちあいのテーマは、
1A・1B:教会建設のための長期計画と資金について
2A・2B:教会維持費増加のための具体策について
3:教会の管理、運営、財政について
4:各教会の財政上の問題の分かち合いについて、教会財政を豊かにするための対策について、教会財政の各小教区の分担制度の問題と教区への援助をどうおもうかであった。

主な意見を拾ってみる。

●信徒会館等の簡単な修理でも資金計画が必要である
●建替費は、通常の維持費とは別枠で、教会も自分たちの資産であるから、周到な計画で管理すべきだ。
●教会を維持するためには、信徒は、信仰のあらわれとして、教会維持費を出すよう呼びかける。
●教会維持費の振り込みを行っている教会もある。
●教会の管理費、運営費等は教区レベルでの情報提供が必要である。各小教区の自主性を尊重しつつ、情報の蓄積、データベース、は教区レベルで。ソフトの共有化も含めて考える。
●維持費は何のために必要か、小教区の独立採算制は?
●バザーは目的は?バザーの収益は教会財政に組み入れないところも見られる。

続いて、福川正三氏(麻布教会信徒)が「小教区支援制度と融資制度について」説明し(関連1面別項)終わりに、森司教が、本研修のまとめに「小教区の教会財政を豊かにするためには、目的の明確化が必要であること、地域共同体としていかに教会がかかわっていくか」が今後の課題であると述べて研修会を終えた。

リーダー研修会 クリスマスにむけて70余名が参加

教区教会学校委員会主催のリーダー研修会が11月1日、関口教会新館ホールで行われた。今回のテーマは「クリスマスにむけて」、講師は幸田和生師「子どもと共に捧げるミサの工夫」、中能孝則氏「クリスマス会・ゲーム講座」、晴佐久昌英師「子どもたちに伝えたい主の降誕の福音」であった。

関口教会日曜学校の若手リーダーである私は、当日の朝、ある人から頼まれる形での消極的参加?テーマも知らず、ついでに遅刻のおまけつき。「何かを学び取るゾ」という意気込みで参加された他のリーダー70余名に比べ、かなりの不心得者だったに違いない。

幸田和生神父の話は「子どもと共に捧げるミサ」の工夫について。普段、何気なく節目ごとに子どもミサを捧げていた私たちにとっては、いきなりの”衝撃波”といったところ。例えば、大人である私たちでさえも十分でないミサへの準備を、子どもに徹底させていたり、「踊るミサ」をはじめとして、子供自身の信仰の表現をさまざまに工夫してミサの中に取り込むなど、その話たるや、驚きと喜びの連続だった。中でも、初聖体を受けていない子や、受洗していない子のために、ミサとは区別した上で、手づくりのパンで「祝福の儀(食卓)なるものを試みた」との話には感激!「私は普通の子だから、パンはいただけないの」と、いつも淋しげに話しかける子どもの顔を思いながら、是非私たちも試みたいという意欲が沸いてきた。-私たちはどんな工夫ができるだろうか-。頭の中はいつの間にかそんな考えで大忙し、いつもは退屈そうなミサ中の子どもたちの顔が、喜びや、感謝の笑顔に変わっていくような気がした。ミサの話でいろいろと考えさせられた後は、中能氏による「クリスマス会・ゲーム講座」でリフレッシュ。お金をばらまきながら踊るリーダーや、勢い余って尻もちをつくリーダーも出現。みんなが1つになってさわやかな汗をかき、新しいレクリエーションに興じた。ゲームでの大切なことは、「子どもの期待を裏切らないこと。そして、本当に子どもと一緒になってゲームを親しみたいという気持ちを持つこと」!近頃、子どものノリが悪かった原因はこれかなって思うと、子どもたちとゲームをしたくて仕方がなくなるあたり、気が早いというか何というか…。

