お知らせ

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東京教区ニュース第4号

1973年06月01日

共同体意識高める教会報-「広報の日」座談会 宣教活動の推進役 親ぼく、意志疎通はかる

教区の共通問題も掲載

6月3日は「広報の日」。あすの東京教区を築いていくにも、まず私たちはおたがいの意志の疎通をよくしなければならない。相手を十分理解していなかったために、つまらぬ誤解をしていることがある。教会内の信者同志が親ぼくを深め、教区という共同体の意識を高め、宣教活動を広げていくためにも、ぜひおたがいのコミュニケーションをよくする必要があろう。そこで本誌編集部はこのほど、各小教区で活躍している教会報担当者に集まっていただき、教会報の現状や日頃の苦労についてきたんなく話し合ってもらった。ほとんど月1回定期的に出しているところばかり。教会報は信者の親ぼくに大いに役立っているが、実際の仕事は1人ないし2人とごく限られた人の努力に支えられていることから、もっと多くの人々の協力がほしいこと、などが明らかになった。以下はその要点である。

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内部の広報が主眼

-まず編集方針とか目的についておうかがいしたいと思います。
A.目的は二つあります。一つは教会内部のコミニュケーション。つまり信者の交流のためです。まあ共同体意識を高める手段といいましょうか。もう一つは信者に典礼を徹底させるためで「今月の典礼」という欄をもち、典礼の神学的な意味を理解してもらっています。一般にお知らせ記事と過去のことより2ヶ月ぐらい先のことを予告するというかたちを取っています。
B.うちの教会の機関誌は月2回ですが、やはり教会全体のお知らせとか婦人会などの各会の動きをのせるのが中心ですから、信者同士の意志疎通が目的といえましょう。
C.創刊が1941年とかなり古いのですが、第2号の創刊のことばに伝言など「信者の便宜」と「布教の一助」のためということが記されています。
D.やはり信者が必ず知っておいて欲しいことをのせていますから内部への広報というのが目的でしょうね。
E.一応は教会内の親ぼくですけど「おたくの教会はどんなところですか」と外の人から聞かれた時、さし上げられる内容という目的でつくっています。

-広報には信者同志という内部へ向けたものと、外へ向けたものの二通りあると思いますが、その点はどうお考えでしょうか。
F.外への広報には「教会報」を使っていません。別のメディアを使っているんです。つまり土曜学校には未信者のこどもがたくさん来ているわけですが、その父兄向けに月に2回お便りを出しているんです。
-なるほど。
G.教会報はあくまでも内部のものですね。外への呼びかけとしては、ビアパーティのさい、ご近所の未信者の父兄を無料でお招きしています。
H.教会報を外へ向けるのはやはり無理じゃないですか。カトリックの雑誌の中には外へ向けて編集しているものがありますが。

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青年会担当の八王子

-それでは次にみなさん方の教会報の内容とか体裁などについて紹介して下さい。
B.「みことば」を一番最初にもってきて、つぎに神父さんか信者が書くトップ記事。教会全体や各会のお知らせ、随筆、俳句、新刊書案内、信者の動静、教会会計報告などで4〜12ページ。月1回発行で800部刷っていますが費用はだいたい一ページあたり4000円くらいだと思います。
C.私たちのところは伝統的に青年会が教会報の編集を担当しています。神父さんの巻頭言のほか2,3の信者の生の声をのせています。そのほか小、中学生にも個人的にあたって原稿を書いてもらっているんです。しかしまだ教会報がみんなのディスカッションの場になっていないので、将来はそういう方向へ進みたいですね。

-ある教会の機関誌では、その教会のお知らせ記事だけでなく教区全体が現在かかえている問題をその教会として具体的にどのように受けとめていくかという観点の記事も掲載しているところがあるのですが、みなさん方はいかがでしょうか。
G.昨年からブロック会議の問題がいろいろでてきましたね。教会、教区の経済的自立の問題も一度原稿にしてのせました。
F.「教区ニュース」3号にのった財政問題を小教区向けにやわらかく書きました。
B.正直いって一般信者にとっては「教区ニュース」より自分の教会の教会報のほうに親しみがもてるわけで、「教区ニュース」に出た教区全体の共通の問題を、具体的に自分の小教区の場におろして考えてみないとならないでしょうね。たしかにそれを望む声があるんです。