そして最後は晴佐久昌英神父。「子どもに伝えたい主の降誕の福音」と題して、いのち、出会い、愛、希望という4つのプレゼントについて。思わず涙(?)してしまいそうな話もあり、とってもやさしい気持ちになった。初めは気が進まずに参加した不心得者のリーダーも、いつの間にか、新たな希望と熱〜い思いで胸いっぱい!子どもたちと一緒に神さまのすばらしさを分かち合っていきたい…。いつの間にか心のポケットから落ちそうになっていたこの大切なものを、後ろから肩をたたいて気づかせてくれた-、そんなリーダー研修会だった。(K・T)

ズームアップ 83才千葉大樹師再びブラジルへ

1909年生まれの千葉師は、当年83才。半年の日本での休暇を終えて、再びブラジルへ。ブラジルの地で宣教司牧を始めて21年になるという。ブラジルの司牧に生涯をかけてきた師の気持ちは、高齢になっても少しも揺るがない。「疲れやすくはなりましたが、体は大丈夫!」と言い残して、10月の末再びブラジルに向けて旅立った。

この4月、4年ぶりに帰国。大司教館を拠点として、日本全国の知人、友人、教会を訪ね、ブラジル宣教司牧に対する理解の輪をひろげてきた。

また、若い司祭たちに向かってはブラジルに来て自分の仕事の後を継いで欲しいと要望。「現地の言葉がわからないから」という司祭たちには「言葉の心配はいりませんよ。日本語で十分です。」とあっさりという。ブラジルで生活する邦人信徒数は日本よりもはるかに多い。千葉師の司牧の主な対象はそうした日本人信徒たちである。

第14回福音宣教についての話し合い

森司教講演 家庭の現実から福音宣教のあり方を探る

10月18日(日)午後2時から、目黒アンセルモ教会で、森一弘司教が、ナイス2の課題「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」のテーマで講演を行った。東京教区城南ブロック会議主催、城南ブロック宣教委員会企画による「福音宣教についての話し合い」の第14回である。城南ブロックをはじめ東京・横浜の近隣から参加した約80名を前に、森司教はまず、最近の国民意識調査を例に挙げ、「一番大切なもの」として40%が家族、「一番信じている存在」として53%が夫が妻と答えている日本人のマイホーム主義の現実を指摘された。

次に信仰の原点を問い直す必要を強調され、創世記にさかのぼって「飢え渇きを癒し、同じ平面に立って助け合うことのできる助け手」として最もふさわしい伴侶を、創造主が与えられた意味を説明された。

しかし現実の家庭は、経済発展中心・偏差値第一の高度成長社会に巻き込まれ、仕事に疲れ切って歪んだ家族、家族であって家族でない希薄な家庭、孤独感に耐えられない家庭のない家族が増えている。それだけに一層、金銭では買うことのできない無償の「家族のきずな」を現代人は大切にしようとしている。人間としての真の出会いを求め、面と面とを向き合わせて助け合える真の伴侶に飢え渇いている現代人に応えることこそ「福音宣教」にほかならない。司教団が「家庭」を福音宣教推進全国会議のテーマに選んだ理由はそこにある。それは現代の日本の社会構造へのチャレンジでもある。私たちと共にいて、飢え渇きをいやす真の助け手であるキリストのメッセージを、今教会が日本の社会へどう伝えるかが問われている。

おおむね以上の講演の後、森司教は会場からの質問に答えて具体的なアドバイスを与え、予定を20分超過して話し合いは終了した。

なお当日の講演の記録は、近く城南ブロック宣教委員会から頒布される予定である。

企画に当たった「城南ブロック宣教委員会」は、聖心侍女修道会のシスター大木の発案で、約20年前から大森・蒲田・上野毛・洗足・高輪・田園調布・碑文谷・目黒の8教会の信徒が毎月集会をもち、「心のともしび」などの配布文書を各母体で手分けして手渡しする文書伝道活動を続け、また年1回の講演会の企画運営を行なってきた。

■カトリック東京国際センター所長交替
西川師より粕谷師に
所長西川師が辞意を表明したため、後任として粕谷甲一師が任命された。(10月13日付)

■気象台長より教区に感謝状
11月6日、大司教区に東京管区気象台長より感謝状が届けられた。

これは、昭和61年11月の伊豆大島の三原山噴火の際、山上近くにあった測候所が危険で使えなくなった時、教区が大島教会の敷地の1部を仮測候所設置のために提供したことに対するものである。

滞在外国人の医療を考える 第2回C-TIC主催シンポジューム

10月17日(土)午後2時から、信濃町の真生会館で、カトリック東京国際センター(C-TIC)主催シンポジューム「滞日外国人の医療を考える」が開催された。今回は、C-TICとしての第2回目の公開シンポジュームで、前回(7月18日)に引き続き、建前よりも、実際に何ができるかを基調としたシンポジュームであった。

メディカル・ソーシャルワーカーとして20年以上経験を持つ都立墨東病院の大山敬(たか)子さん、慈生会病院で看護婦の任務に当たっている小野寺シズ子修道女、聖母病院の国際カウンターで多くの外国人の相談にのっている谷口和子修道女の3人がパネラーとして、現状報告を兼ねて貴重な問題提起を行なった。

まず、大山敬子さんの発題。最近になって、外国人、特にアジアの国から来られた方と南米から来られた方の医療ケースが急増している。この方々の大部分が滞在許可を持っていない方で、そのために、医療保健に加入していないために、医療費がすべて自己負担になり、驚くほど高額になっている場合が多い。保健に入っている日本人からすると大したことのないような手術でも、たちまち、50万百万円となり、本人の負担能力をはるかに越えてしまうことになる。

たとえ病気にかかっても、病院に行ったら、滞在許可のないことがわかってしまい、通報されるのではないかという心配から病院に行かず、町の薬屋で売薬を買い、何とかなおしてしまおうとする。よく分からないままに何種類もの薬をのんでしまい、そのために病気を更に悪化させてしまい、もうどうしようもない状態で病院に連れて来られるケースが多い。つい最近、売薬の複合作用で12指腸潰瘍にかかって運び込まれた方がいたが結局、単なる風邪が3百万円以上の治療費を要する病気になってしまっていた。

根本的には、そういった外国人に対し、少なくとも、一定の労働に就いている場合には医療保健に加入し、それで治療を受けることが出来る道を国がつくっていく事が不可避の状況になっている。しかしそればかりも言っていられないので、実務者レベルで現行の法規をフルに活用して、打開の道を模索している。

シスター小野寺は看護の立場から、シスター谷口は通訳として相談にのっている立場から、外国から来られた方と一緒になって解決方法を探していくことの可能性を強調し、国籍人種を乗り越えて、違いを大切にしながらも、人間が手を取り合えることを知るときが来ていることを力説したのが印象的だった。

(西川哲弥神父)

第5回 福祉の集いミサと講演の分かち合い -参加者87名に-

福祉活動を通して、地域に開かれた教会づくりを呼びかけてきた、教区福祉委員会、地域福祉活動推進小委員会が主催する「福祉の集い」も第5回を迎えた。
「福祉バザー」「大司教と語る会」等、毎年工夫をこらした集いを開催しているが、今年は、Sr.寺本松野(聖母女子短大教授)の講演会と分かち合いが行われた。
第5回「福祉の集い」は10月22日、カテドラル構内で行われ、87名が出席した。講演に先立って、当委員会担当の司祭たちの共同司式で捧げられたミサの説教で、白柳大司教は、福祉活動に携わる参加者に対し、「私たちの愛の源は、神から愛されていることです。神の慈しみを人に伝えられるよう祈りましょう」と呼びかけた。
Sr.寺本講演テーマ 生きることと死ぬこと-病人とのかかわりの中で-
長年看護に携わり、看護短大の教授でもあるSr.寺本は、「先頃、自分の死について考え、原稿を書いたらとてもすがすがしい解放感が得られた。皆さんにも今日は、その解放感を味わって頂きたい」と述べ、壮年期に癌でなくなった4人のケース・スタデイを通して、参加者が自分の死について、考えるよう促した。また、従来看護の上でのタブー語とされていた「甘え」「神経質」「わがまま」についてもふれた。さらに、壮年期はたくさんの死に遭遇し、(1)たましいの深みからくる人間関係をつくる(2)社会参加(ボランティア)(3)男女の役割(4)死についての準備を深く考える時期であると結んで講演を終えた。
センターホールに場所を移し、6つのグループに分かれて自由なテーマで分かち合いが行われ、(1)小教区の福祉部の現状(2)病人の痛みに(4)どのように死をむかえたか(5)共同体でのいろいろな体験(6)高齢化社会について…等について話し合われた。最後に、委員会担当の塚本伊和男神父がまとめにNICE2に向けて今後の予定を説明して集いを終えた。