きつい編集の日程

-具体的にお仕事をやってらっしゃってご苦労な点がいろいろあると思いますが。
D.私ともう一人お手伝いしてくださっている人がいるのですが毎月一回定期的に発行するとなると、編集、割りつけなどを一週間のうちにやりきってしまわなければなりませんので、念入りに検討している余裕がありません。
B.一番困るのは原稿が集まらないことですね。集まった原稿の分量をみてからようやくページ数が決まる始末です。一行何字の原稿用紙で書いてほしいとお願いしても、バラバラの原稿用紙で書いてこられるし、もう少し皆さん方の協力がほしいものです。
C.いままでこそ原稿がなくて困るということはありませんが、やはり以前はこまめにいろんな人にあたってお願いしなければなりませんでした。なかなか書いてくれないのがむしろふつうなんじゃないでしょうか。もし自分の立場で考えてみれば。例えばもともと文章を書くことが不得手だとすればやはり書きにくいにくいものですよ。なるべく広い層の人々にたえず声をかけて実績をつくっておくことが大切でしょうね。
E.うちの教会でも、いまでは原稿集めにほとんど苦労しませんね。神父さんのほかに信者でレギュラーの執筆者が1,2名おりますが、あとはできるだけいろんな人々に書いてもらっております。やはり読んでもらえるような編集のしかたが大切なんじゃないでしょうか。こどもたちの作品をたくさんのせていますが、やはり親がとても喜びましてね。自分たちの教会報という親しみを感じてもらえます。「自由におとり下さい」とはり紙をだしているんですがお金を入れていく方が多く,そのお金で一年分の印刷費が全部まかなえるのです。
A.原稿が多くてカットするので、なぜ自分の原稿を切ったと文句がでるくらいです。
C.書きたがり屋さんがいましてね(笑い)。署名入り原稿は一人一年に一回と決めてるんです。一人でも多くの人に書いてもらった方がいいでしょ。

ほしいみんなの協力  後継者づくりに一苦労

-原稿以外で何かご苦労な点はありますか。
B.後継者が問題ですね。若い人々に「やってみたら」とたまに声をかけてみるんですが、責任感とか地味な仕事に耐えるという点ではむずかしいですね。
G.主任司祭はもっとページをふやしてもいいとおっしゃるが、私たち忙しくて十二ページでかんべんしてもらっています。日曜日は昼間がつぶれるだけでなく。夜もおそくまで仕事をしなければならないことがあります。
I.たしかにスタッフ不足を大いに感じますね。後継者を育成しなければならないのです。
A.編集の仕事はただ頭かずだけ多ければいいというわけではありません。二人でやるにしても一人ははっきり責任者にならないとまずいです。
J.でも、原稿集めの段階ではやはり一人でも多い方がいいですね。

教会への声も掲載へ

-みなさん方の教会報への反響はいかがですか。
B.それがなかなかわからないのですよ。どれだけの人が読んでくれているのか。
D.どれだけの人に読まれているのか近くアンケートを取ろうと思っています。
-今後の抱負についてどうぞ。
A.こどものために役立つページをもちたいことと、一方的に教会から信者へのものを言うだけでなく、教会に対する信者の意見、要求の声も反映させたい。
I.教会で活動している人はいつも決まった顔ぶれですが、教会報を使って、新しい人々がどんどん活動に参加してもらうよう努力したいと思います。
-どうもありがとうございました。こんごともみなさま方のご活躍を期待致します。

献金、昨年は35万円
毎年「広報の日」に献金が行われているが、ここ数年の東京教区の献金額はおおよそ次の通り。
1969年、38万円/1970年、41万円/1971年、42万円/1972年、35万円。