初の「特別聖体奉仕者養成コース」行われる

カトリック儀式書「ミサ以外のときの聖体拝領と聖体礼拝」が発行されて以来、既にいくつかの司教区、小教区や修道院において、司祭でない信者の手によって、おもに病人への聖体の運搬授与などが行われているが、このたび名古屋の日本カトリック研修センター(所長・野下先年ちとし神父)では、その従事者のために日本の教会公式の研修コースをもうけ、第1回を実施した。今後も年1回は行われるという。

研修の内容は、司祭を助けてのミサにおける聖体授与、ミサにあずかれない病者などへの訪問・聖体授与、司祭不在のときの主日の集会祭儀や聖体賛美式の司式についてである。今回は新潟・大分・鹿児島・那覇を除く12司教区から、既に従事している者、共同体から派遣された者、個人的に理解を深めたい修道女・信徒と幅広く、定員をはるかに越える41名が受講。東京からは信徒3名の参加があった。

研修は10月9日(金)午後4時に始まり3泊4日、講義では高松教区深堀司教(担当司教)による「信徒の奉仕職について」、イエズス会のネメシェギ神父の「聖体の秘跡について」、聖霊会のシスター大島が40年の体験を語る「病者に対する心構え」、センター所長野下神父の「司祭不在のときのことばの祭儀と聖体拝領」を聞く。

その間「聖堂で聖ひつを開き聖体を授ける」「誰に聖体を授けるのか、授けるか否かの判断」「聖体器の洗浄法」「病者への聖体授与」「病者への聖体の問題点」「特別聖体奉仕者の生活態度」の実習と分かち合いが行われ、スケジュールがいっぱい。

朝晩の祈りも、テゼ方式や「教会の祈り」、信徒の司式による聖体賛美式と普段なじみの薄い形式を味わい、最終日は総仕上げを兼ねて修道女・信徒の両形態聖体授与奉仕をともなう派遣ミサ(写真)で締めくくられた。

コース終了者には終了証書が交付されたが、当然ながら信徒の特別聖体奉仕には、従事する教区の司教あるいは小教区の主任司祭からの任命を待たなければならない、その教区・小教区を越えて従事してはならないなど、研修センターは注意を喚起している。

青年ネットワーク事務局だより

青年ネットワークから「みのるか」廃刊のお知らせ

青年ネットワーク事務局で毎月発行していた情報誌「みのるか」を、皆さんご存知でしょうか?東京教区の青年をむすぶ情報誌として発行されていましたが、このたび、残念ながら廃刊の運びとなりました。その事情に関して教区ニュースの紙面をお借りしてご説明したいと思います。

そもそも、「みのるか」が産声を上げたのは、今から2年半ほど前のこと。

「第3回青年一泊交流会(略称・泊流)」が終了したときに、参加者の中から「泊流」で感じたことを形に残したいという声が持ち上がり、一冊の文集となって誕生したのが初代「みのるか」です。その場かぎりの出会いをもっと深めたい、つなげたいという気持ちが込められていました。

その後、初代「みのるか」の編集に携わった人や「泊流」にかかわった人たちが集まって「東京教区青年ネットワーク」が誕生し、発行する情報誌に「みのるか」の名前が継がれたわけです。(当初、4号まではBULLETINの名称でしたが、5号より「みのるか」となりました)

「みのるか」を編集した意図は、主に3つあるでしょう。

1つは、教区青年をネットワークでつなぐため、しいては、個人と個人を結ぶ橋渡しです。

2つ目は、教区内で様々な青年の活動が行われていることを広く知ってもらうことと、相互の情報交換。

3つ目は、1人ひとりの読者の内的活性剤となることでした。当初は、「泊流」参加者全員にダイレクトメールでお送りしていました。しかし、その数は回を重ねるごとに雪だるま式に膨れ上がりました。その一方で、編集者は数名、わずか3〜4枚の刷り物ですが、毎月発行するためには相当な労力を必要としました。原稿依頼、取材、原稿書きから、編集、印刷、製本、封筒詰め、住所シール貼り…と追いまくられていました。

予算にも限られたものがあります。意気込みはあっても、作業が追いつかない状態でした。手塩にかけて育ててきた「みのるか」をやむなく廃刊にすることは、とても辛いことです。そこに、私たちの活動の限界も感じます。仕事や義務感ばかりが積もる状態でした。しかし、「みのるか」は消えても、その精神はなくなることはありません。まかれた種は、これからも豊かに実っていくことでしょう。

2年間の間、支えて下さった皆様に感謝の意を表します。ありがとうございました。

志村教会 創立25年を祝う

城北ブロックの勤労者聖ヨゼフ志村教会(在籍約3百30名)は11月8日、白柳大司教を迎え、歴代司祭・近隣教会を招き創立25周年を盛大に祝った。

有名な高島平団地の東に位置するこの教会は、聖フランシスコ会のゴールドマン神父(当時板橋教会主任)らのきもいりで昭和42年の暮れに発足、初代主任はいま病に伏す徳川泰國神父。周囲は町工場や商店が混在する住宅地帯で、現主任司祭オリビエ・シェガレ神父(パリ外国宣教会)のことばを借りれば「生活の香り高い教会」といえる。近隣の立正佼成会分会からも代表数名がミサに参加、祝賀会で「餅つき臼の大きいのがあるから次のバザーでお使い下さい」と挨拶するほほえましい光景が見られた。

シリーズ外国人共同体を訪ねる

第3回イエズス会三木ハイムの中国人共同体

西武線鷺宮駅を降りて、四季の花木に囲まれた河川沿いの小道を6分程歩くと、落ちついた住宅街の一角に「イエズス会中国センター」があります。

センターの始まり

センターの始まりは、4年前にディータース神父、シスター土屋が中国語圏の信徒を集めてつくった中国カトリックコミュニティです。その後仲間が仲間を呼んで広がり、日中国交正常化20周年の今年9月には、イエズス会日中両管区長の承認をいただいて、日本と中国2つの教会を結ぶジョイントプログラムとしての架け橋の役を担うようになりました。

センターの現状

現在、センターのリストには信徒・求道者合わせて3百名が名を連ね、その出身地も中国(大陸)・台湾・香港・マレーシア・シンガポールと全中国5圏にわたっていますが、母国を離れて暮らす中国のかたたちにとって、ここがこれからどのような橋の役目を果たせるか、目下の課題です。

センターの三本柱

その橋を支えるセンターの三本柱は司牧・文化・生活。

第一の柱は、教会生活の大黒柱である司牧の面で、私たちはミサ、信仰講座、個別の霊的指導等を中国語で行っています。

ネイティブのように中国語の冗談を交わすフランス人のコシーニ神父は、とても活動的です。留学生が病気になり、1人アパートで苦しんでいると知るや、霊身両面のレスキューに駆けつけたりと、文字通り、中国人信徒の日本での「父」となりつつあります。

文化面では、日中の宗教書、音楽、ビデオ作品を集めた図書室と視聴覚コーナー等を充実中で、情報センターとして、また気楽にやって来てはくつろげるような文化的スペースにしていきたいのです(日本のかたの為の中国語、中国文化講座も企画中です)。