ひろば 教区の広報活動

第二バチカン公会議に当たって、教会はまっさきに広報に関する問題を取り上げて、「広報に関する勅令」を公にしたことは周知の通りであるが、一昨年の広報の日を期して、この教令に関する司牧指針が、教皇庁の広報委員会から公にされた。
「広報に関する教令」の司牧指針は、教令を補則し、キリスト教的な立場から、社会的コミュニケーションの本質を説き、マスメディアが人類の進歩発展にどのように貢献することができるかを論じ、カトリック信徒のマスメディアに対する責任を強調している。その全文が、上智大学のキリスト教文化研究所の「教会とコミュニケーション」に関する演習に参加した、聖職者、修道女、神学生たちによって翻訳された。その訳文は目下、日本カトリックジャーナリストクラブのメンバーによって点検されているが、間もなく出版される予定である。
この司牧指針が、福音の伝え手として、カトリック信徒が社会的コミュニケーションを積極的に行うように説いている点は、特に、注目される。教会の広報活動を、それぞれの地域の実情に適した方法で行うためには、それぞれの教区で、広報に関する委員会を組織するように論じている。東京教区では、一昨年来、教区大会が開かれていたが、その第五部会では、広報問題が検討され、そこから教会広報についての具体的な提案が出されている。「東京教区ニュース」の発行も、その部会提案から生まれたささやかな実りである。この教区の広報活動をより積極的なものとするためには司牧指針の説くように、聖職者や信徒を一丸とした、教区の広報委員会を早急に結成する必要がある、と思う。
「広報の日」の行事はわが国では、他行事と重なるなどのために、あまり積極的に行われていなかったが、この種の委員会が結成されれば、第二バチカン公会議の精神をより効果的に生かす道を検討することもできるだろう。
(川中康弘)

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あした葉

特殊撮影の折りにも使われると思うが一種の拡大鏡を利用すると、模型が実物のようにうつったり実物が実際より大きくうつったりする。とりようによっては灌木の間を歩く猫も密林の間をさまよう虎のように見えるわけだ。こうなってくると虎と猫の見分けをつけるのがむづかしくなる。キリスト教についていろいろのことを知っている人は多いが実は信者の中にもこの虎と猫を判別出来る人は少ない。
なにをいうのかといぶかるむきもあるだろうが、神(キリスト)の教えを虎にたとえ、神学者や哲学者の学説を猫にたとえたまでの話だ。猫を虎と見まちがう理由はいろいろあるが、それらが古くていかにももっともらしく、教会側もこれをしばしば虎のように説いたということが大きな理由のようだ。それにまた数の上でもこの猫は大群である。これに比べれば虎は数匹にすぎない。私達は決して猫を虎と思い込んではいけない。自分の信仰の中でこの虎と猫とがごちゃごちゃになっていたら大変なことなのだ。自分にとっても他人にとっても損失が大きいと思う。
このごろではまたそれとは別に、猫を作ってそれを虎のようにいう人がいる。逆にいえば虎を猫の格まで下げてどうでも良いように取り扱っている人がいる。例えば、キリストは別に神であってもなくても私の信仰には変わりがないとか、キリストの復活が、別に歴史的に事実であってもなくても、私はキリストの復活を信ずるとか、又、私がキリスト信者として熱烈にキリストに従ってゆく限り、神などいなくても私には関係ないことだ等々。
一般の信者の中にはいい出したひとが有名だったりするとそのままうのみにして猫を虎だと思いこみ、又反対に虎を猫並にあつかう。これでは色々のキリスト教が出来るだろう。猫虎判別一覧表などという便利なものはない。祈りつつ聖書を読めば聖霊が働いて、おのずから猫虎の判別がつくというが、得てして自分勝手な解釈になり勝ち、おぼつかないものだ。
(S.A)

まず自分より他人をの精神【教区の経済自立】 苦しくても援助 貧困はみんなで支え合う

東京教区の経済的な自立をめざそうという声が高まっている。本紙でも前回3号で、教区の財政の現状について大まかながらも紹介した。しかし、この問題はいままで、信徒にとっては、あまり聞かされていなかったことでもあり、大いに話し合ったこともない。そのため問題の解決にはこんご相当につめて検討していかなければてらないであろう。そこで今回は浜尾文郎司教と福川正三氏(麻布教会)に財政の意味合いについて意見を求めた。

さる3月、東京教区の招きで来日して下さった西ドイツケルン大司教ヘフナー枢機卿をお迎えし25日カテドラルで教区の公の歓迎会を催した。その時、白柳大司教と信徒代表が、今までわれわれに示して下さったケルン教区からの援助に感謝を申し上げた。ところがヘフナー枢機卿は、むしろ感謝したいのはケルン教区であるとおっしゃった。というのは、第二次世界大戦後、日本と同様に経済的に困窮していたケルンの信者が、生活と教会の再建に努力していく姿勢の中に、物質主義、金銭至上主義の精神がみえてきた。当時、ケルンの大司教であったフリングス枢機卿が全く自発的に、同じように困っている東京の教会を助けようと考え、当時の東京大司教、故土井枢機卿に、ケルンが援助することを申し込んだ。その結果、精神的にケルンの教会が生き生きとし、キリストの精神を少しずつ身をもって体験しはじめたというのである。
常識的に考えると、自分のところがまだ十分でないのに、他の人のことまで考えられないものだ。手を差しのべる余裕がないのがふつうであろう。このことは物質的にも精神的にも一般常識といえよう。しかし、キリストの教えはそれとは別である。自分のところの不十分なことは十分承知しているうえで、なお他の困っている人を助けるという精神である。なぜならそれは他人でなく兄弟であるからなのだ。自分の力のあまった時あまった部分を他に与えるというのは「よきサマリア人」の姿勢とは全く逆であろう。
このたびヘフナー枢機卿をお迎えして、いまさらながらケルン教区がキリスト的精神の実践の力にあふれていることに感激するとともに、東京の場合を顧みて、恥じ入ったしだいである。ケルンの教会はいまなお東京ばかりでなく、日本全国の教会を助け、南米、アフリカをも助け続けている。
われわれ日本の教会が、まずわが小教区、教区を独立させ、あまりができた時に、他の教会や教区をはじめアジアの教会や社会を助けるとしたら問題である。自分のところが困っていても、他を優先する精神、それこそキリストの心ではないだろうか。それこそキリストに従う者の心がまえではないだろうか。
財政そのものがもっとも重要なのでなく、それをいかに使っているか、使おうとしているか。またそれによってわれわれが教会を自分たちのものとして自覚しているかどうか。他を助ける兄弟として生きているかどうかが問題だと思う。
他人の好意に甘え続ける限り、われわれは教会に対していつもお客様でしかない。いまこそ、われわれの手でつくる教会として進みはじめるのが、いままでわれわれに示して下さったすべての人々への感謝の表われではないだろうか。
そしてさらに、自分のことを後回しにして、まず他の困っている人を助けて来たこれらの恩人の姿勢にならって、われわれも他の兄弟たちを助けていくことを優先し自分たちが困っても、それをみんなで支え合っていくのが恩に報いる姿勢ではないかと思う。
他人のために損をすることを学び、キリストの十字架の意味を少しでも理解していきたいと思う。
(浜尾文郎司教)

宣教の原点忘れるな

ブロック会議で、教区財政のことが議題に出て着た時、多くの信徒と修道会の人びとは、やや戸惑いを感じたに違いない。それは私たちが教区財政にいままで直接にはほとんどかかわりがなかったからである。小教区の信徒たちは自分の教会の維持には責任を感じていても、その先のことはあまり考えていなかった。また知らされてもいなかった。このことは修道会の人びとも同様であろうと察する。
さて、この問題が持ち出されたあるブロック会議で、一司祭は、教会の財政の問題は単に財政が問題であるのではなくて、その根は教会そのものの問題ではなかろうか、と言われた。又ある信徒は、資金は私たちが何をするかにかかわっている、働きのあるところにこそ資金は生み出されてくる、とも言われた。いずれももっともな面を指摘している。
しかし、いま財政の問題が東京教区の中で持ち上がっていることは、従来長年にわたって何の疑問もなく受けて来た外国からの援助をこれまで通り受けられるものかどうか、又受けられるとしても、この日本の健在が急速に成長したこの時に、なお引き続いて受けて行ってよいものかどうか、と言う自己反省と、もう一つは、いままでの教会財政がいかにも教会維持型であったが、これをもっと外向きの活動型にすべきであるという教区大会の決議を尊重する立場とから起こったことであろう。そのためには、教会の財政に十分な検討を加え、一般信徒の協力を得る必要があるので、布教司牧協議会ではすでに報道されているように、この問題を取り上げ、その手続きを着々と進めている。
ところで、私どもはこの問題を取り扱う時に、教会の財政というものが企業の財政と違う面をはっきりといつも肝に銘じておくべきであろう。それは私たちの教会の使命が福音の宣教であり、キリストの光を世に輝かして行くと言うそのことである。
私たちの教会が、もしわずか五万余の現在いる信徒だけのものであったら、まさにじり貧であり、他からの援助もなくなるのは当然であろう。だが、もし私たちが真に宣教の教会であって、しかも私たち自身がその担うべきものをそれぞれが負っているならば、将来は明るく期待出来よう。だから私たちは目先の財政的対策と共に、いつもこの根本を反省し祈ると共に、実行して行きたい。
(福川正三)