生活面に関しては、外国人が日本で日々直面するさまざまな問題を気軽に持ち込める場所として、相談窓口を開きました。相談の内容は、アパート捜し、アルバイト先の賃金踏み倒しに人権侵害と、深刻なトラブルに及んでいますが、海外からの相談もあって、台湾の宗教番組の日本ロケのお膳立て。北京の神父に日本製の血糖値測定器をお送りするお手伝い等、ユニーク(?)な依頼も。そうした事がきっかけとなったり、信徒に連れられて、最初はミサ後の食い改めなる茶話会が目的で来始めたかたが、受洗するという感動的シーンにぶつかることもあり、窓口は何でもいい…神様に出会うのであれば、という言葉を思い出します。日本と中国、双方の出会いの場としても、センターは架け橋でありたいと思っています。

東京在住の中国のお友だち、中国文化やカトリックに興味をお持ちの日本のお友だち、皆さんを歓迎します。私たちのセンターへ来てください。

ちょっとおたずねします イエス様がお生まれになった年は?

Q、 西暦の1992年という数え方はイエス様がお生まれになってから1992年たったという意味のはずですが、聖書にはイエス様が何年にお生まれになったのかはっきりと書かれていないように思われます。イエス様のお生まれになった年がどのようにして分かったのでしょうか。

A、 おっしゃるとおり、イエス様がお生まれになった正確な年は実はよくわかっていません。西暦紀元元年にはお生まれにならなかったと断言することももちろんできませんが、しかし、もっとも可能性の高いのは西暦紀元前4年から7年の間ではないかと考えられています。それは、ヘロデ大王の死が紀元前4年なので少なくともそれ以前だったろうということ、また、シリア総督クレニオの時の人口調査が紀元前6年だったこと等に基づいています。西暦紀元には数年の誤差がある可能性がきわめて高いわけです。

それでは、どうしてそのようなことになってしまったのでしょうか。それはまず、イエス様の誕生を紀元元年とする数え方の始まったのが実に6世紀になってから、すなわちイエス様がお生まれになってから500年以上もたっており、さかのぼって正確な年代を確定するのが非常に困難になっていたからです。それに加えて当時の学者が、ローマ皇帝ティベリウスの在位15年のときイエス様は「およそ30歳」だったとルカ福音書に書かれているのに、「ちょうど30歳」だったとして誕生の年を逆算してしまったからだと言われています。

しかしながら、このようなあいまいさによって西暦の価値が下がってしまうわけではけっしてありません。それは、人類の歴史にとってもっとも大切なこと、つまり、人類の歴史上キリストの出来事が最大の出来事であること、それで人類の歴史はキリストの前の時代と後の時代とに二分されるということを、この数え方が教えてくれているからです。BC(英語で「キリストより前」)、AD(ラテン語で「主(キリスト)の年」)という2つの略号がこのことをよく表しています。

西暦とは西洋の暦という意味ですが、根本的には「キリスト教暦」なのですから、わたしたちキリスト者は毎日の生活のなかでもっと積極的にこの数え方を使っていくべきではないでしょうか。そして、19××年と書くたびに、また言うたびに、心のなかで、キリストがお生まれになってから、とつけ加えるように心がけることをお勧めしたいと思います。それは必ず生活のなかでの短い祈りのようなものになっていくはずです。

(山本量太郎神父)

教会・修道院巡り(21) 『大森教会』

アルベルト・ブルトン師は、アメリカ合衆国在留日本人の宣教にたずさわっていたが、再び日本国内で宣教を行うため、帰朝した。

レイ東京大司教は、品川と横浜間に教会がなかったので、その付近に教会をつくるよう希望した。ブルトン師は大井町に、大阪の事業家の援助で社宅を無料で借り受けた。1921年8月28日、訪問童貞会(後の聖母訪問会)の2名の修道女と共に幼稚園、医院を開設し宣教活動を開始した。小さな聖堂のミサには、近所の信者が集まった。

修道会の発展に伴い建物が狭くなったので、省線大森駅と京浜電車八幡駅に通じる目抜き通りに面して土地を購入した。

1928年、聖堂と修道院が完成した。2月5日、日本26聖人の祝日に、教皇使節ジャルジニー大司教によって、盛大な献堂式が行われた。新聖堂は両角に、高さ17メートルの鐘楼を持つゴシック式の素晴らしい建物で、震災後急激に発展した大森の町中で異彩を放っていた。献堂を機会にもっと町民と接するため、岩下荘一師、カンドウ師を招いて講演会も行った。

1937年、大森教会の司牧が完全に邦人司祭に委託されると、教会管理も聖母訪問会から離れ、聖マリア医院は七里ヶ浜に移った。

京浜工業地帯に属する大森には軍需工場が多かった。兵器増産のため、地方から上京する信者の青少年の増加が著しく、荏原教会と蒲田教会が設立された。

しかし戦況が厳しくなるにつれ、教会活動は難しくなった。京浜地帯は疎開区域となり、空襲も激しくなった。

1945年5月29日正午近く、一帯はB29爆撃機の焼夷弾集中攻撃を受け、ゴシック建築の聖堂は、付近の民家と共に焼け落ちた。聖堂は3日間燃え続け、鐘楼の鐘も熱で溶けた。

近くの埋め立て地に捕虜収容所があったが、当時主任司祭であった下山神父は、捕虜たちの救霊のため収容所に通い続けた。終戦後、開放された捕虜たちは本国に帰り、日本の教会復興のため多大の援助をした。大森教会は、戦後復興した東京教区第一番目の教会となった。

戦後の混沌とした中で、青年たちに活動の場を与えるため、レジオ・マリエとJOCが結成された。幼稚園、ボーイ・ガールスカウトも設立され、子供たちの教育にも力が入れられた。

創設50周年を記念して、新聖堂が1972年完成したが、大通りに面するこの教会は、人や車が絶えずその前を行き来し、人目につく。あわただしい生活の中で、今日も教会の存在に気づく人々に、キリストの光を輝かし続けている。

〒143大田区大森北2-5-11 TEL3761-5047

’92 環境ミニフォーラム -創られたものと共に生きる-

10月28日、聖イグナチオ教会において、”遅ればせながら環境!の会”主催の環境ミニフォーラムが行われた。環境問題に取り組んでいる、あるいは関心を持っているキリスト者が集い、キリスト者としてなぜ環境問題に関わるのか、その信仰を分かち合い、それをきっかけに活動を支え合うネットワークを広げようと企画されたものである。

ニコラス神父講演 創られたものと共に生きる

始めにアドルフォ・ニコラス神父(イエズス会神学院長・上智大学神学部教授)により、「創られたものと共に生きる」というテーマで講演が行われ、その中で次のように語られた。

神の創造の御業は今もなお永続的に続いているものである。創造されたものであると同時に私たち人間は神の創造の協力者としての役割を担っている。私たちが利己主義的な態度で大自然を壊すとき、神の創造を妨げている。

地球の歴史、地球環境のあらゆる要素が現代の人間の構造に深く関わっている。身体、自然、地球から切り離されての私たち人間の存在はありえない。地球の歴史は私たちの歴史であり、同時に聖書によれば、キリストの歴史である。

パンとぶどう酒をキリストの体として祝う聖体祭儀は、モノの中に神の奥義が実現される秘跡。共に創造に与かるものとしての自然に対する感覚を、私たちの生き方の中に取り戻していく必要がある。
続いて現場からの声として、3人のパネラーが報告。まず、教会を回収の拠点に、7年間リサイクル活動を続けてきた鈴木典子さん(荻窪教会)。