子にとって親とは?-Rちゃんのケース-

私たちの住む社会は、さまざまな問題をかかえています。その解決は、誰かの力を頼ることではなく、私たち一人一人が自分の力を各々の能力に従って提供し、連帯的意識を高めつつ具体的に解決の糸口をみつけ、ほぐしてゆくことによって成就してゆきます。能力の発掘とその活用こそが求められているのです。
具体的にあなたが自分の生活の場でタレントと時間を活用してゆく方法を考えてみてはいかがでしょう?
カリタスの家は教区のものです。教区の福祉活動として、どのようにあるべきかをわたしたちは考えてまいりました。

生後1年のRちゃんは、スペイン人の男性と日本人の女性との間に生まれた男の赤ちゃんです。母親がRちゃんを連れてカリタスの家に相談に訪れたのは、今年の1月のことでした。母親にはその男との生活を続ける意志はなく、しかし幼いRちゃんを抱えては働くことも困難でした。早急に母親と子供の生活の保障が求められました。この場合、利用しうる社会資源の中には、母子寮や託児院が考えられます。しかし、この母子寮に入所した場合、かりに生活保護をうけて生活できたとしても、働こうとする意志があり、又、働くことのできる母親にとって、子供を抱えては思うにまかせません。やはり、そこで乳児を零歳児保育所にあずけねばならず、又幼妻ならぬ母がどこまで自分の生活とともに乳児の養育にまで十分手を伸ばせるのかを考える時、母と子にとって、その処置が、本当に有用なサービスとなりうるかははなはだ疑問に思えます。さらに、本ケースのように緊急を要する場合乳児院への入所には困難な点が多く、又、施設サービスが、どのような子供にとっても適切といえない面を含んでいることも指摘しておかなければならないと思います。カリタスの家のケースワーカーは、妻と夫に対して、時には3人一緒に、あるいは個別的に、今後の責任ある生活について、話し合いを続けました。現在、両人は各々別々に住み込み、自分の生活を維持してゆくために働いておりRちゃんは一時里親の家庭で養育されてきました。ワーカーとの話し合いを続ける間に、母親は将来自分の手でRちゃんを育ててゆくことの困難さを自覚しながらも、それを強く希望するような方向に向かっています。
私たちは、Rちゃんが母親とともに生活できるようになるまでの2-3年間、Rちゃんの養育を個人の家庭に依頼したいと思いました。もちろん、里親家庭に対しカリタスの家ではケースワーカー、医師、ボランティアらが必要に応じて何時でも里親さんのよき相談者として協力し、また、養育費についても責任をもちたいと考えています。
最近各新聞紙上で取り揚げられた「実子として赤ちゃんを斡旋する」という事件は、違法行為として問われ、さらに国会にまで召喚されて大きな反響をよびました。妊娠数ヶ月になっているにもかかわらず、種々の事情のために出産を断念しようとする女性に対し、その生まれてくる子供の引き取り先をみつけ、実子として籍に入れ当の女性は戸籍上生まなかったことにする。この考えには、実子ではない子供を実子として認めようとする-これは確かに”ひと”として真実ではないことです。家族を大切にし、血のつながりを何よりも重要視してきた日本社会の中では、子供は真実、一人の人間として尊ばれ、自己に生きるよろこびを体験しうる存在者としてでなく”家”に従属し、親の所有物として、ある時は求められ、ある時は、いとも簡単に殺されさえする現状を、私たちは身近なところで経験しています。
子供を産んだという、その事のみが親としての資格なのでしょうか。一体、子供にとって親とは何なのでしょうか。もし子供の生命にあずかった人が、その責任を十分にとる事が不可能なとき社会を構成している私達には、この子供に何の責任もないでしょうか。子供にとって、今、真実に必要な人をこそ、私達は問い求めなければならないのではないでしょうか。多くの里親家庭の開発が真実に子供の側に立った養護を必要とする児童の福祉につながるものと考え、カリタスの家では、今、Rちゃんの里親さがしに皆様の協力を期待しています。

ブロック便り “民選”の運営委員が誕生

布教の原点に帰る
【城西】城西ブロックでは第5回目の会合で、一つの転機を迎えた。それは、まず第一に、ブロック会議の運営のために、従来の「世話人」を改めて「運営委員会」をはっきり作り、出直したこと。もう一つは、ブロック内の一致と協力を実行していくのに、しっかりした土台を作ろうと言うことで、その第一歩を歩み出したことである。まず3月18日には「布教の協力体制」ということを取り上げた。発題者渋谷教会のペロー神父より、布教とは何か、教会とは何か、という原点にまで立ち帰って、それに現代のいろいろな条件を加えての徹底した話し合いの材料が提供された。私共はこれを次回にかけて、十分に話し合うことになった。多くの実りが期待されている。
更にもう一つ、第5回会合で話し合われたことは、ブロック自体が真に共同体としての一致を表すために、当ブロックに所属する全ての者を一つにした「共同ミサ」を行ってはどうか、ということであった。これは佐久間神父の発題であった。

【城北】布教司牧協議会協員の選出も終わり、この辺でブロック会議成立当初からの”官選”世話係りから”民選”運営委員にとの話が出、第5回会合(3/11)の際、2月27日付の原案を審議し、おりから出席しておられた教区事務局の浜尾(財務)岡野(司教秘書)両師を選管委に推して選挙を行った。
布教司牧協委員を除外してまず議長団2名を選ぶ。第1回投票で金沢正雄氏(清瀬)が23で当選。「定員2の不足数1の2倍に当たる上位者」で再投票。結局、長尾俊宏師(板橋)が当選。

自給自足の体制整う
つづいて、更に議長団をも除外して、運営委員五名を、松本紘一氏(イエズス会修道院)20、国田淳一氏(北町)14、金井久師(北町)13、マッケルウェイン師(豊島)12、土屋米吉氏(下井草)12で埋め、ここに正規の手続きによるブロック会議(城北)運営委員会が成立した。
また、ブロック会議の運営費=主として印刷、通信=は各母体一律に月五百円案も可決され、”自給自足”の体制が整った。
あとは運営委員各自のチームワークによる腕の見せどころ待ち。

浜尾司教囲み研究会
【武蔵野東】日本司教団が昨年六月に出した「社会に福音を」の教書を研究する会が開かれた。
これは武蔵野東ブロックが主催して、4月29日(日)午後2時より吉祥寺教会の3つの会議室を使用して行われ、約110人の司祭、修道女、信徒が集まった。出席者には他のブロックの方もみえた。
まず世話人を代表して、高円寺教会の杉田師が、これをブロックでとりあげられた経過を説明。
このあと浜尾司教が約1時間この教書について、概要次のように語った。
「社会に福音を」の教書に流れている精神は、次の3つのものからなっている。
「神のすくい」
「教会の概念」
「キリスト者であるところの洗礼をうけること」
である。
「神のすくい」とは、私達がキリスト者として生きることは、他人のささえになって生きるという積極的姿勢の中に、神のすくいを見いだすということ。そして神が一つであるように、私達も人類の共同体として一致することに、神のすくいを見い出す。
「教会の概念」とは、教会は私達のためばかりではなく、教会の存在している社会に、キリストが浸透していくためであり、教会の教会らしさは、日曜日のミサに私達が集まるだけのものではなく、月曜日から土曜日までの間、私達が家庭、職場、学校などの各環境において、いかに神とともに他人のために生きるかにある。それがバラバラにするのではなく、神とともに生きるため、神の出会いとして、日曜日に教会に来てミサにあずかり、また散るということ。
「キリスト者であるところの洗礼をうけること」については、キリストの救いは、すべての人が罪を犯さないというのではなく、昨日より今日、今日より明日へと生活の進歩にある。神とともに他人のために生きようと努力したかに神のすくいがあり、そこに洗礼をうけた信者としての意義がある。これら三つの前提に立って、教書にある
1、みことばを伝える
2、キリスト教的あかし
3、キリストの共同体づくり
について語った。
司教も、出席者の人々にわかりやすいように、大変やさしく話したため、また出席者も、まじかに司教を囲んで長時間、勉強会を持つ機会もめったにないためか、大変感銘をうけたようだった。