パネラーの報告

「ものには命がある。リサイクルすることで、別の所でその命がよみがえり、新しい使命を生きることができるのはすばらしいこと」と語った。

日の出町ゴミ処理場問題に関わっている田村みさ子さん(五日市教会)は「行政は環境よりもお金が優先。しかし、ゴミ処分場が次々に必要になるのは、大量生産、大量消費、大量廃棄という風潮があるから」と発言。

第3世界の環境とODAの関係を調査し、活動を続けている清水靖子さん(メルセル会)は第3世界の国々からバージン資源を輸入したほうが安くつくという構造があるかぎり、日本の企業は外国から資源を奪い続けるだろう。太平洋地域で丸太伐採をしつくした日本企業は、今度は地球環境の名目で、植林を行っているが、その実態は第二の収奪に他ならない。そしてそれを支えているのは、日本のODA。この構造の中で、私たちは第3世界の貴重な森林を奪っている」とスライドを交えて報告した。
経済成長が人間の成長だと思うメンタリティが私たちの生き方、文化全体に影響を与えている。私たちがそれぞれに与えられた場において、新しい意識で新しい世界、新しい関係をともにつくっていくことこそ、福音的なあかしとなるとミニフォーラムは締めくくられた。

投稿 よわい豊かに

私は去る10月6日より9日までの「シルバーコース」、65才以上の人の集まりに参加致しました。
第3の人生を、これまでの経験を生かして社会と教会の中で有益な人生を送るためという事であり、赤羽教会からは3名が参加致しました。

まずお互いの自己紹介に始まり、参加者は19名、北は北海道から鹿児島まで12教区の方々、小豆島の内海教会の岩永神父とシスター方7名、信徒が11名でした。私は友人と参加しましたが、この自己紹介の時から自分をしっかり表現しなくてはならないのです。全てスタッフの神父、シスター方の指導により祈りもロザリオ風またテゼ(詩編を唱え聖歌で祈る)など初めての体験でした。

第2日目から、自己を発掘して生きる喜びを見つけ、自分の過去を語り合ったり、また参加者の方々の話を聞いて感銘をうけたり、それぞれの人生をある「物」にたとえ、イメージ化して考え(心理学的方法)て、各々のこれからを話し合いました。

また映画鑑賞では「晩秋」を見ての感想をグループごとに話し合いました。

このように分かち合いを進め、自分に必要なものを汲みとる心の作業です。「人生の完成を目指して」という寺田神父のお話は、死の悩み、愛による救いについて等で、分かりやすく話して頂きました。
晴天の1日センターを出て、昭和の森公園での野外ミサ、ラドン温泉での行楽もとても気持ちの良い思い出となりました。

自分たち老人が現在、社会や教会で行っている役割りについては次のような事が発表されました。ミサに来る新しい顔ぶれに声をかける、米一合運動等の救済支援、一般信者を対象とした人生講座、目の不自由な人への聖書の奉仕、バザーの作品作り、葬儀の手伝い、教会の掃除などたくさんの発表があり、私も少しでも何かお役に立ちたいと思いました。一面識もなかった皆さまとも親しくお話しできるようになり、これからの残りの人生の生き方を学び、参加してとても良かったと別れを惜しみながらセンターを後にしました。

(赤羽教会 滝沢まり)

編集部から

百号を記念して題字や紙や印刷の色などを工夫しようと編集部は大張り切りです。余りアイデアが行きすぎると皆様の苦言がありそうなので、そのへんのサジ加減が難しいと思っているところです。新しい紙面が皆様に楽しんでいただけたら編集部のやる気も増すことでしょう。

来年は、いよいよNICE・2が長崎で開催されます。東京教区でもNICE・2準備委員会の方々を中心に準備が進められているようです。皆様に少しでも関心をもっていただけたらと、NICE・2クイズを編集部で考えました。皆で問題を出しあったのですが、答えがわからない・・・・といったこともありまして、6面のような三択形式になりました。どうぞふるってご応募下さい。

重ねてお願いですが、行事、企画等お知らせを下さる時は、お早めに。教区ニュース発行日には行事が終っているので、ボツにせざるをえないことがあり、とても残念に思っております。