【武蔵野西】今まで世話人会と呼ばれていたブロック会議の準備会を、発展的に解消して、人数も少し増やした運営委員会を作り、第一回運営委員会を4月15日の枝の主日の日に豊田教会で開いた。出席者には多摩教会の寺西神父、立川教会の新垣さん等十人が集まり、3時から7時半頃まで、5月20日に開かれるブロック会議のために次のような事を話しあった。

中学生の錬成会検討
1、このブロックで主催し、3月31日から4月1日にかけて行われた夜間錬成ハイクの報告について。
2、夏休みに中学生を対象にして行う予定の錬成会のよりくわしい説明について。
3、今年の4月からブロックで月1000円づつ会費を集めることにしたので、それに伴う会計規則の内容検討。
4、武蔵野西ブロックという名前が言いにくいとの意見がブロックの母体にあるので、それを多摩ブロックにする案を提出することについて。しかし、まだ検討する余地があるので、臨時の運営委員会を開く予定である。

交通費対策で検討
【千葉】回を重ねるごとに欠席者が多く、第4回会議は3割の欠席者があった。このままの状態が続けられればブロック会議の存在も危うくなりつつある。問題は会議員としての自覚もさることながら遠距離からの出席と交通の不便さや時間経費においても負担が多いことにもある。今まで通り経費が個人負担であれば回を重ねるにつれて足が 遠のいてしまうのではなかろうか。第4回会議ではこの交通費の問題が真剣に討議され、各小教区負担とするか、あるいはブロック全体で負担するかで意見が分かれた。今後はブロック会議毎に各小教区より運営費を徴収し会議費、通信費等の他に交通費も全額支給することで意見が一致した。しかしこの案を一応小教区へ持ち帰り、次回まで承認を得てくることで閉会になった。

テーマ別に作業班

教区典礼委員会は、このほど仕事の能率をはかるために「こどものミサ」「典礼音楽」など四つの「作業チーム」を設ける方針をうち出した。各チームで問題点のポイントを整理した上で委員会にかけて全員で討論し合う。
【布司協議事要旨】
・第四回 布司協の審議を円滑にするため、広報、布教、対社会、青少年の各小委員会の設置が承認された。なお財政審議会のメンバーは次のように決定された。
白柳誠一、浜尾文郎、今田健美、深水正勝、塚本伊和男、福川正三、岡田啓一、志立託爾、友石進
・第五回 議題の整理、提出という教区運営委員会の任務の一つを布司協に移したらとの意見もあったが、今までどおりということになった。正式の教区運営委、議長団の選挙は次回以後行われる見通しである。なお広報小委員会はメンバーも出そろい、六月三日、発足会を行う運びとなった。

お知らせ

◇人事異動(聖職者)
▽原町田教会助任・古川正弘師
▽本郷教会助任・デフレン師
▽小岩教会助任・大倉一美師
▽高円寺教会助任・マルシャン師
▽松原教会助任・関根英雄師
▽松江教会助任・大原猛師
▽同・ドワイエ師
▽関口教会助任・伊吹雄師
▽関町教会主任・岩橋淳一師
▽千葉寺教会助任・カレイ師
▽三軒茶屋教会助任・深田利宗師
▽徳田教会助任・小林敬三師
▽豊田教会主任・藤井泰定師
▽司教館付き・田中康晴師
▽神学生養成担当・井上洋治師
▽司牧学研究留学・市川裕師
▽サンモール修道会日本管区長・田中順子

◇広報小委員会メンバー
青木静男(事務局広報部)、鈴木宇市(カトリック放送センター)、川中康弘(上智大学)、酒井新二(共同通信)、渡辺薫(NHK国際局)、栗田昌枝(パウロ会)、永島洋三(テレビ西日本)、後藤正司(早稲田大学)